030.『愛娘達は命の恩人』
風も無く、よく晴れた空だった。まるで何年もの間、燻っていた気持ちが晴れたかのような寒凪の日だ。地表を覆った雪に太陽が反射して眩しくもあるが、それ以上に日差しの心地良さを感じる。
「うん、良い天気」
リズはいつものように牧場で家畜達の世話を済ませると程良くかいた汗を流し、ヘイズの家へと向かった。
「昨日はびっくりしちゃった」
唐突な隕石竜の襲来、そしてクゥロの冒険者仲間であるフレアの登場、そしてクゥロを蝕んでいた竜の呪いの話など、立て続けに色々な事があった昨日。
クゥロの身を案じる一人として色々と思う事があり、どうしても家でじっとしている事が出来なかった。
「お兄ちゃん、大変だったんだな」
クゥロがこの村を出て冒険者となり、そして帰ってくるまでの数年の間に起こった事を、リズは良く知らずにいた。
冒険者を辞めたという事は聞いたが、クゥロはそれ以上積極的に語ろうとしなかったし、その時のリズにはクゥロが生きて帰ってきた事が何よりも重要だった。それだけで満足してしまった。
クゥロが連れてきた爬虫人類のメアとリリーの存在も大きい。メアとリリーの子育ても含めて、クゥロにはやらなければならない事が幾つもあった。冒険者であった過去の事よりこれからの事に意識が向かっていたの仕方が無い事だ。
「フレアさん、かぁ」
それでも、過去も大事だったのだろうとリズは思う。冒険者時代の仲間であるフレアと話をしている時のクゥロは、村に居た時の幼馴染みとも、メアとリリー達の父親とも違う顔をしていた。
リズがこの村で両親や村の人々に愛されて、暖かい湯船のような安寧に浸っている間に、クゥロは命を危険に晒しながら血も凍るような恐ろしい魔物と必死に戦っていた。
フレアを見る瞳に尊敬と信頼の色が見えたのは、互いに支え合ってきた時間で育まれたものだ。
それは村を出るまでの、村に戻ってきてからの生活とも違う大事な思い出であり、そして絆だった。
「……」
大事だから、話さずにいた。そう思うとリズの胸はきゅっと締め付けられるように痛む。
話してくれなかった事による寂しさからくるものでもあったが、それ以上に自分がクゥロの事を何も知らないでいた、という自身の無知さに寄る所が大きかった。
知ろうとしていなかった、いつか教えてくれると思っていた。そんな日が来ないかもしれないなんて疑いもせずに。
「もっと、知りたいな……」
だからこそリズはクゥロの家に向かっていた。部外者である筈のリズに「また明日」と言ってくれた、クゥロの言葉を信じて。
「皆、ちゃんと起きてるかな?」
クゥロの家に着くと、台所に入れる裏口へと向かう。この時間なら朝食はもう食べ終わっている頃だろうか。こうして裏口から家に入るのはクゥロの生活に触れている感じがして、リズは好きだった。
扉の前に立つと途端に自分の髪が気になって手櫛で梳かす。癖のある茶色い髪は今日もふわふわとしていて、こればかりはどうしようもないと一つ溜息。
とんとんとん、と扉をノックをして一呼吸、ゆっくりと開ける。
「おはよう、クゥ……」
目の前に広がる予想外の光景に、リズの表情が固まる。笑みを浮かべかけたその顔が火照っていくのが分かる。
「な、何してるの!?」
台所の椅子に座るクゥロ。いつも座っている場所だ、それはいい。
しかしその上半身は裸だった。初めて見るクゥロの裸体にリズの頭は処理が追い付かない。そしてそれよりも衝撃的な事に目を奪われた。
上半身の肌を晒したクゥロの背中に触れるフレアの姿があったからだ。
◆◇◆◇
「……おはよう、リズさん」
「メアちゃん、リリーちゃん、あの、二人は」
「……体内に魔力を流して確認してる、んだって……」
「そ、そうなんだ」
向かいの席に座っているメアとリリーが、リズの疑問に答えてくれた。二人とも流石に不機嫌そうな顔をしている。クゥロの肌に自分達以外が触れている、という事を理解はしても納得はしていない感じだ。
「もー、フレアさんばかりずるいわ」
「私達も……触りたいのに……」
メアとリリーの呟きに気恥ずかしさを感じながらもリズは恐る恐るメア達の隣の席に座り、クゥロとフレアの行為をちらりと見る。
「回路は繋がってるわね」
「ああ、滞り無く」
一方のクゥロとフレアは真剣そのものだ。クゥロの体内に魔力を流し込むフレアと、自身の体内を探るように確認するクゥロ。
「クゥロ」
リズはクゥロの裸体から目を離せなかった。日々の日課である狩りやメアとリリーの稽古を欠かさない為、しっかりと筋肉の付いた逞しい身体であった。しかし目を離せなかった理由はそこでは無い。
身体に付いた傷跡。それも一つや二つでは無い。肩や胸に刻まれた爪傷。両腕の爛れたような痕は火傷か毒によるものだろうか。脇腹を抉る貫通創が腹部から背中に向かうように走っていた。
「あたしの魔力の痕跡が残ってるわね、あの時のかしら」
「一番最初に魔力操作を教えてくれた時か?」
「ええ。魔力を直接体内に流し込むと、魔力因子として残留する事があるから」
「そうか、懐かしいな」
覆い被さるフレアの手が、クゥロの肌の上を滑る。時折その手付きがぴくりと止まり、気遣うように優しくなるのは傷跡を撫でているからか。
浅い傷は治癒魔法で消えるが、深い傷、特に負ってから時間の経ったものに関しては治療が成功しても跡が残ってしまう。
夏の暑い最中でもクゥロは薄い生地の長袖を着ていた事をリズは思い出した。森へ入る事が多い為だと思っていたが、本当は傷跡を隠す為だったのかもしれない。
もし人に見せないように気遣っていたのだとしたら気にしなくていいのにな、とリズは思う。少なくとも自分の前ではそういう事を気にしないで欲しいと思った。
醜くなんて無い、見苦しくも無い。それがクゥロの生きてきた証だ、格好良いとさえ感じる。
「あれ、これはどういう事……?」
「何か、分かったのか」
「ちょっと待って、今、考えを纏めるから」
動きを止め、目を瞑って探っていたフレアはクゥロから手を離すと隣の席に座る。その間に服を着て、リズが来ていた事に気付き、お茶の用意をしようとするクゥロ。
済まなそうな顔をしていたので、気にしなくていいと首を横に振って微笑むリズ。気遣ってくれただけでリズの心は暖かくなる。
「……可能性はあるわね、ただこれだけじゃ……」
「大丈夫なのかしら」
「……ごくり……」
メアとリリーもフレアの緊張を感じ取ったのか、ひそひそと邪魔にならないように言葉を交わしている。
「これは、あくまで仮定の話よ」
十数分後、考え込んでいたフレアは顔を上げた。その瞳には力強い輝きがあった。目の前に置かれたお茶を一口、舌を湿らせるとゆっくりと話し出す。
「"災厄"の竜の呪いは消えていない。これはクゥロが発作を起こした事から間違い無いわね。呪いが弱まった可能性も考えたけれども、あの"災厄"の残した被害が今も残っている事を考えるとそれも低いわね」
「だろうな、あの邪竜は特に執念深かった。幾ら未発動に終わったとしても、掛かった末期の呪いは死ぬまで消えないだろう」
「となると、どうしてクゥロは今日まで生きてこれたのか疑問が残るわ。冒険をせずに安静にしていたから? それで無効化出来る呪いでは無いわ。この魔力に富んだ土地の所為? 私も最初はそうかと思ったけど、でもそれだけが要因と言い切るには弱い」
言葉を止めると、フレアはゆっくりと前を見据える。
「では何故、クゥロはこの十数年間、発作を起こさずに生きてこられたのか。それはメア、リリー、あんた達二人のお陰だわ」
その視線の先、対面に座ったメアとリリーは驚いたように目を丸くした。
「メアちゃんと、リリーちゃんのお陰?」
「説明して貰えるか、フレア」
予想外の言葉に、全員の視線がフレアに集まる。涼しげな顔でにっこりとフレアは微笑んだ。
「メアとリリーは拾われた、と言っていたわね。それは本当に偶然で、そしてクゥロにとって幸運な事でもあるわ」
「あんた達は卵から孵化した時、今のような姿では無かったとクゥロから聞いているわ。つまりそれは生きていく中で、自分達のなりたい姿と変化した、変化出来るだけの何かを持っていた、という事ね」
「それから判断するに恐らく、あんた達はただの爬虫人類では無いわ。太古の時代から受け継がれる血脈を持った高位の存在、古代爬虫人類だと思う」
「私達が」
「……エンシャント、リザードマン……?」
呆然と呟くメアとリリー。先程の衝撃的な発言の動揺が残っている。
「全ての生命の始祖はドラゴンだ、と主張する学者がいるわ。様々なドラゴンが、様々な環境に適応する為に姿を変えて行った結果、今の多種多様な生態系へと進化していった、と」
「あるドラゴンは鱗を無くし、あるドラゴンは大海を泳ぎ、あるドラゴンは飛ぶ事に特化し、あるドラゴンは小さくなって群れを成し……そうして姿形、性質、或いは魂と呼ばれるものすら変化させた」
「その能力の名前は"生態変化"。自分の望むまま自分を変えるという力。その力で環境に適応していったとされるドラゴン。これって誰かさん達と似てると思わない、ねぇ、メア、リリー?」
「えと、つまり……私達はドラゴンの血を引いているって事なの?」
「そうね。まぁ、もしその学者の説が本当だとしたら全ての生き物はドラゴンの血を引いているという話になるけれども。だからこの場合はドラゴンとしての血が濃い、という事になるのかしら。特にリザードマンは系統としては大元のドラゴンに近い生物だとも思うし」
「……それが……父さんの呪いと、どう関係してる……?」
小難しい話ばかりで煙が出そうな程、メアとリリーの頭は熱を持っている。しかしだからと言って話を聞かないという選択肢は無かった。自分達の愛するクゥロの命に関わる事だ。
「例えるなら、ここに水槽が一つあると思って欲しいわ。クゥロの魔力が注がれた水、そして竜の呪いが刻まれた魂が水底の砂だと考えて」
「その砂からは呪いという汚れが溢れ出て水槽の水を汚すの。汚された水、つまりクゥロの魔力は汚染された後、この水槽自体を、この場合は持ち主であるクゥロの肉体を壊してしまおうとする」
「水底の砂だけを取り替える事が出来れば話は早いのだけれども、水槽とくっ付いていて取り替える事が出来ない。つまり定期的に汚される水を何とかしなければならないのだけれど」
「……さっきクゥロに触れて、クゥロの中を探った時に気付いた事があるの。それはメア、リリー、二人の魔力因子がクゥロの魔力と強く混ざり合っていたという事」
「メアとリリーの魔力因子が何故クゥロと強く結び合っているのかは分からない。それでもドラゴンの血を濃く持っている二人の魔力因子は、恐らく竜の呪いと相性が良いのね。二人のお陰で水が汚染される事を防ぎ、更には汚れを浄化していた筈」
「つまりクゥロが長い間、竜の呪いに身体を蝕まれなかったのはメアとリリーという二人のエンシャントリザードマンのお陰、という可能性が高いわ」
自分の考えを語り尽くすとフレアは少し喋り疲れたのか溜息を一つ、冷めたお茶をゆっくりと飲み干した。クゥロは横目でちらりと見ると、フレアの出した結論について考える。と言っても、クゥロにも分かる事は少ないのだが、一つだけ思い当たる節があった。
火翼竜との戦いの後に起こった発作の時に、意識を失う直前、痛みが和らいだ事。後日メアとリリーから魔力を回復させる回復薬を口移しで飲ませられた事を聞き、そのお陰だと思っていた。
もしかしたらそれはメアとリリーのお陰だったのかもしれない。
「私達がとーやの命を守っていた……」
「……本当だったら……凄い、嬉しい……」
二人はフレアの話を聞いて、叫び出したくなるような強い喜びが自分のお腹の中に渦巻いているのを感じた。
何不自由無く育て、愛情を与えてくれた、命の恩人であり立派な父親であり、そして愛しい人でもあるクゥロ。その命を自分達が守っていた。
本人達の知らない事実だったとしても、メアとリリーは互いに互いを褒めたくなるような気持ちになった。今なら何でも出来てしまいそうな気さえした。
クゥロとの出会いから全てが始まったのだとしたら、もうそれは運命だとしか思えなかった。
「ただ完璧に抑えられる訳では無いのは、既にはっきりしてるわね」
「あ、そっか、この間のドラゴンの時に倒れちゃったもんね。あれはメアちゃんとリリーちゃんの力が弱まったって事なのかな?」
「色々な要因が考えられるけど……クゥロが魔力を使い過ぎた上に、手負いのドラゴンから流れる血が香る事で呪いが活性化したと見るべきかしら?」
「水槽の水嵩が減って、汚れる速度が加速し、メアとリリーの浄化作用を上回った、という事か」
「そういう事。ただあくまで予想だわ。二人の浄化がずっと続くかどうかも分からないし、これから呪いが強まる恐れもある訳だし」
フレアの懸念も最もだった。十数年無事だった、だからこれからも無事である、という保証は何処にも無い。元々人間の身体自体、歳を取れば弱っていくのは当然の摂理だ。今日まで耐えられていた事に、明日も耐えられるかどうかすら分からない。
そんな不安な面持ちでいたクゥロの心を読んだのか、メアとリリーがほぼ同時に立ち上がり、椅子に座っていたクゥロを挟むように抱き締めた。
「大丈夫よ、とーや。私達が居ればその悪いドラゴンの呪いをやっつけられるなら、私もリリーもずっと一緒にいるもん。だからとーやはずっとずーっと元気だわ!」
「父さんが私達を拾ってくれた時から……こうなる事が決まってたんだと思う……だから私もメアも精一杯、父さんを助けたいの……」
メアとリリーの言葉に、クゥロは胸が暖かくなる。
「あらあら、愛されてるわね、パパ」
「……茶化すんじゃない、フレア」
「何にせよ、メアとリリーの事も調べたい所ね。二人の何がどのような効果を及ぼしているのか調べておいた方がいいし、竜研究を修めている身としても純粋に興味があるわ」
「調べて調べて! もっととーやの力になれるなら調べて欲しいわ!」
「私も……でも、父さんの前で脱ぐのは恥ずかしい……」
「二人もやる気みたいだしね。ここで一つ提案なんだけど」
フレアは面白い事を思い付いた顔で、にっと口の端を釣り上げて笑った。
「あんた達、首都に来ない? 首都ならあたしの研究室も使えるし、医療も神聖魔法も良いものを受けられるわ」
「……フレア、その申し出は嬉しいが俺はこの村での生活が気に入っているんだ。今更首都での暮らしは」
「ああ、勘違いしないで、あくまで一時的によ。そうね、ひとまず一週間くらいかしら? この時期は雪で何もする事無いって話だし、暇してる間の時間を有効活用するだけよ」
「……なるほど。しかしこの時期は天候も悪くなり易い。大人数で旅をするのは危険だと思うが」
「あんた、あたしが何でこの村まで来たか忘れたの? メテオラの背に乗れば、首都まで半日も掛からないわよ」
昨日フレアと共に隕石竜の背中に乗った記憶は新しい。これにはクゥロもそうだった、と苦笑いを浮かべるしか無かった。
「ほんと? 私達、首都にいけるの!」
「……父さんが暮らしていた街……見てみたい」
「その子達は行く気満々じゃない。どうする、パパ?」
メアとリリーはクゥロの顔を見る。宝石のようにきらきらと輝く赤と蒼の瞳に見詰められて、断れるクゥロでは無かった。元より断る理由が無い、というのが正解だった。
「フレアの言う通り、今まで知らなさ過ぎた自分の事を調べるのは、これからの為にも必要かもしれない。メアとリリーも、生まれてからこの村の外に出た事が無いし、良い経験にもなるだろう」
「とーや、それじゃ!」
「フレア、此方からお願いするよ。俺達を首都へと連れて行ってくれないか?」
「嫌と言っても連れて行く気だったわよ。勿論、一緒に首都へと行きましょ?」
「……やった……父さんと旅行だ……」
クゥロの決断に、メアとリリーは両手を上げて飛び跳ねるように喜ぶ。所狭しと跳ねるメアとリリーを見て、リズはぐっと覚悟を決める。
この村でただ待っているだけじゃ、昔と変わらない。変わるなら、今だ。
「フレアさん! 私も行きたいなって思うんだけど、無理かな……?」
「リズも? メテオラなら一人二人増えても変わらないから大丈夫だけど」
「リズ、おじさん達に相談しないでいいのか」
「お父さんとお母さんには帰ってから説明するつもり。私はクゥロの呪いとは無関係かもしれないけれど、それでも一緒に行きたいなって。クゥロの見てきたものを、クゥロと一緒に見てみたいの」
いつもは穏やかさを湛えているリズの瞳に覚悟の光が見えた。幼馴染のそんな瞳を、クゥロは見た事が無かった。
「むー……でも、私がリズさんの立場だったら行きたくなるもの、仕方ないわ」
「……仲間外れは寂しい……」
「あたしは構わないわよ。リズがクゥロの弟子なら、あたしにとって弟子の弟子の頼みだし。同じ小妖精族の血を引いてるよしみもあるわ。クゥロは?」
「……そうだな、リズ、お前も良い大人だ。自分でそう思ったのならそれを断る理由も無い。一緒に行こう、リズ」
「嬉しい、有難う、クゥロ!」
リズは花開くように微笑む。喜ぶ幼馴染みの姿を、そして期待に胸を膨らませる愛娘を眺め、思わずクゥロは口元に笑みを浮かべる。
ふと視線を感じて横を見ると、フレアも楽しげに微笑んでいた。その顔は明るい。死んでいた筈の弟子が生きていて、死に行く定めの打開策が見つかった。フレアにとってこれ程喜ばしい事は無いだろう。
クゥロの胸に、新たな冒険に出る前のような高揚感が胸の奥から湧いてくるのが分かった。良い旅になりそうだ、クゥロはそんな確信に近い予感を感じていた。




