014.『冬の始まり』
「おかしい」
クゥロは短く剣を振るとこびり付いた血液を地面へと振り払った。そのままポーチから布を取り出すと根本からゆっくりと拭う。
「こんなにこの森が騒ぎ立つ事は無かった」
しゃり、と硬い音を立てて無骨な鞘に収める。久方振りの出番ではあったが、手慣れたように手に馴染んだ。
元々は自分の剣では無いのだが、それを振るっていた相手の姿は今でも鮮明に思い出せる。あいつのようには扱えそうにはないな、と鞘から手を離すと、辺りを見回す。
もう獣達は居ないようだ。
「嫌な予感がする」
神々の住う山へと通じる森の奥、いつもの散歩を兼ねた見回りをしていたクゥロは異常な光景を見た。狼同士が争っている光景だ。
今までに腹を空かせた狼が、他の獣を襲う場面に遭遇した事はあるが、今回は異常だった。数が問題なのではなく、その様子。
どの狼も涎を垂らし、牙を剥き出して、襲い掛かる姿。それが異種の獣に向かうというのでは無く、互いに同士討ちを始めたのだ。どの狼も血走った瞳で見境も無く、明らかに正気では無かった。その場を通り掛かっただけのクゥロにも襲い掛かってきたのだ。
クゥロがこの村へと帰ってきてから十年余り、群れ同士での縄張り争いをする所に遭遇する事は確かにあった。しかし今回のように互いに命尽きるまで、いや命尽きてもなお激しい激怒の表情を浮かべたまま事切れているような争いは初めてだった。
「雪か」
ふと視界に白い綿がゆっくりと落ちていくのが見えた。今年初めての雪だ。始めは積もる程も降らないが、冬が深まるにつれてゆっくりと地面へと厚みをもたらす。
そうなるとクゥロの住んでいる村へと訪れるものは殆ど無くなり、皆で春が来るまでじっと肩身を寄せ合って耐えなければならない。
しかしクゥロはこの異変を抱えたまま、何事も無く冬を乗り越えられる気がしなかった。
「戻ろうか」
これが大昔、まだクゥロが冒険者として一線で活動していた時ならば、このまま辺りを探索し、何日も掛けて元凶を見つける事も出来たかもしれない。
しかし、それはもう十年も前の事。今も変わらずに同じ事が出来る、と思うのは無謀だ。
そして、老いよりももっと直接的な原因がクゥロにはあった。それこそが彼を冒険者引退という道を選ばせた根源たる事情であった。
クゥロは狼達を一か所に纏めると、魔法で葬送の火を灯す。本来ならば川へ運んで毛皮を剥ぐ作業をするのだが、もしこの原因が何かしらの病原菌ならば村に持ち込む事は二次感染に繋がるかもしれない。
「安らかに眠ってくれ」
魔法の火は少しの雪など物ともせず、狼達の肉体を焼き、魂を天へと還す。それを最後まで見る事無く、クゥロは背中を向けて村へと戻った。
◆◇◆◇
「ねぇねぇ、とーや、来たみたいよ!」
「今年最後かも……行商隊……」
朝食を終え、食卓でのんびりと過ごしていたクゥロに、メアとリリーが弾む声を掛ける。
この村に初雪が降ってから、数日後。
ちらちらとした雪が降ったり止んだりを繰り返してはいたが、今日もまた空を彩るように降っている。
雪に対して、メアとリリーの反応は対照的だ。メアは寒い時期でも半袖でも意気揚々と動くのに対し、リリーは冬場の寒さには弱く、常に長袖を手放せない。
「本当だ、角笛の音がするね」
「ね、ね? あー、なんだかわくわくするわ!」
「外に行くのは嫌だけど……何か面白い物あるかもしれない……」
しかし、どちらも待ち切れないと言った感じでそわそわしているのが可愛らしいとクゥロは思う。
最北端の村では人の出入りが限られている為に娯楽が少なく、行商隊が来るだけでお祭りのような騒ぎになる。普段は入ってこない外からの物資が村を賑わし、また村の物を買い取って貰う事で貴重な収入源にもなる。互いに得難い存在なのだ。
来てから数日滞在し、その間に色んな物を売り捌き、色んな物を買い取り、また違う村へと向かっていく。それを過ぎると雪が本格的に降り出す為、冬を告げる風物詩のようなものにもなっている。
「それじゃ、早速顔を出しに行こうか」
「ほんと!? とーや有難うー!」
「父さん……楽しみ……」
「ちゃんと暖かい格好するんだぞ」
「「はーい!」」
ぱたぱたと慌てて自室に戻る二人の背中を見送りながら、クゥロも自室へ出掛ける準備をするのだった。
「はー……寒い……」
小雪の舞う中、リリーは手を擦り合わせて白い息を吐いた。厚手の羊毛で作られた深い青色の防寒コートは、浮型の留め具と革紐できっちりと首元まで閉じられている。
「ね、とーや、マフラー暖かい?」
クゥロの首に巻かれたお手製のマフラーを満足げに見ながらメアが呟く。暖色の毛糸で編まれた短い外套を羽織りつつ薄赤色の長袖を着ているが、下はやはり動き易い短いズボンだ。赤い鱗に覆われた太腿を晒している。
「ああ、暖かいよ、有難うメア」
首元の少し歪なマフラーをしっかりと巻き、クゥロはメアの頭を優しく撫でる。毒の沼地に住むという黒沼竜の皮を使った黒い長外套は、クゥロが冒険者時代から愛用しているものだ。撥水性と耐久性に優れており、毎年冬が来るとその性能を遺憾無く発揮している。
「ふふふ、とーやが使ってくれるだけで嬉しいもの!」
「父さん……私のは……?」
「ほら、ちゃんと付けているよ」
クゥロの手首に付けられた木のブレスレットは、リリーが山で切り出した端材を加工したものだ。手先の器用なメアのように編み物は出来ないリリーだったが、木の加工に関してはベテランのマルクも太鼓判を押す程に上手くなった。
「ふふふ……嬉しい」
「うー、リリーったらいつの間に! とーや、次はもっと上手く作るから、また受け取ってくれる?」
「お前達から貰えるものは何でも大事にするよ」
メアが片方の腕に抱き付き、リリーがもう片方の腕に寄り添うように歩く。それは小雪の日だろうが、炎天下の日だろうが変わらない。
村の入り口に近付くに連れて、少しずつ人の話し声が聞こえて来る。到来を告げる角笛の音を聞いて、早速手空きの者が出迎えと見物に来たのだろう。
ふと、前方で荷車を引いている小柄な知り合いを見掛けた。
「リズ、おはよう」
「え? わ、クゥロだ、おはよう」
幼馴染みのリズが笑顔で振り向く。羊の毛で編まれた帽子とセーターを着ているが、半小妖精の証である耳が出ている。荷車には布を被せられていて恐らく中身が濡れないように掛けられているのだろう。
「リズさん、おはよう」
「おはよう……」
「ふふ、メアちゃんもリリーちゃんもおはよう。三人で露店を見に来たのかな?」
「ああ。それは行商隊に卸す分か?」
「うん、うちで作ったチーズや羊毛、それに燻製肉とかだよ」
リズの家族で営んでいる牧場は大きく、この村で作られる畜産品の大半を占めている。元々リズの父親と母親が森を開拓して作られた、とも言われるくらいにこの村の成り立ちに関わっていて、それ故に広大な丘一帯に作られた牧場を管理している。
「冬を越せる分や、村の皆に分ける分はもう確保したから後は行商隊に売っちゃおうかなって」
「いつもながらすまないな、貰ってばかりで」
「ふふふ、皆にも手伝って貰ってるし、クゥロにもちゃんと働いて返して貰うから」
クゥロはふっと笑うと、荷車の後ろに回ってゆっくりと力を入れて押す。メアもリリーもそんなクゥロに倣って、押し出した。どちらかと言うと、荷車を押しているクゥロに抱き付く為にだが。
「ありがと」
「いえいえ。そういえば今年はまだ柵の破損とかは無いか?」
「うん、クゥロが見回ってくれているからか、今年はまだ獣害は起きてないよ?」
数年前、増え過ぎた狼や猿の魔物達が村まで降りてきた事があった。その時、リズの牧場も家畜を盗まれたり、牧舎を荒らされたりと被害が出た。それまでの牧場は簡素な柵で囲っただけだったが、クゥロが指揮を取り、獣害対策用の堀と柵を作ったのだ。
堀はそれ程深くは無いものの広く取られており、外側と内側には村名産の硬い木で作られた柵の二重構え。外側の柵には刺の付いた枝を伸ばす植物が巻かれており、猿の魔物も容易に触る事が出来ない。
その植物が冬が深まる頃に咲かせる花は香り高く、匂い袋やジャムにも使えると良い事尽くめだ。
「それならいいんだが」
クゥロの頭に過ぎったのは数日前、森の奥で遭遇した狼達の異常な行動。まるで何かに怯えるように、駆り立てられるように自分以外の全てに襲い掛かるその姿。
もしあの状態の獣達が降りてきたら。あの状態が感染するもので、もし牧場の家畜達も同じ状態になったら。
「もし何かおかしな事があったら、すぐに俺を呼んでくれ」
しかしそれはあくまでもクゥロの仮定でしか無い。冬が深まれば大体の生き物は冬将軍の猛攻に屈し、冬眠したり洞穴で大人しく過ごす。その前提を覆すような事は今まで起きなかった、それが自然なのだ。自然に無理は無い、合理的に物事は進む。
だから今は明言を避けた。悪戯に恐怖を煽るまでも無いとクゥロは思ったのだが、リズは何かを察したのか、少しばかり真剣な眼差しで振り返る。
「うん、分かった。クゥロに任せれば、大丈夫だもんね」
「あんまり買い被らないでくれ、俺にだって出来ない事はある」
「昔、私が川で溺れた時覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
「うん、あの時もクゥロが真っ先に助けに来てくれたじゃない?」
「あれはたまたま、いつも後ろにくっ付いてたお前が見当たらなかったから、気になって探しただけで」
「それでも、クゥロが居なかったら私そのまま川に流されてたかもしれないもの。だから、あの時からクゥロに任せておけば大丈夫だーってずっと思ってるんだよ」
へへへ、と頬を赤く染めながら笑うリズ。小妖精の血を引いている為に外見は昔と変わらないが、その笑みに積み重ねた月日を確かに感じた。
「私も! 私もとーやの事、誰よりも信じてるわ! リズさんよりももっと、もっとよ!」
「父さんといると凄く安心するの……何も心配要らないくらいに……!」
「ふふふ、メアちゃんとリリーちゃんも私と同じみたいだよ?」
不貞腐れた顔で張り合うようにクゥロに抱き付くメアとリリーを微笑ましげに眺めるリズ。当人であるクゥロは二人がぎゅうぎゅうと身体を押し付けてくるので困惑したが、されるがままにしていた。
「あー、ほら、着いたぞリズ」
「あ、本当だ。押して貰ったから助かっちゃった。じゃ、私はいつもの人とお話してくるからまたね、三人とも」
入り口の広場に到着すると、リズは礼を言ってそのまま荷車を引いて行ってしまった。荷車に積んだ量を考えると、毎回買い取ってくる馴染むの商人がいるのかもしれない。
「ぶー、まさかリズさんに会うなんて」
「まさかのまさか……」
「なんだ、リズとはあまり仲良くないのか?」
リズと別れてからも何処となく機嫌が治らずにしがみついてるメアとリリーは互いに顔を見合わせるといじけたような目をした。
「とーや、そういう事じゃないのよ」
「父さん……ニブチン……」
「す、すまない」
暫くクゥロの腕を引っ張ったりぶら下がったりしてその場を忙しなく動き回っていた二人だったが、あまりにもクゥロが眉根を寄せて困り果てた顔でいたのが面白かったのか気付けば互いに顔を見合わせて笑い出した。
「ふふふ、とーやらしくていいのかもしれないわ」
「うん……確かに……」
「さ、とーや、ちゃんとエスコートしてね?」
「私……新しい絵本が欲しいな……」
「分かった分かった、早速見て回ろう」
笑顔が戻った二人にほっとするクゥロ。女心を理解するにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
メアとリリーに腕を取られ、クゥロは行商の商人達がそれぞれ品物を並べた広場へと足を運ぶのだった。




