013.『本能』
ある、よく晴れた日の休日。普段は出掛けたり、もしくは家でのんびりと過ごす事の多いクゥロ達だが、この日は違った。
村から北に位置する森の中、神々の住む山から流れる川の近くで、メアとリリーは互いに武器を構えて対峙していた。
メアは長さ一メートル程の鉄剣を右手に、小さな円盾を左手に。
リリーはメアを越えるほどの長さの柄が付いた斧を両手で。
じりじりと見つめ合う数巡、仕掛けたのはメアだった。
「やぁ!」
「む……」
威勢良く声を上げて勢いよく踏み込み、その右手に持った剣を横薙ぎに払う。小柄ながら力の乗った一撃を、身を引いて斧の先でリリーが受ける。
「よっと……」
「くううう」
リリーはそのまま力任せに弾くと、メアの身長を超える金属の塊を大振りに真っ直ぐ振り下ろす。半身横にずれながら、メアは左手に持った円盾で受けながら力のベクトルを流す。
どすん、と砂を巻き上げて、斧が地面に埋まった。その隙に距離を詰めようとしたメアに、リリーは何の重さも感じていないかのようにそのまま無造作に埋まった斧を振り抜く。
メアは思った以上に早いその斧撃を、慌ててバックステップで躱す。着地に尻尾も支えにして素早く体勢を整えて向かい合う。
「今のは、危なかったわ」
「……踏み込み、鋭かった……」
汗だくになりながら、互いに不敵な笑みを浮かべる。普段、クゥロの周りを愛らしくうろちょろしている時の笑みとは違い、実に攻撃的だ。
爬虫人類は皆、温厚で高い知性が備わっている。言葉が通じない、好戦的、といった『魔物』としてのイメージが強いのは創作の冒険譚などを読んだ人が、勝手に想像しているだけに過ぎない。
本来の爬虫人類達は砂地や沼地、湖などの土地に集落を作り、一族や仲間と睦まじく過ごし、土着の神や超自然的なものを崇めたりと敬虔深くもある。
また人間との生活圏が近い集落では人間との交流もあり、そこでは互いに必要な物品を交換していたりもする。亜人種の中では友好的な種族だ。
しかしいざ戦闘になると、勇敢な戦士へと変わる。それは古に竜の血筋が混ざった所為だと唱える学者もいる。人間よりも遥かに高い筋力と硬い鱗は生半可な攻撃も通さず、ただひたすらに目の前の敵を蹂躙し続ける。
それが爬虫人類としての本能なのだ。
そしてそれはメアもリリーも変わらない。日々クゥロと共に穏やかに過ごしていても、無性に身体を動かしたい時期がくる。戦う事への喜びを身体一杯に感じたい時がある。
そんな時にこうして、互いに力一杯やり合う事でその欲求不満を解消しているのだ。
「はぁ、はぁ、やるじゃない」
「ふぅ、ふぅ……メアこそ」
「木こりの仕事を始めてから、更に力が強くなったわね。捌いた腕がまだ痺れてるわ」
「メアは足腰鍛えられて、バランス良い……盾の使い方も上手くなった」
「ふふーん、とーやも昔盾を使ってたっていうから色々教えて貰ったのよ」
「なにそれ、ずるい……いつもメアばかり」
「リリーこそ! この間、早く帰ったからってとーやの手作りケーキ、全部食べちゃったじゃない!!」
「それは寄り道してたメアが悪い……」
「手作りケーキの恨みは! 深いのよ!」
「美味しかった……」
「きぃいいいぃ!」
ついでに日頃溜め込んだ鬱憤も晴らしながら続く剣戟の音が止んだのは、それから太陽が十度程傾き、南の空に登った後だった。
◆◇◆◇
二人が戦っていた砂場から少し離れた、川辺ではクゥロがゆっくりと食事の支度をしていた。よく洗った木の枝に、小麦粉と塩と油、それに茹でた陽芋を潰してよく混ぜたものを細く伸ばして巻き付ける。これを火にかざしながら満遍なく焼けば主食になる。
石を円状に積み、一方向だけ開けた石竈では焚き火が程良く燃えている。その石竈の端っこに鉄鍋が火に掛けられていた。蓋の上にも焼けた炭を乗せて上下から火を加えられている鉄鍋からはほんのりと良い匂いがする。
「そろそろ来るかな」
クゥロは切りの良い所で作業を終え、清流で手を洗う。先程から響いていた剣戟の音が止んでから少しの時間が経っていた。そろそろお腹を空かした二人がやってくる筈だ。
「とーや、とーや、とーや!」
「父さん、父さん、父さん……!」
間も無く、二人はやってきた。メアとリリーは走り込んだ勢いを緩めつつも、クゥロに身体ごと飛び込んでいく。流石に蹈鞴を踏むが、愛娘二人を何とか抱き止める
「メア、リリー、怪我は無いかい?」
「うん! 聞いてとーや、リリーまた強くなってたの!」
「メアも、盾の使い方上手になってた……」
「そうなの、とーやのお陰! 褒めてー!」
「私も、私も……」
メアとリリーがぐりぐりと身体を押し付けてくる度に、少女特有の汗の匂いと花の甘い香りが強くなる。不潔さは感じない。寧ろクゥロが、自分は変な匂いがしないだろうかと気にしてしまうくらいだ。
「さ、風邪を引かないように」
クゥロは、汗だくの二人に汗拭き用の柔らかい布を渡すと、川に浸けて冷やしていた瓶を取り出す。中には砂糖と塩と柑橘類を薄く切ったものが水に漬けてあり、汗をかいた後の水分補給には打ってつけだった。
「冷たくて美味しいー!」
「ぷはぁ……運動の後はやっぱりこれ」
喉を鳴らして美味しそうに飲み干す二人。冷やされた経口補水液は火照った身体に染み込み、一瞬にして疲れが抜けていくように感じた。
「今日は何を作ったの?」
「山鳥を捕まえたからね、香草と野菜をお腹の中に詰めてじっくりローストにしたよ」
「聞いただけで、お腹の虫が早く食べたいって鳴り出した……」
「パンも焼くから、もう少し待っててくれるかい?」
鉄鍋の中で、上下を炭でじっくりと焼かれた鳥のローストはしっかりと焼き目が付き、噛むとほろほろと崩れる柔らかさで、肉汁を吸った野菜もご馳走だ。
それに焼き立ての棒パンを合わせればもう言うことはない。もちもちとしたパンは少しパサつきはあるものの、ローストした鳥の油に少し浸して食べると実に味わい深い。
「ねぇねぇとーや、食べ終わったらとーやも一緒に戦おうよー」
「お父さんもかい?」
「父さん、強いから……良い運動になる」
「はは、二人の体力に付いていける自信は無いよ」
「メアにお手本見せて欲しいんだもん!」
「私も、メアと戦うの見たい……ダメ?」
「分かった分かった、たまにはお父さんも付き合うよ」
「やったぁ! とーやの格好良い所が見れるわ」
「わーい……嬉しい」
こうして二人の訓練に付き合うのは珍しい事では無い。まだ二人が小さい時は棒切れを持たせて好きなように打たせてあしらっていたが、大きくなってからクゥロにとっても良い刺激になっている。
冒険者をしていた遠い過去のように、とは行かないが、今だからこそ辿り着ける境地があるという事もクゥロは気付いていた。
それを積極的に生かす機会など、今後訪れる事など無いだろうが。それでいいさ、とクゥロは思いながら、鉄鍋から取り出した鶏肉を食べ易い大きさに切って皿に盛り付ける。
「さ、まずはご飯をちゃんと食べてからだ」
「はーい!」
「待ってました……!」
神々の住む山の麓には、クゥロ達の賑やかな声が日が暮れるまで響いていた。
◆◇◆◇
彼は周りの誰よりも大きな身体を持っていた。生まれ落ちた種族、群れの中でも一番に大きかった。
彼は翼竜と呼ばれる竜族の群れの中にいた。本来の翼竜とは群れを成し、季節に応じて棲み家を転々とする、大きな渡鳥のような存在であった。
大空を羽ばたく分厚い皮膜の翼は、広げれば十数メートルにも及び、長くしなやかな尻尾の先に付いた鋭利な刺はまるで両刃の大剣のようだった。
二本の脚は他の者よりも太く、その先についた鉤爪は下手な鉄鎧ならば易々と引き裂いてしまう程、鋭利さを孕んでいた。生え揃った一本一本が研がれた短剣のような牙も、全てを噛み砕いてしまえるようにすら思える。
その巨体の全てが、ただただ暴力的だった。
彼は気性の荒い火竜と、異種の翼竜との間に生まれた子だった。自然が産んだ雑種交配の産物であった。
彼は群れの中で一番に体が大きく、一番に力が強く、空を飛べば早く、吼えれば辺りの生き物を震え上がらせ、炎を吐けば辺りを火の海にする程に強力な個体だった。しかし群れの一番にはなれなかった。
あまりにも凶暴な彼を、群れの翼竜達は仲間として迎える事は無かった。
結果、彼は力づくで群れから追い出された。無論、その群れの翼竜達も多大な痛手を負った。しかし多勢に無勢、彼も手傷を負いながらその群れから逃げ出したのだ。
彼は、怒り狂っていた。翼竜如きが自分を追い出した、というのもそうだし、その翼竜如きに負った傷が痛むのも腹が立った。
群れから逸れた彼の頭の中には、全てを自分の元に従えさせてやるという強い怒りがあった。
手始めに、たまたま近くにあった人間達の村を襲った。山の近くに位置していたその村には、彼の暴力に対抗出来る手段は何一つ持っていなかった。
家を壊した、畑を抉った、木々を薙ぎ倒した。柵を破壊し、井戸を蒸発させ、石垣を粉々にした。飽き足らず、家畜を殺した、立ち向かう男を殺した、逃げ惑う女を殺した、隠れていた子供も老人も殺して、そして腹の足しにした。
彼は漸く満ち足りた気持ちになった。翼竜達から負った傷も、すぐに癒えた。彼はご機嫌だった。
そうだ、全部壊そう、全部喰ってやろう。もっと大勢の人間を、もっと大きな破壊を。息絶えたばかりの人間達を無造作に食みながら、彼はこれ以上の惨劇を思い描いていた。
それが、彼の本能だった。
まだ煙の立ち昇る中、次は何処に行こうか、と飛翔する彼の目には大きな山が映った。まるで天に住む神々にも届くかと思われる位に高い山は、彼の棲み家に相応しいように思えた。
災厄は、ただ静かに飛んでいく。




