第11章・再会
壱
「……あれは?」
「何が起こったのじゃ」
池ノ内をはじめ随陣する兵逹は、二の丸攻略のために一時兵を退くことにしたが、栃尾を下り行く際に右の山手に乱立する旗指物のが目に入った。それは何百すらありそうな旗指物の群れ、そのなかに栖吉勢の旗指物もあった。
「……援軍?」
「まさか?……栖吉が動いたとは聞いていない」
「このままでは、退路が断たれよう、如何するのじゃ池ノ内殿」
慌て始めた地侍逹は、すぐさま陣場に戻ろうとすると、右山手の旗指物のむれが一斉に隊列を保って山の下へと移動してくる。また、時同じくして栃尾城の二の丸から鬨の声が上がった。
うおおおお―――
「……挟み撃ちか?」
「ええい逃げるな!!恐れず迎え撃つのだ!!」
山上から、軍馬の嘶きと共に気勢を吐きながら、勢いをつけて駆け降りてくる軍勢の音は次第に激しくなる。池ノ内は、我先に逃げゆく兵を押し留めようと奮闘するものの、一旦恐慌状態をきたした軍勢は、踏み留まれる訳もない。
「いたぞ!!奴らだ!!」
「逃げるな卑怯もの!!」
兵を押し留めるために逃げ遅れた池ノ内は数名の兵士と共に、濁流に呑み込まれるように景虎勢に取り囲まれた。
「柿崎弥三郎。うぬが首わしが貰った!!」
「ぬっ……長尾の犬め!!」
弥三郎が上手からの勢いを借りて池ノ内に突進し、刀を振り上げ火の粉を散らして斬り結ぶ。池ノ内も剛腕で鳴らした男、勢いを丈夫な足腰で受け止めるが、じりじりと圧される。ついに一合二合と斬り結ぶうちに、あたりを景虎勢に囲まれて呆気なく討ち取られた。
「敵将、討ち取ったり!!」
うおおおお――――
敵将討ち取ったの報告があたりに響き渡ると、逃げる敵は三々五々と駆け降りて逃走を始める。栖吉勢だとて、これを見過ごす訳もなく山の下へ降りて追撃に兵を繰り出す。
「栖吉――、押し出せ!!一人たりと逃すでないぞ!!」
おおお――――
思いがけない山上からの追い討ちと、栖吉勢との挟み撃ちにあい敵は壊滅状態に陥った。揚北の鮎川自身は辛くも戦線を離脱するものの、揚北から募った殆んどの兵を損なっていた。
栖吉からの追撃は執拗をきわめ、少なからず地侍逹に手痛い打撃を与えることになった。それに反し追い討ちに出た景虎勢と栖吉勢の死傷者は数える程しか出なかったという。景虎側の完全勝利で戦は幕を閉じた。
弐・景虎side
戦は勝利に終わった。私は、早く栖吉衆に会って一言謝りたいと思ってた。しかし栖吉衆は追い討ちに行ったまま、戦後のどさくさに紛れて声を掛けそびれている。
私が待ちに待ってやっと栖吉の者逹に会えたのは、夜になって戦勝の宴が開かれた時だった。真実彼らを待ちわびていたのだが、当人逹を前にすれば気恥ずかしさと後ろめたさが邪魔をして、すぐには声を掛けられないでいた。
「いや、まったく景虎様の策はピタリと当たりましたな」
「まこと、神のように戦の流れを掴んでござる」
「さよう先陣に立たれる景虎様は、まさしく軍神が降臨されたように神々しく見え申した」
宴は私の称賛に始まりあれやこれやと神のごとくと誉め称え始める。しばらくは、拳を握りしめ黙って聞いていたのだが、堪えられなくて何も言わずに宴の席を飛び出した。
―――私が神なものか、神なら間違いを犯すわけがない。ましてや神なら天候位は左右できるだろうし、神なら先ぐらい読めるだろ。まして栖吉に過酷な策など与えなかった筈だ。
私は策の綻びさえ見抜けぬ阿呆だ。それなのに神と喩えられる。なぜだろう、この世界の者は神仏を特別視する。病気や怪我でさえ祈祷師を呼んで高価な札を求めたり、呪いやら祈祷する。医者と名の付くものだって似たり寄ったり、埒のない迷信を信じ込んでいた。
神秘的な物と実生活の狭間が薄らいでいる。そんな所が現代を生きた私には、理解することが出来なかった。私はけして神じゃない。ただ、訳の分からない物がこの胸に灯っているだけ。
―――この胸の焔とて、己から望んで灯した訳じゃない。
『しばし、借り受ける』
あの言葉が恨めしい、なぜ私だったのか、なぜ忘れかけていた前世の記憶を与えた。そんなもの無い方が幸せに生きられるし、素直にこの世界にも馴染めたろう。
宴の席を抜け出して、発作的に庭に飛び降り裸足で駆け出した。理不尽な思いを昇華できず、思いの長けを何にぶつければよいのかも分からない。まして前世の記憶のことを、生まれてから十四年のあいだ誰にも相談出来ないでいた。
―――こんな事打ち明けたって、だれが信じてくれるのか?
そのうち何処をどう走ったかまるで分からなくなって、気がつくと小さな祠の前にいた。このような祠は、たいていどこの城にもある。何の為にあるかは知らないが春日山にもあった。
参・景虎side
春日山と同じ、虎千代と呼ばれたあの時にも二の丸の近くに同じような祠を見つけた覚えがあった。
実は郷里のお地蔵さんが、こんな祠に納められ各町内に祭られていたものだから、つい懐かしさも手伝って愚痴を呟きにきたり、嫌な事があった時は祠の前に来ていた。あの時分は前世と今を結びつける物をみつけ、懐かしいあれこれを思いだし己を慰めていたのかも知れないな。
「……痛っ」
小さな祠の前に屈もうとしたら足の裏にピリッとした痛みを感じた。裸足で闇雲に走ったから、足の裏が切れてしまっているのだろうか、その場で腰をおろし足首に手をやって持ち上げてみるが、月が雲にかくれてあたりが薄暗くて傷が見えにくかった。
「早く、消毒しないと……」
何気に飛び出した言葉に皮肉に笑う。こんな時知らずに飛び出す言葉ひとつ、この世界の者ではないと思い知らされる。
いままで、必死でこの世界の者であろうと生きて来た。戦だって怖かったし嫌ってもいたのに、家族や民の為にやむにやまれず血で血をあらう戦場に身を投じ、この刀で軍配で何人もの人を葬り去った。
―――血にまみれた私は神なんかじゃない、まして策に溺れた私を神と喩えるのはどうかしてる。
神に喩えられても、何も救えない。栖吉の兵は、崖に落ちて死んだものがいるらしいと実乃から聞いた。神ならは救えたはすなのに私は無力だ。
頬を濡らすのは悔し涙、涙を隠そうと膝をまるめ両手で抱き込み顔を埋める。その体勢のまま、暫く泣き続けた。
「ここに居たのか?まつたく、若は幾つになっても変わらん」
「……え」
昔聞きなれた低音の声に顔をあげると、手燭をかざした新兵衛が心底呆れた顔をして、こちらを覗き込んでいた。涙を見られたくなくて腕で目を擦りながら顔をあげる。
「実乃や山吉殿からたいした大将っぷりだと聞いたぞ。さて、どんな立派な男に成長したかと楽しみにしていたが、泣き虫は治らんと見える」
「う……」
以前と変わらない、からかうような調子で、私の頬を軽くつねりながら語りかける。私は新兵衛を恨めしいそうに睨み上げた。
「何かとか言え」
「この嘘つき」
そんな事本当は言いたくなかったが、からかわれてつい本音がでる。事情は聞かされて納得もしていたが心の内では消化しきれないものをもっていた。
五・景虎side
新兵衛は言葉につまり、苦しそうに眉を寄せて悪かったと一言だけ呟いた。気まずい空気が流れ、何か言い訳を言える雰囲気では無くなり、私は照れ隠しに身動ぎをしてから真面目くさってこう言った。
「許す。これからは離れるな」
「そのつもりだ」
見交わす彼の目には真剣な目の輝きがあった。わだかまりがなくなって素直な気持ちになり、私はかねてよりの謝罪の言葉を口にした。
「……すまない。栖吉の兵に過酷な策を押し付けてしまった」
「主はあやまらない、だったろ?」
「それでも、死傷者が出たのは私のせいだ」
「くどい!!」
私は、謝る言葉をばっさり斬られ俯いた。すると新兵衛の手が伸びてきて、軽く私の頭を叩きそして慰めるように撫でた。
「間違わない大将なんていない。大将が間違ったなら家臣がなんとかするから、気にするな」
「……新兵衛らしい」
「何とでも言え。それにしてもあの策は上出来だった。若にしては頑張ったほうだな」
口は悪いが新兵衛のこういう所が安心できる。神に喩えたりしない、等身大の私を見てくれるような気がして嬉しかった。
「新兵衛、年が開けたら大戦になる」
「揚北か?奴らお互い仲が悪いのに、長尾に対してだけは一致団結する厄介な奴らだ」
私は何も言わず肯定の意味でうんと頷いた。新兵衛は考え込むように片手で無精髭の生えた顎髭を撫でている。その無精髭に私は随分と過酷な行軍だったことを感じとり、すまない気持ちになってしまう。
―――もう誰の血も流して欲しくない、なのに……。
「また血が流れる」
「そうだな。若は今も戦は嫌いか?」
「嫌い!この世界は戦ばかり人の命が軽く扱われる」
「この世界か……、春日山に居る時もそう言ってたな。埒もない幼子の言葉だと気にしなかったが、若は天から生まれ落ちたのか?」
新兵衛の言葉に呆気にとられ彼を見つめ直す。私は小さい時から、知らず『この世界』と言ってたのか?以前生きていたのは、おそらく数百年以上未来の日本であって、天ではなかった筈だ。
「天じゃない。私が生まれる前に生きていた所は、ここと違って随分と平和な世界だった」
「……若が言うと奇想天外な話しでも、本当の事に思えるから不思議だな」
「別に信じなくて良いよ。私だって信じたくない」
「……いや某は、若を信じる。それなら何もかも辻褄があうような気がする。今から思えばあの言葉使いも、普通ではなかった」
六・新兵衛side
若が発作的に庭を飛び降りたのが見え、思わず後を追いかけた。小島という男も同じように追いかけようとしていたが、あえて譲れと掛け合って一人で若の後を追いかけた。
あれは尋常な走り方ではなかった。まるで鬼神に憑かれたような走りっぷりに、必死で追いかけたが見失う。仕方なく一旦手燭を取りに戻り再び探しに向かうと、祠の前に膝を抱えた若を見つけた。
その姿に、春日山に居た頃を思い出す。あの頃も見ないとおもえば二の丸近くの祠の前で膝を抱えて丸まっていたものだった。
あの頃と変わらない雰囲気に、わだかまりなく話しかけた。実は某、若の見事すぎる大将っぷりに声を掛けそびれていた。いや、若が若じゃない別物にみえて、わざと避けた。
そして今、話し掛けた若は少しも昔とかわりなく、あの山吉殿が手放しで褒めるほどの華々しい戦歴を持つとは思えないほど、その精神は脆弱なままだった。相変わらす人の死を極端に恐れ戦を嫌っているように見える。
それにもまして、生まれる前に居た所を覚えていると聞いた時には、驚くよりさきに、妙に納得できた。昔から若は、変わった子だった。それは言葉使いから生活の端々まで違っていた。あたり前な身分の違いさえ分からないのに、子供らしくない分別だけは人一倍あった。そう考えるとここでの暮らしは、随分と辛かったんだろうと口に出していた。
「……辛いけど、諦める事も覚えたから大丈夫」
大丈夫と口では言うが少しも大丈夫には見えないと感じる。勝手なことだが弱い部分が見えるから側にいても良いと思えた。傅役として……いや幼いまま大きくなった若の、父親がわりとして一生かけて守ろうと決めた。
「下手に頑張るな。辛いときは某が側にいてやる」
「……そうだね。これからは一緒だね」
「そうだ。安実や長実も一緒だ」
笑った顔はいつもの若らしく、ずっとこんな顔で居てほしいと願う。口には決して出さないが、若はやはり天からの貴重な授かり物で、いずれ天高く飛翔する龍なのだと某には思えた。
「新兵衛、明日から忙しくなるな!!」
「……なんだ急に」
「明日から雪が積もるまで地侍を潰してまわり、ついでに治安維持をかね盗賊退治。あと戦後のあれこれが山のようにある。新兵衛頼んだ」
「あ……ああ」
―――この若らしい変わり身の早さに先が思いやられるが、毒を食らわば皿までもだ。この龍が、何処まで飛翔するか某が見届けてやるのもまた面白い。
第11章・再会【完】
ここまで読んで下さってありがとうございます。第6部栃尾編はこれで終わりになります。
次回は、第7部・飛翔編です。雪が溶けたころ、揚北が栃尾城に2万の大群で押し寄せてきた……その結果中条が景虎に接近を図るようになり、三条の本成寺からの関わりで長尾の仇敵一向衆も動きだす………。
また、いつものように見直しと書き貯めにまわります(笑)。
色々と細部にまでご教授頂けたので、読みやすいように語尾と誤字の修正を徹底的にやるつもりです(笑)。
そして物語は転生らしい部分のプロットの再構成を重点的に手直しを加える予定です。
投稿作品の物語の筋は変えませんので、ご安心して下さいませ。
再開は1〜2週間後、プロットと見直しが終わるまでとします。
嬉しいご感想ご評価を頂きました。つぁ―様、ちょも様、七房様ありがとうございました。
貴重なご感想やご指摘頂いた。雪待兎様、やまなみなつ様、あかいろ様ありがとうございました。教えて下さった事を生かして見直し頑張って来ます。
また、メッセージで感想など送って頂いた。ツェット様、鵺様、ちょも様、峰様ありがとうございます。やる気を頂き、精神的に本当に助けられてます。
『ネット小説更新チェク』様のWeb拍手を頂いた皆様ありがとうございました。6/9日23:19様、6/12日けん様、嬉しい拍手コメントありがとうございました。遅くなりましたがレスは◇home◇にて付けさせて頂きました(笑)。また、お暇な時にでもお立ち寄り下さいませ。
そして数々のWeb拍手ありがとうございました。◇home◇まで出向いて下さった皆様に感謝します。
完結まで頑張ろうと思いますので、長い目で応援下さると嬉しいです。また評価感想からご指摘まで、忌憚なくお聞かせ下さると幸いです(お辞儀)。
2009/06/11記
2009/06/12改