年末年始③
昭和五十三年十二月 中旬 今年も残すとこ半月、最後に大仕事が待っていた。
私は、仕事で四国の松山へ。ここで一泊して〔さんふらわぁ号〕に乗って高知から東京へ。
そして、数日後、午前三時、真っ暗な時に、東京から東名名神高速道路を通り神戸へ。
行き先は、九州の鹿児島に近い水俣市、生まれて初めて車で行く九州。神戸からカーフェリーで小倉まで行き、国道三号線で鹿児島方面へ向かった。全て初めての事、そして十二月二十九日東京に着いた。
私は、仕事をしながら今年の最後の日、子供達を迎えに行くと決め、年明け七日まで我が家で過ごせると思い仕事を頑張った。
そして、十二月三十一日 いつものように孤児院へと車を走らせた。
孤児院に着いたのがお昼を過ぎてしまい、ずっと子供達は待っていた事だろう。
『あっ!やっときたよ~』
『パパがきたぁパパがきたぁ』
「おう!おまたせー家に帰るぞー。外泊手続き済ませてくるから、待ってろ」
『まゆ、車の中で待ってよ』
『うん、そうしよう』
そして、三人は車に乗り込んだ。車の中は子供達の楽しそうな おしゃべりが止まらない。
「お前達、夕飯は何が食べたい?」
『僕、ハンバーグが食べたい』
『マユもハンバーグでいい』
「そうか、じゃ今日はレストランにするか」
『わーい。やったー』
『わーい やったー』
私は、子供達の喜ぶ事がしたかった。
レストランに着くと、家族ずれが沢山いて、楽しそうにしている。
二人の子供達は、回りの家族連れを見て何とも思わないのだろうか?
母親が居ない事に、何とも思わないのだろうか?
子供達のハンバーグが運ばれてきた。
『パパ、ハンバーグ美味しい』
「おー!美味しそうだな、一口」
『はーい!一口ね』
三人はお腹いっぱい食べ我が家に帰って来た。
昭和五十四年度 年が明けた
この一週間、三人は楽しく正月を過ごし、そして、嫌な一月七日が、とうとう来てしまった。
子供達を孤児院に送る日の朝、私は見てしまった、浩一の悲しそうな目。
浩一の、言わんとする事が良く分かったが一緒に悲しんではいられない。
孤児院に着くと、浩一は私の傍から離れようとせず、悲しそうな目をしながら傍に居た。
『パパ、お家に帰りたい』
真由美は必死に訴えている。
「また来るから」
何とか言い聞かせ孤児院をあとにした。
次の日、目を覚ますと、あたり一面 雪で真っ白だった。
仕事に行くか迷ったが結局行く事に。
浩一・真由美 元気で学校に行ってるのだろうか?
イタズラ好きだが、悲しさ、寂しさを素直に出す浩一。
頭が良く、本の好きな真由美。
私は一人で居る事がウソのようだ。
雪の中、子供達の事を考えていたら胸が引き締まり、痛くなり涙もこぼれてきた。
子供達は、私の宝、この世に二つとない宝。子供達と、生活出来るにはどうしたら良いか考える。
これも、いつものパターンのように結果が出ない。
もし、我が儘が通るなら、妻と子供達がずっと一緒に居てくれたら言う事はない。
それが無理なら子供達だけでも一緒に、苦しい事、寂しい事を乗り越えて行きたい。
この広い世界に、たった一人しかいない息子、たった一人しかいない娘。
浩一・真由美 お前達には何もしてあげれないが人並みの幸せ掴んでほしい。
良い事、悪い事、してはいけない事、それを少しでも早く自分で理解し、この社会で生きてほしい。
それだけをいつも思っている。
明日は日曜日だけど仕事。
次、子供達に会いに行くのは二月の連休だな!と今から予定を経て、その日を楽しみに仕事に励む。
浩一・真由美に早く会いたい、一人で居るのは死ぬより辛い、もし二人の子供達が居なかったら今頃どうしていただろう。
掛けがえのない子供達が居るから明日も仕事に行ける。
私も今年で36才 若くない




