scene6 【苦い】
「佐門君! 少しあの亡霊の気を引いてもらいたい!」
「自棄じゃないんでしょうね?」
「任せなさい」
疑わしそうに視線を向けてくる彼女に胸を張って答える。そうすれば彼女はため息を一度吐いて宙に浮かぶ蒼い球体へと間合いを詰めた。
亡霊としてその輪郭と表情を得たためか、それはもはやただの炎のように蠢くだけではなく、その表情をさらに醜悪なものに変えて低いうなり声を上げている。
この地にこういった幽霊が湧く理由はわからない。だが幽霊の正体がなんであれ、その表情はさぞかし無念だっただろうものに歪んでいる。だが今は敵。打倒さねばならない。
ウィンドウよりとあるアビリティを選択する。ロックストーン以外に攻撃方法のない私になど、もはやこれしかできない。いや、これだから『良い』のだ。
しかしロックストーンと違いその待機時間は戦闘の最中であまりに長い。そしてアビリティゲージの消費もまた。決めるのならば確実にしなければならない。
そうこうしているうちに佐門君は手に持つ槍を亡霊のすぐ目の前で振り回し、やがてはぴたりと静止して構えて見せた。実際に攻撃してみるのではなく、実に尊大に、傲岸に自らの存在を誇示する様はモンスターへと届くのか――――彼女の目論見は果たして、成功する。
亡霊がその表情を憤怒のそれに変えれば、身体を徐々に膨張させ始めた。考えうる攻撃を頭の中に展開させる。物理はないといっていいはずだ。ではどうする。身体を膨張させた。ならば自爆か。いいや、ありえない。ならば、何かを出すのか。何をだ。炎か。
目まぐるしく回転する私の思考は、亡霊がその頬を大きく膨らませたことで解に至った。こいつは口から炎を――――。
「っ!?」
驚愕。奴の口から吐き出されたのは燃え盛る炎などではなく、辺り一帯を覆うほどの白い吹雪であった。直前の視界にはとっさに真横へと飛び込む佐門君の姿が見えた。回避は、したのだろう。
ならばその吹雪の行方はどちらに向かう? 吹雪を吐き続ける亡霊の視線と、かち合った。
選ばなければならない。回避か。それとも――――。亡霊から吐き出される氷の吐息はまさに冷気の濁流。物理的なものはなさそうだが、一気に皮膚まで凍らせられそうな気配がある。
私の装備は、ローブだ。決断する。
【アビリティ発動『ヒールライト』】
右手に浮き出た白い紋様を振り払い、地に浮かぶ魔法陣を滑らせるようにして亡霊の元へと飛ばす。その速度は吹雪のそれよりも遥かに早い。ならばと私は回復するためのその魔法を、迫りくる吹雪に構わず発動させた。
「シスケッ!?」
悲鳴のような声が耳に届く。彼女は無事であるらしい。であればあとは流れに任せるのみ。
光の粒が舞うエフェクトが亡霊を包み込んだことを確認し、私も佐門君を模倣するかのようにして真横に飛ぶ。半身はすでに吹雪を受けており、どこか体の動きも鈍い。
だが全身を覆うこのローブならば――――勢いよく飛び込み地面に伏した衝撃はそう小さなものではなかったが、それでも露出した顔面を氷漬けにされる愚は避けられた。あとは。
「オオオオォ」
空気を振動させるように低い声が目標から響く。
身体が酸素を欲するかのようにして荒く呼吸を繰り返しながら倒れ伏したまま横目で亡霊を見た。そこには身を捩りながら光の粒を振り払う亡霊の姿があった。
聖魔法は、回復魔法はアンデッドに有効である。昔からゲームの中にあった当たり前の法則。それは現代でも、この世界でも変わらないらしい。
「佐門君ッ!!」
「いいわ!」
とっさに叫ぶ。これはただの博打だ。聖魔法を掛けられ、その身を苦痛に歪める状態であれば彼女の槍もまた、形なきものを貫く。
半身のローブがすっかり氷漬けになり動きにくい状況に陥りながらも立ち上がれば、そこにはあの蒼い球体を洋菓子のように切り裂いていく彼女の姿が見えた。もはや攻略法は見え、それも確立することが出来る。
ウィンドウをちらりと見れば私のHPバーがじりじりと持続ダメージを受けて減っていくのが見えた。状態異常の名称は氷結。氷の吐息そのものを受けたためかすでにバーは半分を切っており、これは由々しき問題である。
「…………」
私の援護などすでに必要としていないかのように亡霊相手に戦う彼女をちらりと見る。今は大丈夫そうだが、聖魔法による物理貫通の効果がいつ消えるとも限らない。それに何かの拍子で彼女が傷つくこともまた。
私はため息を吐きながらウィンドウのヒールライトを選択し、その一方で道具袋より低級ポーションを取り出してその緑色の液体を呷った。
勝利を間近に感じたそれは、ひどく不味かった。
scene6 【苦い】
「…………」
「…………」
互いに言うべき言葉を探しているのか、我々は亡霊を打倒した後に残ったとある結晶を前にして黙り込んでいた。
佐門君の幾度目かの突きが亡霊を貫いたとき、亡霊はその身体を一瞬身震いさせ、やがては断末魔を上げながら虚空に消え去って行った。一度攻略法が分かれば怖くはなく、一度目の攻撃を喰らってからはほぼ完封することはできたのだが……次に残ったのはこの結晶だったのだ。
【不気味な結晶】【要鑑定】
【紫色をした不気味な結晶。何らかの力の気配がある】
色は吸い込まれそうなほどの色鮮やかな紫色であり、拳よりも少し小さな、卵ほどの大きさのそれは日光を反射しているわけではないというのに淡く明滅を繰り返している。
それを見た私と佐門君の印象は一致していたと思う。これが魔力結晶と呼ばれるものなのではないかと。そうこうしながらうんうん悩んでいれば、やがて私と、そして佐門君にも響いたのか、鈴の音が響いた。
【スキルが上昇しました】【精神統一lv2→3】
【あなたは精神を行使する行動において一定の補正を受けることが出来る。それは日常でも行使される人間の根幹であり、しかしあなたはその効果を魔法行使の間にしか実感し得ぬだろう。精神とはマナ。マナとは魂。未熟な魂は未だ発展の余地を残している】
【スキルが上昇しました】【聖魔法LV1→2】
【あなたは聖魔法を行使する行動において一定の補正を受けることができ、これについての知識が深まった。聖魔法は邪を退け、傷を癒す聖者の御業であり、その力は一種の信仰である。あなたはその信仰を何者にも捧げても良い。未だ魔法と信仰の境界は曖昧なままであるのだから】
【あなたは一定の経験を得て、さらなる飛躍を誓った】
【スキルポイントが一つ追加された】
これだけでも如何にこの亡霊が強敵であったのかが分かるというものだ。たった一匹倒した程度でこれほどまでの経験点が貰えるのはこのモンスターと私たちの間でどれほどの差があったというのやら。
もしも聖魔法を私が修得していなければ一矢報いることなく私たちは氷漬けのオブジェとなっていただろう。氷漬けにされていたローブが時間が経つに連れて溶け始め、ぐっしょりとした心地の悪いものを感じながらも私は首を捻った。
「成長は兎も角として、これが魔力結晶だと思うかね?」
「流れから考えてみればそうなんでしょうね。でも、ゴルドだったかしら? 随分とあくどい試験を課すのね」
「ふぅむ」
少々機嫌悪そうにして鼻を鳴らす佐門君を眺めながらしばし思案する。確かにこの試験は駆け出しと言える私たちにとっては荷が勝つようなものだ。確かに場所は街から近く手軽に行ける場所ではあるが――――手の中にある魔力結晶を見ながら先ほどの戦いを思い出す。
あのゴルドさんが、私たちを死地に向かわせたと憤るのは実に簡単だが、そもそもの話、冒険とは、冒険者とはその行動に常に命の危険が伴うものだ。これを怒るのはただ単純にその器の小ささを露呈することである。
そこまで考えてふと、根本的なことを思い出した。これは本当に魔力結晶なのか、と。
「…………うむ。否はないか」
「どうしたの?」
小首を傾げる佐門君をしり目に私はウィンドウを開きスキル画面へと移行する。そこには様々なスキルが欄列されており、それを眺めるだけでもそれなりに時間が潰せるほどの密度だ。本来アバターを決めるときには何時間も時間をかけるのだろうな、と少し思考が片道に逸れた。
私の狙いはこのゲームをプレイしてから常々思っていたこのスキルの取得にある。それすなわち、【鑑定】スキルである。
【鑑定LV1を取得した】
【貴方はありとあらゆるものに価値を見出す瞳を向け、それを明らかにすることが出来る。あなたの眼が見通す情報は真実の欠片であり、それを見つけることが鑑定の一歩目である。見つけることと見極めることは別であり、その道のりはとてつもなく長いものである】
スキルを取得するとともに相変わらずのシステムコメントが流れ、私はじっと手元にある紫の結晶を睨み付けた。正直な話、取得前と変わったところなど何一つ見受けられない。
相変わらず明滅は繰り返しているし、これが魔力結晶だとピンとくることもない。はてさてどうなることやら。しかししばしぼんやりと眺めていれば、それはウィンドウに情報として現れた。
【魔力結晶】【要鑑定】
【魔物の体内より現れた魔力の塊】
そして明らかになった情報はこれまた最低限の説明しかなされていない粗雑なもの。おそらく鑑定の精度が低いことに起因しているのだろう。レベルが上がればもう少し精細な情報が手に入るはずだ。
そして無事この結晶が目的の品であったことに安堵した。あれほど苦労して倒したというのに、これが全く試験と関わらないものであったなら骨折り損にもほどがある。
安心したようにして深呼吸すれば、隣にいた佐門君の視線にようやく気が付いた。
「どうやら魔力結晶に間違いないようだ」
「…………鑑定スキルでも取ったの?」
「まぁね。おっと、別に君に強いられたからだとか、今必要だからという皮算用で取得したわけではないよ。このスキルは重要だ。必ず役に立つだろう」
「なら、いいのだけど」
どこか納得できていないかのように引き下がった彼女に苦笑しながら魔力結晶を道具袋の中へと閉まった。
さて、無事に試験は達成できたのだがやはり疑問は残る。あのゴルドさんの人柄では例え冒険者相手と言えどもこういうものを課すような人ではないと思ったのだが。それとも私が商人という人種を見きれなかったのか。
そこでふと、この状況について気が付いた。我々は突発的に、ほぼ偶然この亡霊との戦闘に陥ったのでああり、事前の情報収集はかなり杜撰なままである。であるならばこの結末も当然なのではないかと。
「…………ま、手に入れられたのならいいわ。私もレベルアップしたし。帰りましょ?」
「うむ」
「あと」
「うむ?}
一言切るようにして彼女は痛ましげな眼をこちらに向けていた。
「いや、何でもないわ」
じっと、まだ氷漬けにされているところを凝視しながら彼女は首を振った。どうしたのやら。
とにかく帰るまでが遠足、帰るまでが冒険。太陽が隠された此処ではどれほど時間が経ったのかも定かではない。暗くなる前にさっさと帰るのが最善だろう。
腑に落ちない表情をした佐門君を伴いながら、我々は始まりの街、サファルまで急ぎ向かった。
【クエスト『崖の淵』続行】
【あなたは目的の品を入手することが出来た。過程は問わない。よい言葉である】
――――このシステムコメントがどういった評価を受けているのか。ふと気になった。
◆◆◆
帰るまでが冒険と言っても、やはりここは序盤の序盤。相変わらずトカゲに奇襲されることはあってもそれはとてもとても死に遠いものだ。そして余裕が出始めてくると、行くときには感じ得なかった好奇心が沸々と出始めてくる。
きっかけは一匹のトカゲを処理している最中だった。
【タンリザード】
【リザード種】
【木々にへばり付きながら縄張りに侵入した敵に向かい舌を伸ばすことで威嚇するモンスターの一種。彼らにとって自らの体色と同じ樹を見つけ、そこを縄張りとするのが一人前の証であり、体色を変化させ保護色とするような能力を有しているわけではない。大きなものは人の背丈ほどにもなる】
これである。鑑定スキルを取得した矢先、すぐにでも明らかになっていく敵の名前に興奮を覚えるなといっても無理な話だ。経験により明確になる真実の香りはいつだって芳醇だ。
そうと決まれば道具袋に入っているあれやこれやと今すぐにでも鑑定に入りたかったのだが、じっとりとした目を向ける佐門君にすごすごと伸ばしかけた手を止めて先を急ぐほかなかった。
目の前でごちそうを取り上げられたような状態になり、眉の端が垂れ下がるのを止められそうもない。すでに街道に戻り、舗装された石畳を肩を落とすようにして歩けば、次第に彼女の顔には笑みが戻ってき始めていた。
「ふふっ……あなた、ホントにおじいちゃんなの?」
「年寄りには優しくするべきではないのかね?」
「駄目よ、年齢を盾にするだなんて。それは無敵の矛だわ」
「美しくないかね」
「ちっとも」
「やれやれ」
口元に手を抑えながら笑う彼女は実にらしい。そう、らしいのだ。
所詮VRMMOなど初めてであるが故、それぞれのプレイヤーの傾向などはわかるわけもない。だが現実で過ごした時間は膨大であり、そのたびに様々な人間と付き合ってきた。
つまる所、例えこの世界がゲームでできている仮想空間と言えども、目の前で笑う彼女には表情があり、感情があり、癖もある。現実の人間と変わらない。
であるからにして、目の前の美女がどのような人間なのか、というのを見極めることも出来ていた。
ロールプレイ、というには彼女の所作はあまりに堂に入りすぎている気もした。それがVRMMO経験者としての立ち振る舞いならそう結論づけることも出来たが、どうにもそうは思えない。
その挑戦的な言葉尻とそう反するかのようにその振る舞いは雅馴だ。ところどころによく洗練された動きが見て取れ、言えばそれは恭しいものだ。とても暴君のようなそれではない。
それが勇ましくも美しい演武に繋がるのだろう。ふと、彼女の現実について少々の興味を抱いてしまってもしょうがない。失礼に過ぎるものではあったが。
「どうしたのかしら?」
「…………いや」
恐らく彼女は、随分と厳しい親御さんに育てられたのかもしれない、などと考えていた。
私の現実が爺のそれだと知った途端、彼女の振る舞いにどこかおかしなものが散見され始めてきた。口から出る言葉は大仰なれど、どこかこちらを気にしすぎる節がある。年上は絶対だと教育されたのか、事あるごとにこちらを気にやるようなセリフを吐き、そしてそのたびになんともいえぬ表情をするのだ。
傲岸不遜に生きたいと叫んでも、まるでその様は自由とは程遠い。『ゲーム』とは、『遊び』とは、もっと無礼講であるはずだ。
「佐門君」
「……何かしら?」
「そう硬くならんでもよいよ」
口に出せば彼女の表情がそれこそ硬くなった。たったそれだけの会話の本質を見極め、それが見破られたことに対して必要以上に謙虚になってしまう。彼女は不満に思うことはあっても、絶対にそれを口に出そうとしない。それほど優秀でありながらもどこか卑屈だ。
帰ろうとした時の彼女がこちらを見ていた視線を思い出す。あれは後悔の眼だ。その後悔の底がどうであれ、確かにあれは自分を苛めるものだった。
「遊びは、遊びだ。我々は等しく時間を浪費している娯楽人だよ。もっと力を抜いてもいいのではないのかな?」
「…………」
「まあ、暇を持て余しているじじいの戯言だ。ほんの、ほんの少しだけ覚えていてくれたら嬉しいな」
少々説教臭かっただろうか。
声が途切れ、石畳を足が叩く音と時折吹く風の音しか聞こえない。それがどこまでも心地よく、私は落ちかけている太陽を見ていた。
二人並んで歩くだけでもどこかふんわりと温かさに包まれる何かがあり、それを全身で感じられることに歓喜する。今日はよい、良い冒険日和だった。
あとは帰るだけ。未だサファルの街も勾配がついた道なりのせいで見えないが、そう遠いわけでもない。だがしかし無言で歩き続けていれば徐々に剣撃のような音が耳に届き始めていた。おそらくどこかで戦闘しているのだろうと周りを見たが、それの様子はなく、佐門君もその出所を探るように視線を彷徨わせていた。
目の前には少しだけ傾斜のある坂道。それに遮られて前方の道は見えない。しかしてその坂道を登れば――――。
「あれは……他の冒険者みたいね」
「相手はゴブリンかな? しかし数が多いな」
見えたのは激闘を繰り広げる冒険者のパーティとそれを囲むゴブリンの群れ。しかし街道のど真ん中だというのにその数は異様だ。
4人ほどの冒険者を囲むようにして約倍。8匹もの緑の子鬼が飛び跳ねたりしてみては威嚇している。戦いなれていない初期のプレイヤーに対してあれでは、少々分が悪いと言っても過言ではないだろう。
しかも地面に倒れ伏すゴブリンの姿もある。もともとはもっと多かったのか。
さて、私はくるりと佐門君の方に振り替えると、口を開いた。そう肩を震わせて驚かなくてもいいだろうに。
「どうしたいかね?」
「それは」
「確かに我々は冒険の帰りだ。精神的な消耗も激しく、これからunIQueを続けているうちでああいった光景は少なくないのだろう」
「…………」
「で、君はどうしたいかな?」
にやり、と笑って見せた。それだけで、彼女は諦めたように笑って見せる。
「私、通りすがりのヒーローってカッコいいと思うのよね」
「ほお」
「礼はいらない、って背中で語るのもいいと思わない?」
「うむ」
彼女の美しい顔に獰猛な笑みが浮かぶ。瞳の奥に情熱が燃え広がる。
すれば彼女は駆けだした。槍をその手にまっすぐと。
黒髪を靡かせ向かう様はそれこそ夕日の輝きに負けぬほどの――――。
今日の我々の冒険はその戦闘を最後に終わりを迎えた。
礼を言う冒険者たちに少々顔を赤めながら背中を向ける彼女は、とてもとても美しいものであった
【聖属性魔法『ヒールライト』】
【魔力を生命の力に変換させ、その粒子で対象を包むことで傷を回復させる聖魔法。その力は対象そのものに発生するものではなく、効果が表れる魔法陣に発生するものである】
【原初魔法の始祖であるヘヴァティゴの弟子、不疑のサタモスによって生み出された魔法。しかしサタモスはこの聖魔法を機に魔法を神の奇跡とし、他の弟子たちと熾烈な争いを繰り広げることになった】