Interlude 【日常】
目の前の鮮やかな光景が色褪せていく。それは現実への回帰の合図であり、夢のような世界に後ろ髪を退かれる様で私は深く深くため息を吐いた。
しばらくすれば瞼を閉じた世界の中は暗闇が広がり、ゆっくりとそれを開ければもはや見るところもない『いつもの世界』が広がっていた。幾度も繰り返し眺めていた天井。首をひねり横を見れば、そこには長年愛用していた古びた目覚まし時計が夕方過ぎを示していた。
「…………っ」
気怠さが全身を覆う。先ほどまで自由自在に動いていた身体は鉛のように重く、首を振っただけで鈍い痛みのようなものが走った。決してこれは長く横たわっていたために身体が硬くなっていたわけではない。
――――これこそが現実、私の、身体。
それを思うと陰鬱なものが心の中にじんわりと浮かんでくる。羽のように、とは言わないが痛みが全くないあの身体が羨ましい。
5分もかけて痛みの止まない身体を馴染ませゆっくりと起き上がり、真っ赤に染まる夕焼けを部屋の窓から眺める。傍にあったロッキングチェアーに腰を掛ければそれはすでに私の日常であり……。
ぎぃぎぃと揺られながら真っ赤に染まる灰色の街並みを眺める。こんなにも夕焼けとは汚れに満ちたものだっただろうか。完成された世界から見た夕焼けは、これと比べ物にならないほど美しかった。
ここまで考えて思考が腐っていることを自覚して頭を振った。
「そんな、馬鹿な」
誰もいない部屋の中、身体を揺らしながら失笑した。
確かにあの世界は理想に満ちていたが、それでもやはりゲームだ。遊び染みた感覚で得られる物は多くても現実のそれと比べればあまりに少ない。
窓からの眼下。道行く人々は仕事帰りと学校帰りの制服たちがごった返し、耳に届く車の排気音はいつものことだ。
繰り返し繰り返し現実と仮想の境界をすり合わせ、区別し、そこを再び境界で区切っていく。何故か私は、悲しくなった。
Interlude 【日常】
一日中をunIQueの中で過ごしていたというのに、先日はすぐに再び寝床に入ってしまった。プレイ中の現実の身体はずっと横たわったままだというのに、それから現実に帰ってきてもすぐに寝るなど。
やはり多大な幸福にはそれなりの犠牲が必要らしく、仮想空間で自由な身を得る代わりに私の現実の身体は急激に衰えていくのだろう。それを考えれば私は朝起きると同時に慣れないジャージに着替え、肌寒い外に繰り出していた。
腕を大きく振るようにして競歩のような散歩を続けていたがやがては腕を振るのも億劫になり、やがては歩くだけのそれとなった。まぁ、それだけでも十分に運動にはなる。
途中コンビニに寄り、ゴシップ染みた新聞を買えば、そこには大々的にunIQueの記事が載っていた。今世紀最もリアルなVRMMO。4歩先を進むAI技術。制作責任者『桑部隆』インタビューなどなど。
新聞に載せられた写真には人の好さそうな七三分けの男が写っており、彼があれを生み出したのか、と私は一人感心したように息を吐いた。
そうして再び散歩に戻れば、やがては学生やらスーツ姿の社会人たちが道に増え始めていく。私が通り過ぎた道を彼ら彼女らも必死に駆け抜けていく。携帯を片手に忙しなく駆けていくスーツ姿の男。歩道で横並びに姦しく歩いていく子供たち。
時折知り合いの老夫婦とすれ違っては手を挙げて挨拶をしていった。
長閑な日常。悪くないな、と再認識することが出来た。
そうこうしながら家路に着こうとした時、なんとはなしに開いた携帯に、知った人物から着信が入っていたことに気づいた。人ごみの中を歩いていたせいか、音に気付かなかったらしい。
一般的に老人と呼ばれる世代でありながらも、携帯を十全に使えるのはささやかな自慢であったし、子や孫と話が通じるのも一種の楽しみであった。
「桐山……?」
携帯画面に出た名前に首を傾げる。別段知らない人間ではないのだが。
会社で働いていた時の部下の名前。退職したのはそれなりに前の話だが、それでもちょくちょく相談しに電話を掛けてくる可愛い奴ではある。しかしこんな平日の昼間から何のようなのだろうか。着信が来た時間は10時頃。さてはサボりかと眉を顰めて折り返し電話を掛けた。
「お疲れ様。どうした?」
『お疲れ様っす! マジ久しぶりっすね。元気にしてました?』
「ああ。というか仕事中ではないのかね?」
『いや有給っすよ、有給。さすがに部長の眼気にしながら電話しないっすし』
桐山亨。
軽薄をそのまま形にしたような男だ、というのは初めて出会った時から抱いていたことだ。高校卒業から若手として私の下についたのだがこの性格は10年掛かっても矯正することはできなかった。無論取引先や目上の者に対するものはこっぴどく叱ったためにどうにかなったが……私が定年退職したとあったらこれだ。
変わらない彼の口調にしばし閉口しかけたが、私ため息一つ吐くことで喉の奥に仕舞い込んだ。
「して、何のようかな? また何かやらかしたかね」
『何年やってっと思ってんすか。順調っすよ、順調』
「はぁ」
笑い声を混ぜながらそう話す桐山君にため息を隠すことはできなかった。
彼が十全に仕事を熟したことはそう多くない。大きな失敗をすることは絶対にないが、どこかで小さな取りこぼしをする。そんな男だ。そしてその尻拭いをしてきたのか私だった。
だが――――そう悪くないとは思っていたのだ。もう一人息子が出来たような気がして。
だがしかし彼と出会った時点でも私は社内で最年長の部類におり、そのような人間が年若い男と話を合わせるのは至難の業だったといってもいい。ならば何が私と彼を繋ぐきっかけとなったのか。
『んで話は変わるんすけどunIQueって知ってます? ほら、VRMMOの』
これである。歳の差を埋めるのに私が隠していたゲームへの興味を晒すのは実に友好的だったと言えよう。社内でもまぁまぁの堅物に属していた私にはこういったモノを言える人はおらず、そんな中に現れた彼には感謝せざるを得ない。同期の人間だってこのようなことは話せない。
それ以来生意気な口をきき始めたのが玉に瑕だが。どちらにせよunIQueのことを彼が話してきたということは、だ。
「有給の理由はそれか」
『うっ……でもテストプレイって聞いたらとりあえず応募してみるのがゲーマーってもんでしょ? いやぁ新作をいち早く体験できるってのは』
「もうやってるよ」
『えっ』
「もうやってる」
間抜けな声を漏らす電話越しの桐山君に、少しだけ笑えた。私がこれをやっていることが彼にとっては予想外だったのだろうか。そうかもしれない。なんだかんだゲームの話をしながらも私はそれをしなかった
。ただ単純に忙しかったのかもしれないし、いい大人が、という思いもあったのだろう。
仕事場に携帯ゲームを持ち込んでは隙を見て遊ぶ桐山君を怒りつつも、どこか羨ましく思っていたことが記憶に残っている。
『マジっすかっ!? ちょっ、もう、なんすか! 言ってくださいよぉ』
「ははは」
『げほっ……予想外過ぎてむせた……つか、今日もやるんすか?』
「この後ログインしようとは思っているよ」
『やべぇ、史助さんがログインとか言っちゃってるし』
「余計なお世話だ」
仕事をしていた時も横文字など腐るほど使っていたではないか。私は古風な言い回ししか出来ない前時代の人間ではないつもりだ。おそらく。多分。
強がりの言葉に聞こえたのだろうか。桐山君は一通り笑うと息を整えるようにしゃべり始めた。
『今どこにいるんすか?』
「ほら、通勤時に通るあの公園の……」
『ああ、たまにゲートボールやってる爺さん婆さんがいる。VRMMOに引き続きデビューしちゃったんすか?』
「会社絡みでゴルフに行った時のことを覚えているかな?」
『ああ……史助さんって死ぬほどセンスなかったっすね」
「君は、ホントに……」
呆れさえ含んだ声色に彼がそれに気づくことはなかった。
どうやら彼もまたunIQueのテストプレイヤーに当選していたらしく、昨日から1週間もの有給をもぎ取りプレイしているのだとか。よくもまあ事務もそれを承諾したなと思ったが、ゲームのためならある程度限界を突破するのがこの男だ。どうせ今も完徹状態で目の下に隈でも使っているのだろう。
そんな、ゲームをプレイするために一分一秒を無駄にできない状態の彼から『会わないか?』などという申し出が来た。なんとも意外な話だったが、久々に可愛い元部下の姿を見るのも悪くはない。
腕時計をちらりと見ればそろそろ昼時。昨日のクエストの続きとして佐門君と約束したのは午後3時。まだまだ余裕はある。
私は桐山君と会うべく待ち合わせとして指定された中華料理屋に向かうことにした。どうやら彼はこの老いぼれから昼飯代をたかろうとしているらしい。全く以て可愛い奴である。
◆◆◆
「やりにくい?」
「そっすね。他のVRMMOと比べるとどうも」
中華料理点『凰華』。そのカウンターに並んで私はラーメンを啜りながら隣の男の言葉に首を傾げた。私と同じくジャージに身を包み、茶色の混じった天然パーマと気だるげな眼が特徴の彼は、その歳を考えれば随分と若く見えるだろう。すでにアラサーと世間では称される立場に立っているというのに。
そんな彼、桐山君が八宝菜をかきこみながらつぶやいた。カウンターテーブルの上には他にチャーハンやらラーメンやら。一睡もせずにゲームにのめり込む者であれば食事も同然。手加減の知らない男である。
「史助さんは知らないでしょうけど、VRMMOってのはもっとゲームっぽいんっすよ」
「ゲームっぽい?」
「うーん、なんていうか……大体あるじゃないっすか、ゲームやってると、どう考えてもリアルでは起こらないことが起こったり、設定だったり」
「それは仕方がないというものだろう。そうではなくては」
「まぁ、そっすね。その仕方がないがunIQueには少ない気がするんすよね。VRMMOだとチャットとかウィスパーってあるじゃないっすか? 知ってます?」
「事前情報収集は欠かさず行っていたからな。そういった機能がVR関わらずMMOの頃からあったのは知っている」
ゲーム内で扱える携帯電話のようなもの。ウィスパーがそれに当て嵌まるのならばチャットは簡易会議のようなものだと私は思っている。
「それが一切ないんすよね、unIQUeって。それがまぁ、不便で。知り合いとフレンド登録することすら出来ないってんだから徹底してるっていうか」
「それは……VRMMOとしては致命的なのではないか?」
「それがそうでもないんすよ」
口元に付いたチャーハンの粒を舐めとりながら彼はふふんと鼻を鳴らした。
「専用掲示板とかで情報を集めながらゲーム内でも確認したんすけど、サファルの街にいた領主の屋敷の近くに豪華な鎧来てるNPCがいたんすよ。でもってそいつが耳にピアスみたいなのをしてて、たまに周りに誰もいないのにぶつぶつ喋ってた」
「ふむ」
「んでもって話しかけて聞いてみたら遠くの人間と会話したりすることが出来る貴重なアイテムなんだとか。そのピアスを他の人が持ってるピアスと同調させればそれを記憶させることもできるし、多人数とも会話できるって話らしいんすよ」
「…………」
「でもってそのピアスの名前は『チャットピアス』」
そこまで喋り、桐山君は伸び掛け始めたラーメンに止めを刺して大きく息を吐いた。傍にあったお冷を飲み干し、げふりと音を立てた。気を遣いようもしない有様に眉を潜めかけたが、存外彼の表情は真剣さを帯びていた。
「どう思います?」
「どう、とは?」
「昨日一日でなんとなくわかったんすけど、このゲーム、リアルに近づけようとしすぎなんすよ。チャットなんてVRMMOでは当たり前の仕様にも世界観に合わせた設定をつけようとしてるし。知ってます? プレイヤー専用ともいえる第三の視界『ウィンドウ』。あれ、あの世界のNPCも使えてるらしいっすよ」
「…………本当か?」
「まぁ俺らのものとはそのウィンドウの見た目も違うらしいっすけど。あっちのNPCの人たちが使うウィンドウは一種の魔法らしいっすよ。思考の中に別の空間を作ってそこに魔法や特技の様式を固定化させるだのなんだの。確か名前は【ディレンジョン】だったかな……」
そこまで言葉を連ねて桐山君は顔を歪めた。
「ね? ちょっと神経質すぎるくらいにあの世界をリアルそのものにしようとしてるんすよ。だからあまりにもリアルすぎる様式に他のプレイヤーも戸惑ってるっぽくて。どこまでがゲームの仕様として処理されるのかわからないって」
彼から語られた様々な噂と評判に私はしばし閉口せざるを得ないかった。
本来のVRMMOがテスト配信された時は大抵にして探求心と好奇心に駆られたプレイヤーが暴走し、それこそそこに生きるNPCが戸惑うような行動に移すプレイヤーが多いそうなのだ。
さすがに街の人間を殺傷するような蛮行には奔らないが、戦闘不能に陥ったためのペナルティなど気にせずモンスターに特攻したり、イベントを発生させるためにそこら中の人間にちょっかいを掛けたり。
リアルすぎる、というのはギルド騒動における問題もそうだろう。
あのギルドの前に長蛇の列を並べたプレイヤーたちだったが、私と佐門君が外に出ている間に途中でばらけてしまったらしいのだ。
その理由と言うのが『ギルドに依頼されたクエストの受注と供給が合わなくなったため』である。詰まる所急激に増えた冒険者、私たちのせいでギルドにある依頼がなくなってしまったのだ。
本来のVRMMOであればそんなことはそうない。ゲームのお約束ではそれぞれのクエストは単一のものではなく、例えばキークエストやメインクエストと言ったストーリーの根幹に関わるものはプレイヤー一人一人に必ず用意されている。
たとえば世界の敵である魔王が各プレイヤーの敵として幾度も用意されているように。NPCから見たら世界の敵である魔王が幾度も倒されるという錯覚を見ているのではないだろうか。
そういったVRMMOをリアルに近づけるための絶対的な壁というものをunIQueは取っ払ってしまったのではないか、というのがVRMMO経験者の懸念らしい。
もしかしたらあの世界にあるクエスト、モンスター、アイテム、人間は単一のものであり、もはやそれはゲームではなく一個の世界なのでないのかと。
「メインクエストを進めようと思ったら他のプレイヤーが解決していて自分の出番はない、ってーのがあるんじゃないかと皆不安に思ってるんすよ。ひょっとしたらレアアイテムとかドロップするボスモンスターも一匹しかいなくて、みたいな」
「ふぅむ……それが何か問題なのかな」
「史助さんそりゃないっすよ。何で廃人って輩がいるか分かります? ああいうのは金と時間さえかければその域に行けるからっすよ。リアル世界みたいなゲームだったら他人を出し抜くための頭脳に、障害をぶっ壊すための戦闘力に……そういうのも時間かければスキルを鍛えて、ってのがあるかもしれないっすけど」
「…………」
「このゲームはVRMMOっすからね。たまにいるんすよ。どう考えても人間にはそんな動き出来ないだろっていうレベルの動きをするプレイヤーが。んでもって時間かけてスキルとかアイテムとか極めたプレイヤーはその超人を『あり得ない』って言うんすけど」
「成程な」
「たださえそういう才能ある人間をチートだって糾弾する奴がVRMMOには多いってのに、それに加えてこういう仕様だったとしたら」
そこまで言って桐山君はこちらをじっと見た。
「それって現実と何が違うんすか? 時間かければある一定の超人になれてリアルでは味わえない万能感が得られるってのがVRMMOっすよ? ただ魔法とか剣術とかそういった夢のような力が使いたかったら他のVRMMOでもいいわけで」
「むぅ」
「NPCの動きなんかそれこそ人間っぽ過ぎて……ああいうのをただのギミックとして扱ってきた経験者は恐々っすよ。NPCの常らしく適当にあしらってみたらそれこそリアルと変わらないくらい冷たい目で見られるとか……コミュ症なんて掲示板で専用のスレ立てて対策練ってますからね」
俺はそんなんじゃないから別にいいけど、と最後に付け足して桐山君は傍にあったポットからお茶を入れて飲み始めた。どうやら話に熱が入っていたらしく、カウンターを挟んで料理を作っている店主もこちらをちらちらとみている。
彼の話の続きではあるが、どうやら世界そのものにどっぷりと浸かってプレイするようなロールプレイヤーにはかねがね好評であるらしい。何せ彼ら彼女らは自ら縛りを入れてプレイするような人種だ。リアル過ぎるという事実はそう対して気にしていないらしい。
「なーんか単純に【ゲームがやりたい】プレイヤーに対してはあんまり評価はよくないっすね。その点さっき言ったみたいにロールプレイヤーとか、もうリアルに居場所ないみたいな人間にとっちゃ楽園らしいっすけど。リアルとunIQueが遜色なければないほど【第二の人生】っすからね」
「…………」
「さすがにそこまで現実の人生捨ててないっすわ、俺」
そこまで語ってニカッと笑う彼の眼を見ることはできなかった。
◆◆◆
私は一人家に戻り、ベッドの横に置かれたヘッドギアを凝視した。
私はあのあまりにもリアルと遜色ない世界に確かに惹かれたはずだ。そしてこのベッドで目を覚ました時は現実は億劫になったはずだ。
そういった感傷を抱く人間がunIQueを好むと桐山君は言う。
人間が作り出したゲームの極地、VRMMO。
unIQueはその中でシステムの優秀さでもなく派手なエフェクトでもなく、ただひたすらにリアルさを求めた。だからこそ桐山君のようなゲーマーは拒絶感を示したのだろう。ゲームをゲームと認識している、ある意味きちんとした大人が。
時計を見ればほどなくして3時を針が刺す。
私は無言のままにヘッドギアを頭に被り、そのまま重い身体を横たえた。
いや、今はいい。とりあえずゲームを楽しもう。
これがゲームであるかどうかの論議は別として。
章ごとに一区切り一区切り投稿しますので次の投稿はかなり間が空きます。
ご了承ください。




