2・唐揚げとエール
料理ギルドを辞めてから、一か月が経った。
俺は王都から馬車で数日ほど離れた、田舎町ベルナードへとやって来ていた。
近くには豊かな森と澄んだ川があり、新鮮な食材が豊富に手に入るのどかな田舎町だ。
俺はここで退職金を元手に古い空き店舗を買い取り、少しばかりの改装を施してから、念願の店をオープンさせた。
その名も、大衆居酒屋『よりみち亭』。
「大将! こっちにエールのおかわりと、追加で焼き鳥を三本頼むよ!」
「こっちの『だし巻き卵』ってのも絶品だな! こんなふわふわな卵料理、食ったことがねえぞ! これもおかわりだ!」
木張りの床に、年季の入ったカウンターといくつか並べただけの丸テーブル。
王都の高級店と比べると、決して立派とは言えない小さな店だが、店内には仕事帰りの職人や農家たちで毎晩のように賑わっている。
焼き鳥とだし巻き卵を同時に作りながら、俺は昔のことを思い出していた。
──実は俺には、前世の記憶がある。
かつて日本という国で生まれ育った俺は、小さいころから両親が営む定食屋を手伝い、社会人になってからも外食産業で調理に携わっていた。
両親の定食屋は庶民向けの小さな店だったが、店内にはいつも客の絶えない笑顔と、温かい空気が満ちていた。
──いずれは自分もあんな店を持ちたい。
そう夢見ていた矢先にトラックに轢かれ、気づけばこの異世界に転生していたというわけだ。
だからこそ、こうして手を動かしていると、自然と嬉しくなってくる。
ああ……ようやく俺は、自分の城を持つことが出来たんだな、と。
「さて……感傷に浸ってる場合じゃないな。なにせ、店員は俺一人だけなんだ。もっと速く手を動かさないと……」
そう呟きながら、新しく注文が入った料理を客のところまで運び、厨房まで戻った……その時だった。
──カラン、カラン。
入り口のベルが鳴り、新しい客が店内に入ってきた。
「いらっしゃい。……おや?」
店の入り口に目を向けた俺は、思わず目を丸くしてしまった。
暖簾をくぐって入ってきたのは、このむさ苦しい大衆居酒屋の雰囲気には不釣り合いなほどの美少女。
歳は俺より少し下、十代の後半といったところだろうか。透き通るような銀色の髪を腰まで伸ばし、上質な仕立ての外套を身に纏った少女である。
その整った容姿に店内にいた男どもの視線も、一斉に彼女の方を向く。
だが、どこか人を寄せ付けない、氷のような冷たさがある少女に気後れしたのか、誰も声をかけようとはしなかった。
「一人なのだけれど、構わないかしら?」
澄んだ声で少女が言う。
周囲の空気が少しだけピリッと引き締まるのを感じながら、俺はすぐに頷いた。
「ああ、もちろん大歓迎だ。空いてる席に座ってくれ」
そう言うと、少女はこくりと頷き、黙ってカウンターの隅の席に静かに腰を下ろした。
……所作の一つ一つが洗練されている。
まだここに来て一ヶ月も経たないが、記憶を呼び起こしても、こんな美少女は町のどこにもいなかった気がする。
町の外からの旅行者だろうか? それとも、もっと別の……。
「メニュー表をもらってもいいかしら?」
つい思考に耽ってしまっていると、少女の凛とした声に意識を引き戻される。
「すまない。メニュー表はまだないんだ」
「まだない?」
「ああ。オープンしてまだ日が浅くて、そこまで手が追いつかなくてな。だが、壁の木札にメニューが掛かってるだろう? それから好きなものを注文してくれたらいい」
「…………」
少女は少し戸惑いつつも、興味なさげに壁に掛けられている木札に視線を移した。
だが。
「……聞いたことのないメニューばかりで、よく分からないわね」
「まあ、無理もない。ここは日本……じゃなかった。俺のオリジナルメニューがほとんどだからな」
「そう。だったら、あなたのおすすめをお願い」
「おすすめ、ね。分かった。じゃあ、うちの看板メニューを出そう」
俺は少女から視線を戻し、腕まくりをした。
……あまり期待されていないような雰囲気を感じ取ったが、料理の腕には自信がある。
その澄ました顔を、すぐに崩してやる。
そう意気込み、俺は鶏肉を取り出しボウルに入れ、タレを揉み込む。
これは、俺の自家製の醤油に、すりおろしたニンニクと生姜をたっぷりと効かせた特製ダレだ。
味がしっかりと染み込んだ肉に衣をまぶし、熱した油の中へ投入する。
ジュワァァァァッ!
心地よい音が厨房に響き渡り、食欲をそそる香ばしい匂いが店内に広がっていく。
「……っ!」
匂いに反応して、少女の肩がびくんっと小さく上下した。
彼女は明らかに興味津々なようだが、露骨にこちらへ視線を向けてくることはなかった。
肉がきつね色に揚がったら、あとは盛り付けだ。
素早く油を切り、揚げ終わった鶏肉を皿にこんもりと盛り付ける。
それに合わせるのは、井戸水と氷の魔石でキンキンに冷やしておいた木樽のエール。
たっぷりとジョッキに注ぐと、表面にはもこもことした泡が浮き上がってきた。
「──お待ちどう。鶏の唐揚げと、冷えたエールだ。冷めないうちにどうぞ」
「エールはともかく、唐揚げ……? 聞いたことがない料理ね」
少女は怪訝そうに眉をひそめながらも、手元のフォークを手に取った。
そのままゴツゴツとした唐揚げを一つ突き刺し、おずおずと小さな口へ運んだ。
サクッ。
「え……」
その時、少女の目が大きく見開かれた。
彼女を口元を押さえ、信じられないといった様子で皿の上の唐揚げを見つめる。
「お、美味しい……熱々の肉汁が、口の中で一気に弾けたわ。ニンニクと生姜の風味も最高ね。もう一つ、甘塩っぱいような調味料の味もするけど……」
「ほお。どんな調味料が使われているのか、一口で分かるのか」
「え、ええ。昔から教育されてきたから」
昔から? ますます謎の多い女性である。
不思議に思いながらも、俺はすかさず彼女にジョッキに入ったエールを勧める。
「次は、そいつで流し込んでみてくれ」
「え。で、でも、まだ口の中に油が残ってるわ。もう少し時間が経ってからじゃないと、エールの味もよく分からなくなるんじゃないかしら」
「いや、それがいいんだ。唐揚げの油をエールで流し込む。それが一番最高だから。ほら、騙されたと思って」
「…………」
彼女は困惑しながらも、言われるがままにジョッキに両手を添え、持ち上げる。
そして、冷えたエールを一気に喉へ流し込む。
「……あ……」
少女の口から、無意識のうちに吐息が漏れた。
「こ、こんなの初めて……ただの肉の塊とエールの組み合わせが、こんな風に化けるだなんて……」
「そうだろ、そうだろ」
熱気と脂で満たされた口の中を、キンキンに冷えた炭酸が爽快に洗い流すのだ。
唐揚げとエール。それは前世の日本でも、最強と謳われた組み合わせだ。この禁断の味を知ってしまえば、何者であっても後戻りは出来ない。
「うちは、こういう料理を出すお店なんだ。作法なんてものを気にしなくてもいい。ただ、美味しいもので腹を満たす──そのための場所だ」
「美味しい料理で、腹を満たす……だけ」
「違うか?」
「ええ、私の常識とは違うわ。だって、料理を食べる時は作法を守って、行儀良く食べなさいと教わってきたから。それこそ、まるで宝石を愛でるようにね」
「宝石を愛でるように? はっ!」
思わず、笑いが漏れてしまう。
「宝石じゃ、腹が一杯にならないだろ? そんなもの、ここでは必要ないんだ。熱々の唐揚げをキンキンに冷えたエールで流し込む。それさえすれば、人は幸せになれるんだから」
もちろん、少女の言うような料理にも価値がある。
だが、そういうものばかりを食べていても、お腹を満たすために食事をするという本来の目的を忘れてしまうだろう。
「もしこの店が気に入ったなら、いつでも来いよ。夜だけじゃなく、昼も営業してるから。『よりみち亭』はいついかなる時、誰だろうと歓迎する」
「……っ!」
その瞬間、彼女は澄ました表情を崩し、頬がほんのりと桜色に染まった。
張り詰めていた糸が切れたように目元が緩み、その瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「えっ? お、おい。大丈夫か……!?」
まさか泣かれるとは思わず、俺が慌てて声をかけると、少女は右腕で目元を拭った。
「ええ……ごめんなさい。こんなにほっとしたのは、久しぶりだったから……ちょっと気が緩んだだけ」
必死に表情を取り繕うとするが、赤くなった目元と頬のせいで先ほどまでの威厳は消え失せていた。
そこからはもう、言葉はなかった。
少女は無言のまま、憑かれたようにフォークを動かし続けた。熱々の唐揚げを頬張り、冷たいエールを流し込む。
入ってきた時の上品な所作はどこへやら、ただひたすらに目の前の料理と向き合っていた。
やがて、山盛りだった唐揚げは少女の胃袋に一つ残らず収まり、ジョッキも空になった。
「ふう……」
満足げに息を吐くと、少女は立ち上がり、カウンターに金貨を一枚コトリと置いた。
「ありがとう。これ、お会計」
「お、おい。金貨一枚なんて貰いすぎだ。唐揚げとエールなら、銅貨三枚だぞ」
「いいのよ。この料理にはそれだけ払う価値があると思ったんだから」
金貨を返そうとするが、少女はそれを意にも介さず、カウンターから離れていってしまう。
そして店を出る直前、背を向けたまま、ぽつりとこう呟いた。
「……また来るわ」
カラン、とベルの音を残して、彼女はそのまま夜の闇へと消えていった。
「また来る……か」
どうやら、気に入ってくれたみたいだな。
ほっと胸を撫で下ろし、空になった皿を片付けながら、最後に少女が放った言葉を反芻した。
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