5 魔王様は意外と優しい
剣術大会の一か月後には馬術大会だ。
今年は、どの曲にするってロバートは言っていたか……。今のうちに、総譜を借りておこう。
他の部員達が帰った後の部室の棚を、部屋が薄暗い中、これじゃないな、これも違う、と、楽譜を出しては片付け、目的の楽譜を探す。
「うわっ、怖いだろテオ。灯つけてやってくれよ、びっくりしたわ」
ロバートの声だ。薄暗いから影しかはっきりとは見えないけど。
部屋に照明が点く。やはりロバートだった。
「何やってるんだ?」
「馬術大会の曲の総譜。今のうちに見ておこうかと思って」
「ああ、あれ今俺が持ってる」
何だ、この無駄な時間は。思わず溜息が出る。
「じゃあ、次貸して」
「了解。明日持って来る」
次か……。トランペットはまず、今回を乗り切るところからだな。ただでさえ、高学年がいない経験値の低いパートだ。そのくせ目立つ。
「アメリ、どうだ? やっていけそうか?」
今年、王立学園の歴史上、初の女子楽団員が入った。女子部員不可なんて決まりはない、って。それはこれまでそんな状況、想定すらされなかったからだよ。
王立学園は、教養だけではない、職業訓練の要素が強い場所だ。そこで楽団員になるということは、生まれてこの方音楽一辺倒でやってきた俺達にとっては、卒業後は音楽家として生きて行くと示す事にも繋がる。……まあ、例外も結構多くいるが。
アメリは、卒業後も音楽で生計を立てていくつもりなのだろうか。音楽で女性だと家庭教師という道が多いが、トランペットじゃな。
「……そうだな。何とかなるんじゃないか?」
遊びの延長だか趣味の一環だか知らないが、アメリにトランペットを仕込んだのは、王宮音楽隊で隊長を務めたこともある、トランペット奏者のマーカス・クラインだ。
最初はどうかと思ったが、あれで基礎は出来ている。だから、言えば割とすぐ対応して修正してくる。当然出来ないこともあるが。問題は、その言うべき事が多い事だ。
聞けば、六歳から習っていたらしいが、レッスンは半月から一か月に一回だったという。あとは、夏に集中して泊まり込む期間があったらしい。更に両親に秘密だったため、自宅では練習できなかったらしい。本当に、何故トランペットに来たんだよ……。
まあ、初心者の団員が入団するケースも、なくはない。それを思えばまだ上出来か。
ただ、その割にはよく吹く。ピアノをしていたからか指がよく回るお陰で、速いフレーズもきちんと追っていける。タンギングは少々甘いが。
あと、耳が良い。なので、和音が僅かに乱れるだけでも、眉間に皺を寄せている。あと、合奏をする度に、周りの音を聞いて、同じような音色にするにはと、吹き方を変えて色々自分で試している。
腹式呼吸も家で練習しているんだろうな。ロングトーンが安定してきた。スケール練習でも、多少あった音のムラが目立たなくなった。
マーカスは、一体彼女にどうやって教えてきたんだろう。外で吹く事が多いから、もう少し音量が欲しいところだが、本当に綺麗な音を出す。まあ、総合的にまだまだだが。
誰もが、一年の初めには、まだ合奏にも和音にも慣れず苦戦する。去年のユージンだってそうだった。自分のように、周りは演奏家だらけで、楽団の練習に混ぜてもらって、なんて経験がある人間の方が少ない。だから、ここに来るまでに合奏経験ない、それはいい。
外で長時間吹き切る体力があるかどうかが問題だ。そろそろ、立って吹く練習をしなければ。暗譜はできたかどうか。
アメリに纏わるあれこれを考えて、大きな溜息が出る。ロバートも、入れるだけ入れて俺に丸投げじゃないか。
「しかし、髪を切るとは言っていたが、あんなに短くするとは思わなかったな」
「切りたかったんだろ。清々したって顔をしていたぞ」
確かに、少々驚いた。どうでもいいが、あれでうちの部で一番長髪は、女性のアメリを差し置いて、チューバのヒューゴになってしまった。ヒューゴは肩下まで伸びた髪を、一つに纏めている。
「案外、可愛かったな。長い髪も綺麗だったが」
「…………」
……それなんだよ。何故なんだ。
髪が短くなってからの方が、以前より可愛く見える。元々、それなりに綺麗な顔をしていた。目を引く絶世の美女という訳ではないが、よく見たらまあ悪くない、という感じの。ただ色気はない。胸もないしな。
それが、髪を切ってきた今日は、いつになく可愛いと思ってしまった。あれか。新鮮だからか。それかやけにさっぱりしたって顔していたから、表情が違うのか。
「まあ、今日はいつもよりのびのび吹いていたもんな。誰かさんも大人しいし」
「……誰の事を言っているんだよ」
いつもは俺のせいなのか。萎縮させていて悪かったな。仕方ないだろ、一か月で本番の雛壇に立たせなければならないんだ。
というか、萎縮してないだろ。アメリはああ見えていつもだって、結構好き放題にやっているぞ。
* * *
テオの視線が和らいだと感じたのは、残念ながら、あの日だけだった。
次の日からまた、眼光鋭く鬼のしごき、ならぬ魔王のしごきを受けている。
とは言え、合奏に耐えられるだけ吹けるようになってきたとは言ってもらえた。
時々、認めてもらえるような発言もしてくれるから、その飴と鞭に翻弄されながら、何とか頑張っている。圧倒的に鞭の方が多いのは、言わずもがななんだけど。
テオは、私なんかとは桁違いに上手い。比べる対象が私って言うのも何だけど。個人練習しているところを見ていると、え? 何で今やり直したの? って思うくらい、やり直し前もすごく上手いのに。
叔父が、王宮での音楽会に招待してくれて、一度だけ聴きに行ったことがあるけれど、そういう王宮の響きがテオからはする気がする。
そういう訳で、昨日から立って吹く練習をしている。
腹筋背筋は、五十回ずつに増えている。さあ、その成果を見るがいいテオ!
「頭が下がってきてる。羽根がついた帽子でそれやられると目立つ。お前の帽子だけ羽根毟るぞ」
そんな、地を這うような低音で。最後の一言、余計じゃない? ちょっと自信のない箇所で、譜面が気になっちゃっただけだよ……。
テオが私の頭上に本を乗せる。ああ、これが落ちないようにってことね。と思った瞬間、落ちた。
「…………」
本が壊れる方が先だと思ったんだろうな。無言で、本から何故か部室にある、ぬいぐるみに変えていた。
そしたら今度はユージンが噴き出して、演奏どころではなくなった。
「よりによって、猫……。アメリのくせに猫って……」
と顔を抑えて肩を震わせて笑ってくれた。どういうことよ。上手に猫被りも出来ないくせにと言いたいのかしら。
本当にどいつもこいつも失礼ね。紳士として育てられたんじゃないのかしら。
その日から頭にその白猫を被って練習した。
最初はよく逃げ出していた白猫ちゃんも、段々、頭の上に大人しくいてくれるようになった。部員も、ああアメリの猫ちゃん今日も大人しいね、という生温い視線を送ってくれている。
一人だけ氷点下の視線を寄越すのは、いつものこの人。
「吹きながらだらしなくベルを下げるな。きっちり吹き終わって、俺等と揃えて下ろせ。いくらお前が小さくても、お前がずれると三人がだらしなく見える」
いやだから、余計な一言が混ざってますけど。
小さくてもって言うけど、当日の私は一六五センチですから。何とこの身長は、クラリネットのトーマスを抜いてしまうのだ。悪いね、トーマス君。ふっふっふ……。
「だったら尚更目立つだろ。しっかりやれ」
…………はい。
音楽棟から寮に向かって歩いていると、後ろからテオが追い抜いていった。何か読みながら歩いているせいか、私に気付かなかったらしく、私の持つ鞄にぶつかっていった。
「あ、悪い。考え事してた……」
「いいえ、大丈夫です」
練習の場を離れたテオは、幾分か雰囲気が和らぐ。あの魔王モードは練習中だけなのね。地なのかと思っていた。
「何をご覧になっていたんですか?」
「次の馬術大会の楽譜」
「次!? 今回が終わってないのに?」
「そう。結構すぐだぞ。お前は、次はユージンと替わってセカンドだな」
「えっ? 何故?」
「何故って、お前よりユージンの方が、低音が上手いからだよ。あとは、この曲、何故かサードに他の楽器とも被らない単独のフレーズがあるから、音量も必要だし」
楽器内のパートは、ファースト、セカンド、サードと分かれているけど、基本的にファーストが一番高音で、下に行くに連れて音域が低くなる。パートって、上から順に年功序列で決まっているのかと思っていたわ。
言うと、「そんな訳ないだろ、馬鹿なのか」くらい言われそうだから言わないけど。
「……練習は、疲れるだろ」
ん? テオの声が急に大人しくなった。
「お疲れなんですね」
「俺じゃない。いや俺も疲れてるけど、特にここ一か月」
あー、それはきっと私のせいですね。すみません。
「練習は、疲れるけど、楽しいです」
「ふーん」
こら。聞いておいて何だ、その反応。
「……そうか。楽しいか」
「はい」
と答えてテオの顔を仰いで見れば。
「えっ? 笑ってる……?」
「何だそれ。お前、俺の事を何だと思っているんだ」
あっ。もう笑顔が消えた。まさか、「魔王様」とは言えないので、口を噤んでいる。
「誰が魔王だ」
あれ。しまった。声に出てた。
「俺が誰のために一体……。で。俺が魔王ならユージンは?」
「ユージンは魔王から私を癒やしてくれる神様です。部長は三人目の兄で……」
「三人目?」
「はい。私、上に兄が二人いるもので」
「……お前、絶対末っ子だろ」
「えっ? 何で分かるんですか? 四人兄弟の一番下です」
テオは「やっぱり」と言ってまた笑う。意外と笑う人なのね。「魔王に神様って、宗教画か」って言いながら。そうなると、紛れ込んだ兄の存在が面白すぎるわ。
「あと、ハリー様が王子様です」
「ハリー? ハリー・メイリントンか。接点ないだろ」
「最初、入団の際に音楽棟まで案内していただいて……」
「ふーん……。王子様ね。あながち間違いでもないよな。まあ、正真正銘、本物の王子もまだ学園に在籍中だけど」
学園には、四年生に第二王子が在籍中である。しがない一年生の男爵令嬢には、同じ学園内にいながら、お目にかかる機会もないが。
「ところでリーダー、何故私を送って行って下さっているのですか?」
「送ってない。何故こんな明るい時間に、俺がお前を送って行くんだ。俺も寮生なの」
「えっ? そうだったんですか?」
「ところで、そのリーダーって呼ぶのお前だけだぞ。聞き慣れない。テオでいい」
「テオ様?」
「様もいらない。部内で様付けも気持ち悪い」
「じゃあ、テオ」
「……何か、腹立つな。まあいいか」
無茶言わないでよ。テオ君とかテオさんって呼べば良かったのかな。あっ、テオさんでいいじゃない! ……まあ、もういいか。
そもそも最初に何でも良いって言ったのはテオじゃないの。まああの時は、私がちゃんと続けられるなんて思っていなかったからかも知れない。
そう考えると、当たり前のように次の演奏のメンバーに数えてくれていたり、テオもちゃんと私を仲間として見てくれるようになったのかな。何だかにやけてしまう。
そして、なんだかんだ言って、結局、テオは私と一緒に寮まで歩いてくれた。なんだかんだ言って、面倒見がいいんだ、この人。ありがたく思わなくちゃ。
あと、意外と穏やかに笑う人なんだな。




