25 演奏会のあと
大人しく頭を撫でられ続けるテオが、少しの沈黙の後、頭を上げて意を決したように声を出す。
「……ハリーから聞いた。縁談の話は、クライン男爵から断られたって」
いつの間に。
「そうらしいですね……。私の手紙を読んだ父が、判断したのかも知れません」
「いや、アメリの手紙はクライン卿にはまだ届いていない」
「えっ?」
「男爵夫妻は今、王都だ。アメリの手紙とは行き違いだな」
「じゃあ……」
そう言えば、会場で見たんだった。そう言えば、ハリーも父と会ったような話をしていた。あれも王都での話だった。
ああだから、私がトランペットを吹いている事も、男装して舞台に立っている事も、もう既に知られているんだった……。自分の口からちゃんと言わないと、ってやっと決意したのに。この後、どう顔を合わせれば……。
「学園祭、見に来られていたらしい。マーカス・クライン氏にこっそりトランペットを習ってた事から、楽団に入った事まで、大体そうだろうと察してて、学園祭で確信した、とか何とか……」
そんな馬鹿な。全部お見通しだったという事……。
「お互い、親にはまだまだ敵わないな」
「お互い?」
「そうだよ。俺は今の全部、さっき父から聞いた。父と上の兄が、休暇明けからこっそりクライン男爵と連絡を取っていて、学園祭にも今日の演奏会にも招待しているんだからな」
「休暇明けから……。何のために……」
エドワーズ家と我が家の繋がりなんて……。クライン家は、音楽関係の物はあまり扱っていないし。
じゃあ、テオと私が同じ団員だって事くらいで。でも。
テオが私の事を多分好きだって言ってくれた、まだ本人ですらそんな曖昧な時期から、伯爵家の当主と次期当主が動くかしら……。まさかね。でもやっぱり、
「俺とアメリの婚約しかないだろ」
あ。本当に?
でも私、結婚はしないって決めて、テオに言ったのに。
「何だか、私が婚約とか結婚とか現実味がなくて」
「俺もだよ。でも、アメリが結婚に興味なくても、必要がなくても、俺がアメリを独占するにはそれが必要だって事は分かった」
そう言うと、テオは徐ろにこちらに振り向き、私がそんなテオの顔を確認する間もなく、彼に抱き竦められて身動きが取れなくなってしまう。
独占って。どんな顔して、こんな台詞を言ったのかしら。その顔を見たかったのに……。
あ。もしかしてこれ、急に愛情表現が大胆になったというよりも……、
「……もしかして、顔を見られるのが恥ずかしいの?」
「…………。いちいち聞くなよ」
弱々しい声に反して、私の頭と肩を抱く手にはぎゅっと力が籠もる。まあいっか、と私もいっそテオの胸に寄り掛かるように、力を抜いて身を委ねてみる。
それに驚いたように一瞬身を硬くしたテオだけど、そのうち自分も力を抜いて、私の髪に顔を埋めるような姿勢になった。
「結婚しないって決めたのになぁ」
「それはそれでまた考えれば? 俺だってよく分からない。でも婚約してれば、誰も文句言わないだろ。そんな風に利用してくれても良いよ」
「そんなものかしら……」
「いや、どうだろ……。でも、他の誰かにはもう渡せないかなー」
だから、あのテオがどんな顔してこれを言っているの。すごく気になる。
「婚約って、契約履行の期限とかあるのかしら」
「ないだろ。でも、一体何十年の計画なんだ」
「そうねぇ……」
「で、卒業したらどうしたい? ある程度道が見えたから、結婚しないとか言い出したんだろ?」
多少余裕が出てきたらしい。テオの右手が長い指で私の短い髪をくるくると弄り始めた。短いから、すぐに指から抜けていって、また掬って、を繰り返している。
これからどうしたい、って。
考えてもやっぱり変わらなかった。
「うん、決まってる。ずっと前から」
「そうか……。やっぱり、王宮音楽隊に乗り込む気だな」
一言も言った事はないのに。何故分かるんだろう。
後で聞いたら、「そんな事、周りはみんな気付いてる」って言われたけども。
だって、音楽隊の制服を着て、青空の下で金色のトランペットを構えて、ぴりっと引き締まった王宮の空気を吸って、どこまでも響き渡りそうな、いつか聴いたようなファンファーレを私も吹きたい。
* * *
「練習が休みの日まで熱心だね」
部室で楽譜の整理をしていたら、入口から声を掛けられて手を止める。その声の主に気付き、思わず眉を顰める。
「酷いな。今回は感謝されても良いと思うのに」
「感謝って……」
「それか、謝罪だね」
「お前、本当にそんな奴だったか……?」
今日は、練習は休みだが、学園祭、歌劇場と舞台が続いて、それらの楽譜の整理が出来ていなかった。他の連中がいない方が整理しやすい。
ハリーは棚の近くまで歩いて来ると、俺が片付けている楽譜を覗き込む。今回のマーチだね、と言って楽譜を取る。
小さい頃から何かと顔を合わせる機会が多かったけれど、仲が良かった記憶はない。向こうは知らないが。
「アイリス様が留学するって聞いた?」
「聞いた。よく公爵が許したな」
「アメリも連れて行きたいって」
「やめた方が良い。外国語一切出来ないぞ」
出来ないのは外国語だけではない。他にも中間考査の結果が悪い教科が山程ある。
「こどもの頃はずっとテオが羨ましかったよ。才能もあって、何の障害もなく、音楽家になる事も約束されてて」
何だ急に。別に何の障害もないことはないのだが、黙って聞いておく。でも、とハリーが続ける。
「あの曲の楽譜、母が買っていたよ。あのテオ坊の処女作だって。楽譜も見たけれど、テオも色々あるんだなって思ったよ……」
そこまで話すと、ハリーはくつくつと喉を鳴らして笑い始める。おい、わざわざこんな所まで来て、笑いに来たのか。
演奏会で弾いた曲は、すぐに出版社から父の元に話が来て、楽譜が出版された。
その評価は、賛否両論。複雑な和音の構成や旋律の聴きやすさなどが褒められる一方で、父やアメリが言うように、ただ技術を見せつけるかのような曲という批評も少なくない。結果総じて、若さ故の背伸びと未熟さを露呈している、と。
一応、出版という形で、ある程度世に認められたとも言えなくはないが、まだまだだ。
「凄いとは思ったし、圧倒されたのも事実だけど、アメリのために無理して頑張ったと思うとね」
「アメリのためって……」
違うだろ。いや、そうなのか?
ハリー相手だから、敵わないと思ったんだよな、と今更思う。
「俺も、ハリーが羨ましかったよ。何の重圧もなく、純粋に音楽を楽しめて、出来たら出来た分だけ褒められて。一緒にやった時も、俺はノーミスでもあの後、指が回ってないって父親にしごかれて、こいつと何が違うんだってずっと思ってたよ。まあ、お前が悪いんじゃないけどな」
「エドワーズ伯のテオへの入れ込みようは、もうずっと有名だったよね。末っ子可愛さもあるのかな」
まあ、そうだったんだろうな。だからこそ、次兄とは拗れてしまったし、こんなにもあっさりと「結婚するな」を覆して、
「それが、こんなに簡単に婚約まで許すとはね。うちが動き始めた時には、既に伯爵が手を回してて、うちはあっさり断られてしまったよ」
「…………」
演奏会の翌日には、当の本人達そっちのけで、見事何もかもセッティングされていて、婚約を結ぶことになった。
「テオは伯爵令息としては色々欠けているからね。そんな手の掛かる息子の初恋は、何としてでも叶えてあげたかったのかな。二人に任せてたら、一生このままっぽいしね」
「お前、いつからその口はそんなに回るようになったんだ?」
思い切り睨んでみても、ハリーには通用しない。こういう所も昔から苦手だ。どんなにこの上品な笑顔を崩そうとしても、一向に揺らぐ気配すらない。
でも、このハリーが俺の前で初めて、敵意らしいものを顕にしたのが、アメリに婚約を持ち掛けたしたその時だった。
「……あのさ、アメリの事は……」
と、曖昧に切り出してみれば、やはりハリーはいつもの、アメリが王子様と呼ぶ笑顔で、
「好きだと思うよ。ただ、テオから奪ってやりたいとまでは。僕、アメリとテオが十歳くらいの子達みたいな遣り取りをしてるのを見守るのも好きなんだよね」
「十歳……」
さすがに、今は十歳よりは成長していると思いたい……。
「僕は、演奏家になる事はないけれど、テオやアメリが僕と音楽の繋がりを作ってくれるなら、それも良いな」
「そうか。士官するなら、もういっそロンドベル公爵を引き摺り降ろせば? そろそろ引退だろ、あの人」
「そうだね。それも悪くないね」
またハリーが笑っている。よく笑うな。
ふと、演奏会のハリーの、あの鬼気迫るソロは良かったな、とか思い出す。ハリーと演奏か。それも悪くないかもな、と今なら思える。
* * *
今年の王宮音楽隊入隊志願者の選考は荒れた。
去年は去年で、既にピアニストとしても名を馳せる伯爵令息テオ・エドワーズが入隊した事で、大いに騒がれた。
彼の父であるエドワーズ伯が渋い顔をした事で、入隊そのものが危ぶまれたが、実力は一番という事もあり、結局、レイモンド隊長がエドワーズ伯を説得する形で、彼の入隊が実現した。
今年は、その婚約者であるアメリ・クラインが受験した。
王立学園初の女子団員とは聞いているが、そのままこれまた前例のない王宮音楽隊まで志願するとは……。
ここには男性隊員しかいないと言えば、
「学園でも男装して演奏していたので、大丈夫です」と。
体力面で不安があると言えば、
「毎日鍛えてますので自信があります」と。
どうしたものかと、彼女の婚約者であるテオに聞くが、
「俺はどちらでも。実力が足りなければ落としたら良いんじゃないですか?」と。
実力は十分だから困っている。
そうこうしているうちに、前年度は愛息の入隊にけちをつけてきたエドワーズ伯が、「何故アメリの入隊がなかなか認められないんだ!」と乗り込んで来た。息子は駄目なのに、嫁候補は是非入れろとか、こちらも困惑する。
偶々来られていた、音楽庁長官のロンドベル公爵と、一触即発の睨み合いが始まったが、今年、長官補佐に抜擢されたメイリントン次期侯爵の執り成しで、どうにか治まった。
そんな事を家でぼやいていたら、去年学園を卒業したばかりの娘から、「アメリ様が選ばれないなんておかしいわ!」とここでも猛抗議を受ける。
そして、「隊服姿のアメリ様もきっと素敵だわ」と、何故かうっとりしている。もう、何が何やら……。
* * *
王宮音楽隊の隊服は、青、赤、黒の三色ある。
隊に常備の借り物ではない、私専用に繕われた青い隊服を身に纏って、気が引き締まる思いで……、
「顔がかなり緩んでるぞ」
おっと、いけない。もうすぐ本番なのに。
「へえ。ちゃんと合わせてるからかな。結構しっかり着こなしてるな」
「なるほど、これが学園の“青百合の君”か」
「聞いていいのかな。これ、どうやって隠してるんだ?」
「ああ、元からないんですよ」
こら、テオ。仮にも自分の婚約者になんて事言うの!
どっかであったな、こんな会話。三つや四つ大人になっても大して変わらないのね。
「新しい楽器は使わないのか?」
卒業の少し前に、ナディアの実家で新しいトランペットを買った。テオと見に行って、私の気になる楽器と、テオのお勧めする楽器が違って、結局テオは自分用にその楽器を買っていた。今度、こっそり吹かせてもらおうと思う。
「まだ思うように良く鳴らなくて」
「そうか? 結構鳴るようになってきたと思うけど」
おかしいな。練習にも持ってきていないのに。
「ねえ、私の新しい楽器勝手に吹いた?」
「え。ちょっとだけ。駄目だった?」
「いや、まあ良いけど……」
卒業を機に、伯爵が小さな邸を購入して、そこに二人で一緒に住んでいる。練習に持って来なくても、自宅で吹き放題だ。
別に良いけど、こっちは遠慮してたのになー。
伯爵主導で、防音設備を施した部屋を三部屋作って、私達それぞれの小さい練習室と、大きめな部屋にはピアノを置いた。
「この子は小さい時から音楽にしか興味を示さなかったから、いつかこうなる気もしていた」と言う両親は、音楽の名門であるエドワーズ家の目に留まったなら幸いと、諸手を挙げて賛成した。
いや、「どうせ反対しても勝手に出ていくだけだろうし」って言ってたかも。賛成というより諦め……?
テオと私は職場も一緒なので、一緒に出勤して一緒に帰って来る。四六時中一緒なようで、数は多くはないもののピアニストとしても活動するテオとは、別行動の事も多い。
実質、結婚したも同然な生活だけど、まだ婚約者のまま。
私達の関係で変わった事と言えば、家を出る前に軽く口付けをして出る習慣が出来たくらい。未だに毎度照れてしまうのが、テオらしい。
こんな形で一緒に入れるなら、結婚も悪くないとか最近は思う。
「今日は絶対しくじらないようにしなくちゃ」
「当然だろ。毎回しくじるなよ」
とはいえ演奏となると一転、頼りになるし、相変わらず私に厳しい……。
「王女殿下も遂にご結婚か」
「結婚式のファンファーレって、初めて吹くから楽しみです」
「君達の結婚式には、俺等が総出で吹きに行ってやるからな」
「えっ……、喧しそう」
「おーいテオー、嫁さん失礼なんだけどー」
「いや、俺からも。トランペット二本くらいでお願いします」
「君等似てるな。ていうか、ちゃっかり二本は頼んできやがって」
会場入りを前に、音出しをしながら軽口を叩いては、少し気持ちを落ち着ける。
王宮音楽隊のトランペットは全員で十二人。音楽隊全員では百人程にもなる。総出になったら会場埋まっちゃうよ。
何かとお騒がせで入隊したけれど、表面的には皆さん暖かく仲間に迎えてくれて、既に何人かとはこうしてスムーズに打ち解ける事が出来た。
「いつになるんだかな、結婚式」
「さあ。いつでしょうね。俺はもういつでも良いですけどね」
「えっ? そうなの?」
テオの顔を見れば、「そうだよ」と答えてにっと笑う。
昔は何言っても赤面していたのに。その笑い方が、ちょっと大人っぽくて、不覚にもどきっとする。ああもう、格好良いな。
「でもまあ、まずは人の結婚式から」
「こら、テオ。王女殿下だぞ。人のって言うな」
「そうね。まずは今日集中して頑張らなくちゃ」
音楽隊の控室に、スタンバイを促す声が掛かる。
大きく息を吸って、今日もトランペットを片手に歩き出す。
最後までお読みいただきありがとうございました。




