23 王立歌劇場の演奏会1
寝れないと思ったのに、気付けばよく寝ていた。熟睡だ。
練習に、リハーサルに、その後のあれこれに、案外疲れていたのかも。意外と神経太いな私。……意外じゃないか。
私達の出番は、本日の一組目。
よし。頑張ろう!
控室に到着すると、既に半分くらいの部員が来ていた。彼等に「おはよう」と声掛けられて、中に入る。
中では、テオもユージンも来ていて、ユージンが他の部員達同様、「アメリおはよう」と笑い掛けてくれる。ユージンの周囲を和ませる穏やかな空気に、ほっと緊張した気持ちが解れる。
テオはといえば、椅子に座って楽譜をじっと見つめながら、何やら確認していた様子だったか、ユージンの声で顔を上げこちらを向く。昨夕のあれこれを一切思わせない、いつも通りの落ち着いた表情だ。
「おはよう。準備出来たら、少し三人で合わせておくぞ」
「……はい」
いや? いつもより緊張してる?
かと言って学園祭の時のような、不安げな様子は見当たらない。今日の方が余程大舞台なのに。
私に向けられる目も最初の頃とも違う。初めは、上手く吹けるか、何かやらかさないかと、こどものお手伝いを監視するように厳しい目を向けられていたのに。今は、もうちょっと信頼されている気がする。はあ、嬉しいー。
「学園祭はさ、絶対来てたはずなんだけど、何の反応もなくて」
舞台袖で会場セレモニーを見ながら出番を待つ。その時間にふと、舞台に目をやったまま、テオが小声で喋り始めた。一瞬、自分に話し掛けられたのか迷ったが、「え?」と目を上げてテオを見れば、彼がそのまま続ける。
「上の兄と義姉は、良かったって言ってくれたけど、まあ、あの人等は優しいからな」
よく見てみれば、テオの視線の向かう先は、舞台のその先、観客席の一点にある。国王陛下や国家の重鎮たちが顔を連ねるその中、テオとどこか似た顔立ちの茶髪の紳士が座っている。
「今日、ここで、あいつ等にも俺の音を嫌って程聴かせてやる。一等良い席で聴いてろ、って思ってる」
「私情が入りまくりですねー」
「別に良いだろ。調子も良いし。大体、目立ちたいだけで勝手にごてごてアレンジしたお前に言われたくないな」
「えー。フレア様には、曲の裏のどろどろした背景がよく表現出来てた、って言われたんですけどね」
「何だそれ」
テオが可笑しそうに声を殺して笑う。
式典が終わり、舞台に演奏のセッティングがされる。
「さあ、楽しんで来よう」
強く頷いて、煌々と照らされた舞台に足を出した。
* * *
眩しいな。
けれど、目が慣れてくると、少し客席の様子も見えてくる。一組目という事もあってか、客席もやや落ち着きなく見える。後方の席にはこういう場に慣れていない、市井の人々も多く来場している事も影響しているかも知れない。
でも、良いな。わくわくしてきた。この微かなざわめきも、貴賓の中に含まれる厳しい目も、皆、演奏を心待ちにしている。
その人達に向ける一発目の音は、金管楽器が最初から全開で音を鳴らすファンファーレだ。
最初の音がパーン、と鳴ると、会場のざわめきが一気に静まって、会場内の視線が舞台に集中したのを肌で感じた。
袖からちらっと覗く紫色のビーズが目に入る。アイリスも聴いてくれてるかな。あ、そう言えば一番目立つ席にいたわ。楽しんでくれていると良いな。
短いファンファーレの後、間髪を入れずに、二曲目のマーチに入る。
コンサートマーチに類されるこの曲は、実際に行進で使われる曲と異なり、細かい音の動きが多い。とりわけ、クラリネット、フルートといった木管楽器隊には、「げっ、この曲かよ」と苦い顔をされた曲だ。「難しいし、きつい上に、全然目立たないんだよな……」と、苦労が報われない曲らしい。
じゃあ、誰が目立ってるのかと言えば、当然、私達トランペットだ。
ピアノ、ピアニッシモで伴奏を続けてきた鬱憤をここで晴らすかのように、大きく、華やかにベルを鳴らす。
三人で、和音も音量も息遣いもベルや腕の高さだってきっちり合わせてきた。ここで、多くの人に一番良い演奏を聞いてもらうために。
一気にマーチまで終えると、一旦楽器を下ろし、ふっと息をつく。その瞬間、客席が不意にはっきりと見えたがした。別に、照明の色や明るさが変わったという事もないのだけれど。ふと、客席に見知った顔がいくつもあるのが見えた。
シャーロットだ。ナディアも、フレアも一緒に来たんだわ。並んで座ってる。こんな多くの客席の中でも、フレアって存在感があるわ。
アイリスの隣りにいるのは、ロンドベル公爵かしら。爺さん爺さんってテオが呼ぶけれど、ぱっと見はロマンスグレーといった雰囲気で、とてもテオの話す頑固爺には見えない。
その近くに、テオの父であるエドワーズ伯爵と思しき紳士。ああ、よく似てるわ。目がね。遠目にも凍てつく雰囲気が分かるわ。
あと、チョコレートブラウンの髪の紳士と、灰色の瞳の婦人。
……私の両親だ。
えっ? 何故!? あんな遠方の実家から、この王都の歌劇場に。わざわざこんなに遠くまで駆け付けるほどの音楽好きでもなかったはずなのに。
気付いてる? 気付いてるか。目が合ってる気がするし……。あー、次の曲が始まる。うわ、久々。隣の魔王様。私の動揺が伝わったのか、ちらとこちらに最近では懐かしい氷の刃にも似た横目の視線を感じる。楽器を構えるのが一瞬遅れたからか。
ふと、テオの本番前の言葉が思い出される。“俺の音を嫌ってほど聞かせてやる。一等良い席で聴いてろ”っていう。
うん。両親の反応は分からないけれど、どうせ、怒っていてもこの舞台にまでは上がってこないだろうし! こっちから見なければ演奏中の反応も分からないし!
まあいっか。今はとりあえずそこで私の音に耳を澄ませていてくれれば良い!
北部の民謡をもとに、歌劇用に作られたというこの曲は、それぞれ敵対する集落に住む主人公男女の運命的な出会いに始まり、そこから始まる数々の障害を超えて、最後は二人の結婚式で幕を下ろす。
私達が演奏するのは、二つの集落が和解して、それを祝福するために開かれた祭りの場面での舞曲だ。
勇ましい東の村の旋律。これはロバートのソロだ。
次に華やかで明るい西の村の旋律。これをテオがソロで奏でる。
テオはソロを前に立ち上がると、無音になった舞台で、唯一、彼の鳴らす音だけが響き渡る。
日頃はどちらかと言えばきっちりと重厚な音を鳴らすテオのトランペットから、明るくて、軽やかな旋律が流れる。
途中から打楽器、木管の伴奏も加わり、華やかさが増す。
楽しそう……。私の事言えないじゃない。細かくトリルを挟んだり、アドリブを挟んだり。あ、フラッタータンギング。私苦手なのよね、巻き舌が下手で。
やっぱり格好良いな。悔しい。でも格好良い。
最後、音を切ると、テオはトランペットを手元で回しながら胸の前を斜めに交差させるようにして下ろし、そのまま礼をして着席する。
ソロを吹き終えた彼に、大きな拍手が送られ、女性客がわっと色めき立つのが見える。
当の本人からは、まだ曲は終わっていないのに、少しほっとして寛ぐ様子が見える。幸せそうな雰囲気を隠そうともせず。
フルートとクラリネットの掛け合いで、祭りの最中の主人公二人の逢引場面が表現され、ここで想いを確かめあった二人を祝福するように、最後の踊りに突入する。
一番華やかで盛り上がる、曲のクライマックスだ。その裏でトロンボーンによる東の村の旋律、トランペットによる西の村の旋律も奏でられ、それらが合わさって一つの曲になるのが、きっと物語全体のハッピーエンドへの布石となっているのだ。
ああ、もう終わってしまう。私の実力に似つかわしくないこの場で、私が再び演奏出来るのはいつだろう。この会場に見合うだけの実力とを身に着けて、いつか、こうして大観衆に囲まれて、旋律を奏でる事が出来たら良いのに。
五千人の拍手を浴びて、終わってみれば、本当に夢のような時間だった。
* * *
私達の演奏の直後が、弦楽部の演奏だ。
控室に戻っていたら聴く事が出来ない、と、こっそり何人かで舞台袖から聴かせてもらった。何人か、と言いつつ、結局ほとんどの部員が残って聴いていた。
ヴァイオリンの一番前の端、コンマスの位置にハリーが座っている。
穏やかで優しい笑顔が板に付いたハリーだけど、舞台上の彼は真剣な面差しで、思わずこちらも身体に力が籠もってしまう。学園の親睦会でも一緒に演奏したけれど、こんな彼の顔は初めて見る。
弦楽部には、親睦会を機に割と気安く話すようになった部員も何人かいる。
ヴァイオリンのライアンもその一人だ。最初は何かと突っかかって来ていたライアンだが、後期に入ってからは、あれこれと楽譜を持っては、自分はこのパートを任せられただの、この曲は知っているかだのと、自慢気にやって来る。
そんな彼等にとっても、特別な舞台に違いない。同じ楽団の仲間として、管楽部も弦楽部の演奏を固唾を飲んで見守る。
ハリーのソロパートだ。彼の長く綺麗な指が、腕が、力強くヴァイオリンを鳴らす。ハリーの日頃の人柄とは一転して、激しく迫力のある音に圧倒されてしまう。
親睦会の演奏では分からなかった、彼の猛々しい一面に驚く。
この演奏会に賭ける、ハリーの覚悟のようなものを感じた。
「そろそろ俺も準備しなきゃな」
と、弦楽部の演奏を聴き終わったテオが言う。そうだ、アイリスの出番も午前中に控えている。今日のテオは忙しいのだ。
「弦の奴等の邪魔になる前に、さっさと控室に戻るぞ」
「良いよ、テオは急ぎなよ。アメリは僕が控室まで一緒に連れて帰るよ」
さっさと歩き出そうとして私を振り返ったテオが、顔を顰めて舌打ちをする。
私の背後には既に舞台袖に下がって来たハリーがいた。私の肩にハリー手が添えられ、ニッコリ笑う彼に、テオが更に苦々しそうな顔をする。
「控室は別だろ」
「隣だから平気だよ。アメリ、僕の演奏はどうだった? よく気取ってるとか、格好付けてるとか言われるんだけど」
「えっ?」
「…………」
ハリーはテオを見ながらにやりと笑って見せる。こんな砕けた表情の彼は珍しい。舞台の空気が私を高揚させたように、彼もあの舞台で少し気分が良くなっているのかも知れない。テオはそんな彼を前に押し黙ってしまう。
「格好良かったです。音も力強くて迫力があって、ハリー様のイメージがちょっと変わりました」
「そう。僕に惚れてくれた?」
「えっ!?」
「はは、冗談だよ」
そう言って、ハリーは私の頭を優しくぽんと撫でる。ハリーって、こんな冗談言う人だったっけ? 随分機嫌が良さそう。
「……良かったよ。これまでで一番」
「へえ、テオが褒めてくれるとは意外だね。また格好付けてるとか言われるかと」
「……何の事だか」
やっぱり、テオが昔言った事なんだろうな。気取ってるとか。
「大丈夫ですよ、ハリー様。テオも十分格好付けてましたから」
「おい、何言い出したんだ」
「確かにね」
やっぱり、ハリーは機嫌が良い。控室までの道、こんなにも相好を崩して多弁になるハリーを見ながら、そんな彼にまだ圧倒されている。
控室前でハリーと別れて、楽器を片付けると、テオは次のアイリスとの舞台の準備に向かう時間になる。楽器ケースを控室の隅に固めて置き、「じゃあ、客席で聴いてるね」と言うと、「ああ……」と歯切れ悪く答えたテオは、一瞬迷ったように動きを止めたが、
「……これ、今日だけで良いから付けてて。例の、色が変わる石」
と、私の髪に何かを差した。そして、その手で私の頭をちょっと強めに撫でて、「行ってくる」と控室から出ていく。
あれ、さっきのハリーの上書きのつもりかな。意外と独占欲が強いのかも。
楽団の衣装から、よそ行きのワンピースに着替える。女性の演者は少ないので、この控室を無人にして着替えさせてもらっている。
着替え終わって鏡を見れば、テオが留めてくれたヘアピンが不器用に刺さっている。一旦それを外し、花の形に装飾された、その石を見る。
昨日、あのマグカップと一緒に買ってくれたのかな。
今は緑色のその石を、再び耳の上に留めて、控室を出る。
控室を出たところで、ハリーとばったり会う。
「一緒に聴きに行こうか」と誘ってくれて、そのまま横に並んで歩き出す。
……二人になってしまった。これは、かなり気まずいかも知れない。
「ご実家から、連絡はあった?」
ハリーの言葉にはっとする。縁談についてだ。
「え、いえ……」
「そう。我が家からは正式にというよりは、僕から打診という形で先にクライン卿に話させてもらったんだよ。でも、恐れ多いと断られたよ」
「…………」
知らなかった。この一週間でそんな事があったとは。父からも、家族の誰からも何も聞いていないから。
「アメリの様子からも、断られるんだろうなと思っていたけどね」
「……ごめんなさい」
ハリーは私が落ち着く柔らかな微笑みを向けてる。演奏後の興奮気味に上ずった調子の彼ではなく、かと言って王子様然としたきらきらした笑顔でもなく、親しみやすい優しい微笑。
「僕はアメリが好きだけど、まだ踏み止まれる。君と気まずくなるくらいなら、また、気兼ねなく話せる友達でいてよ」
そんな。都合のいい話……。しかも今、さり気なく告白された?
「僕の作品を渡せる人がいなくなっちゃうのも困るし」
え。ああ。そういう……? なるほど……。
「僕が動くと、あのテオが焦るのも意外だったな。癖になりそうだよね。面白いから、もう少し黙ってアメリと仲良くして見せようかな」
あのー、王子キャラでは見えちゃいけない顔が覗いてきてますよ。
「まあ、僕のお陰でテオが贈り物も出来るくらいに成長したなら、僕も振られた甲斐があるかな」
私がハリーを振るなんて烏滸がましい。けれど、実際にはそうなっちゃうのか。
ハリーは私の頭にさっきまではなかったヘアピンを見て、さも愉快そうに笑っている。
「そうだ。ご両親とちゃんと話した方が良いよ。アメリが進学してからこっち、侯爵家やら伯爵家やらから声を掛けられて、今回も王都に来たと思ったら、僕が訪ねて何事だって焦っていらしたから」
うん? 王都に来ていた?
侯爵家や伯爵家……。伯爵家??




