2 トランペットの魔王
練習で時間が遅くなったらどうする?
突然髪を切ったりして、両親に怒られないか?
式典の日は朝が早いが大丈夫か?
ロバートからのそれらの問に、「大丈夫です。私、寮生なので」と返事をして、渋々ながらも「まあ、それなら……」と、ロバートは、正式に入団許可並びに入部許可を出してくれた。
王立学園の楽団は、団の中で弦楽部と管楽部に分かれている。
ヴァイオリンやヴィオラといった弦楽部は、主に学生親睦会という学内の夜会行事や、卒業式後の謝恩会などで演奏する。あと、月に一回のサロンコンサート開催している。
トランペットやクラリネットといった管楽部は、主に式典や各種大会でのファンファーレや行進曲等の演奏を行う。管楽部は、別名、音楽隊と称される事もある。
私は、管楽部のトランペットパートに所属することになる。
学園全体で約二五〇人の生徒がおり、そのうち王宮お抱えの演奏家を目指す者を中心メンバーとして、三十一人が楽団に在籍している。
その三十一人目が、私だ。
今、私の髪は、腰に掛かる程までに伸びている。
元々、寮から通うには、あまり長いと身支度が大変だからと、近々切りたいとは思っていた。その切る長さが変わるだけだ。
だが、男性は、特にロバートは、女性が髪を切るという事を、殊更大きく捉えてしまうみたいだ。
「別に、髪まで切る必要はないのではないだろうか。すぐにはご両親に見せなくても、夏季休暇にはご実家に帰るだろう」
「いえ、私、毛量も多いですし、丁度邪魔だと思っていましたので。ただ休日までは、このままでよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。だが、せっかく綺麗な髪だというのに……」
「ありがとうございます。では、高く売れたら楽器購入の資金にします」
「そうか……。意外と女性は髪に執着しないものなのだな……。」
別に、女性の皆が皆、髪に執着しない訳ではないと思うが。髪を切るくらいで、楽団に入れるのならば、安い代償だ。
そうして、翌日から早速、私は管楽部の練習に参加することになった。
管楽部の部員は十七人。構成は、クラリネット二人、ピッコロ一人、オーボエ一人、ファゴット一人、トロンボーン三人、ホルン三人、チューバ一人、パーカッション二人、そして、トランペットは私を含めて三人だ。
女子部員に否定的な人もいるかもしれない、と怒号が飛ぶ事も覚悟していたが、そんな事はなかった。
ただ、戸惑う様子は窺える。まあ、仕方ない。
私は、叔父が学園時代に使っていた楽器を、お下がりとしてこっそり譲り受け、それを使っている。
同じトランペットの二年生ユージンは、叔父の名を知っているらしく、「へえ、これがマーカス・クラインが学園で使っていた楽器かぁ」と、興味津々で眺めていた。
柔らかい色調の金髪に、これまた雰囲気も柔らかい印象の青年だ。
トランペットパートは、私とユージン、そして、パートリーダーで二年生にしてコンサートマスターも務める、テオ・エドワーズという、一、二年生ばかり三人だ。
テオは、遠目に見る分には、なかなか格好良い。やや三白眼だが整った顔立ちをしているし、その精悍な顔付きは彼を凜凜しく見せる。
だが近くで見ると、精悍さを超えた険しさに気付かされる。何故か常に怒ってるように見えるし、あの鋭い水色の目で睨まれると、固まってしまう。物語に例えるなら、遠くにいる勇敢な勇者に近付いてみたら、そいつが倒すべき魔王だったみたいな表現で、雰囲気はご理解いただけるだろうか。変か。でもそうなのだ。
代々名だたる音楽家を輩出している伯爵家の三男として育ち、家取り息子でもない彼は、嫁入り先として良い条件を探している令嬢達には陰で、格好良いのに残念、とか言われていたりする。
逆に、娘しかいない家には、優良物件として虎視眈々と狙われている。
だが言わせてもらう。この魔王が常に住まうという緊迫感。貴方は本当に優良物件としてお望みですか、と。
「アメリ・クラインです。よろしくお願いいたします。あの、リーダーとお呼びすれば良いでしょうか?」
「呼び方なんて何でも良いから、取り敢えずさっさと音鳴らしてみて」
初対面から名乗りも挨拶もなく、腕組みをしたまま顎を上げて指示をされる。失礼な奴め、という思いが一瞬よぎりはしたが、魔王の指令だ。同時に「はいっ」と姿勢を正して楽器を構えた。
最後に叔父の家で吹いたのが、半月程前。
寮でこっそりマウスピースは吹いていたが、トランペットを吹くのは久し振りだ。
このテオに、私の音はどう聞こえるんだろう。
緊張と高揚で、一回、唾を飲み込む。
「何の音でもいいから、一回伸ばして吹いてみて」
「はい」
特に思いつかなくて、チューニングと同じドの音を吹く。
あー。緊張の余り忘れてたけど、チューニングしてない。上擦ってるなぁ。
テオは腕を組んだまま、じっと私の音に耳を澄ませている。
何か目が据わってるな。怖いんですけど。あー、音が震えてきた。そこで音を切った。
「音色は悪くないな。ピッチが悪い。上擦りすぎ。チューニングしたのか?」
やっぱり音程を指摘された。ここに来て、初日なのでメンバーに挨拶して回って、最後にユージンと楽器見て話していたら、テオが来て吹く事になったのだが。かなり言い訳っぽい。言いたくない。ていうか言えない……。
「あとは、息はもたないな。ロングトーンで音揺れすぎ。最初の響きは良いが、音が細い。楽器自体は吹き込んであるみたいだから、もっと響かせることも容易いはずだ」
響きは良い、など前向きは評価も挟まるものの、やはり次から次に駄目出しが来る。覚悟はしていたが、ちょっとショック……。
確かに、この楽器を叔父が吹いたら、もっと深みのある響きをもたせるのだ。それを思うと、自分の音はペラペラに聞こえてしまう。
叔父は、アメリは上手だよ、って言ってくれていたが、それはあくまでこどもの遊び程度の話で、やはり外では通用しないのだろうか……。
「次。音域見るから、基準のドから上に上げていってみせて。あ、その前にチューニングしろよ」
「はい」
私は、さっきの上擦り方を思い出しながら、主管を抜いては吹き、差しては吹き、音を合わせていく。あ、ここだ。
「…………」
テオは、自分の楽器ケースから音叉を出そうとして、手を止めた。
「お前の耳、音叉でも埋め込まれてるのか……」
「あ、いえ、ピアノの音を思い浮かべて……」
「そうか……。まあ、音叉は使えよ」
一応、テオの音叉で確認する。うん、大丈夫そう。
それから、ドから順に一音ずつ吹けるところまで上げていって、次にまたドに戻って今度は一音ずつ下げていく。
「まあ、あまり使える音域は広くないな。どっちかと言えば、高音のほうが得意か。あとせめて、一オクターブは広げたいな」
「一オクターブ……」
「練習すれば、何とかなるだろ」
またも厳しい評価。
でもこれって、テオは私に、練習すればここでやっていける可能性を感じてくれているという事か? そう考えると、ちょっと嬉……
「と言うか、入ってしまったものは仕方ないんだ。無理でもやれ。何とかするしかない」
「……はい」
あれ? テオはあまり歓迎してくれてない? でもまあそれはそれで仕方ない。そんな事、端から想定内だ。
「取り敢えず、体力を付けないとな。今日から、腹筋、背筋を百回ずつだ」
「百回ずつ!? 腹筋も背筋もしたことがない……」
それは、騎士団に入った次兄が毎日やっていたようなものだろうか……。
「そうか。ユージン、お手本見せてやって」
「げっ、今!? ここで?」
「そうだ」
ええー、自分でやってよーと言いつつ、ユージンは寝転んで、腹筋はこう、背筋はこうね、とやって見せてくれた。ふむふむ。兄もやっていたのを見た事がある。でもこれを百回ずつ!?
「まあ、やった事がないものをいきなり百回は無理だから、出来るところから始めて、最終的には百回だな」
「……はい」
「あとは、」
え!? まだあるの?
「寮でも、腹式呼吸の練習はできるだろ。まずは、一息を一分保たせるところからだな。腕の力も付けたいが、やり過ぎて腕が上がらなくなったら、本末転倒だからな。まずは練習の中でやるか」
そうか、音楽家って、筋骨隆々ってイメージはないけど、結構体力勝負なのね……。
「ピアノが分かるってことは、指は回りそうだな。あれも弾かなきゃ鈍るからな。指回しでもやっとくか」
「指回し……?」
ユージンが、こうだよ、と両手の指先だけそれぞれを合わせ、一本ずつ離してはくるくる回す。へえ……。
「音楽の授業は?」
「あ、ピアノを取ってます」
「声楽もやっとけ。歌う時の音の取り方と、息の使い方は役に立つ」
「はい」
ええと、腹筋と背筋と、腹式呼吸に指回し。あと声楽の授業。昨日まで、寮じゃ何もできないって思ったけど、結構やること一杯あるな……。
何だかんだ、色々教えてくれて良い人だ。
「お、アメリ、早速やってるな」
「部長……」
トランペット三人の集う場に、ロバートが青い生地の何かを持ってやって来た。これは。もしかして。
「これ、剣術大会の時に着る衣装なんだが、一番小さいのを持ってきたが、どうだろう? 上だけでも羽織ってみてくれ」
やっぱり。管楽部の衣装!
青地に金色の縁取り、同じく金色のエポレットに胸元の飾緒。格好良い。こんなの着れるなんて、嬉し過ぎて涎が出る。これでも女子だから出さないけど。
「着てみます!」
制服の上着を脱いで、ロバートから受け取った管楽部の上着を羽織る。制服よりも重みがある。
うわあ、とはしゃぎ気味に試着する私を、ロバートもテオも黙って見ていたが、前釦を全部止めてみせると、
「全然問題ないな」
「制服を脱いだ時点で分かっていた」
と言った。
「何がですか?」
「いや、女性だと、前の飾緒が引き攣れたり、着辛くないかと心配していたが、大丈夫そうだと思って」
「部長は、お前の胸がなくて良かったって言ってんだよ」
「はあ……」
ああ、そういう事……。良かったんだから、わざわざ言わずに放っといてよ……。ないんじゃないしね。目立たないだけで。まあ、聞いたのは私だから、何も言えない。
ロバートは、「テオ! お前……!」と慌てているが、結局テオと言いたいことは一緒だ。
この人達、貴族令息だよね。下っ端とはいえ仮にも令嬢に対して失礼じゃないの?
「これで丁度いいんじゃない?」
「うん、小さいサイズだからかな。肩幅も気にならないな。袖が少し長いか?」
「いや。ちょっと楽器持って構えてみて。楽器はしっかり水平に上げて」
「はい」
テオに促されて、トランペットを構えて見せる。すると、掌に掛かりそうだった袖口が、ちょうど手首の辺りまで移動した。
「むしろ、ぴったりだ」
ほう、なるほど。
「ブーツは、自分で準備してもらうんだが」
これに白いスラックスと黒のロングブーツを履き、頭には白い羽根の付いた青い帽子を被るのだ。
「あっ、黒の編み上げブーツならあるんですが……」
「いや、同じデザインのものを足に合わせて作ってもらうんだ」
「どうせだったら、靴底を厚くして、背を高くすりゃ目立たないんじゃないの?」
「ああ……。まあ、低くても別に良いと言えば良いが……」
確かに。私の身長は一五八センチだ。女性にしては平均的だが、トランペット二人の身長は、テオが一七三センチ、ユージンが一八〇センチらしいので、並ぶとかなり凸凹になる。
男性用の衣装を着ることでもあるし、そんなブーツが可能で、背も少し高く見せられれば、少し映えるかもしれない。
「それ、いいかも知れません。私、そうしたいです」
私がそう答えると、何やら楽譜を見ていたテオは、
「じゃあ、そうしたらいい。一か月後に、剣術大会で演奏だ。それまでに注文して準備しておけよ」
「はい」
「これが楽譜だ。俺とユージンのパートがもう決まってるから、お前が苦手そうな低音もあるが、死ぬ気で練習して、本番は絶対に当てろよ」
と、その鋭い目をより尖らせて言い、私に楽譜を差し出した。
「はいっ」
始めてもらう、私のパートだ。
受け取る私の手にも力が籠もる。あっ、でも皺になってしまう。ああ、でも落としたら駄目だ。もう、手に汗を掻いてしまって楽譜に滲みそうー。




