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10 刺繍教室の報酬


 何をしているんだ、あれは。



 練習中止を知らなかったアメリが、音楽棟の三階に来たのが、ついさっきの事。残念そうな顔をしていたが、音も出せないと分かると、渋々帰って行った。


 帰って行ったと思うと、今度はひょこっと裏庭に現れて、何か本を開いて読み始めた。

 勉強なら寮か図書室でしろよ、と思ったが、眼下でアメリのチョコレートブラウンの髪の毛が揺れる様を見ていたら、まあ別にいいか、と思い直した。どうせアメリの成績なんて、俺には関係ない。いや関係あるか。アメリ退部の危機だった。



 部員が出入りしない今日と明日で、棚の中でばらばらになってしまった楽譜を整理することにした。部長のロバートは、この辺りには頓着しない。

 何故こんな整理されていないのか。伝統ある楽団だろ。


 まず、行進曲、ファンファーレ、などカテゴリー別に分類して、そこから文字の順で……

 とか構想を練っていると、アメリの横に、誰か人影が増えた事に気が付いた。


 ふと改めて、その人物が誰か確認する。

 分かった途端、何故か口の中が苦くなったような、嫌な感覚を覚える。



 ハリー・メイリントンだ。


 一歳上で、幼い頃から、ヴァイオリンで神童と呼ばれた彼の事は、よく知っている。

 俺も音楽一家に生まれ、少なからず同じように天才と持ち上げられて来た口だし、彼とはピアノとヴァイオリンで二重奏をしたこともある。

 

 代々、演奏家を輩出しているエドワーズ伯爵家に生まれた俺は、物心がつく前からピアノ漬けの日々だった。音楽以外の遊びも習い事も、決して許されなかった。

 兄弟仲は良くも悪くもなかったが、いつしか俺が天才なんて呼ばれるようになると、特に次兄とは明らかに悪くなった。


 伯爵家の三男ということもあり、音楽しかしてこなかった自分は、演奏家として身を立てなければ、他に生きていく術もない、と必死でその「天才」の称号を維持しようとしてきたように思う。


 だがハリーは違う。貴族の嗜みの一つとして習ったヴァイオリンで、世間の期待以上の才能を発揮して、神童と呼ばれるまでに成長したのだ。確かに、彼は上手かった。


 一緒に、と引き合わされて演奏した二重奏で見た、好きなヴァイオリンを素直に好きと言って、夢中で取り組む彼の姿は、幼心にも眩しくもあり、憎らしくもあった。


 知人にピアノ以外にもと勧められて、トランペットを始めたのはこの頃だ。心の奥底で何か、彼と相容れない物を、と敢えて弦楽器から目を背けた事は否めない。誰にも言えないが。


 その中でもトランペットを選んだのは、王宮の演奏会で、舞台の中央に毅然と立ち、真っ直ぐに音を鳴らす姿が格好良かったから。それだけだ。幼少期の切っ掛けなんて、そんなものだと思う。

 ピアノか作曲で身を立てて欲しかったらしい父は、トランペットを持つ俺を見て、面白い顔はしなかった。あくまでピアノは続けることを条件とされた。卒業後、トランペットで王宮音楽隊に入りたいと言えば、また揉めそうだ。



 ハリーは、侯爵家嫡男として、学園を卒業したら表立って演奏活動をすることはない、と明言している。

 ハリー本人が、それを望んでいるのかは知らない。そこにどんな葛藤があろうと、それを知るほど親しくない。だが俺が、これしかない、と常に思い詰めてきたものを、メイリントン家はあっさり手放すという事に、言い様のない虚しさがあった。



 立場は違えど、アメリも似たような状況だ。

 おそらく淑女教育でピアノを習い、偶々、叔父にトランペット奏者がいた事から、トランペットに触れた。

 そして、学生時代限定で、演奏活動を行い、卒業後は楽器を置いて、どこかの貴族の家に嫁いで行く。


 まあ……、アメリが本当に、卒業したら辞めるつもりでいるかは怪しい、と思っているが。

 彼女は、あの調子で王宮まで乗り込んでいきそうだ。



 ハリーがそんな彼女を構うのは、同じ境遇だとでも思っているからだろうか。入団に付き添ってきたのも、同情したのかもしれない。

 そうだとしても、この少しの休憩時間で、わざわざ、二階から庭に出てまで会いに行くものなのか?


 何やら笑顔で言葉を交わす様子が見られる。


 まあ、声を掛けられたら嬉しいよな。何と言っても、「王子」だからな。俺は魔王らしいが。

 何故、俺が魔王で、奴が王子なのか。髪の色か? アメリよりは明るい茶色だ。魔王ってほどではないだろ。

 ……もっとも、自分が王子という柄でもないのは、重々承知だが。


 待ち合わせ、は考えにくい。アメリは元々、練習するつもりで来ていたのだから。

 こんな事なら、そこでマウスピースでも吹かせておけば、良かったかも知れない。


 二人で何かを覗き込んでいるようだ。何を見ているか知らないが、近付きすぎじゃないか……?


 頭がつきそうな距離で、二人の髪の毛が、同じように吹かれて靡いている。長閑な光景だと思うが、どこか面白くない。

 ここから何か落として、二人の距離を離してやりたくなる。


 まさか本当に落とすつもりはないが、何かね……と見回せば、猫のぬいぐるみと目が合う。いつかアメリが頭に乗せていた白猫だ。


 随分と猫を被っているんだろうな。

 俺達の前では、物怖じせず色気もなければ遠慮もないアメリだが、いつもの素頓狂な言動では、ハリーに愛想を尽かされてしまうからな。

 だからといって、猫被りのアメリが、どんな振る舞いになるかは、俺の知ったことではないが。

 あのアメリも、誰かに見惚れて頬を染めたりするのだろうか。あ。今、相当気持ち悪いな、俺。


 ロバートに言わせれば、アメリは俺の前じゃ萎縮しているんだっけ。

 そう見せかけて、魔王とか渾名付けているくらいだから、かなり図太い神経だがな。あと、俺にも結構好き放題言って来るぞ。

 別に、俺に可愛らしくはにかんで欲しい訳でもないけど。それはそれで、困る。



 どちらにも婚約者がいる訳ではないのだから、アメリとハリーが親密であろうと、何の問題もない。

 ハリーが学園の女子生徒に非常に人気がある事と、侯爵と男爵という身分差は、とりわけ問題とされるかもしれないが、それだって、学園にいる間は自由だ。


 しかしそれで、アメリがつらい思いをする可能性が高いのなら、避けた方が良いのではないかとは考える。


 うん。多分そうだ。四月の入団から、随分と面倒を見すぎて、兄のような気分になっているのかも知れない。

 男ばかり三人兄弟の三男で、妹なんていたこともないが、いたらこうして、気を揉んでいたのかも知れない。



 気分を切り替えようと、眼下の二人から目を逸らし、一つ深呼吸をする。


 俺としては、団に問題がなければ、それでいい。



 ……………。

 おい。二階は全体練習が始まったぞ。

 逢引きで練習に不在は、さすがに団に問題だろ。さっさと戻れよ。




  * * *

 


 刺繍王子ことハリーは、毎日、練習の後に少しだけだよ、と言って、刺繍の課題を見てくれる事になった。


 侯爵令息のハリーに、どんなお礼で報いればいいのか、ちょっと今は思いつかないが、必ずご恩はお返しするので、待っていて欲しい。



 管楽部の練習が終わったら、楽器を手入れして片付けて、二階のヴァイオリンの練習室へ。

 「お疲れ様でした!」と、一目散に立ち去る私に、皆驚いていた様子だったけど、限られた時間を有効に使いたいので、見ない振りをした。


 この際、縋れるものなら藁にでも、と思いはしたが、ハリーは藁なんてものではなかった。

 多分、刺繍界の金の卵だった。言い過ぎか。


 毎日、教えてくれるのが半分、一緒に考えながら取組むのが半分、そうしているうちに、ハリーの刺繍の腕はめきめき上達していった。何でも器用な人っているのね。


 未来の侯爵様に、こんな技術必要ないのに。こんなことまでさせてしまってごめんなさい。


 まあ、本人は至って楽しそうにしているが。

 私の横で、メイリントン夫人に出された課題だという、クッションの刺繍に取り組んでいる。もうさ、立派な作品じゃないの、それ。

 指だけは傷付けないように気を付けて下さいね、と密かに必死で祈っている。



 この刺繍教室が始まってすぐ、一階から、ピアノの音が漏れ聞こえてくる事に気が付いた。

 それも毎日。私達が帰る頃にもまだ。


「ああ、あのピアノはテオでしょ」

 と、事もなげにハリーが言った。


「音楽一家のエドワーズ家だからね。テオがトランペットを始めても、学園で寮に入っても、ピアノだけは続ける事が条件だったんだよ。それで、伯爵が学園に掛け合って、テオは毎日練習してるよ」

「ハリー様は、テオと親しいのですか?」

「昔から知っているだけだよ」


 テオとハリーの幼少期か……。幼馴染? 駄目だ。イメージが重ならない。一緒に遊ぶ風景が思い浮かばない。

 ハリーは、昔からさぞ美しく可愛いこどもだったんだろうな。あ。幼馴染でフレアも思い出しちゃった。


「アメリは? いつから音楽やっているの?」

「私ですか? 最初は普通です。三歳から淑女教育としてピアノを習い始めて、五歳からヴァイオリンを始めました。叔父が、王宮音楽隊のトランペッターだったので、六歳から教えてもらい始めて……」


 そう言えば、ずっと音楽をしていた気がする。他に友達と遊んだ、みたいな記憶はほとんどない。

 姉の真似をしてピアノの練習をして、そのうち姉を押し退け、齧り付くようにずっと弾いているから、ってヴァイオリンも始めたんだって、両親から聞いた。

 両親は、私が立派な淑女となってどこかの貴族の家に嫁ぐ事を理想としていたから、その淑女像から外れるトランペットが好きな事は、ずっと言えなかった。


「アメリ、ピアノもヴァイオリンも弾けるの?」

「弾けますよ。多分、人並みには弾けると思います」


 ヴァイオリンの先生も、そんな事を言ってくれていたから、人並みって名乗っていいと思うけど。最近、色々自信がないのよね。


 視界の端で、ハリーの動きが止まった気がして、ふと顔を上げると、彼は顎に拳を当てて、何やら考え事をしているようだった。


「あのさ、アメリ。僕にお礼をしたいって、言ってくれていたよね」

「言いました。こうしてお時間をいただいてますもの。もちろんです」

 あの話の途中で、お礼の内容について考えていたのか。



「じゃあ、そのお礼で、今度の親睦会、弦楽部としてヴァイオリン弾いてよ」


 えっ。何故。

 あの、管楽部に否定的な人達の中に入るのか……。

 確かに、弦楽の合奏も気になりはしたけど。うーん。人並みとは言ったものの、あの人達の中で通用するかは、分からない。


「……反応がないけど」

「いえ、驚いています」

「そう。今、弦楽部はヴァイオリンが五人、ヴィオラが四人いてね。もう少しヴァイオリンがいてもいいと思うんだ」

「そうなのですか……」


 弦楽器の人数バランスはよく知らないが、そういうものなのか? 確かに、主旋律を弾くヴァイオリンがよく聴こえた方が良さそうだけど。


「ヴィオラのメンバーも、元々昔はヴァイオリンだったって人達だから、交代で持ち替えてもらっていたんだけどね。アメリが良ければ、僕もアメリと一緒に演奏してみたいんだ」


 いい笑顔だわ。一緒にやりたい、ってそうにっこりされたら、反射的に「はい」って言ってしまいそう。


「まあ、ドレス姿のアメリも見てみたいけどね……」


 えっ。そっか、演奏するということは、弦楽部の衣装を着るから、ドレスを着なくて良いということなのか。


 ぱっと明るい気分になった。だって、ドレスって窮屈だし、動きづらいもの。

 それを一番最初に言ってよ、ハリー様。私、頑張ります。


 




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