表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/10

~死者を抱(いだ)いて山は沈黙する~ 3

Chapter 3


12


 「こんがりとまぁ念入りに。よく、ここまで料理したもんだ」

 貴族の子弟が下宿する屋敷の地下で、ヒルディー所長は運び出される遺体を見ながらつぶやいた。

 事件が発覚して、屋敷は大騒ぎになっていた。大勢の憲兵が詰めかけ、コーデリアとヴィクトリアは事情の説明を何度も繰り返す羽目になった。屍霊化グールかした遺体と戦ったと言っても、肝心の死体が黒焦げになっているのだ。関係のない人物を焼き殺したと疑われても無理はない。管理人の老女は現場まで連れて行っていないので証人にはならない。あのとき、地下室に遺体があるという確証がなかったので、ふたりとも老女に詳しい事情の説明はしていなかった。老女にしてみれば、ふいに訪れた女ふたりが地下室で暴れ、誰かを焼き殺したようにしか見えない。ただ、遺体の主がリヒャルトであるかどうかについては彼女も首をかしげた。リヒャルトは地下室の存在を知ってはいたが、そこを利用する理由が見当たらないからだった。

 「どうしようもなかったんです、実際」

 ヴィクトリアは小さくなりながら弁明した。

 「遺体は完全に屍霊化グールかしていました。物理攻撃が通じないんですから、ああでもしないと、今度は私たちがあっちの仲間にされていたんです」

 「ヴィクトリアの話は本当よ。私たちはここで遺体を発見したの」

 コーデリアが進み出た。

 「リヒャルトの部屋にある食堂で、不審な血の跡を見つけたの。もし、リヒャルトの身に何かあって、遺体をどこかへ隠したんだとしたら、ひとの出入りが少なくて目立たない場所だろうって考えたの。管理人さんに尋ねたら、ここを教えられたというわけ。そのことはあの管理人のおばあさんに尋ねてもらったらいいわ」

 「コーデリアたちの話が嘘だなんて、私は考えてないよ」

 所長は腕を組んだ。

 「しかし、そのほかの連中を納得させる材料がないとな。そのためには、あの黒焦げ遺体の死因が、ヴィクトリアの雷撃でないことを証明しなくてはならない。その結果が出るまで、この事件を追うのが難しくなるかもしれない」

 「コジャックさんがいてくれたらすぐわかったでしょうに」

 ヴィクトリアが悔しそうに言う。

 「そう言うな。先生はあっちの事件でいないんだ。続報が届いたが、ホルン山の死者は50名を超えているそうだ」

 「う、嘘……」ヴィクトリアが目を丸くした。レトたちが出発する前は、ただ「多くの村人が死んでいる」という表現だったのだ。具体的な数字が出て、その大きさにコーデリアも表情が変わった。

 「村人の全員が殺されたの?」

 「生存者の情報はない。被害規模から見て、その可能性は高いな」

 3人はしばらく沈黙した。その3人に向かって、しかめ面の軍服姿の男が近づいてきた。王都憲兵隊の隊長、イレス・ポンシボーである。もともと肩をいからせて歩く癖があるのだが、今日はその肩をさらにいからせるように歩いてきた。

 「面倒ごとを持ち込んでくれたな」

 「ご迷惑をおかけします」所長はイレス隊長に敬礼した。彼女は今でも軍籍にあるので、軍服を着用し、軍隊式に敬礼するのだ。

 「遺体の検死結果は出ていないところですが、こちら2名は屍霊化グールかした遺体との戦闘でやむなく遺体を損壊せしめたということであります。まずは速やかに検死を行ない、遺体の身元および、死因について確認するよう進言いたします」

 「そういう当然のことはやるに決まってる。ただな、今回は面倒なことになってるんだ。おそらく遺体はリヒャルト・リースタインのものだろう。つまり、貴族というわけだ。貴族の事件に、平民のお前たちが関わっていることに不快感を表している人物がいるんだ」

 「チャールズ・ブックマン子爵ですね」

 イレス隊長はうなずいた。

 「子爵は今回の件で捜索協力を申し出ていたそうだな。子爵を差し置いて、貴族の屋敷を捜索したあげく、とんだ騒動を起こしたというわけだ。不敬にもほどがあると、子爵はおかんむりだ」

 「捜索についてはリースタイン男爵より正式な依頼をいただいております。そのことで子爵にとやかく言われる筋合いはございませんが」

 「理屈を言うな、理屈を。私だってそう理解している。だがな、貴族主義復権を訴えている方がたにすれば、これこそ貴族の名誉を侵害する証左だと主張するわけだ。最近、貴族連合の活動も活発化して、賛同する貴族も増えている。この事件はまずいんだよ、実際」

 「どうまずいとおっしゃるのですか? 貴族の事件を我々が捜査することですか? 現在、捜査している者が平民であることですか?」

 所長はイレス隊長に詰め寄った。迫力に押されてイレス隊長は後ずさる。

 「いや、君は私と同じ貴族じゃないか。君が主体となって捜査するのであれば、あのふたりが捜査しているのもあまり問題にはなるまい。だが、王太子殿下の肝いりで組織された探偵事務所がこの事件を捜査するのはいかがなものかという声があるのだ」

 「殿下とこの事件に何か関りがございますか?」所長はさらに詰め寄ってくる。イレス隊長は両手をぴらぴらと振って否定した。

 「いやいやいや。殿下がどうという話ではないが、君も知っているだろう? まもなく議会で決議される事案に、市民の権限枠の撤廃が出されているのを。これまで中級市民以上でなければ参政権と投票権を得られなかったものが、その制限を撤廃し、下級市民も同等の権利が得られるようになるというものだ。下級市民でも、評議員やさらに上の首脳議員になることが可能になるというんだ。貴族の中には、中級市民以上という条件付きでも、平民が政治参加の機会を与えられたことに不満を漏らしているのに、あの議案は貴族側の反発をさらに招くものだ。何せ、下級市民と貴族が同じ議場で政治を論ずることを意味するからな、あの議案は。それを黙って見過ごせるものでもないだろう? 貴族側は何かあれば、それを政治と絡めて非難の対象にするつもりなんだ。君たちの行動は、王太子殿下の政策に反対する口実になりかねんのだよ」

 所長はすっと身体を引くと、腰に手を当て、イレス隊長をじっと見つめた。その両隣にはコーデリアとヴィクトリアが立っている。ふたりとも所長と同様、冷たい瞳だ。

 「聞いたか、ふたりとも。今のイレス隊長の言葉をどう思う」所長は姿勢を変えずに、ふたりに話しかけた。

 「イレス隊長、かっこ悪い」と、コーデリア。

 「な、何を……」イレス隊長は顔色を変えた。

 「王太子を盾に脅すから」

 「い、いや、私は王太子殿下を盾になど……」イレス隊長は慌てたように両手をぶんぶんと振った。

 「正直、私たちが捜査することの問題点が見えてきませーん」と、ヴィクトリア。

 「……と、いうことだ」

 所長はずんずんとイレス隊長に向かって歩き始めた。イレス隊長は慌てて脇によける。コーデリアたちも後に続いた。通り際にヴィクトリアがイレス隊長に、べぇっと舌を出した。

 3人はそろって地下室を出た。

 「ひと通り、現場検証は終えているな?」所長は後に続くふたりに確認すると、「なら、ここはもういい。事務所へ引き上げるぞ」と大声で言いながら歩いて行く。

 「ヒルディー。私たちのせいであなたの立場を悪くしてしまったわね」

 コーデリアが小声で話す。所長は首を振った。長い髪がさらさらと揺れる。

 「立場の話じゃない。こういうのが所長の仕事なんだ。コーデリアたちが何にも邪魔されないで捜査できるようにすることがね。第一、貴族たちの嫌がらせや中傷は今に始まったことじゃない。いちいち気にしていたら何もできなくなる。もっとも彼らにすれば、それが狙いなんだろうがな」

 「このまま捜査を続けることができますかね?」ヴィクトリアは不安そうに尋ねた。

 「続けてくれ。邪魔になることは私が何とかする。これはもう人探しの案件じゃない。殺人事件の話なんだ。政治の話で立ち止まるわけにいかない」

 所長の言葉にふたりはうなずいた。

 「ヴィクトリア。事務所に戻ったら、例の魔法陣を張ってくれないか。レトもそろそろ向こうで魔法陣を用意するはずだ」

 「え? ああ、もう、こんな時間なんですねぇ。了解しました。戻ったらすぐ取り掛かります」

 ヴィクトリアは屋敷の外に目を向けて声をあげた。窓の外はすっかり夕暮れの色が濃くなっていた。遠くには魔法障壁を張る塔が細く天に向かっているのが見える。王都は景観および城の防衛の関係で、あまり高い建物が建てられない。遠距離からの魔法攻撃から城を守るため、城の周囲には魔法障壁を張る塔が5つ建てられているからだ。障壁の威力は強力で、大地を更地に戻すほどの魔法攻撃も防ぐといわれている。その搭の1本が夕日を浴びて、屋敷の庭にまで影を伸ばしていたのだ。陽が沈むまではそれほど時間がかからないだろう。

 「あっちも大変だろうにな」

 所長もヴィクトリアと同じように外を眺めた。コーデリアは所長の手がきつく握りしめられているのに気が付いた。それが何の感情によるものか、コーデリアにはわからなかった。


13


 陽が傾いて、ホルン山の村は林の陰になって薄暗くなった。村人の遺体は一体をのぞき、すべて運び出されている。ブライス郡の駐留兵たちも自分たちの道具を片付け始めていた。村の中央には、小さな白いテントが張られてあり、中ではコジャック医師の検死が進められていた。できるだけ早い段階での検死を済ませるためである。ほかの村人の遺体は、これから各病院に搬送され、そこでようやく検死が始まる。どうしても「遺体が古くなる」のだ。それに、時間が経つと遺体が屍霊化グールかする危険がある。清浄な場所は限られている。すべての遺体を屍霊化グールかから守るのは困難だから、ある程度は見切りで火葬せざるを得ない。コジャック医師はそのために村での検死を行なっているのだった。

 メルルはフォーレスたちとともに、今夜の宿営の準備に取り掛かっていた。馬車から資材を下ろし、井戸の周りに仮眠用のテントを張るのだ。レトとパジェット教授の姿はまだない。ふたりを見かけた兵の話によると、山の中腹辺りまで降りていき、村人が育てている柑橘の樹々を見て回っているという。話に聞くレトの姿は普段の冷静なレトのようだった。それを聞いて、メルルは人知れずほっとした。

 レトたちが戻ったのは、陽もだいぶ落ちてきたころである。ふたりは無言のまま井戸まで歩くと、そのそばではメアリーがカップを手に立っていた。ふたりはメアリーが差し出した水をごくごくと飲み干した。

 「助かりました、ハントさん」

 レトはカップをメアリーに返した。

 「メアリーでけっこうですわ」メアリーは笑顔でカップを受け取った。

 「ワシもメアリーって呼んでいいかね?」パジェット教授が真顔で聞く。

 「先生は奥様だけにメアリーと呼んであげてください」メアリーは教授にはにべもない返事をした。

 「教授の奥様もメアリーさんですか」レトが言うと、

 「あっちのメアリーはかなり婆さんなんだがな」教授は面白くなさそうに答えた。

 「レトさん、どうでした? 山の様子は?」

 レトが戻って来た気配に気づき、メルルが近づいた。レトは何かを言いかけて口を開いたが口をつぐんだ。やや目が伏し目がちになっている。メルルはレトが何を言い淀んでいるのかわかった。でも、レトさんはそれでいい。私がわかっていれば十分。メルルはにっこりと笑いかけた。

 「レトさん、伍長さんとフォーレスさんがテントで休んでいます。レトさんも中でお休みになります?」

 「ありがとう、そうするよ。先生もご一緒しますか?」

 「うむ、ワシも歩き疲れた。少し休ませてもらおう」

 「調べてきたことの説明も一緒にしたい。君も一緒に来てくれないか?」

 レトはメルルに話しかけた。メルルは「はい」と答える。

 レトはテントに顔を突っ込んだ。中にはインディ伍長とフォーレスが座って休憩を取っている。

 「ただいま戻りました。見てきたことをご報告させていただいてもいいですか?」

 レトが尋ねると、インディ伍長はうなずいた。

 「探偵が、戻ってくるのを、待っていたんだ。話を、聞かせてほしい」

 レトは外に立っている教授たちにうなずいてみせた。レトはテントに入ると、まずはフォーレスの前に立った。

 「フォーレスさん……」

 「レトさん、こちらへおかけください。レトさんの帰りを待っていたんです」

 フォーレスはレトが何かを言いかけるのを遮ると、自分の隣を示した。レトは口をつぐんでフォーレスの顔を見つめた。レトに見つめられているが、フォーレスはすまし顔だ。レトはフォーレスに無言で頭を下げると、隣に腰を下ろした。レトに続いて、教授やメアリーたちもテントに入ってきた。こうして、教授とメアリーも加えた、テントでの報告会が始まった。

 「教授の指摘から、村人を死に至らしめた異変は山全体で起きていることがわかりました。僕はさっきまで、教授とともに、その実態を確認してきました」

 全員が腰を下ろすと、レトが口を開いた。

 「山全体って、いうのは、どういう意味だ?」インディ伍長が尋ねた。

 「この村を囲む林の樹々にはあまり損傷が見られませんが、中腹にあるミカン畑の木はかなり損傷していました。木が裂けて、白い部分がむき出しになっているのがいくつかあったのです」

 「木がやられていたんですか?」フォーレスが身を乗り出した。

 「木の幹だけではありません。色づき始めたミカンが破裂したようになっていたんです。それも大量にです」

 「駐屯軍からは、何も、聞かなかったな」インディ伍長は不服そうに腕を組んだ。

 「駐屯軍の方がたには安否不明者の確認や、生存者の探索をお願いしていました。そちらにかかりきりでしたから、山の樹々がどうなっていたかなどに、とても気が回らなかったんですよ。恥ずかしながら、教授に指摘されるまで、僕もわかっていませんでした」

 「ワシは観察の専門家じゃからな」教授はあごひげをしごきながら胸を反らした。

 「木の裂け方を調べてみましたが、雷が原因ではなさそうです」

 「根拠は?」フォーレスが短く尋ねる。

 「雷による損傷であれば、どこかしら焦げ跡や、変色した箇所が見られるものです。ですが、裂けた樹々には焦げている個所が見当たらず、木の裂け目はきれいなほど白かったんです」

 「ですが、村人の皮膚はやけどしているかのように、あちこちに火ぶくれがありました。何らかの熱が加えられたはずです」フォーレスは反論した。納得できないという表情ではなく、ただ疑問を口にした感じだ。

 「フォーレスさんのおっしゃる通り、村人の様子は何かの熱を受けて、それが元で命を落としたように見えます。一方で、木の損傷は空気の圧力を与えられたようなのです」

 教授をのぞいて、テントの中の者たちは互いの顔を見合わせた。レトの説明に理解ができなかったのだ。

 「空気の圧力って、風の力という意味ですか?」メルルが手を挙げて尋ねた。

 「風ではないね。例えを言えば、木の幹に風船を膨らませるように空気を送り込んでいる光景を想像してほしい。ただ、木の風船はあまり膨らむことができないから、すぐに裂けてしまった……そんな情景だ」

 「……想像しましたけど、あまり浮かんできません」メルルが恨みがましく言った。自分の想像力の乏しさに悔しいと思う気持ちと、わかりにくい例を出してくるレトに少し非難めいたことを言いたい気持ちが湧いていたからだ。

 「木は内部から裂けていた、ということでしょうか?」メアリーが自信なさげに尋ねる。

 「それが一番しっくりしますね。木は内側から外側に向けて広がるように裂けていたんです」

 「木も破裂していたんですね」フォーレスも理解したようにつぶやいた。

 「異変が山全体に及んでいるって、その規模は正確にどれくらいなんでしょうね」

 メルルが誰に言うともなく言うと、レトが答えた。

 「今日は山の中腹までしか見ることができなかったので、山全体という言い方は正確じゃない。だから、明日はふもとまで降りてみて確かめてみるつもりだ。ふもとには今回パジェット教授本来の調査目的である遺跡がある。その辺りまで調査範囲を広げてみようと思う」

 「ついでに遺跡調査も手伝ってほしいがの」教授が口を挟み、メアリーが「先生!」とたしなめた。

 「ふもとの遺跡ってどんなものですか?」メルルが尋ねる。遺跡の存在に興味を抱いたのだ。

 「この山を囲むように複数の塔があるんです。何らかの儀式に使われたのか、昔の戦争で砦として使われたのか、今のところまったく予想もついていません。モラン君が調査対象として提案してこなかったら、私たちもまったく未知の存在だったんです。私もブライス郡の歴史を調べたんですが、ホルン山の遺跡に関する記述が見当たらないんです。もっとも、この山はへき地にあるため、歴史上の要衝でもありませんでした。この山は確かに奇観で知られていますが、観光に行くにも不便で、歴史的にだけでなく、政治的にも、軍事的にも、そして経済的にでも、まったく重要視されていないんです。だからこそ、私たちも興味を抱きましたし、こうして調査に赴くことにしたんです。もっとも、現地に着いてすぐ駐屯軍の方がたに拘束されたので、今でも遺跡はほとんど見ていないんですが」

 メルルの質問にはメアリーが答えた。口調には少しだが悔しさが滲んでいる。調査を中断させられたことが悔しいに違いない。

 「遺跡について何らかの伝承が残ってないか、この村の住人にも聞き込みをしたいと思っておったんじゃが、村が全滅してしまった。ワシとしては、このことも惜しいと思うことなんじゃがのう」

 教授がいかにも学者らしいことを言った。

 ちょうど会話が途切れた頃を見計らったように、「失礼いたします」という声が聞こえ、アドラー大尉がテントに入ってきた。テントの出入り口で直立姿勢になって敬礼する。

 「遺体の回収および、機材の撤収を終えました。我々はこれより現場を撤収いたします。明日は、現場周辺探索任務の者を派遣する予定であります」

 「大尉殿。ご報告、了解いたしました。我々は引き続き、現地に留まり、夜間の調査に従事いたします」

 インディ伍長とフォーレスは立ち上がると敬礼し、フォーレスが引き継ぎの報告をした。

 メルルはその様子を不思議そうな表情で見つめた。階級ではアドラー大尉のほうが上であるはずだが、実際の上下関係ではインディ伍長とフォーレスのほうが上に見えるからだ。王都の憲兵隊は、階級での上下関係を超えるほど、駐屯軍より格上であるらしい。

 「さてと、ワシも今日は引き上げるとするかのう。ワシは馬でここまで来たが、ハント君たちは駐屯軍の馬車に乗せてもらわんと、徒歩で下山しなけりゃならんからのう」

 教授はそう言いながら立ち上がった。メアリーも合わせるように立ち上がる。

 「モランさんはどうなのです? 検死はまだ終わっていないんじゃないですか」

 レトが尋ねると、

 「検死はさきほど終了いたしました。我々は、検死の終わった遺体も積み込み、下山するのです」アドラー大尉が説明した。

 「じゃあ、今度はコジャック先生の報告も聞きましょうか」レトが立ちあがりながら言った。テントを出て行ったアドラー大尉に続いて外へ出て行く。コジャック医師を呼びに出たのだろう。

 「いつもの探偵だな」インディ伍長はそうつぶやきながら、再び腰を下ろした。レトの動揺をインディ伍長も心配していたらしい。

 「あのひとは、ああでなくては。少し小憎らしい感じでね」フォーレスはうなずきながら応じる。メルルはその光景で、レトを気遣うひとが少なくないことを知った。フォーレスが言うように、少し小憎らしい感じがレト本来の姿だ。しかし、レトを知る誰もが、レトのそうした部分を嫌っていないらしい。メルル本人もそうであるから不思議でないはずだが、改めて認識すると意外だと思う。

 「インディ伍長はレトさんのこと、嫌っていなかったんですね?」

 メルルは直球の質問をぶつけた。その質問に、インディ伍長は面喰ったようだが、腕を組みながらうなずいた。

 「うむ。別に、嫌ってなど、いない。ただ、立場上、意見が合わないだけだ」

 思い出してみれば、レトと伍長が対決的な態度で接していることは一度も見たことがない。むしろ、レトはインディ伍長に対して丁寧な態度で接しているし、インディ伍長もレトのことを「探偵」と肩書だけで呼んでいるが、それを除けば、レトをそっけなく扱っている様子は見当たらない。独特の距離感を保ったまま、ふたりは互いを尊重しあっているのだ。

 「ほっほ。面白いお嬢ちゃんじゃのう」

 テントを去りかけていた教授が振り返って笑い声をあげた。愉快そうな声だ。

 「王都の憲兵隊員相手に率直な質問などするとはな」

 「あ、私! えっと、すいません!」メルルは慌ててインディ伍長に頭を下げる。インディ伍長はにこりともせずに「別に、気にするな」とつぶやいた。

 「実は、ワシもあの若者のことを気に入っとる。わかりやすい性格をしとるのに、まだ底が知れんところがあるしな。興味の尽きん男じゃて。さて、レト君には、明日は9時ぐらいに山の入り口で落ち合おうと伝えてくれんかね。明日は遺跡を起点に、事件の調査を始めようと」

 「あ。わ、わかりました」メルルは慌てたように返事した。

 教授はメルルにニヤリと笑いかけると、そのままテントを出て行った。続いてメアリーが頭を下げて出て行く。テントにはメルルたち3人が残った。

 レトがコジャック医師を連れて戻って来たのは、それから間もなくである。モランは一緒ではない。おそらく、教授たちと一緒に下山したのであろう。

 「諸君、お待たせした。検死の報告をさせてもらおうかの」コジャック医師は口ひげを撫でながら入ってきた。レトが入り口近くで腰を下ろすと、医師もその隣に腰を下ろした。

 「細かい部分については報告書で確認してもらいたいが、把握すべき基本的な情報はここで共有してほしい。良いかな?」

 医師の言葉に、全員がうなずいた。

 「今回、検死した男性は、比較的損傷の少ない人物だった。その人物を選んだのは、死亡推定時刻を特定できるかもしれんと考えたからだ。外見上では、一昨日の夕方から翌朝までの間と推定していた。解剖で胃の内容物を確認したことで、多少狭めることができた。死亡推定時刻は一昨日の夜11時頃から深夜3時頃までの間と考えられる」

 「そう判断されたのは?」フォーレスが尋ねた。

 「死ぬ前に食べていたものが大方消化されていた。消化の具合から逆算して、さっきの時間帯を推定した。よほど早い時間か、遅い時間に食事をせん限り、この時間帯に狂いは出んじゃろう」

 「大部分の村人が着用していたのが寝間着だったというのも、そう判断した材料にはなっています」レトが付け加えた。「事件は村中が寝静まった時間帯で起きたんです」

 「もし、この事件が何者かによるものであれば、この村には事件当日すでに誰かがいたということなのでしょうか?」

 メルルが口を開いた。

 「だって、足元のおぼつかない深夜に、誰かが村に侵入したなんて考えにくいです。山をぐるぐる進めば、頂上には着きますが、それでも明かりのない夜間は危ないです。たとえ月明かりがあってもです」

 「ちなみに月は半月あたりだ。たしかに月明かりは当てにできないね」レトはうなずいた。「でも、ランタンは? 明かりを灯して侵入していない根拠は?」

 メルルは打ち消すように手を振った。「狭くて、すぐ脇が断崖の山道ですよ? ランタンでは足元はともかく周辺が見えづらいです。視界のあまり利かない深夜では、そこを歩くのはかなり危険です。レトさんは夜の山道を甘く見過ぎですよ」

 「そうかもしれないな」レトは認めた。

 「当日の夜に侵入していないのであれば、その何者かは事前に村に入っていたということです。この村に魔法使いがいるようには思えませんから、どなたかの客として招かれていた、となりますね」

 「その口ぶりだと、そう考えていないように聞こえるね」

 メルルはレトに向かってうなずいた。

 「私、この事件は殺人事件じゃないのではと考えているんです。まず、この村が襲われた理由がありそうにないことも理由ですが、もし、これが殺人であるなら、犯人は殺人のためにこんな訳の分からない方法を使った理由も説明つきません。なぜって、殺すだけなら、こんな手段を使わなくても、魔法を防ぐ術を持たない村人なんて、もっと簡単に殺せるはずですから」

 「もし、お嬢ちゃんの言う通り殺人でないというのなら、この事件は何だと言うのかね?」

 コジャック医師が尋ねた。

 「未知の自然現象による災害事故ではないかと」

 メルルの答えに、一同は沈黙している。

 「だ、だって、そうじゃないですか。村のひとたちを、あんなにむごたらしく殺すなんて、普通の人間ではしないはずです!」

 「未知の自然現象っていう線は、僕たちも考えている」

 レトが周りを代表するように話し出した。

 「ただ、普通の人間は殺人を犯さないという考えは捨てるんだ。殺人は異常な事件ではあるけど、異常者だけが起こすものじゃない。件数だけで言うなら、心を病んだひとが犯した殺人より、健常者が犯した殺人のほうがずっと多いんだ。それは割合で考えるべきだっていう意見もあるけど、発生件数の多さという事実は無視できない。また、普通の人間のほうが、人を殺す理由をたくさん持っている。金銭がらみ、痴情のもつれ、妬みや嫉妬、出世欲……、中には、ただ気分がむしゃくしゃしたからという理由だけで殺人事件が起きた例だってある。すべて、君の言う『普通の人間』が犯したものだよ」

 「それでも、この事件が、普通の人間が犯した殺人なんて考えにくいです」

 メルルは抗うように言った。もし、これが忌むべき犯罪であれば、それが自分の周囲にいるごく当たり前の者が犯したとは信じられない。いや、信じたくない。

 「わかってるさ。僕だって、そんなことを最初から疑っているわけじゃない。でも、情報が出そろっていない段階で、そのことを考えから除外するのはまだ早いって言ってるだけさ」

 レトの声は優しく諭すようだ。しかし、その表情は優しさとは別の、少し厳しいものだ。

 「メルルさんの考えが正しい可能性はあります。この異変は、この村だけで起きたものではないんですよね。明日の調査で、これが山全体で起きたことだとわかれば、未知の自然現象の可能性は高まるんじゃないですか? この問題は明日の調査を終えてから再検討するべきでしょう」

 この話題にとりあえずの終止符を打つつもりなのだろう。フォーレスが割りこむように話した。メルルはもう少し言いたいことがあったが、黙ることにした。レトも同じらしく、口を開かない。

 がさりと音がすると、これまで一同の様子を無言で見ていたインディ伍長が立ち上がっていた。そのままテントから出て行こうとしている。

 「伍長、どちらへ?」

 フォーレスが尋ねた。

 「みんな、気が、立っているようだ」

 インディ伍長は入り口の布をめくった。

 「メシにしよう」


14


 簡単な食事を終えると、レトは今夜寝泊まりするテントで二枚の布を広げていた。布にはそれぞれ大きな魔法陣が描かれている。それらを床に並べると、ひとつの魔法陣の上に立った。

 メルルはテントの外で、夜空に浮かんだ星々を小さな望遠鏡のような道具でのぞき込んでいた。足元にはランプが灯っている。そのランプは一枚の紙を風で飛ばされないよう、重しのように置かれていた。メルルは観測した結果を足元の紙を拾い上げて書き込んだ。

 メルルがテントに戻ると、レトは「こっちの準備はできたよ」と足元を指さした。メルルは「これが、ここの座標です」と紙を差し出し、レトはそれを受け取った。

 「何が始まるのかね?」入り口の布をめくりあげ、コジャック医師が顔をのぞかせる。

 「これから、通信魔法を行なうんです」メルルが答えた。

 「通信魔法? 聞き慣れん魔法じゃな」

 「最近編み出された魔法です。討伐戦争でも、一部の前線で使われていたんですよ」

 レトは紙に書かれた数字に視線を走らせながら言った。

 「このふたつの魔法陣を使って、ここから離れた相手と会話できるようにするんです」

 「ほう、それはすごい。どうやってするのか、見て構わんかね?」

 「どうぞ、構いませんよ」

 コジャック医師はテントに入って、入り口で腰を下ろした。レトは紙の数字を暗記し終えて、紙をメルルに返した。

 「この魔法には座標を盛り込みます。さっき、メルルが星を使って観測していますが、その数字を入れた呪文を唱えるんです。同時に、通信したい相手のいる座標も呪文で指定します。そうすることで、もう一つの魔法陣に通信したい相手の映像と音声が送られてくるんです」

 「発展は日進月歩と言うが、魔法も進化していくんじゃな」

 コジャック医師は感心したようにつぶやいた。

 レトはコジャック医師にうなずいて見せると、魔法陣に向きを変えて呪文を唱え始めた。鎧で覆われた左手を差し伸ばし、まるで左手から魔力を注ぎ込むようにしている。

 すると、レトが立っているのとは別の、もう一つの魔法陣が光り始めた。陣からは黄色の光の柱が立ち上がり、その中からひとりの女性の姿が浮かび上がってきた。その女性は少し透けており、向こう側のテントの布が見える。

 「お疲れ様です、ヴィクトリアさん」

 現れた女性は王都にいるはずのヴィクトリアだった。

 『ハァイ、レト君。通信魔法、うまくいったみたいね。これで、定期的に連絡できるわね』

 ヴィクトリアは手をひらひら振って挨拶している。

 「こりゃ驚いたわい」コジャック医師の口から思わず声が漏れた。

 「実際のヴィクトリアさんは王都の探偵事務所におられます。ヴィクトリアさんの足元にも、ここと同じ魔法陣が敷いてあって、映像と音声の送受信が行えるようにしてあるんですよ」

 メルルはそう言いながら魔法陣にあがると、レトの隣に立った。「こんばんは、ヴィクトリアさん」

 『あぁら、メルちゃん。元気? ……て、聞ける状況じゃないか。王都にも事件の一報が届いて、けっこう騒がれているわよ。実際のところ、どういう状況なのかしら?』

 「ご説明します。その前にヴィクトリアさん。これから申し上げる数字を控えてくれませんか? ここの座標をお伝えします」

 『ああ、そうだったわね。コーデリア、控えてくれるかしら? 大丈夫よ、数字を読み上げてくれても。コーデリアが書き取ってくれるから』

 ヴィクトリアの顔の横に、にゅっとコーデリアの顔だけが入ってきた。

 『用意できてるから、大丈夫』

 メルルは数字を読み上げた。ヴィクトリアはここからは見えない方角に顔を向けていたが、やがてこちらを向いた。

 『座標位置はきちんと控えたわ』

 今度は何かを書き付けた紙を持った手だけがにゅっと現れた。ヴィクトリアがうっとうしそうにそれを押し返す。

 『いちいち見せなくていいって。ここはコーデリアのほかに所長もいらっしゃるわ。みんな一度に説明できるわよ』

 「わかりました」

 レトはうなずくと、この村に着いてから見てきたこと、わかったことを報告した。報告を終えると、いつもは茶化す感じで話すヴィクトリアが沈んだ表情で話した。

 『……そう、辛い現場だったわね。明日、ふもとまで調査を終えたら、こちらへ戻ってくるの?』

 「それは何とも……。調査の範囲をふもとからもう少し離れたところ……、つまり、山の周囲まで広げるべきかもしれないので」

 『そう……なの。でも、そうよね。そっちのほうが深刻だしね』

 「どうかしましたか? そちらでも何かあったんですか?」

 今度はヴィクトリアから、リヒャルト・リースタインという貴族の息子が行方不明になったこと、その下宿先でリヒャルトと思われる遺体が見つかったことが報告された。

 「なるほど、遺体がある以上、ただごとではありませんね。リヒャルトの交友関係の調査は終わっていますか?」レトは深くうなずきながら尋ねた。

 『いいえ。いろいろあり過ぎて、何も手に付けられていないの』

 「そうですか。まずは、リヒャルトの交友関係の洗い出しを進め、事件があったと思われる時期に、リヒャルトの下宿を訪ねたものが交友関係の中から出てこないか確認したほうがいいでしょう。遺体が一週間、地下に放置されていたとは限りません。少なくとも昨日までの行動を調べたほうがいいでしょう」

 『さすがに慣れているひとは言うことが違うわね。ご教示いただいたことはしっかりさせていただくわ』

 「それでは、ヴィクトリアさん。今度は、ヴィクトリアさんからご教示いただくことはできませんか?」

 『いったい何かしら?』

 「生き物だけを熱で殺す魔法が存在するのかどうか。あるいは、自然災害で、こうした事象は起こりえるのか、ということです」

 『そっちのほうが難問じゃない! って言ってられないわね、実際。わかったわ。魔法についても、自然現象についても、こっちで調べてみるわ。資料が豊富なのは、ここ王都だからね』

 「お願いします」レトは頭を下げた。

 すると、コーデリアが顔を出したのとは逆の位置から、所長の顔が現れた。

 『ふたりとも、ご苦労』

 「所長、お疲れ様です」レトたちは頭を下げた。

 『明日以降も調査を継続するとなれば、この定期通信は欠かせない。正午に1回、この時間に1回、それぞれ通信を入れるようにしてほしい』

 「わかりました」

 『明日からの調査も危険には注意するんだ』

 「了解しました、所長」所長の顔がメルルに向けられたので、メルルはとっさに答えた。自分のことを言われていると思ったのだ。

 報告を終え、魔法を解除すると、テントの中は薄暗くなった。レトが魔法陣の布を片付けている間、コジャック医師は腕を組んでじっと様子を眺めていた。あまりにも黙りこくっているので、メルルが声をかけた。

 「先生、どうかしたんですか?」

 「なに、リヒャルト・リースタインの名前に聞き覚えがあってな……」

 「先生はリヒャルトをご存知なのですか?」

 布を仕舞い終えたレトが振り向いて尋ねた。

 「いや、ワシとは面識がない男じゃ。しかし、父親がレナード・リースタインであることは知っておる。男爵の家柄だ。レナード同様、息子たちも芸術への道を進んでいるはずだったが、三男のリヒャルトだけ、バンコラン魔法学院へ進学したという話だった」

 「バンコラン魔法学院は私学の中で一二を争う有名校ですよ。『だけ』なんておっしゃいますが、リヒャルトさんも優秀な方じゃないですか」

 レトはコジャック医師の近くまで寄ると腰を下ろした。その隣にメルルが座る。

 「兄ふたりはともにメリヴェール王立音楽学院を出て、それぞれ演奏家として名を上げておる。噂でしか知らんが、リヒャルトは音楽的才能がからきしだったようじゃ。本人は努力して名門の魔法学院に進学したのだろうが、世間はまるで落ちこぼれているかのように話しておったな。ワシはそれが気の毒だと思って覚えておるんじゃ」

 「その話が本当なら、本人はつらい思いをしたでしょうね」

 「ワシには比較されるような身内はいなかった。誰かと較べられるなどということで苦悩したことがないから、ワシが気の毒などと思うのは思い上がりかもしれんがな」

 「他人と較べてどうかというのは、結局本人にしかわからない問題だと思います。特定の人物に劣等感を持つこともそうです。劣等感を抱かせた相手にしてみれば、悪気も悪意もありませんから、そう思わせたことに対して何もしてあげられません。勝負事で勝ちを譲ることも、謝罪することも、相手に対する侮辱にしかなりませんから。しかし、今話したことは別として、リヒャルトの失踪、あるいは死亡したとされる事件の背景に、家族に対する劣等感がからんでいるのかどうかは、調べる必要があるのかもしれません。先生から聞いた話と、リヒャルトが貴族主義へ傾倒していったことは繋がりませんが、彼の人物像を解き明かすことが事件解決のカギになるかもしれません」

 「は。すっかり、いつもの探偵に戻ったの。他人の事件にまであれこれ考え始めるとはな」コジャック医師は愉快そうに笑った。

 「もう、それは言わないでください」

 レトは苦しそうな表情になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ