第一話:双胴の悪魔と、不発のプライド
鼓膜を暴力的に震わせる金切り声のような爆音が、南太平洋の積乱雲を切り裂いた。
「敵機ッ! 後方、双胴の悪魔だッ!」
後部座席に座る、私の相棒である二飛曹(二等飛行兵曹)の若い偵察員、坂本鉄男が絶叫した。
避ける間もなかった。敵のP-38戦闘機が放った20ミリ機関砲の直撃弾が、私たちの愛機、九九式艦上爆撃機の右翼を根元から木っ端微塵に吹き飛ばした。
ドゴォォォンッ!
視界が強烈に反転する。
私は江田島の海軍兵学校を卒業した、誇り高き海軍航空士官、有馬二郎中尉だ。常に冷静沈着、模範的な軍人であらねばならない。操縦桿を必死に握り締め、暴れる機体を制御しようとしたが、片翼を失った機体はもはや、ただの不格好な鉄の塊だった。風防の奥には一瞬で黒煙とガソリンの生臭い臭いが立ち込める。
(――ここまでか。海軍士官たるもの、敵の捕虜になるくらいなら機体もろとも爆発して散るべし!)
私は歯を食いしばり、士官としてのプライドを胸に、大真面目な顔で自爆用の信管へと手を伸ばして激しく引き抜いた。これで燃料タンクが一気に爆発し、美しく散るはずだった。
だが、爆発は起きなかった。
私の引くレバーが甘かったのか、それとも激しいきりもみの衝撃で配線が最初から引きちぎられていたのか。自爆の術さえうまく操作できず、死ぬことすら思い通りにいかない。
「バ、バカなッ! なぜ爆発せん!」と私が焦っている間にも、狂った重力が迫る。私は慌てて風防を開け放ち、最下級の下士官である坂本二飛曹の襟髪を掴んで眼下の青い海へと身を投げ出した。格好良く散るはずが、無様に投げ出される格好になったのだ。
――ズガァァァンッ!
海面に激突した衝撃で世界が弾け、かろうじて膨らませたカーキ色の救命浮舟に這い上がった時、引き裂かれた飛行服の隙間から、私の生血が海水へと生々しく流れ出していた。
次の瞬間、私の隣で坂本二飛曹が、喉を掻きむしるような悲鳴を上げた。
「フカだ! フカがいるぞーっ!!」
彼の指さす濃紺の海中から、巨大なホホジロザメの影が、鋭い歯を剥き出しにしながら高速で浮上してくるのが見えた。あまりの巨体に、私は思わずため息をついて呟いた。
「……でかい鯨だな」
「あの……中尉、フカ(サメ)ですが」
坂本が引きつった顔で即座にツッコミを入れてくる。
巨大なフカの頭部が、ゴムボートの底をガチガチと凄まじい音を立てて噛み砕こうと迫り、私たち二人の身体が激しく跳ね上がった。
「落ち着け坂本二飛曹! 兵学校の教科書によれば、フカは目を狙えば退散する!」
私は叫びながら、腰の南部十四年式拳銃をビシッと引き抜いた。海水に濡れた銃口からボタボタと水滴が滴る。銃身の中に水が入ったまま撃てば、腔発を起こして自分の手が吹き飛ぶことくらい知っている。私は一度銃口を下に向け、ジャッと水を抜いてから、フカの濁った目を目がけて完璧なフォームで構え直した。
「喰らえッ!」
引き金を引いた。だが――カチッ、と虚しい撃鉄の音が落ちただけで、弾は出なかった。
海水が弾薬の隙間に染み込み、不発となったのだ。
「なっ、不発だと!?」と私が焦ってスライドを引こうとした瞬間、フカの強烈な体当たりを受け、私は拳銃を海の中へとポロリと落としてしまった。
「有馬中尉! 何やってるんですか!」
「し、静かにしろ坂本! 刀がある!」
私は即座に、飛行服の帯から海軍士官の証である航空軍刀を引き抜いた。シャキィン、と鋭い刀身が夕闇に鈍く光る。刀は海水に濡れようが、不発を恐れる必要はない。
「大丈夫だ、坂本! 私はハンモックナンバーこそ最下位だったが、運だけは誰にも負けないッ!」
「中尉、早く行きますよ!!」
坂本の必死の怒声が響く。まさにその時、ザザァーッ! と波を割って、頑強な手作りの竹筏が滑り込んできた。
筏の上に立っていたのは、南の島の先住民の少女だった。
彼女は戦いに来たのではない。ただ、日常の糧を得るために沖へ漁に出ていたのだ。
衣服は簡素な腰巻き一枚のみ。南洋の烈しい陽光に灼かれた肌は漆黒に輝き、濡れた独特の縮り毛が、潮風に激しく揺れている。
「フカ」の恐怖に狂いそうになっていた私たちの前で、彼女は言葉を発することなく、その強い眼差しで海中を激しく睨みつけた。そして、漁に使う鋭い銛を両手で握り直すと、野生的な跳躍とともに、ホホジロザメの鼻先へと猛然と突き立てた。
ドスゥッ! と肉を貫く凄まじい衝撃音と、フカの狂暴な尾ビレが筏を激しく叩く水柱。
「よし、私の強運を見せてやるッ!」
私は士官のプライドをかけてボートから筏へと飛び移ろうとしたが、足が滑って盛大に尻餅をつきながら、どうにか筏へと這い上がった。そして少女の銛が捉えたフカの脳天を目がけて、軍刀の両手持ちで渾身の力とともに突き下ろした。
刀身がフカの硬い皮膚を割り、骨を削る凄まじい手応えが、海軍士官である私の両腕を激しく痺れさせる。
フカの狂暴な尾ビレが筏を激しく叩き、血に染まった海が大きく沸き立つ。
自爆に失敗し、ハンモックナンバー最下位を叫び、無様を晒しながらも生き残ってしまった私と坂本の戦いは、この黒い肌の少女と、一振りの軍刀によって、ここから何度も繰り返される終わりのない死闘へと変わっていったのだ――。
(第一話・完)




