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第33話 紳士と鉄の蟻

 槌を振り上げる。そして、おろす。延々と猟銃に洗い矢を通し、金属ブラシを当て続けていたころを思い出した。どちらも傍から見れば単純作業だが、気を抜くことは許されない。だからそれに集中していれば余計なことは考えずに済む。この胸の奥にくすぶった罪悪感も、謎の熱も、今は忘れられる。そのはずだった。


「紳士はな、三つの腕を持っているんだ。」


 いつの間に、こんな過去の声を思い出すほどに、私は集中力を欠いていたのだろうか。ケンジー、と自分の名を柔らかく呼んでくれたこの声は、祖父の記憶だ。いたずらを成功させた子供のようなその顔が、全然紳士ぽくないな、なんて思ったのを覚えている。祖父はどこか変な人だった。


 だから私が後生大事に覚えているこの教訓も、きっと祖父が勝手に考えたのだろう。


「そんなに腕があったらおばけだよ。」


 私の反論に、祖父はからからと笑った。


「はは、そうだな。だけどそういう意味じゃないんだ。紳士の腕っていうのは、何かを守るための力のことさ。」


「悪い奴をやっつけるヒーローの話!?」


「いいや、ちがう。あくまでそばにいる何かを守る大人の話だ。」


 そう興味をなくすな、が次の言葉だった。当時の私はきっと露骨につまらなさそうな顔をしたのだろう。


「いいか。ケンジー。お前は三つの腕を持った大人になれ。一つ目は自分を守るために使う。もう一つはお前の一番大切なものを守るために使う。そして最後の一つを、」


 ――目の前の、困っている人に差し出せ。


 口から、それがこぼれた。ついに私は、鉄を打つ手を止めてしまっていた。


「間違っても人を呪うために使うんじゃないぞ、だったか。」


 私の腕は、大人になるにつれて三本生えそろった。経済という舞台の上で、私は自立し、家族を養い、そして気まぐれに誰かを助けるだけの力を蓄えた。私は確かに祖父の言う紳士だった。


 あの、赤い風が吹くまでは。


 経済という土台の上に築き上げた私の力は、その土台をひっくり返されてすべて無に帰した。私に修理を依頼する者はいないし、そもそも銃がない。その依頼でやり取りされる金銭さえも、価値を失った。工場に並んだ銃がことごとく歪んで壊れて、使い物にならなくなっていたのを見た時の無力感はきっと永遠に忘れられない。


 今の私に、腕は三本もない。ただ自分を守り、家族を守るので精一杯だった。だから筆頭パーティーにも必要以上に踏み込まず、もしうまくいったら自分と家族がより安全になるという打算のもとに参加した。そして、その利益以上に自分の死ぬ可能性の方が高いと分かって、すぐに身を引いた。家族に反対されたのは本当だが、それですぐにやめる決断をしたのはまぎれもない私だった。紳士でなくなった、腕を二本しか持たない、生身の私だった。


 槌を、再び振り上げる。


 私は今、何のために、こんなことをしているのだったか。自分を守るためか、それとも家族を養うためか、……あの危なっかしい少女を、サポートするためか。彼女らに武器を渡すべきか、などと口では悩みながら、私はすでに武器をつくり始めている。


 振り下ろした槌が甲高い音を出す。


 隣を見れば、私が処理し続けた素材が、炉のそばに作った木板の床を埋め尽くすように黒々と並んでいた。不遇と呼ばれ、誰もゲーム中で手を付けようとしなかった素材。こんなことをしているのは、私くらいだ。


 鉄鋼アリ。鉄の鎧で覆われたアリで、その金属は鉄に混ぜて使うことで圧倒的な強さを誇る不壊属性付きの武器となる。読んで字のとおり耐久値というパラメータの存在しない、いかなる衝撃でも壊れない武器。


 だが問題は、この素材がアリであることそのもの。サイズは普通の小さいアリと変わらないこの幻生生物を必要量集めるだけでも一苦労であるし、さらに素材を分離するために一匹一匹処理しなければならない。そうしないと素材としての効力を失う。これには途方もない時間が必要だった。その時間があれば攻略を進めて、他の有用な素材を探すのがいい、というのが主な意見だった。私だってゲーム本編ではすぐにあきらめた。


 それを今、私は一心不乱に叩いている。筆頭パーティーに入って鍛冶師になると決めてから、パーティーを抜けた今も私はアリを見かけるたびに集めてきた。ゆっくりと進む、だが確実にブレーキの壊れた車が、今の私を例える最適な言葉だろう。やがて、鉄鋼アリの金属片が山と積み重なる。必要十分だ。日が暮れている。ふらりとめまいがする。その私を、妻が支えた。


「やりすぎよ。」


「すまない。」


 遠く、ざわざわとこずえの擦れる音がした。迫りくる世界樹の森の音。その小さい音が聞こえるくらい、まっさらな沈黙だった。


「私は、行かなければならない。」


 口をついて出た言葉。身の程も知らない、愚かな言葉だった。だが。だが森に向かった彼女らもまた、危なっかしくてしょうがないじゃないか。


「やめてと言ったはずよ。」


 妻の青い瞳が強く私を射抜いている。


「でも同じね。」


 ……?


「こんな風に無茶して過労で死ぬくらいなら、どこかの森で野垂れ死んでくれた方がまだましだわ。どっちも死ぬのが同じなら、目につかないところにしてちょうだい。」


 ……ああ、酷いことを、言わせてしまったな。


「君はジョークが下手くそだな。」


「ジョークじゃないわ。他の女に会いに行く夫にかける言葉なんてこんなもんよ。」


 ……。


「そんな捨てられた犬みたいな顔しないでよ。」


 妻が笑う。


「私が悪いみたいになるじゃない。」

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