マクスウェルの秘宝『蜜』
――魔法西暦1400年 冬――
世界を踏破した大魔法使いマクスウェルが旅の途中で見つけた特殊な魔道具。
『マクスウェルの秘宝』がこの世界に散らばっていた。
現代の魔法では作成、再現、模倣できない。
悪用する者の手に渡らたないためにその存在を管理する組織があった。
『風の一族』。
組織の発足は魔法西暦1200年代後期。
二人の魔法使いが立ち上げた秘密組織。
一般に公開されている情報はわずか。
構成員数不明。
組織系統不明。
目的、マクスウェルの秘宝の秘匿管理、回収、発見、研究。
秘匿管理の担当構成員は各国の官僚のポストに就き情報操作。
研究の担当構成員は解析魔法に特化した魔法使いが担当。
一方、発見、回収については幅の広い魔法使いを取り揃えていた。
これから紹介する二人は風の一族の回収・発見を担当する魔法使いだ。
「先輩、まだつかないんですか?」
「もう少しのはずだ」
少しサイズ大きいローブを纏い、派手な色の長髪を頭の後ろで一つに結んだ少女――ビビッド・オルガナ。
ビビッドは我慢の限界を告げた。
無精ひげを生やした中年の魔法使い――サウス・マキリ。
サウスは乱れたウェスタンハットを直す。
サウスはビビッドをたしなめるように答えた。
「ビビッド、まだ感じないのか?」
「感知範囲外。もう疲れたー。先輩おんぶしてください」
ビビッドはサウスの背中に覆いかぶさるように乗りかかった。
サウスは振り落としてもよかった。
これ以上ビビッドが機嫌を損ねてそれに付き合わされるのも憂鬱だった。
サウスはそのままビビッドを背負った。
ビビッドは広範囲で魔力を感知することができる優秀な魔法使いだ。
魔力感知ができる魔法使いは珍しくない。
ビビッドの範囲は常人の感知範囲をはるかに超える。
そのビビッドが感知できていない。
つまり目的の場所から離れているということになる。
「ったく、なんでこんなチンチクリンのガキが組織の試練に受かったんだよ。今度から試練に面接も入れるべきだな」
「誰がちんちくりんですか! 私こう見えて大人のレディですから」
「こりゃ、筆記試験も追加だな」
ビビッドの戯言にサウスは大きくため息をついた。
「本当にこんな場所に秘宝なんてあるんですか?」
「ああ、研究班の調査だとこの辺りにあるらしいぞ」
「その、『蜜』でしたっけ? どんな秘宝なんですか?」
「俺も詳しくは聞かされてねえ。ただこの地方にあるってことだけしか聞かされてねえんだ」
研究班から聞かされた秘宝『蜜』についての情報はほとんどない。
この地域にあるとしか事前の情報はなかった。
普段はもう少し研究班から秘宝についての情報がある。
なぜか今回だけはなかった。
サウスは本来ならば単独で秘宝の回収が可能な実力者。
情報がないということで今回だけビビッドと組む羽目になった。
地図を片手にビビッドを背負ったまましばらく歩く。
ビビッドの愚痴に付き合って歩くこと数時間ようやく人のいそうな集落が見えてきた。
「お、集落だな」
「ホントだ! ようやく手がかり掴めそうな場所に着いた!」
「そうだな、一旦別行動で集落の人から情報を集めるぞ」
「はーい」
ビビッドはサウスの背中から勢いよく飛び下りて集落へと走っていった。
サウスは徐々に遠くなるビビッドの背中に向けて注意を促す。
「おい、くれぐれも外部に秘宝の話すんじゃねえぞ!」
「わかってますよー」
ビビッドの背中がどんどん小さくなっていく。
走り去っていくビビッドの後ろ姿にサウスは不安しか感じなかった。
「本当にわかってんのかねぇ、あのおてんば娘は」
少し気が思いやられるサウスだった。
サウスはそれとは別に気がかりなことがあった。
あったはずだった。
だがそれはビビッドのおてんばさに持っていかれてしまった。
「さて、今回の秘宝はどんなものやら」
サウスは顎の無精髭をいじりながらビビッドの後を追うように集落へと向かった。
集落内を歩いていると現地民と頻繁に行き交い、集落は想像よりも活気に満ちていた。
街とも言い難いが村としてはかなり規模の大きいような印象を受けた。
サウスはビビッドが手当たり次第に情報を取ろうとしていると予想した。
一度歩みを止めて、周りをぐるりと見まわした。
「なんか、やたら変な作りの集落だな」
棚田のように山の上の方まで居住のための家が建っている。
家の外観の古さを見ると、山の上の家の方が古い。
下の方になるにつれて新しく建てられた家のようだ。
「上の方が古いなら、上に行くべきか」
サウスは一人ぼやきながら集落の上の方へ向かった。
石の階段を上がろうと一段目に足をかけた時に後ろから声をかけられた。
「ちょっと、あんた。あんまり上の方はいかない方がいいよ」
初老くらいの女性は心配そうにサウスに忠告した。
サウスは帽子を取り恭しくお辞儀をした。
「ご婦人、ご忠告ありがとう」
忠告をしても登ろうとするサウスを初老の女性はそれ以上引き留めることはなかった。
「気を付けるんだよ。上の方はその、不気味だから」
サウスは歯切れの悪い言葉に何やらただ事ではない印象を受けた。
サウスは心配そうにこちらを見る初老の女性に胸を張って言う。
「こう見えても俺強い魔法使いなんでね」
サウスは自信ありげに笑って見せた。
サウスはその笑みとは裏腹に一向に姿の見えないビビッドの行方が気になった。
ビビッドの性格を考えると、いつまでも一人で行動させておくのは得策ではない。
組織にとってもサウス自身にとっても。
サウスは集落の上に向かう前に魔力感知でビビッドを探した。
サウスの魔力探知はビビッドのような先天的な才能ではない。
サウスの類まれない魔力操作の才能で実現させた。
「ああ、俺の雑な感知じゃあいつの魔力拾えないか。ったく足は使いたくねえんだよなぁ」
サウスは気だるげに魔力感知の範囲を広げながらビビッドの魔力を探した。
しばらく足を使って探しているとサウスは徐々に違和感を抱き始めた。
それは、勘のようなとても曖昧で不確かなものだった。
とてもあやふやで証拠のようなものもない。
だがサウスは自分のそれを信じた。
「やっぱ変だな」
そろそろ魔力感知の範囲を考えると下の集落内をくまなく探したことになる。
それだというのにビビッドの魔力が一向に感じられない。
いくら魔力感知に長けていないとしてもおかしい。
半日以上一緒にいた彼女の魔力がわからないほどサウスは未熟な魔法使いではなかった。
「あいつの魔力がどこにもねえな。まさか集落の外にいったんじゃ」
さすがにそこまでぶっ飛んだ女だとは思いたくないサウスだった。
否定しきれなかった。
「ったく、本当にどこまで行ったんだ。あの小娘」
これ以上探していない所は最も古そうな集落の頂上の方になる。
視線を集落の上の方へ向けたサウスは大きなため息をついた。
「鬼が出るか蛇が出るか、嫌だなぁ。どっちも面倒くせえ」
サウスは集落の上に何かがあると確信していた。
やれやれとダルそうに石の階段を上がっていった。
何が楽しくて面倒な場所へ向かわないといけないのか。
思えば組織に入るきっかけとなった時も面倒ごとに巻き込まれたのが原因だった。
サウスの故郷は遥か東にある少し特殊な国。
その国は人の役に立つ魔法よりも戦うための魔法を主に評価される特殊な国だった。
サウスも特殊な環境下で育ち、他の魔法使いに比べれば十分戦いに特化した魔法使いだった。
それでもその国の中ではうだつが上がらない凡人だった。
青年時代のサウスが組織に入るに至った原因はその国で宝と奉っていた鎧だった。
サウスはどうしても面倒ごとから逃れられない自分の運命を憂いた。
集落の頂上部へ差し掛かった時異様な魔力を感知した。
この時代のものではない特殊な魔力。
それは秘宝が纏う独特な魔力だった。
「なんだ、こりゃ」
異様な魔力を感じた直後サウスは信じられない光景を目の当たりにした。
集落の頂上部よりもさらに上が存在していた。
さらに上は巨木のうっそうと茂る森だった。
それは絶対に集落の下からであれば必ず見えていたはずの景色。
それがこんなに近くにならないと見えないのはおかしな話だった。
様々な不気味なものを見てきたサウスも驚きを隠せなかった。
「これも秘宝の力なのかね」
「これは違いますよー」
「なんだ、いたのか」
突然現れたビビッドに内心驚きながらも、サウスは平静を装った。
どおりで姿も見えない魔力も感知できないはずだった。
ずっと秘宝の魔力に感知を邪魔されていたのだ。
見つかるはずもない。
「来るの遅いですよ」
「お前が来なかったんだろうが」
サウスは目の前にいきなり現れた森林に目を向けた。
「秘宝か?」
「多分ですけど。私の魔力感知の範囲でも全体像が把握できないから多分樹海が秘宝なんじゃないですか?」
「いや、マクスウェルは分かりづらい名前はつけねえ。今までの傾向からして蜜ってのはマジで蜜みたいな液体のはずだ」
マクスウェルが見つけた秘宝の名前は絶対に見た目を重視して付けている。
サウスはこれまでの回収任務の経験からその確信があった。
それよりもサウスは不可解なことがあった。
ビビッドの魔力感知でも全体がつかめなかった理由はなんだ。
「一旦森を見てみるか」
森は足を踏み入れたら二度と戻ってくることができなさそうな雰囲気を持っていた。
遠目から見ていた時は気づけなかった。
近づいてみてその異様さをサウスとビビッドは体感した。
森の木々はまるで鉄のような鉛色をしていた。
触った感触も植物らしさもなく人工物のようだった。
「なんじゃこりゃー」
ビビッドは巨木を見上げて驚きの声を上げた。
それもそうだ。
うっそうと生い茂る樹海の木々は全て同じ高さ。
同じ幹の太さ。
全て均等に育った木々しかない。
更に問題は秘宝がこの樹海のどこにあるかということだ。
「蜜、蜜ねえ」
サウスは無精ひげをいじりながら巨木を見た。
サウスは自分の勘を頼りに何とはなしに扉をノックするように巨木を叩いた。
おおよそ木を叩く音とは思えない音がした。
空耳を疑ったサウスは巨木に耳を当ててノックした。
するとコポっと巨木の中で気泡ができる音が中から聞こえた。
サウスの勘は確信した。
「おい、ビビッド。秘宝はこいつの中だ」
「え⁉ これの中ってどうやって取るのさ」
「そりゃ俺らの考えることじゃない、研究班がやることだ。一旦報告入れるぞ」
サウスが報告用の魔法を使おうとした時。
二人の目の前にゾロゾロと集落の人間が集団で現れた。
「オメラムラノヒミツシッタイカシテカエサネ」
集団の先頭に立っていた男が何かを話していた。
カタコト過ぎる言葉にサウスは意味をうまく理解できなかった。
言葉は分からずともその雰囲気で状況があまり良くないことを察した。
集落の人たちの眼光は鋭く人間とは思えない目の色をしていた。
「先輩ヤバいっすよ」
組織に入る際の試験には戦闘能力の試験も含まれている。
ビビッドの能力のことを考えると戦闘能力は期待できなかった。
「ビビッド、俺の後ろにいろ」
サウスはビビッドを自分の後ろへ下がらせて戦闘態勢へと移行した。
サウスの故郷である遥か東の国の魔法使いは個々が戦闘に特化した特殊な魔法を使う。
サウスの戦闘経験はそこらの魔法使い達よりもはるかに豊富だった。
戦闘に特化していない魔法使いであるなら余裕で圧倒できる。
そう思っていたことをサウスは次の瞬間に後悔した。
不気味な動きですぐに距離を詰められ、農具を振るわれた。
魔力を持たない魔法使いとは思えない。
不気味な動きにサウスはビビッドを庇いながら後退した。
「なんすか、あいつら。普通の人じゃないですよ」
ビビッドも彼らが普通じゃないことを察したらしい。
ビビッドは底の見えない不気味さに震えていた。
「チッ、そういうことか。こいつら秘宝に冒されてやがる!」
前例がなかったわけではない。
秘宝の力を取り込んだり、秘宝の影響を受けたりした魔法使いが異常な身体能力や特殊な力を手に入れるというのは回収組の報告書でもよくある話だった。
「先輩どうにかならないんですか⁉」
「こうなったら、殺るしかねえ」
「でも、この人たちは普通の人間ですよ?」
「秘宝に冒された以上戻らねえ。どうにもならねえんだ」
蜜が一体靭帯にどんな影響を与えているかは分からない。
ただ今襲ってきている集落の人間全員が秘宝を口にしたと考えるのが妥当だった。
「やるしかねえのか」
サウスは手で自分の顔を覆った。
ゆっくり顔を覆った手を下ろすとサウスの顔に悲壮な表情をした鬼のお面が現れた。
「『面相憑依・修羅』」
サウスの魔法は彼の国に伝わる童話の登場人物の力を借りる魔法。
完全にランダムで童話の登場人物を模したお面を被り、被ったお面によって様々な力を発揮する。
サウスが自分の被った面を自覚するのは顔にお面が顕現した時。
修羅の面が現れたのを自覚したサウスは仮面の下で複雑な気持ちになった。
「ったく、なんでよりによってこの面なんだよ」
修羅の面はいくつかある面の中でもかなり凶暴だった。
物語では温和な鬼が大切なものを傷つけられて鬼から修羅へと変わり、傷つけた者たちを凄惨に屠る。
人を殺すことに特化した面だった。
「先輩?」
ビビッドはさっきまでとは明らかに違う雰囲気を纏ったサウスに戸惑った。
「離れテロ」
その言葉は警告のようだった。
ビビッドはできるだけサウスから距離を取り、巨木の後ろに隠れた。
そこからは惨劇だった。
常人離れした動きと速さで近づいてくる集落の人々を千切り、潰し、折り、雄叫びのような悲痛な叫びがしばらく続いた。
声が聞こえなくなると人の一部だった残骸が散らばっていた。
鮮やかな緑色だった地面は濃い赤色で染まっていた。
硬い地面は少し歩くと柔らかい何かを踏む感触が足に伝わってきた。
屍の山に佇むサウスは肩で息をしていた。
「先輩……?」
ビビッドは巨木の影から恐る恐る声をかける。
サウスはゆっくりとビビッドの方へ顔を向けた。
襲われる恐怖を感じた彼女は彼からの反応があるまで巨木の影からでることができなかった。
「よう、悪かったな。気持ちわりいもん見せちまって」
バリバリと割れた仮面の下の顔を見てビビッドは安心した。
だいぶ疲弊した顔をしているが、いつものサウスだった。
「先輩! 大丈夫ですか? 怪我とかないですか⁉」
「ああ、大丈夫だ。それより、魔力が切れちまって報告用の魔法が使えねえから、代わりにやってくれ」
「任せてください!」
サウスからのお願いが嬉しくてビビッドは張り切って報告用の魔法を準備した。
「うっわ、服まで血まみれだ。これだから、修羅の面は嫌なんだよ」
「先輩、これって蜜のせいなんですかね?」
ビビッドは報告用の魔法を用意しながら、返り血を浴びた服を絞るサウスに問いかけた。
サウスは神妙な顔をして彼は答えた。
「こいつら皆身体が想定以上にやわかった」
サウスは死体の中から顔面がギリギリ形を保っているものを拾い上げた。
「推定年齢三百歳で人並み外れた身体能力。そんな人間この世にはいねえ。『蜜』は恐らくそれを可能にできる秘宝なんだろうな」
「三百歳⁉ 長寿種族じゃないですよね?」
「ああ、ここの人たちはそういう種族じゃねえ。エルフでもねえ」
ビビッドはここである疑問が浮かんだ。
「秘宝って誰が何のために作ったんだろう」
「そりゃ、分からねえ。だが、こんなものがあるせいでおかしなことが起きたりしてる。俺らはそれを管理して少しでも一般人が安全に暮らせるようにしなきゃならねえ。余計なことは考えるな」
「先輩って、意外と真面目なんですね」
「意外は余計だ。そら、早く報告しろ」
「はーい」
元気な返事と共に澄んだ空に派手な色の鳩が羽ばたいた。
――魔法西暦1401年 春――
「ったく、なんでこうなるかねえ」
サウスは組織から来た通達を見て大きなため息をついた。
受け入れがたい現実に嘆くサウスとは違い、多くの人が行き交う噴水の広場では子ども連れやカップルたちが楽しい時間を過ごしていた。
幸せな雑踏の向こうから見慣れた悪夢が手を振りながら走ってくるのが見えた。
サウスは覚悟を決めた。
「せんぱーい!」
聞き覚えのある騒がしい声と派手な髪色の女が慌ただしく手を振っている。
サウスをどうかこの現実が夢であってくれと願う。
サウスの切実な願いを裏切るように近づいてきたのはビビッドだ。
ビビッドはベンチに座るサウスの目の前で立ち止まり敬礼をした。
「本日からパートナーとして一緒に行動を共にするビビッド・オルガナです! 得意な魔法は魔力感知です! よろしくお願いしますね。先輩♡」
「あー、よろしくな。ビビッド」
やる気のないサウスの態度にビビッドは頬を膨らませて不機嫌を表した。
「嬉しくないんですか⁉ こんな可愛い子と一緒に行動できるんですよ⁉」
「いや、自分で言うことじゃねえだろ」
「でも否定しないんですね」
「うるせえ。行くぞ」
サウスは勢いよくベンチから立ち上がった。
不機嫌そうに歩き出すサウスの後ろをビビッドは嬉しそうについていった。