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鏡の世界  作者: 現野翔子
序章

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まだ一仕事

 全ての買い物を終えて、店を出る。荷物の半分以上を栄先輩が持ってくれていてなお、私も両手に袋を下げて歩かなければならないほどの量だ。


「意外と早かったね。女性の買い物は長いものだと思ってた。」

「おしゃれが趣味の人は長いでしょうけど。今日は必要な物をたくさん買わないといけないんですから、直観で気に入った物を選ぶだけでした。」

「確かに君は即決だったね。」


 お母さんと二人で買いに行けば一着を決めるのにもっと時間がかかる。私の着たい服とお母さんの着せたい服の趣味が異なるせいもあるだろう。家に似たような服がないか思い出す必要もある。今日は何もないため、数を揃えることを最優先にして、素早く決められた。


「帰ったらこれのタグ外して、タンスに片付けて。」


 本当は一回洗濯してから着たいけど、そうすると明日の着る物がなくなる。時計や櫛なども買ったため、それらも片付けないといけない。収納箱などはないけど、最低限の家具自体は揃っていたことが救いだ。

 帰ってからの段取りを考えるけど、もう頭も体もくたくただ。だから買い物は好きではない。


「大変そうだね。」

「いえ、大丈夫です。」


 私の物しか買っていないのに付き合ってもらっている形だ。荷物も半分以上持ってもらっている。それなのに私が疲れたと言うわけにはいかない。買ってもらったクッションで少し休憩すれば、片付けの元気も出てくるだろう。


「明日、明後日は留守番をしてもらうことになるから、ゆっくり休んでて。」

「どこかに出かけるんですか?」

「明後日が修了式なんだ。昼には戻るよ。」


 学校に通っているのは本当のようだ。一人で留守番か。自分の家にいた時は電話が鳴っても来客があっても出なくて良いと言われていたけど、ここではどうなのだろう。身分証ができるまで外出を控えるなら、むしろ出ないほうが良いのだろうか。

 余計な体力を消耗しないよう、黙って歩く。こんなに色々自分で用意したことなどないから、しっかり考えておかないと無駄に時間を過ごしてしまいそうだ。タグを切るための鋏はどこにあっただろう。自分の部屋を掃除している時には見当たらなかった。居間のローテーブルには乗っていただろうか。

 布団も用意しないといけない。夜には届くということだから、寝るまでゆっくりする時間はあまりないだろう。


「君の誕生日は?」

「へ?五月十五日ですけど……」


 突然なんだろう。そう思い、栄先輩の誕生日も聞いてみるけど、それに対する返事はなく、生年も聞かれた。


「なんですか?」

「この後必要になる情報だよ。」


 それだけで終わり、詳しく説明するつもりもないようだ。そのため、また片付けの手順を考えつつ歩いていると、いつの間にか家に着いていた。居間の床に荷物を置いて、ローテーブルの上をゆっくり見る。何も書かれていない紙に、黒のボールペン、ホッチキス、定規などが並ぶ中に、鋏も混ざっていた。


「鋏、借りてもいいですか?」

「好きに使って。」


 荷物を私の横に置いてくれるけど、上着も脱がないままパソコンを確認している。私は私の用事を済ませようと、袋の中からクッションを探し出し、タグを切る。抱き締めてソファに寝転べば、少し自分の家のような気分になれた。


「俺は少し出かけてくる。三十分ほどで戻るよ。」


 朝、鏡を拭いていたということは、今日は家の掃除をする予定だったのだろうに、大きく変更させてしまっている。だけどこれは栄先輩が私の手を引っ張ったせいからだから気にしなくても良いか。

 帰って来るまでには作業を始めよう。そう決意し、少しだけ目を瞑った。




 ガサガサと袋の音がする。カチッというような、パチッというような、何かを切る音もしている。お母さんがまた何か作ってくれているのだろうか。今朝は確か洗濯ネットを繕っていた。

 そこで思考が少し晴れた。鏡を抜けて来たのだから、ここにお母さんはいない。


「ごめんなさい、寝てました。」

「お疲れだね。」


 栄先輩が服のタグを切ってくれている。机には五時を指す時計もある。なぜか二つも選ばされた時計だ。


「甘い物でも食べる?冷蔵庫にシュークリームが入ってるから。」

「はい、ありがとうございます。」


 足元に気を付けて、台所へ向かう。栄先輩の隣に綺麗に重ねられた服の量を見ると、帰って来てから随分長く寝てしまっていたようだ。

 一人用の小さな冷蔵庫の中は豊富だ。しかし、私の家なら常備されているビールも化粧水もなく、野菜や肉類など本当にお腹を満たす食事のための物ばかりだ。それなのに日本酒は入っていた。未成年の一人暮らしで日本酒なんて買えるのだろうか。

 あまり詮索するのは止めておこう。私の拳ほどの大きさのシュークリームを取り出し、居間に戻る。栄先輩はまだタグを切った服を綺麗に畳み直してくれていた。


「なんかお母さんみたいですね。」

「何が?」


 シュークリームは甘くて美味しい。中身はカスタードクリームだ。生地の部分も食べ慣れた物より美味しい気がする。疲れているからだろうか、それとも少し良い物を買って来てくれたのだろうか。


「床に座って、洗濯物を綺麗に畳んでくれてるのが。うちのお母さんも夕方になると洗濯物を取り入れて、家族の分をそれぞれに分けて綺麗に畳んでくれてるんですよ。」


 今は私の分のみだけど、肌着、半袖、長袖、上着、ズボンと分けて置いてくれている。


「洗濯をする人ならおおよそ同じ状態になるよ。」


 普段、自分で家事をしていないことが分かってしまっただろうか。炊事洗濯の全てをお母さんが担ってくれていた。食事はお父さんが作る日もあったけど、基本はお母さんだった。私は材料を刻んだり、すりおろしたりと手伝う程度だ。

 シュークリームの最後の一口を食べ終えて、袋をゴミ箱に捨てる。自分も片づけを始めないと。まずは机に乗ったままの時計類と鞄を持って上がろう。


「ああ、待って。学校に持って行く物は鞄に入れてまとめて置くといいよ。」

「学校に持って行く物?」


 そういえば今日は生活に必要な物を中心に買っていた。鉛筆やノートは一切ない。まず入れるかどうかも問題だけど、そこは考えないようにしよう。


「説明がまだだったっけ?君が行くことになる学校は全寮制なんだ。」

「え?じゃあこの家は?」


 ここから通う気でクッションを選ばせてもらったのに、前提が崩された。というか、全寮制ならここに家を借りる必要はないだろう。確かに、鏡越しに栄先輩を見た時が平日だったことは少なかったかもしれない。


「週末や長期休みに帰って来る家だよ。だから時計を一つと、そのほか要りそうな物を選んで。」


 旅行の用意も基本、母がしてくれていた。今日買った物全てではないのなら、どう分配すれば良いだろう。この家で過ごすのが週に二日なら、持って行く物のほうが多いだろうか。長期休み、春休みの間過ごすことを考えるなら、半々で良いだろうか。

 だからやたら選ばされる服の数が多かったのか。外出着を少しと部屋着と考えて選んだため、どれを寮に持ち込む服にするかも迷う。


「寮って二人部屋ですか?」

「クラスによる。試験結果で割り振られるから。SクラスやAクラスは一人部屋。君ならたぶんそこだね。」

「それは、結果がいいほうが、そのクラスですか?」

「そうそう。」


 期待値が高すぎる。私はどんな試験が待っているかさえ知らないというのに、そんなに期待されても困る。


「そんなに心配しなくていいよ。鏡の向こうにいた時からこっちが見えてたみたいだし、体調も崩さなかったからね。」

「ええ、まあ。抜ける時に水面から顔を出したみたいな感覚はありましたけど。」

「なら大丈夫。」


 水面とは例えたけど、息苦しさがあったわけではない。鏡を抜ける適性が重要なのだろうか。

 それは置いておき、支度に戻る。一人部屋なら部屋着でも良い。いや、食事や風呂は共同空間になるだろうから、やはり自宅で着るような楽過ぎる部屋着は避けよう。今日は他に服がなかったから仕方なく、ズボンだけなら楽過ぎる見た目でもなかったはずだ。


「入りきりません。」

「だろうね。ごめん、スーツケース忘れてた。」


 畳み終わった服を重ね、二階に上がって行った。待っている間にも持って行く物を分けておこう。寮なんて初めてだから何が必要かも分からない。バスタオルなどは個人所有なのだろうか。シャンプーやリンスは、ドライヤーは。次々と必要なのか分からない物が思いつく。布団類は用意されているはずだ。勉強机もあるだろう。そうだ、携帯電話はどうだろう。ああ、鏡の向こうだ。持っていれば鏡の向こうの家族に連絡を取れたのだろうか。

 考えるばかりで手の止まった私の所に栄先輩が戻って来る。


「埃は払ってきたから、問題なく使えるよ。」

「ありがとうございます。あの、電話とかって鏡の向こうに通じるんですか?」

「通じない。鏡が電波を遮っちゃうらしくて。」


 持っていたとしても連絡は取れなかった。取れた場合は持っていないことを悔やんでしまいそうなため、これで良かったのかもしれない。


「寮のお風呂の物って共有なんですか?」

「大浴場を利用するなら共有の物も使用できる。Sクラスなら部屋に風呂も付いているから、その場合、石鹸類は個人の物のみ使うことになるね。」


 学校の寮が個室で、お風呂まで付いているのか。それもSクラスの生徒のみ。差を設けることで勉強などへの意欲を高めるつもりなのだろうか。それにしても差が大きすぎて、問題視する人も出てきそうだけど、今まで問題なかったのか。


「石鹸類は購買でも買える。化粧水や日焼け止めも。その他の化粧品は置いてないけど、すること自体は禁止されてないよ。」


 私には必要ない物だ。これ以上荷物も増やしたくない。


「下着や肌着も種類は少ないけど、一応置いてる。」


 緊急で必要になった場合に備えられているのだろう。ぎりぎりの枚数しか用意しない人だっているのだから、破れたら替えがないなんてことも起きるだろう。私は余裕を持って入れておこう。

 私がスーツケースに入れ始めたのとほぼ同時に、買った物のタグをほとんど切り終えた。


「あとは大丈夫そうかな。いつも夕食はどのくらいに食べてるの?」

「だいたい六時過ぎたくらいに食べてます。十時頃に寝るようにしているので。」

「健康的な生活だね。ならそれくらいに食べられるように用意しておくよ。こっちは気にしないで片付けてて。」


 おかげで友達の話すテレビの内容についていけないこともしばしばあった。それでもその生活を改めようとは思わなかったため、自然と聞き役に徹することが多くなっていた。

 綺麗に畳まれた物をスーツケースに入れるだけならさほど時間もかからない。後は下着と袋に手を伸ばせばタグが付いたままになっている。当然だ。確認する前に気付くべきだった。タグを外しつつ入れれば、用意は完了だ。スーツケースに入れなかった分は二階に持って上がる。何往復かしてようやく、机の周りはすっきり片付いた。まだスーツケースは残っているけど、少し休憩だ。

 またクッションを抱えてソファに寝転ぶ。戻ってきたら場所を空ければ良いだけだ。その栄先輩は台所で何かを刻んでいる。リズミカルで、調理に慣れているようにも感じられる。一年間、それも週の大半を寮で過ごしていても、そんなに慣れるのだろうか。私はやっていないから分からない。高校生なら、ここに引っ越してくる前は両親と一緒に住んでいただろう。


「そういえば、栄先輩。さっき長期休暇の時にもこの家に帰ってくるって言ってましたけど、実家には帰らないんですか?」


 栄先輩の前に見たのは老婆一人だ。同時期に見た覚えはなく、入れ替わるようにして映っていたため、その人とは関係ないだろう。


「うん、帰ってないよ。それと、学校ではくれぐれも家族や親族の話をしないように。聞き返された時、君は鏡の向こうの家族について話せないよね?」

「はい、気を付けます。」


 私が話せないことという意味なら出身地の話もできない。今住んでいる所くらいか。


「もし誰かに家族関係を聞かれたら、俺と遠縁とだけ言って、目を伏せるといいよ。きっと察してくれる。」


 他にはいないという意味を含ませるのか。いないと言うよりは罪悪感が少ないけど、栄先輩と遠縁という時点で嘘だ。それは吐かざるを得ないけど、上手に騙せるだろうか。


「頑張ります。」

「そう警戒しなくても大丈夫。しつこく聞いてくる奴がいるなら俺に口止めされてるって答えてもいい。それ以上は教えてくれれば俺が対処するから。」


 他にも試験に関することや今後の生活に関することなど、不安を和らげるような話を続けてくれた。


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