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鏡の世界  作者: 現野翔子
第一章:葉月実

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ピクニック

 舗装された道も獣道もない場所を進んでいく。私にはもう自分がどこにいるのか分からないけど、前を行く葉月くんは迷いのない足取りだ。


「あっ、いた。零、お待たせ。」


 どこから持って来たのか分からない大きなバナナの葉のような物の影から、小さな女の子が這い出てきた。服も綺麗で、顔色も良い、健康的な子だ。私を見ると、すぐ葉月くんにしがみ付いた。


「今日は友達を連れてきたんだ。花房羽衣さん、この人は大丈夫だよ。」


 安心させるような優しい声色で、持っていたバスケットも置いて、頭を撫でてあげている。零ちゃんは人見知りなのかもしれない。私も少しだけ近づいて、屈んであげた。


「初めまして、花房羽衣だよ。今日は、葉月くんとあなたと仲良くなりたいの。お話ししてくれるかな?」

「羽衣は実のこと、いじめない?」


 他の人には何かされているのだろうか。教室に行けば分かることだ。幼い子に聞くことでもない。


「いじめないよ。だって友達だもん。だけど、まだ会ってから短いから、たくさんお話しして、仲良くなりたいの。」

「じゃあいいよ。零と実の秘密基地に入れてあげる。」


 先ほど出てきた葉の中に戻っていくが、今度は頭を出して手招きしてくれる。私も四つん這いで入るけど、内部は意外に広く、三人で寝転べそうなほどだ。地面にも大きな葉が何枚も敷かれていて、土で汚れないようにされている。木の棒で天井と壁が支えられ、少しの雨ならここで凌げそうだ。傘や懐中電灯まで置かれていることが気になるが、雨の日もここに来るのだろうか。

 零に並んで座れば、バスケットが入れられ、続いて葉月くんが隣に座った。


「いいだろ、ここ。禁域には届かないけど、狼寮から真っ直ぐ南に降りた線よりは西にあるから、誰も来ないんだ。暖かい時期なら泊まれるくらい。」

「寒い時でも実は来てくれるよ。」


 風も少しは防げるだろうけど、寒さは大して変わらないだろう。雪でも積もればすぐに潰れそうだ。秘密基地というからには零も別の場所に住んでいるのだろうけど、生徒でないならどこで生活しているのだろう。寮に入っているのだろうか。


「そうなんだ。ねえ、零はいつもどこにいるの?」

「色んな所。実と一緒にいるの。時々実のお部屋に泊めてもらうの。だけど、あんまり他の人には会いたくないの。」


 これは追及しないほうが良い話題だろう。きっと零にとって、おそらくは葉月くんにとっても嫌なことがあったのだ。


「あっ、でもね、千尋は別。実の悪口を言わないの!抱っこもしてくれるんだ。絵が上手でね、私のことも可愛く描いてくれたの。」


 つまり、他の人は葉月くんの悪口を言うと。こんな子の前で聞こえるように言うなんて信じられない。自分を可愛がってくれることよりも先に出て来るということは、他の人の大半が零の前で言っているのだろう。そしてその違いが零にとっては重要のようだ。


「へえ、そうなんだ。ねえ、その絵って私にも見せてもらえる?」

「今はないの。ちゃんと宝物入れに隠してるから。また今度、持ってくるね。」

「ありがとう。」


 また今度、会ってくれるようだ。そして笑顔でその宝物も見せてくれると言ってくれた。何か信用を得られたのだろうか。


「実も絵は描いてくれるんだけど、あんまり上手じゃないから。私のほうが上手かも。羽衣は絵、描くの好き?」


 私も絵は苦手だ。図になると高評価をもらえるくらいには描けるけど、絵として綺麗なものにはならない。特に生き物の絵は苦手だ。直線ばかりで描ける物なら、まだ見られる図にはなるのだけど、影などをつけられはしない。

 好きかどうかで言われると迷う。嫌いではないが、好きでもない。自分から描くことなどほとんどなく、授業で描かされることばかりだ。


「どうだろう。嫌いではないよ。あんまり描かないから分かんないや。」

「じゃあ今度、千尋の部屋で一緒に描こ?」

「うん、そうしようか。」


 クラス全員に見せたり、廊下や教室に掲示したりするわけではないなら、描いた物を見せることにも抵抗はない。この小さな零よりも下手らしい葉月くんもいるなら安心だ。私と同程度かもしれない。

 しかし、葉月くんの部屋ではなく、柊木先輩の部屋なのか。絵の描き方を零は教わっているのだろうか。


「零は柊木先輩に絵を教わってるの?」

「うん、色々教えてくれるの。実も勉強教えてもらってるよね。」

「まあ、そうだね。答えは教えてくれないけど。」


 当たり前だ。答えだけ聞いても理解できない。同じ問題でまた分からなくなってしまうだろう。解き方を教えてくれるほうがよほどありがたい。


「でもね、人が通る時間に千尋の部屋に行くのは、実の部屋に行ったら嫌な人に会うかもしれないからなの。」


 悪口を言う人だろうか。Sクラス男子の誰かになる。その上、零がこう言うということは、一度や二度ではなかったのだろう。


「そうなんだ。」

「だってその人、前にね、実のこと友人殺しって言ったんだよ。実はそんなことしないのに。」


 少し関係が良くない程度の問題ではない。ほぼ犯人だと決めつけられている。私なら寮に戻りたくないとか、学校を辞めたいとか思ってしまいそうだ。


「今はそんなこと言われないよ。黙って通り過ぎるだけだから。花房さんも心配しないで。もう慣れたから。」


 慣れただけで、傷つかないわけではないだろう。何かしてあげたいけど、その時の状況を詳しく知らない私に言えることなどない。言った相手との関係も、相手がどんな気持ちで言ったのかも分からないのだから。


「零も今はそんなこと言われないって知ってるだろ?二人の時は俺の部屋に来ることもあるんだから。」

「そうだけど。あんまりいい目で見られないんだもん。」


 逃げ場としての柊木先輩の部屋なのだろうか。それならもう一つ逃げ場が増えても良いだろう。同じSクラスでも、女子側なら零も接触が少なく、悪印象を抱くような出来事も起こりにくかったのではないか。


「じゃあさ、柊木先輩がいなかったら、私の部屋においでよ。」

「ダメ!羽衣も杜鵑寮のSクラスでしょ?馬鹿園がいる!」

「こら、零。桃園、だろ?」


 可愛い見た目に反して口は悪いようだ。葉月くんが訂正しているということは、こんな言葉を教えたのは柊木先輩だろうか。他に親しい人がいるのかもしれない。


「だって前は実のこと、カッコ可愛いって言ってたのに、事件の後、急に人殺しって言ってきたんだもん。」

「桃園さんが?」

「一時のことだよ。桃園は花房さんの部屋に前住んでた子と仲が良かったから、俺に八つ当たりでもしてるんだろ。」


 濡れ衣で当たられる側にとっては理不尽でしかない。それなのに、葉月くんは諦めているのか。何か心がもやもやするけど、それで良いのかなんて私が口を挟んで良いものか。少なくとも編入生歓迎会では大きな対立は見当たらなかった。


「そう、なんだ。」

「本当に気にしないで。ほら、せっかくのピクニックなんだから、楽しい話しようよ。花房さんはこうやって話すの好き?」


 話題を変えたいのだろう。親しい人と話すことは好きだけど、あまり素早く色々なことを言う人と話すことは得意でない。言葉を発するより、会話という時間をゆったりと過ごすことが好きなのかもしれない。


「今みたいにゆっくり話せるのは好きだよ。あんまり一気に色々言われるとびっくりしちゃうけど。」

「ああ、桃園みたいに。雑音だと思っておけばいいよ。聞いてなくても気にしてないみたいだし。」


 仲は良くないようだ。全てをしっかり聞くことは私にも難しかったけど、雑音として無視するのは抵抗がある。今度、ゆっくり話すように頼んでみようか。


「零も実とお話しするのは好き。千尋もきちんと聞いてくれるから好き。羽衣も馬鹿園みたいに煩くないから、また話してもいいよ。」

「こら。」

「だって零の話きちんと聞いてくれないもん。」


 桃園さんは人の話を聞くのが苦手なのだろうか。それでもその呼び方はいただけない。葉月くんが注意しても直らないようだけど、会ったばかりの私から言っても良いだろうか。


「ねえ、零。零は馬鹿って言われたら嫌でしょ?桃園さんもそう呼ばれてるって知ったら傷ついちゃうよ。」

「でも馬鹿園は実のこといっぱい傷つけたもん!」


 人殺しの件だろう。これだけ嫌っているのはそれ以外にも何か嫌なことがあったのかもしれない。説得の方向を変えるべきだろう。


「じゃあ、零が嫌いなその人と同じだね。傷つける言い方するのは。」

「えっ?違うの。だって〜、だって〜、う〜。」


 上手く返せないようだ。余計なお世話かもしれないけど、黙って聞いていれば私も言っている人と同じ括りになってしまう。葉月くんと二人で話している時は良くても、私がいる時にその言い方は控えてもらおう。私に口で勝てないと分かれば、少なくとも私の前では言い方に気を付けるはずだ。

 そう口を尖らせる零を見ていると、葉月くんに苦言を呈される。


「花房さん、零は俺のことを思って言ってくれてるわけだから、さ。」

「だったらなおさら葉月くんがいけないことだって教えてあげなきゃ。……ねえ、零のご両親の話とか、家のこととか聞いた?」


 こっそりと葉月くんに尋ねるけど、その表情は思わしくない。気になったため、本人に聞いて嫌なことを思い出させたくないという配慮で葉月くんに聞いたのだけど、葉月くんにとってもあまり触れたくない話題だったのか。

 私と同じように零に聞こえないよう小さな声で答えてくれる。


「いないって。一応、人が生活できる場所は寮以外にもあるから、そこで生活してるよ。どこにあるかは内緒だけど。」


 良いことと悪いことは身近な人間から学んでいく。今の零にとって身近なのは葉月くんと柊木先輩のようだから、やはり葉月くんもきちんと零に教えてあげるべきだ。


「実〜、羽衣が千尋みたいなこと言う〜!」


 狭い秘密基地の中を器用に移動して、葉月くんに抱き着いた。私が意地悪を言ったような扱いではないか。

 一つ分かったこともある。馬鹿園という言い方を教えたのは柊木先輩ではない。別の誰かのようだ。


「まあ、いい言葉じゃないのは本当だから。」

「実だって言ってたのに。ねえ、聞いて、羽衣。最初に馬鹿園って言ったの実なんだよ。一緒に千尋に怒られてたの。」


 人殺しという罵倒に対する返しとしては優しい部類かもしれない。最初に、ということは、今は名前で呼んでいるのだろう。


「柊木先輩に怒られて葉月くんは反省したんでしょ?」

「そうそう、それで改めて、」

「嘘吐き。今でも言ってるよ。馬鹿園だけじゃなくて、ばかずきとか、馬鹿の姫とか、馬鹿江とか、」

「ごめんごめん、嘘吐いた。お願い黙ってて。」


 慌てて零の口を塞いでいる。口が悪いのは葉月くんのようだ。友人殺しや人殺しと罵倒されれば、そうもなってしまうのだろう。これは止めづらい。悪いことをしている自覚はあるようだから、私から指摘しなくても良いだろう。

 愚痴を言う相手もなかなかいないのかもしれない。柊木先輩だっていつでも時間を作れるわけではないだろう。葉月くんには他に頼れる相手や話を聞いてくれる相手がいるのだろうか。


「ねえ、葉月くん。私で良ければ力になるよ。」

「ありがとう。よく言ってたのは一昨年の話なんだけどね。今は互いに距離を取ってるから。」


 親しくなれば禁域についても教えてもらえるかもしれない。だけど、あまり無理に解決するために協力するよと言うのも、親切の押し売りというものだろう。悪口を聞けば止めるとか、機会があればくらいに考えておこう。


「そっか。何かあったら言ってね。私も葉月くんに、何かあったら聞いてって言ってもらえて安心したから。」

「なら早速頼らせてもらうよ。高等部に上がるんだから、授業もきちんと受けたいとは思ってるんだけど、あんまり教室には行きたくないんだ。」

「うーん。行きやすいように、何ができるかな?」

「頼みたいのは、どんな先生かってことを見て、俺に伝えること。頼れそうなら俺も話してみようと思うからさ。」


 クラス替えもないなら同じクラスの人との関わりが特に密接になるだろう。早速、教室に行きやすいように協力する。授業が始まるのが不安になってきた。私にもできることがあるのだろうか。高等部一年生のSクラスで、穏やかに高校生活を始められるのだろうか。

 話しているうちの力の弱まっていた葉月くんの手を零が外した。少し不満そうだ。


「嘘吐くのもダメなんだよ。それも千尋に怒られたもん。」


 また柊木先輩のようだ。育てているのだろうか。特級の子にも懐かれていると言っていたから、面倒見の良い先輩なのかもしれない。私のことも、栄先輩に言われたからではあるけど、気にかけてくれている。


「いけないことを教えてくれるんだね。じゃあ、その人の言うことはちゃんと聞かなきゃね。」

「ぶー。千尋は厳しいんだよ?好き嫌いしても怒るし、落書きしても怒るの。」


 躾しているようだ。零にとって柊木先輩が親のようなものだろうか。


「俺も怒られるんだよ。まあ、今はそんな気軽に言ってくれる人がいないからありがたいけどね。零も柊木先輩のこと嫌いじゃないもんな。」

「うん。でも、実のことが一番好き。あのね、みのるはね――」


 そこからは零が葉月くんの良いところを教えてくれた。


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