おまけ ~暗い気持ちで帰りたくないから~
しばらくの間、悔しさに身を震わせながら立ち尽くしていたが、ふっと肩の力を抜き、俺は帰宅への道を歩もうと――したところで肩をつかまれた。
嫌々後ろを振り返ると、そこにはにんまりと三日月形に口をほころばせた表情の多多岐が立っていた。
多多岐は無言の俺を強制的に保健室まで連行すると、さっきまで座っていた丸椅子に座らせ、
「今日は楽しかったね」
と言ってきた。
この馬鹿教師、ぶっ殺してやろうか。今俺がどんな気持ちでいるのか少しは察しろよ。
俺ははらわたが煮えくり返りそうな苛立ちを覚えながら、絶対零度の視線を投げかける。が、やはり多多岐にその視線は通じないようで、笑顔のままいそいそと数枚の紙を取り出してきた。
「実はさセンちゃん、さっきもらったプリントなんだけど、僕が書くと毎回すっごいダメ出しを食らうんだよね。そこでさ、あの完璧な推理をしたセンちゃんのお知恵を貸してもらって、どうにかこの難局を覆してもらいたいんだけど」
「嫌です。自分の仕事ぐらい自分でやってください。あなたはそれで給料をもらってるわけなんですから。それに、俺は……」
俺は完璧な推理なんてしてない。そう言いそうになった口を閉ざし、静かに立ち上がろうとしたが、
「それにしてもレイちゃん喜んでたよぉ。千里はやっぱりすごい! 僕の一番の親友なんですって」
「そんなの、今の俺には皮肉にしか」
「僕さぁ、レイちゃんとは小学校以来の付き合いなんだよねぇ。なんか僕が左遷される学校先に毎回レイちゃんがいてさぁ」
「それは以前聞きましたよ」
あいつの過去話なんて興味ない。どうせ今の俺では、あいつに釣り合っていないのだから。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、多多岐は懐かし気に語っていく。
「レイちゃんちょっと変わってるから、なんやかんや全然友達とかできないんだよね。社交性がないわけじゃないんだけど、話すこととか、行動の突飛さとかから、最初は一緒にいてくれても、結局すぐに離れていっちゃうんだよ」
分からなくはない。凡人には、あいつのことを理解するなんて、到底無理な話だろうから。人は理解の及ばない生き物とは、一緒にいたがらないものだ。
「だからさ、高校に来てセンちゃんと会えて、レイちゃんすっごく喜んでたんだよねぇ。ようやく離れていかない人ができたって」
「それは、あいつがとにかくしつこいから……」
「でもさ、センちゃんって、今までレイちゃんが会ってきた人とは逆なんだよね。今までレイちゃんが会ってきた人は、最初こそ喜んで一緒に遊んでくれるけど、遊んでるうちに嫌がり始める。対してセンちゃんは、最初こそ嫌がるけど、一緒にいるうちにだんだん楽しみ始めていく。今日だって、最初はあんなに帰りたそうにしてたのに、途中からは随分と熱心にレイちゃんの話聞いてもんね」
「……」
「だからさ、今日もレイちゃんが最後まで話し終えて、その後にセンちゃんが推理をしたじゃない。その推理を聞いて、レイちゃん『千里がいかに僕の話に真剣に取り組んでくれたのかが分かって嬉しい』って言って喜んでたんだよ。やっぱり千里こそ、僕の一番の親友だって」
「……そうですか」
今、ようやく分かった。俺があの話を最後まで聞き、そして自分の推理を語った時点で……
「礼人の期待には応えられていたわけか」
小さな声で、俺は満足げに呟く。
そんな俺を、優しく見守るような目で見つめながら、多多岐先生はきれいなソプラノ声で言った。
「それじゃあ、このプリント、代わりにやってくれるよね」
「嫌です」
そう言って、今度こそ俺は保健室を後にした。




