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この島でまた会おうね~島に遺された母の真実  作者: 水主町あき


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第29話 青い手ぬぐいの記憶

 澄江さんが、ゆっくりと口を開いた。


「この家は――日高家は、代々、子どもがあまり生まれんかった。生まれても、幼くして亡くなることが多かったんじゃ」


 だから――

「七歳までは子どもの名前を記さない」「七歳までに亡くなった子の名を墓に刻まない」という風習が、今に至るまで残っているのだろうか。


 智が、少し遠慮がちに口を挟んだ。


「『可愛い子は悪いものに連れて行かれる』からと、あえて汚い字や縁起の悪い字を子どもにつける風習があった地域があります。小さいうちは別の名前で過ごす。

 それに加えて、いみな――本当の名前を口にしてはいけないという習俗が混じった形でしょうね」


 道成どうせいさんが、静かに頷いた。


「そうじゃのう。わしも、そんな気がする。藁にもすがる思いじゃったんじゃろう」


 食事の支度を終えた和義さんが、席に加わった。

 澄江さんが、これまでの話をかいつまんで伝える。


 そして、改めて私たちを見渡した。


「歌乃ちゃんの代でね、本家はとうとう歌乃ちゃん一人になってしもうた。

 和雄さん――うちの人の子も、和義一人だけじゃ」


「……そうだったんですね」


 理乃が、かすれる声で呟く。


「あの人はね……島の家に、強い思い入れがあったんじゃ。

 跡継ぎがおらんようになるのが、どうしても耐えられんかったんじゃろう」


 澄江さんの表情が、わずかに強張った。


「じゃけえ、勝手なことを考えとった。

 和義と歌乃ちゃんを、結婚させようって」


「え……」


 私と理乃の声が、重なった。


「親父の早合点じゃ」


 和義さんが、慌てて首を振る。


「わしも歌乃も、そんなつもりは、全くなかった」


「和雄さんが、和義の都会での就職を邪魔したんも、その延長じゃったんよ」


 和義さんが、静かに続ける。


「高校の卒業生に、立身出世した人がおってな。

 その人が経営するホテルが、高校から就職希望者を募ったんじゃ。

 運が良かったんじゃろう、わしが選ばれた」


 澄江さんの声に、抑えきれない怒りが滲んだ。


「和義の努力も、先生方の尽力も、あの人は分かっとらんかった。

 勝手に辞退しようとしたんじゃ」


「母さんがな……」


 和義さんは、少し照れたように続けた。


「まとまった金を渡してきて、『これで就職先へ、早よ行ってこい』って」


「へそくりは、女の嗜みよ」


 澄江さんが、いつもの調子で言う。


 智が思わず吹き出し、張り詰めていた空気が、ほんの少し和らいだ。


「わしが叱ったら、あの人は反省しとった。『すまんかった』ってな」


 道成さんが、穏やかに言葉を継ぐ。


「和雄さんは、横暴な人ではなかった。

 ただ、家を守らねばならんという思いが、強すぎた。

 それが、裏目に出てしもうたんじゃ」


 祖父――理信が、静かに話を引き取った。


理帆(みちほ)だけでなく、歌乃さんも……出会いを運命みたいだと言っていた。

 お互い、誰かも分からないままにメールを交わし、その相手と実際に出会ったのだから」


 祖父は、記憶を探るように天井を見上げる。


「気づいた瞬間に、二人の距離は一気に縮まった。

 和雄さんは、それを知って……、日高の家は歌乃さん一人。

 婿に入る覚悟があるのか、そう聞いたそうだ」


 澄江さんがそれに応じた。


「両親がおらんくなった歌乃ちゃんの親代わりじゃったからの。

 ……とはいえ、出すぎた真似じゃと、わしは思うた」


 祖父は、澄江さんの方を向いた。


「きっと、和雄さんは理帆の本気を確かめるつもりだったんでしょう」


 しばしの沈黙のあと、祖父は続けた。


「だが、理帆は迷わなかった。

『島を気に入りました。ここに眠りたい』――そう言ったそうだ」


 その言葉に、部屋の空気が静まり返る。


「実は……千帆は――理帆の母は、理帆を産んだあと、子どもが望めない体になってしまった。だから……理帆に、強く執着していた」


 祖父の声が、わずかに震えた。


「理帆自身も、母と距離を取りたいと感じていたようだ」


 言葉を選ぶように、祖父は続ける。


「理帆は歌乃さんに、

『僕自身も、君たちを利用することになる。それでもいいのか』そう打ち明けた。

 だが、和雄さんも歌乃さんも、それを責めなかった。

『利用でもいい。この島に来てくれるなら。歌乃と一緒にいてくれるなら』――そう言ったと聞いている」


 祖父は、静かに目を閉じた。


「歌乃さんの姓を選ぶことを決めた理帆に対して……千帆は取り乱した。

『あなたは、私のすべてなのに』と」


 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


「理帆は、こう返したそうだ。

『結婚は僕自身が決めるものだ。僕は、歌乃さんと一緒にいたいから、結婚する』」


 長い沈黙のあと、私は思った。


 父は――理帆は、自分の意志で島を選んだ。

 母を選び、そして……私たちを望んだ。


「……お父さん」


 理乃の呟きが、部屋に溶ける。

 外では、変わらず波の音が響いている。


 道成さんが、お茶を一口飲んでから言った。


「実はの……わしは、理乃ちゃんが祖父母に引き取られる事情を、聞いとったんじゃ」


「え……」


 理乃が、はっと顔を上げる。


「墓や法事のことを考えると、知らんわけにもいかんでな。ただ、周りには黙っていてほしいと言われとった」


「……そうだったんですね」


 澄江さんが、わずかに眉をひそめた。


「そういうことは、ちゃんと息子に言うちょけ。寺の仕事じゃ、言わんといけんじゃろうが」


「ほんまに、それは言葉もない……」


 道成さんは、深く息を吐いた。


「まぁ、まだ先があると思うちょったんじゃのう……。わしもじゃな」


 澄江さんの頭の手ぬぐいは、今日もよく目立っていた。

 理乃が、ぽつりと呟いた。


「……私は、どうして澄江さんに気づかなかったんだろう」


 澄江さんが、やさしく微笑む。


「歌帆ちゃんが、わしに『おしゃれ』って言うてくれたんは、島を去る前の二歳ごろじゃ。同い年の理乃ちゃんが覚えとらんでも、無理はない」


 私は澄江さんを思い出せたのに、理乃を思い出せなかったことが心につかえていた。

 でも、うまく言えなくて黙っていた。


「……はい。私、養母ははの千帆の記憶と、混ざってしまっていたみたいです」


 理乃が、小さく頷いた。


「千帆は、病を得たとき……髪が薄くなってな。だから私は、スカーフを何枚か贈った。髪に巻くようにと」


 祖父が、静かに語る。


 私は、腑に落ちた。

 澄江さんと、祖母の千帆。

 どこか似た佇まいをしていたのだろう。


 澄江さんが、自分の頭に巻いた手ぬぐいに、そっと触れた。


「わしもな、十円ハゲができたことがあったんよ」


「え……」


「子どもが、和義一人しか生まれんことで、悩んでのう」


 そう言ってから、少し照れたように笑った。


「そのとき、和雄さんが青い手ぬぐいを贈ってくれたんじゃ。

『似合うから巻いちょけ』って。

 それから、わしは手ぬぐいを巻くようになったんじゃ」


 和義さんが、ぽつりと呟いた。


「親父は……そういうところも、あったんじゃな……」


 その言葉に、誰からともなく、静かに頷きが返った。


 外に目をやると縁側の足元に、青い小さな花が咲いていた。

 省吾さんが、何も言わずにその方を見ていた。


 私は、理乃の手を握った。

 姉の手は、まだ少しだけ震えている。


「……全部、繋がっているんですね」


 理乃が、呟く。


「そうじゃ。全部、繋がっとる」


 澄江さんが、やさしく微笑んだ。


 夜は、さらに更けていく。

 それでも、誰ひとり、席を立とうとはしなかった。


 私たちは、家族の物語を、ゆっくりと紡ぎ直していた。

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