第27話 晴れた日の忘れ草
火葬の時間を待つため、皆で待合ホールへ移動した。
ソファに沈み込んだとき、ようやく自分がこわばっていたのだと分かった。
母の葬儀の空気が、ふと胸に蘇る。
――骨になるのを待つ時間というのは、どうしたって落ち着かないものだ。
理乃が思い出したように、合波さんへ声を向けた。
「会社に連絡先を登録していたのは……?」
「うん……久しぶりに健斗から連絡がきたんです。会社で家族の連絡先を出さなきゃいけないって。それで『登録していいか』って聞かれて。なんで今さらだろうって……ちょっと不思議に思ったんですよ」
合波さんは、ハンカチでそっと涙を拭う。
「そのあとになって、『お金貸してくれ』って言われたんさ。理由を聞いたら、『嫁に逃げられて、誠意見せねばならん』って……そのとき初めて、健斗が結婚してたって知ったんです」
声がかすれる。
「でも……借りたお金を返してないまま、また貸してほしいって言われて。さすがに無理だと思って断ったんです。そしたら今度は……うちの人からもお金を借りてたって分かって……それ聞いたときは、ほんと頭にきてしまって……」
火葬炉室の方へ、静かに視線を落とす。
「それからは、しばらく話もしなかったんです。そしたら……こんなことになってしまって……」
「そんな……いくらなんですか? 返します」
理乃の声は、戸惑いを帯びていた。
「もう別れた後らろ? 返さんでいいんさ。それに……養育費だって、もらってねぇんだし」
合波さんは扉の奥を見つめ、ゆっくり息を吸った。
「……健斗、理乃さんと結婚したとき、会社で嬉しそうに話していたそうなんです。『やっと、本当の家族ができた』って……」
「でも、私……健斗とうまくいきませんでした」
理乃は小さく俯く。
「理久斗が生まれて、私はそっちばかり見てしまって……」
「それは、母親なら当然のことなんさ」
合波さんの声は、やさしく、それでいてどこか寂しげだった。
「でもね……健斗には、理久斗くんが、理乃さんの愛情を全部持ってっちゃったように見えたんでしょうね」
少しの間が落ちる。
「でも、最後に……あの子は、子どもを守ろうとしたんだと思うんさ」
理乃が顔を上げる。
「警察の人が言ってたんですけど、崖にいた子どもに声をかけて、止めようとしたんだって……」
「……その子は、理久斗じゃなかったんです」
「それでも……助けようとしたんだよね。健斗は……あのとき、ようやく父親になれたのかもしれねぇって。そう思いたいんです」
合波さんは、ほんの少しだけ穏やかに微笑んだ。
収骨が終わり、智たちと合流して、彼女を駅まで送った。
「実晴お姉ちゃん! また会おうね。約束だよ」
理久斗くんの声に、合波さんは微笑み、骨壺を抱えて帰っていった。
その姿を見送りながら、母のときの光景が胸を刺す。
島へ戻る船の中、理乃は疲れ切った様子だった。
祖父は気遣うように彼女を見て、理久斗くんと手をつなぎ、そっと席を離れる。
智が缶コーヒーを二つ、私たちに渡してくれた。
「理乃、少し話してもいい?」
デッキに出ると、晴れた空が爽やかで、波が柔らかく揺れていた。
「健斗って、どういう人だったんだろう?」
そう尋ねると、理乃は缶コーヒーに視線を落とした。
「最初は……優しい人だと思ったの。私、自分が養女だと知って、母も亡くなって……。本当に辛かった。健斗は、いつもそばにいてくれた」
遠くを見つめるような声だった。
「健斗も、寂しかったんだと思う。私も寂しくて……だから惹かれ合ったのかもしれない」
海原を眺めながら、私は思う。
父が救った命。健斗が最後に守ろうとした命。
そして今ここにある、理久斗くんの命。
すべてが繋がり、巡り、また新しい形をつくっていく。
「島が見えてきた」
理乃の呟きに、夕暮れの光に浮かぶ島の影が揺れた。
港では省吾さんが迎えに来ていた。
「省吾お兄ちゃん!」
理久斗くんが走り寄り、省吾さんは笑って頭を撫でた。
祖父と共に車へ乗り込み、潮音へ向かう。
潮音の玄関には、オレンジ色の百合が花瓶に生けられていた。
警察署の脇で揺れていた花と同じ色だ。
私が見つめると、省吾さんがそっと言った。
「それは、忘れ草だ」
「ワスレグサ……?」と理乃。
「一日だけ咲く花だ。過去の憂いを忘れさせてくれるって言うから、飾ってみた」
――大学の授業で、そんな和歌を読んだことがある。
悲しみを忘れようと、この花を身に着けたという人の歌。
苦しみなんて、忘れられたらいい。
合波さんや、あの警察官、そして理乃のことを思い浮かべながら、私はそっと願った。




