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この島でまた会おうね~島に遺された母の真実  作者: 水主町あき


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第26話 顔を変えた理由

 外の風の余韻が消えたころ、私たちは再び静かな時間に戻っていた。

 警察官との短い対話が終わり、少しの沈黙の後、理乃が口を開いた。


「健斗は……きれいな顔をしてた」


 それ以上は何も言わなかった。


 その後、船を待っている間に健斗の姉――合波(あいば)実晴(みはる)さんから理乃に電話が入った。理乃が警察を通じて、自分の連絡先を伝えていたのだ。

 二人は長く話し込んでいた。市役所への届け出など、合波さんがしなければならない手続きもあるようだった。


 その日は、本土で何かをする気にはなれず、私たちは島へ戻った。オレンジ色の百合は港にも咲いていた。

 少し湿った風が吹いている。花が風に揺れていた。


 帰路でも、戻ってからも、理乃は何度も電話をかけていた。火葬場への連絡も、葬儀社との調整も、理乃が行った。


「せめて、これくらいはしたいの」


 私は、母の葬儀のときのことを思い出しながら、理乃の相談に乗った。

 彼女があまり根をつめないように、お茶とおやつを出したり、たわいのない話をしたりした。


 合波さんとの話し合いの結果、告別式は行わず、一日葬にすることになった。

 ご両親は他界し、親戚とも疎遠だと言う。

 彼女の負担も考えると、それも仕方ないと思った。


 宗派はうちと同じと聞き、私は理乃に「道昭(どうしょう)和尚にお願いしよう」と提案した。

 合波さんは「構いません」と言ってくれた。

 母が亡くなった時は、知らないお坊さんにお経をあげてもらった。

 そのことがずっと心に引っ掛かっていた。少しでもつながりのある人に弔ってほしいと思った。


 私は道昭さんに電話で、金曜日と土曜日の予定を尋ねた。事情を説明すると、快く引き受けてくれた。どちらの日も空いていると聞き、少し安心する。


 合波さんは家庭があるが、今回は一人で来るという。

 ご実家は墓じまいをしているので、お骨は納骨堂に収めるとのことだった。

 電話口でも分かるほど疲れが滲んでいたようで、理乃はとても気にしていた。


 合波さんが本土にやって来たのは、さらに翌日、事故から二日後のことだった。健斗の身分証明書や必要書類を、彼女が持ってきてくれることになっていた。

 調整の結果、遺体を引き取った翌日の土曜日に葬儀と火葬を行うことが決まった。私は改めて道昭さんに連絡を入れた。


 智の運転する車に理久斗くん、理乃、そして私が乗り込んだ。港の最寄り駅で待っていると、黒いスーツを着た女性が列車から降りてきた。


 小柄で華奢な体つき。横顔には穏やかな影が差している。年齢は三十代半ばほどだろうか。優しい顔立ちをしているが、どこかに緊張が見て取れた。

 写真で見た健斗の顔――今の健斗の顔――とは当然似ていない。けれど、整形している以上、似ている似ていないを判断すること自体が無意味に思えた。


「佐藤理乃さんで間違いないですね。電話でお話させてもらった、合波実晴って者です」


 合波さんは私たちに気づくと、深く頭を下げた。


「弟が……ほんと、ご迷惑かけてしもて……すんませんでした」


 言葉の調子に、この土地のものとは違う、柔らかな訛りが混じっていた。


「いえ……」


 理乃は、言葉を詰まらせた。私は姉の隣に立ち、名乗った。


「日高歌帆と申します。理乃の妹です」


「……妹さん。そうでしたか」


 理久斗くんが合波さんの前にちょこんと立った。


「りくとです」


 その幼い声に、合波さんの表情がふっと和らいだ。


「理久斗くん、はじめましてね。私はね、お父さんのお姉ちゃん、実晴っていうんだよ」


「パパのお姉ちゃん? お姉ちゃんがいっぱいいるね」


 合波さんは小さく笑い、すぐに表情を引き締めた。


 やって来た車に皆で乗り込み、警察署へ向かった。葬儀社、市役所と順々に手続きを行い、葬儀の準備は整った。


 その夜は市内のホテルに宿泊し、祖父ともここで合流することになった。

 ロビーに現れた一人の男性に、理乃がふと目を向ける。その瞬間、彼女の動きが止まった。

 理久斗くんが声をあげる。


「おじいちゃん!」


 呼びかける声に、男性がゆっくりとこちらへ歩み寄る。

 理乃によく似た輪郭、真っ直ぐな瞳。歳月を重ねた分だけの風格をまといながら、どこかに理乃と同じ静けさを宿している。


「理乃。大丈夫か」


 低く、落ち着いた声だった。理乃はわずかに頷くと、数歩、歩み寄った。


「……ごめんなさい……本当に、勝手にして……」


「謝ることなんて、ひとつもない。おまえと理久斗が無事で、それで十分だ」


 その言葉に、理乃は小さく肩を震わせた。隣で見守っていた私も、胸がじんとするのを感じた。

 祖父は私の方を向いた。


「歌帆だね。大きくなった……。歌乃さんを思い出すよ」


 祖父は微笑んだ。話したいことは山ほどあったが、時間も遅いので、また日を改めることにした。

 私は理乃と理久斗くんと同じ部屋に泊まった。理久斗くんは「パパとのお別れ」ということが分かっているのか、静かにしていた。


 次の日、斎場へ向かう車の中で、合波さんはそっと言った。


「佐藤さん……無理なさらんでくださいね」


 理乃は、かすかに頷いた。

 本土の斎場は白い壁の、簡素で静かな建物だった。葬儀社に依頼し、葬儀から火葬までここで行うことになっている。

 智に後で迎えに来てもらうことにした。入口で道昭和尚と合流し、私たちは小さく会釈を交わした。


 ――少しずつ、葬儀の空気に包まれていく。

 合波さんの横顔はずっと落ち着いていた。けれど、ふと視線を逸らすとき、胸の奥を押さえるような、つらそうな気配がにじんで見えた。そこに、姉としての深い想いが確かにあった。


 小さな祭壇には、健斗の遺影が飾られていた。写真の中の彼は、穏やかに微笑んでいる。この笑顔を、理乃はどんな気持ちで見つめているのだろう――と考えた瞬間、胸の奥がざわついた。


 読経が始まる。線香の香りが立ち上り、白い部屋の中をゆっくりと満たしていく。

 参列者は、合波さんと、祖父、理乃、理久斗くん、私。ごく小さな葬儀だった。

 焼香を終えて席に戻ると、合波さんが小さく息をついた。喪服の袖口を握りしめるようにして、しばらく黙っていた。


 葬儀が終わり、そのまま火葬場へ向かう。祖父と理久斗くんは智に迎えに来てもらい、どこかで待ってもらうことにした。


 静けさが満ちる中で、合波さんがぽつりと言った。


「健斗は……ちょっと不器用なとこ、あったんです」


 理乃がそっと顔を向ける。


「私と健斗は、異父きょうだいなんです」


「異父……?」


「ええ。母は、私の実の父と離婚して、それで健斗の父と再婚して……」


「そう、だったんですね……」


「母はね、あまり私たちのこと、かわいがってくれなくて……『なんで、あんたらそんな顔してんの』って、何度も言われたんさね」


 理乃が息を呑む音が聞こえた。


「健斗の父も、まあ……厳しい人で。ちょっと気に入らないことがあると、すぐ『離婚だ』なんて言うような人だったんです」


「それは……」


「母は、それが怖かったんだと思うんさ。だから、父の言うことに従うしかなくて……」


 合波さんの手が、わずかに震えていた。


「家ん中はさ、いつも落ち着かんくて。いつ壊れてもおかしかねぇ、そんな家でした」


 しばらく沈黙が続いた。

 火葬炉の方から低い機械音が響いた。ここが現実だと、いやでも思い知らされる。


「私、高校卒業してすぐに家を出たんさ。顔のことでずっと傷つけられてきて……もう無理だな、って」


 合波さんは悲しそうに首を振った。


「でもね、健斗のことだけは、ずっと心残りで……あの子、まだ小学生だったっけ。私のこと、きっと逃げたって思ったかもしれません」


「合波さんのせいじゃないです」


 理乃がそっと言った。


「健斗が整形したの、高校出てすぐだったみたいで。……母の葬式で久しぶりに会って、本当に驚きました」


「どうして、顔を変えたかったんでしょうか……」


「たぶん……母に、似たかったんだと思うんさ」


 その言葉が、胸に重く沈んだ。


「母は、美人だったんです。それをずっと誇りにしてて」


 合波さんの声には、密やかな痛みが滲んでいた。


「私の父と別れたのも……それが理由だったんさ」


「……それは?」


「私ね、父にも母にも似てなかったんです。それで父が母を疑って……でも実際は、母、整形してたんです。それを知って、父は母と別れた」


「健斗は……」


「きっと知らなかったと思います。私と健斗、実際はよう似てたんです。だから……私たち、母似だったんでしょうね、結局」


 合波さんの目から、涙がこぼれ落ちた。


「私は結婚して、家庭を守るので精一杯で……健斗のこと、つい後回しにしてしまって。なんもしてやれなかったんです……」


 彼女は顔を覆った。


「姉として……ほんとに、なんにもしてやれなかった。健斗が理乃さんと結婚したときも、理久斗くんが生まれたときも……私、なんにも知らんかったんさ」


「良かったら……これからは、会いに行ってもいいですか」


 理乃は、合波さんの手にそっと自分の手を重ねた。

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