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第19話 夜の訪問者(後)

「私が高校生だったときのことです。父宛の手紙を見つけました。差出人は"日高"という名字で、住所はこの島でした」


「日高……?」


「名前は滲んでいて、よく読めませんでした。でも、女性のように見えたんです」


「どうして女性って思ったの?」


「美しい文字でした。……そして、名前の最後が"帆"って漢字で。母の名前が"千帆(ちほ)"だったのもありました」


 だから、初めて自己紹介したときに、彼女が驚いていたのかと納得する。


 彼女の話を聞いて、手紙の差出人は私の母のことかと思った。

 でも、母の名前『歌乃』を見て、下の漢字を帆と見間違えるはずがない。

 母の字は丁寧だが、美しいという字ではない。


 そして、島には……『日高』が多い。


 リサさんは27歳だったと言っていた。誕生日を迎えたから、今は28歳。

 その頃は母は島に暮らしていた。澄江さんもそう言っていた。

 もしそんなこと——子どもを産んだなんてことがあったら、きっと誰かが気付いたはずだ。


 私は気持ちを落ち着けるため、残っていた梅酒を口にした。


「私がその手紙を手にしていたら、母が慌てて取り上げて……。変だと思いました」


 彼女の表情には、当時の戸惑いや迷いがそのまま残っているようだった。

 少し黙ったあと、リサさんは再び静かに語り始めた。


 高校の修学旅行で海外へ行くことになり、パスポートの手続きのため、戸籍謄本が必要になった。

 当時、両親は昼間は家を空けることが多かった。


「たまたま父が免許証を忘れていて、そこに本籍地が載ってたんです。聞くより早いと思って、メモを取って」


 役場に行って謄本を取った。そこで、自分が"養女"であることを知ったという。


「母に、そのことを聞いたら、顔色が変わって。『ごめんなさい』って、何度も謝ってきました」


 その頃、母が病院に通っていたことを、リサさんは知らなかった。


「その数か月後に、母は亡くなりました。……何も伝えないままに」


 リサさんの父は、「今は話せない」とだけ言ったという。


 母も私に話していないことがあった。

 そして、おそらく私に黙っていたことを……話したいと言っていた。

 もしかして、時期が来るまで、話せなかったのだろうか。


「私は父に似ている。だから、きっと父と——違う誰かとの間に生まれたんだろうって。その"誰か"が、この島にいるんじゃないかと思ったんです」


 私は、何も言えなかった。


「"日高"という名字の女性。その手紙だけが、私の手がかりでした。だから、ここに来たんです」


「……リクトくんと、一緒に?」


「はい。でも、それらしい人には出会えませんでした」


 それでも、彼女はこの島に残った。


 ——省吾さんが事故のショックで言葉を失っていた頃、リクトくんとのふれあいで再び声を取り戻した。潮音の人たちは、ふたりが留まることを望んだ。


「美子さんが言ってくれたんです。『ここにいて大丈夫だから』って。その言葉に……救われたんです」


 私もこの島で、たくさんの優しさに触れた。


「意味があるかどうかは分からない。でも、ここに来なかったら……歌帆さんと出会えなかった」


「……私も、そう思う」


 ふたりの間に、あたたかい沈黙が流れた。


 ---


 そのときだった。庭のほうで、門がきぃ、と軋む音がした。


「智……?」


 思わず声を出したが、潮音から来るなら玄関のはずだ。


 ——「今日は裏から入ってこないの?」


 ——「さすがに一度言われたら覚えるよ」


 ……(誰?)


 庭の奥に、人影が立っていた。

 街灯の届かない暗がりで、顔は見えなかったが、智でないことはすぐに分かった。


 心臓が早鐘のように鳴る。

 以前も同じように苦しくなったことがあったような気がする。


 私は言葉を発することができなかった。


「あなた……誰ですか!」


 リサさんが、震える声で叫んだ。


 返事はなかった。ただ、かすかな息遣いだけが聞こえる。

 それは、何かにすがるような切実さを孕んでいた。


「出て行ってください!」


 リサさんの声は、凛としていた。私はその背中にそっと手を添える。

 男はしばらく佇んでいたが、やがて踵を返し、静かに去っていった。


「……大丈夫?」


 リサさんに問われ、私は小さく頷いた。


 駐在さんに連絡したら、すぐに家に来てくれた。

 周囲を見回ってくれたが、不審者の姿はなかったという。


 潮音に避難することも考えたが、今さら夜道を歩くのはためらわれた。

 智も疲れているはずだ。呼び出すのも申し訳なく、私たちは戸を閉め、鍵をかけた。


 夜の島は、ひっそりとした静寂に包まれていた。

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