第16話 四十九日と誕生日(後)
長くなったので、前後編で分けて投稿します。
時間ができたと、和義さんが寺まで車で迎えに来てくれた。
「墓に供えるのに水羊羹を持ってきたけえ。母さん、これ忘れたじゃろ。もうボケが始まったんか」
「失礼なやつじゃ。これは後で取りに行くと言うたじゃろ。礼儀正しい智くんを見習いんさい」
省吾さんが「父さんは、素直じゃない……」と呟いた。
和義さんの運転で墓まで向かう。
私は花を手向けた。今日も省吾さんが花を用意してくれていた。樒に丸くて白いアスター、同じく白いスターチスに赤紫色のミソハギがアクセントになっている。
墓に水をかけ、懐紙を敷いて金魚の形をした水羊羹をそっと置いた。線香に火をつけると、煙はゆっくりと上へ登っていく。
それから、皆で手を合わせた。リクトくんがまじめな顔でずっと目を閉じたままだったので、笑って終わったことを教えた。
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潮音に戻ると、美子さんが出迎えてくれた。
「今日はお祝いも兼ねているけえね」
台所では、大根と人参、豆腐の炒め物と炊き込みご飯をリサさんが作っていた。
「リクトの好物なんですよ。小さいのに何だか渋いですよね」
リサさんが笑顔で言う。
「ほんま、今日はあんたのお祝いもするんじゃけ、うちがやると言ったんじゃけどね。手際が良くて何もすることはなかったわ」
美子さんが言うと、リサさんは珍しく声を出して笑った。
和義さんが「今日はケーキもあるけえな」と言い、澄江さんも「果物もあるけえの。大ごちそうじゃ」と笑う。
リクトくんがはしゃいだ。
「今日、誕生日。僕と、ママ。そしてお姉ちゃんも」
「私も誕生日だって知ってたの?」
「うん。省吾お兄ちゃんが誕生日が三人だからケーキもいっぱい食べられるって」
省吾さんは恥ずかしそうに目をそらした。
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宿泊客が食事をしている間、庭に出る。
リクトくんとリサさんが花を見ていた。省吾さんが趣味で育てているという草花がたくさんある。ほとんどは名前が分からないものだった。
縁側の脇に、小さな鉢が置かれていた。寄せ植えされたのは、オレンジがかった小さなひまわりと、淡い青や紫のペチュニア。陽に透けるたび、ひまわりの黄色が少しだけまぶしく、ペチュニアの花びらはまるで朝の空の色をすくい取ったようだった。日が陰り、その色は薄紫から銀青へと変わって見える。花びらの縁が少し波打って、まるで笑っているようにも見えた。
省吾さんがリクトくんに声をかける。
「……誕生日、だろ」
「僕の?」
リクトくんが覗き込むと、省吾さんは一瞬だけ間を置いてから、短くうなずいた。
「リクトとリサさんへだ。今日の誕生花で作った」
リクトくんは、ぱっと顔を明るくして、そっとひまわりに触れた。
リサさんは「……ありがとうございます」と微笑んだ。
私の視線に気づいた省吾さんは気まずそうにした。
「歌帆さんの分は、ないんだ……。すまない」
「えっ。良いよ」
「智くんが、渡してくれるそうだ」
省吾さんの視線の先には、智がいた。
「歌帆、お誕生日おめでとう」
青い小花を刺繍したハンカチをくれる。
「もう一つあるんだけど、そっちは間に合わなかったから、先にこっちだけ渡すね」
「勿忘草?」
「お父さんのエピソードを聞いて、それも良いと思ったけど。これは元々用意していたものなんだ」
青い花はブルースターというのだと智が教えてくれた。島に来る前に買っていたらしい。
「歌帆に似合うかなって」
あのときは、私と会えるか確実じゃなかったのに。こうして贈り物を持って島に来てくれていたんだ。
「先に行ってるから」
省吾さんが智にそっと声をかけ、建物に入っていった。
「……ふたり、仲良くなったんだね」
私が呟くと、智が顔を上げて笑う。
「野球の話してたら、いつの間にか。省吾さん、すごく詳しくて」
「そうなんだ。意外」
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食卓には、大根と人参と豆腐の炒め物、卵焼き、オレンジ色の花を散らしたサラダ、鶏肉と牛蒡と枝豆の炒めもの、刺身、そしてコーンの炊き込みご飯が並んでいた。
白木の椀、淡い灰青色の茶碗、白で揃えられた食器。バラバラにも見えるメニューだが、白、黄色、オレンジ、茶、緑と食卓は華やかで不思議な統一感があった。
「好きなものがいっぱい~」
リクトくんは満足そうだ。
「これ、ほとんどリサさんが作ったの?」
「刺身と、お花のサラダは和義さんですけど、それ以外は」
「すごいね」
サラダの上に載っている花はナスタチウムというそうだ。
「ちょっと花は辛いから、リクトは食べん方がええ」
和義さんの言葉にリクトくんは素直に、花をよけている。
私も花のサラダを口に運んだ。ナスタチウムのほのかな辛味が舌の裏に残り、スプラウトのシャキシャキ感、カッテージチーズのクリーミーさ、くるみの歯ごたえが次々と絡み合った。
「美味しい」
和義さんは照れたように頭をかいた。
「リサちゃんの料理も旨いぞ」
卵焼きは甘い味付けで、炊き込みご飯とよく合った。和義さんの料理がレストランで出る味なら、リサさんの料理は家庭の味だった。
「この、鶏と牛蒡と枝豆の炒めもの、甘辛くて美味しいです」
「その鶏の炒め物『チキンチキンごぼう』って言うんですって」
学校給食で考案されて、県内に広がったそうだ。
「面白い名前ですね。忘れたくても忘れられないです」
皆が笑う。
「こっちの大根と豆腐の炒め物の名前はなんですか?」
「そっちは『けんちん』です」
澄江さんが「これ、けんちょうに似とるのう」と言った。
「けんちょうって何ですか?」
「この辺の郷土料理よ。大根と人参と豆腐を炒めるのよ」
「材料が同じなんですね」
けんちんを口にすると、ごま油と味醂の風味がふわりと立ち上がる。記憶の名残のような優しく穏やかな味がした。
「これ、どこかで食べたことがある気がするの。昔……母が作った味に、似ているのかも」
「……そう。嬉しいな」
リサさんの顔にも、穏やかさが浮かんでいた。
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食事が終わると、ケーキが運ばれてきた。
智がハッピーバースデーの歌を歌いだし、驚いたことに省吾さんも小さく歌を口ずさんだ。
白いホイップクリームに、つややかなイチゴが規則正しく並んでいる。控えめなチョコレートプレートが添えられ、「おたんじょうびおめでとう」の文字が記されていた。まっすぐに「うれしい日」を伝える、そんな素朴なケーキだった。
ケーキに6本のろうそくを立て、火を灯す。
リクトくんは空気を吸い込むと勢いよく吹き消した。
「お誕生日おめでとう」
その場にいる皆の声が揃う。
「ありがとう」
リクトくんは、初めて会ったときと同じ、ひまわりのような笑顔をしていた。
「……まさか、今日ここにいるなんて、思ってなかった」
リサさんがぽつりと呟く。
「でも、来てくれてよかった。誕生日が同じ人と、こんなふうに過ごせるなんて」
「少しだけ、不思議な気分ですね。でも……嬉しい」
虫の声と混じる風の音。季節がゆっくりと秋に向かっていく。
この島で、私たちは名前を刻み、香りを重ね、記憶を受け継いでいく。消えてしまいそうな声を、湯気の中に、そっと残すように。
※この作品は現代日本の物語です。
※ゆるやかな日常の中で、家族や過去と向き合うお話になります。




