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** 悪女と騎士の物語-2



 アオギリを誘ってミストは裏庭へとでた。

 降りそそぐ陽射しはやわらかく、空気は初夏の香りをふくんでいて、こうしていると霧の城でのできごとが嘘のようだった。


 通年を通して咲くバラが彩る道を歩いていくと白く塗装されたガゼボに行きつく。

 ドーム型をしたガラスの天井を支えるワイヤーはレース飾りのような美しい模様を描いていて、ここでのんびりと本を読んで過ごすのがミストのなによりもの楽しみだった。


 そのことを隣にいるアオギリに教えると、「なにをお読みになるのですか」と問いかけてくる。

 ミストはすこしためらったあとで正直に答えた。


「探偵小説を少々」

「……人が死んで探偵が謎を解く、あれですか」

「解く謎は殺人に限りませんが。ええ、そうです」


 名家の令嬢が読むにはふさわしくないとわかっている。けれどアオギリは「ああ、それで……」となにか得心したようだった。


「あなたの反応が時々慣れていると思ったことがあったのです。本で得た知識だったのですね。納得いたしました」

「野蛮だとお思いになりませんか?」

「いえ、そんなことは。私も乱歩なら子供のころよく読みました」

「ランポー? そういう作家もいるのですね」


 ぜひ読んでみたいわ、とミストが言うとアオギリは『しまった』という顔をして足を止めた。ミストは首を傾げる。

 なにが失言だったのかわからないが、アオギリはごまかすように「その話はいずれまた、ゆっくり」と言って目を逸らした。その反応を見てミストはコクナーが言っていた『アオギリの前世の記憶』について思いだす。


 強烈な炎の光を浴びて舞台の上に立っていた彼。

 彼は、そこでミストそっくりな女を処刑した……。


「──アオギリさま、あなたは」


 これを聞いたら彼は自分の前から消えてしまうかもしれない。けれど、ミストは聞かずにはいられなかった。


「あなたは……いったいどこからきたのですか?」

「…………」

「コクナーさまが仰っていました。あなたには前世の記憶があるのではないかと。そこであなたは役者をやっていて、私に似た女性を処刑したと……」

「そんなことまで聞いたのですね……」


 いつかミストには告げなければならないと思っていたのかもしれない。彼の声に咎めるような響きはなく、知られたことを静かに受け入れるように彼はひとつうなずく。


「ええ、そのとおりです。私は前世で役者をしていた。そして最後に演じた劇の役の中に、ミストさま、あなたがいたのです」

「私が……」


『ミスティエリス』のような実際の人物を題材にした劇なのだろうか。

 しかし、前世というならそれはアオギリが生まれる前の話であるはずだ。ミストが題材になっているのはおかしい。


 腑に落ちないのが伝わったのだろう、「前世と言っても──理解していただくのは難しいかと思いますが──べつの世界での話なのです」とアオギリは言い添える。


「前世の母の教えが『噂で人を判断してはならない』でした。しかし、劇中で私は悪女の噂を鵜呑みにしてミストという女性を処刑した。そのことがずっと心に引っかかっていたのです。これで正しいのか。私は、母の想いを裏切ったのではないかと。

 その想いを抱えたまま私は死に……この世界に生を受け、あなたの名前を聞いたときに前世のことを思いだしました」

「それで……」

「……はい。私は、どうしてもあなたを救いたかった。あなたへの贖罪と……そして、私自身のために」


 コクナーからその話を聞いたとき、アオギリは前世で出逢った女性のかわりにミストを救おうとしていたと思ったがすこしちがっていたようだ。


 彼がミストを助けてくれた理由がわかってすっきりした。と同時に、胸がちくりと痛む。

 ──どうして? ミストは自分に問いかける。アオギリさまは命をかけて私を救ってくれた。それだけで充分でしょう。


 ──ほかになにを望むというの……?


 ミストはガゼボの中へと足を進めた。ガラス越しの光が落ちる中、「贖罪は果たされましたか?」とアオギリに背中を向けたまま問いかける。


 彼がうなずいた気配がした。


「俺は、守るべきひとを守りぬいたと信じています」

「……あなたのおかあさまの教えも裏切らずに済みましたね」

「そのとおりです。これで──」


 ──これで、彼がミストのそばにいる理由がなくなる。


 彼から別れを告げられるのが怖くてミストは耳をふさぎたくなった。けれど我慢して、かわりに胸の前で両手をきつくにぎりあわせる。神がこの身を救ってくれたことなど一度もないというのに。


「これで、俺は……」


 アオギリが後ろから近づいてくる。

 あなたのそばを離れられる。そう言われるのが怖くて、ミストはぎゅっと目を閉じた。


「こちらを向いてください、ミストさま」

「……いやです」

「あなたの目を見て言いたい」

「いやっ……!」


 さよならなんて聞きたくない。ミストは首を振ったが、優しく肩をつかまれてアオギリのほうを向かされてしまう。


 彼は────


 ──真剣なまなざしでミストを見つめていた。


「これで、俺はやっとあなただけと向きあえる」

「え……?」

「だれかのためでも、なにかのためでもなく。俺がいたいから。そのたったひとつの理由だけで──俺はあなたのそばにいることができる」


 ちがいますか、と彼は言う。ミストはとっさに返事ができなかった。


「これが俺の答えです。そして、あなたに捧げることができるたったひとつのもの。

 ミストさま──どうか、これからもあなたのそばにいることを赦してください。ひとりの男として」

「……え、あ、」


 てっきりこれで最後だと言われると思っていた。それどころか、これは──。

 ミストは動揺し、意味もなくわたわたと手を動かす。


「それは……プロポーズだと受けとってもいいのですか?」

「……はい。俺はそのつもりです」

「わ、私は悪女です。それでもいいのですか」

「ほんとうはちがうとわかっています」

「根はおてんばのままですよ。あなたを冒険にひっぱりだすかもしれません」

「望むところです」

「あ、あとは……」

「あとは、あなたの気持ちだけです」


 いつかのようにアオギリはミストの頬に手のひらをあてる。

 生きている。なによりもつよくそう感じて、ミストはふいに泣きそうになった。


 彼も、自分も。こうして生きている。幾度の死を乗りこえて。


「赦すと言ってください、ミストさま」


 それがどんなに嬉しいか。ふたり以外に、理解できるひとはいないだろうけれど。


「……だめです」


 瞬きをすると涙が零れた。それが彼の手を濡らすのを感じながら、ミストは言う。


「ただそばにいるだけなんて、だめです。永遠にそばにいると。なにがあっても生きぬくと、もう私をひとりにしないと、ちゃんと誓ってください」

「……お互いに、ですね」

「はい────」


 アオギリは微笑むとミストを愛おしそうに抱きよせる。その力強い腕に体を預けながら、ミストは彼がいつか贈ってくれた言葉をくりかえした。


 ふたりを祝福するような優しい陽射しのもとで。


「ここからはじめましょう。

 だれのためでもない、私たちのための物語を」





【完】

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