文化祭の朝
色紙で飾りつけされた、教室内は明るい。いつもは一律に黒板の方を向いて整列している机も、今は2席や4席ずつ向かい合うように設置され、テーブルクロスがかけられている。黒板側にはパテーションが立てられ、そこで簡単な飲み物やスイーツを用意できるようにしていた。
教室の後方と廊下側の壁には、絵が得意な生徒達が力を合わせて描いた、森の中、花畑、中世ヨーロッパ風の街中などをイメージした、巨大な背景画が設置されている。いわゆる映えスポットパネルだ。BGMとして、薄っすらと優雅なクラッシック音楽も流れている。「男装女装カフェ」という、雑な内容の企画ではあったが、コンセプトはヨーロッパ風という事になり、装飾はファンタジー映画やゲームで見られそうな中世の様子を真似する事になった。しかし、給仕担当の服装は、女子は男装、男子は女装をするというルール以外は決めなかった。皆、この非日常の機会に、自分が着たい服を着たいのだ。
「はい!もう、目を開けて良いよ。」と、森雪音は優しく言う。
悠真は、目を開けると同時にくしゃみが出そうになって顔をしかめた。
パウダーファンデーションを、大きめのブラシで顔全体にまぶしたのだ。ほのかに甘い香りがする。また鼻孔を刺激されて、今度はくしゃみを止めることができなかった。
「ごめん。」と、悠真は言って、カバンからティッシュを取り出す。
廊下の片隅に、余った机と椅子を寄せて置いてあるスペースがあり、そこで、かれこれ30分近く、森雪音に化粧をしてもらっていた。
女の子は毎日、こんなに時間をかけて化粧はしているのだろうか…。
悠真のメイクを担当する!と、張り切っていた桃木は、先日の奇妙な手紙を受け取ってからは、悠真をあからさまに避けるようになっていた。悠真だけではない。クラスの男子達全員から距離を取っているように見えた。
無理もない。誰があの手紙を送ったのか、まだわからないのだ。ただし文面から、桃木への恋心を拗らせて執着している男子が書いたものに違いないと、クラスメイト全員が思っているだろう事は、悠真にもわかっていた。
「森さん、メイクをしてくれて、それと服も貸してくれてありがとう。」と、悠真は言った。森は、「いいよ。私も楽しいし。」と、にっこりと可愛くほほ笑む。
悠真は、森に「これ、着てね。」と手渡されたメルヘンなメイド服をすでに着ている。フリル、というのだろうか。たっぷりとした白い布が黒のスカートの下から覗いて、歩くたびに膝周りに優しく触れてくすぐったい。
「足のムダ毛は、絶対に剃ってきてね!」と、森から厳しく言い渡されていたので、昨晩に剃ってきた。スカート丈はひざ下まであるので、悠真はほっとしていた。
超ミニスカートとかだったら、どうしよう…と、気が気でなかったのだ。
「リップを塗るから、口を閉じて。」と、森が言う。悠真が口を閉じると、森はピンク色のクリーム状のものが入ったパレットの上でブラシを動かし、悠真の唇にブラシを乗せた。
顔が…、顔が、近い!
メイクをしてもらっている間中、森の柔らかい指先が悠真の頬に触れ、まじまじと真剣な眼差しで悠真の顔を覗き込むのだ。それだけで、悠真の心臓がドキドキする。息を吸ったものの、森の顔が近くにある時に、息を吐くことはためらわれた。悠真は口を閉じている間、呼吸も止めた。
早く…、早く終わってくれないと、オレ、窒息死しちゃう!
「メイクは完了! 最後にウィッグを付けてね。」
悠真は、森に気がつかれないように注意をしながら、深呼吸をした。
水泳帽をゆるくしたようなネットの中に悠真の地毛を隠し、上から栗色のロングヘアウィッグをかぶる。森は、ヘアブラシで丁寧にウィッグの髪を整え、「はい!完成!」と、満足げに笑った。
「かわいいよ! 似合ってる!」と、微笑みながら、悠真に手鏡を渡した。
鏡を覗き込むと、知らない女の子が、きょとんとした表情で映っていた。
かわいい、……か?
悠真はよくわからない。付けまつげをし、メイクで彩り、リップをしてウィッグをかぶった、鏡に映る子は、確かに女の子に見える。
が、目元は悠真だった。当たり前だ。自分が化粧をしているのだから、自分の目だ。
まさか自分が化粧をすることがあるとは思わなかったので、自分の顔なのだけれど、女の子の顔に見えるし、なんだか自分じゃない気がして、戸惑っていた。
「いいね! 佐藤君は、スカートが似合うわ~!」と、本田美恵が眼鏡の奥の切れ長の目を楽しそうに細めながら、近寄って来た。
「あ、ありがとう…?」と、悠真はやや納得できない感じで返事をした。褒められていると感じたが、喜んでいいのか判断がつかない。
悠真はゆっくりと、椅子から立ち上がり、いつも通りに歩こうとすると、「ちょっと!」と、怖い顔の本田に止められる。
「スカートをはいている時は、大股で歩かない! 平均台の上を歩いているようなイメージで歩くと蟹股にはなりにくいよ。」
言われた通りに歩こうとすると、教室がとても遠くにあるように感じてもどかしい。
「いい感じ! いい感じ!」と、森が笑顔でエールを送る。
他のクラスの生徒達がジロジロと悠真を見ているような気がして、落ち着かない。
教室に入ると、そこには、あまりにも非日常的な光景が広がっていた。
腰まである黒髪ロングヘアのウィッグを付け、長い付けまつげをチマチマと指先でいじりながら、手鏡を見つめている宍戸。色白な知的美人になっている。
「付けまつげが取れちゃうから、いじらないで!」と、本田にとがめられる。
服は高山に借りた物だろうか、制服と同じ模様のプリーツスカート、シャツにカーディガンを羽織っている。
高山愛良は、白いシャツにソムリエのような黒いカマ―ベストを付け、黒のスラックスと、長めのエプロンをすらりと着こなしている。地毛のロングヘアを後ろで一本に結い、前髪を全てオールバックに固めていた。
「愛良、めっちゃハンサムじゃん!」と、本田美恵が感嘆の声を出す。
高山は照れながら「ありがとう」と言ってほほ笑む。
教室の前方で、「あんた、不細工ね!」「いや! あんたの方がブスよ!」と、みにくく罵り合っている男子集団が居る。口調だけは立派に女性っぽくしているつもりらしい。
大田原をはじめ、運動部に属する体格の良い男子達だ。
大田原も、肩までかかる、ウェーブがかかった金髪のウィッグをかぶっていたし、メイクもほどこされていたが、女の子には…、見えない。悠真は音楽室に飾られている、かつらを付けた偉大な作曲家たちの肖像画を思い出していた。
フリルたっぷりの白いシャツに、ゆったりとしたプリーツが入った紺色のロングスカートを大田原は着ていた。
「このスカートさ、大田原家のダイニングのカーテンなんだって。」と、高山が笑いながら説明する。
「そうだよ。高山のスカートが入らなくてな。結局、カーテンで代用することにした。おかんを説得するのに手間取ったぜ。」と、大田原はため息をついて言う。
「お前、意外と細いのな。」と高山を見ると、「当たり前だ! これでも、女子なんでね。」と、返される。
「それにしても…」と、大田原がデカい身長を屈めるようにして悠真を見下ろす。近くから見下ろされると圧力を感じて悠真は落ち着かなくなるのだが、今日はなんだか大田原の視線が穏やかで優しい。
「佐藤は、かわいいな!」と、大田原が言うと、他の男子からも「めっちゃ、かわいいじゃん!」「うらやましい。」「クラスの中で一番かわいくない?」と、賛辞が飛び交い、悠真は慌てた。
普段、他人からこんなにも優しく褒められたことが無かったため、恥ずかしい。そして、耳の後ろがジンジンとしてくるほどに赤面し、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
高山愛良も「私よりも、スカートが似合っている。」と言い、本田は「さすが、森ちゃん!」と、森雪音のメイクの腕前を誉めた。そして、「まあ、佐藤君は逸材よ。」と、まるで芸能プロダクションの社長のようなことを言って笑う。
ガラッと、乱暴な音がして、教室の扉が開く。
「どうよ! 俺、きれい?」と、にやついた顔で教室に入って来た天野は、自分でメイクをしたのだろうか、濃いブルーのアイシャドウと、真っ赤な口紅が浮いて見えるうえ、付けまつげも半分取れかかっていた。はだけたシャツの胸元が、不自然な形で盛り上がっているが、どうやらブラジャーに詰め物でもしているらしい。スリットが深く入った、ミニのタイトスカートを履いていた。
女子達は何も言わなかったが、大田原が一言、
「なんか、お前を見たら、田舎でスナックをやっている、うちのばあちゃんを思い出したわ…。」と、つぶやいた。
天野は「ばあちゃんって、なんだよ!」と、不服そうだ。
「いつもブルーのアイシャドウと真っ赤な口紅を付けているんだ…。香水の臭いがきついけど、料理はうまくてな…。」と、懐かしむ表情で大田原は語り始める。
その時、教室の後方から「きゃあ!!」という、女子の甲高い悲鳴が上がった。
桃木の声だ。
映えスポットパネルの裏に、各生徒の荷物を隠しているのだが、そのパネルの裏から、桃木は紙袋を持ってのっそりと出てきた。目には涙を浮かべている。
「瞳子ちゃん、何があったの?」と、森が心配そうに駆け寄る。
桃木は、「私の衣装が…。」と、か細い声で呟いて、その後は涙が止まらなくなり、森に紙袋の中身を見せた。
「ひどい…。」と、森雪音はつぶやいた。
紙袋の中には、今日、桃木が男装用に使う予定だった、K-Pop男性アイドルの衣装に似せた服が入っているはずだった。
その服が、無惨にも刃物でズタズタに切り裂かれ、ワカメの様になっていた。




