不穏なラブレター
生徒達の大半が長袖のシャツとカーディガンを制服にはおり始めた。昼間は暖かいのだが、朝の登校時にはマフラーを巻きたくなる気温だ。文化祭準備も大詰めに入り、クラスを装飾する備品などの作成の為、早めに投稿する学生も多くいる。教室は朝から活気づいていた。
朝、桃木瞳子は登校し、カバンをロッカーに入れようとしたところで、1通の封書がロッカーの扉部分に挟まっていることに気が付いた。何の飾りも無い、ただの白い封筒だった。不思議に思って中身を確認する。便箋も白く、二つ折りにされている。これは、もしかして、ラブレターだろうか。
桃木は特別モテるわけではないと思っているが、それでも小学生の頃から何回かは男の子からラブレターをもらったことはあった。なので、異様に清潔感のある封筒と便箋を見て、これは普段、手紙などを書かない男子が、ネットで調べて一夜漬けで好感度を演出するために選んだ便箋なのだろうなと直感した。
桃木はおもむろに便箋を広げてみて、固まった。
"君の冷たい瞳が俺の心をつらぬく
声をかけても氷の言葉、恋の名をかりたこのくるしみ
俺の心ぞうが血をふき出す、痛みの銃声
君が彼女にならないなら、いっそ消えてくれ
この胸の中で君は たおれるべき存在
俺が悪いのか、君が悪いのか
このくるしみが恋なら、もうたえられない"
脅迫状だろうか…?
桃木はゾッとした。
誰がこんな手紙を書いたのだろう…。
便箋と封筒をひっくり返してみるが、差出人の名前はどこにも書かれていなかった。
「瞳子ちゃん、おはよう!」と、森雪音が明るく声を掛けて来たが、桃木の怯えるような表情に気が付いて、すぐに「どうしたの?」と、聞く。
桃木は黙って便箋を森に渡した。
手紙を黙読した森は、すぐに「何これ!」と、声を上げ、「歌詞の様にも見えるけど…、なんか、怖い文章だね。」と言った。
「最初、ラブレターかと思ったのだけど、差出人が書かれていなくて…。」と、桃木が困った顔で言う。
「うん。不気味だよね。先生に相談した方が良いのかも…。」と、考えながら森は言った。
そこへ、「お。桃木。それ、ラブレターか?」と、長身の大田原が背後から覗き込むようにして手紙に手を伸ばした。
「なんだ、これ…? ポエムか?」
桃木は咄嗟に便箋をしまおうとしたが、間に合わず、俊敏な大田原に奪われてしまった。
「すげえ、笑いが止まらねえ! 『君の冷たいひとみが俺の心をつらぬく』だってよ!」と、ゲラゲラと大田原は笑いながら、大声で朗読をはじめた。
教室中の生徒が何事かと興味津々に集まって来る。
「ちょっと!」「やめてよ!」と、桃木と森は抗議の声を上げたが、ふと、投げやりな気持ちになった。
誰が何の目的でこの手紙を桃木のロッカーに入れたのかはわからないが、自分の名前を書かなかったのだ。この、ポエムのような脅迫状(もしかしたらラブレター?)が、大田原によって公開朗読されても、桃木の心は痛まなかった。
桃木は教室内の生徒達の顔をじっくりと見る事にした。
女子達は皆、「なに? キモいんだけど!」「こわ!」「ストーカーの手紙みたい」と、ヒソヒソと話し合っている。
男子達の多くは、大田原の朗読にびっくりした様子だったが、すぐに「ポエム?」「詩人か?」「センスねえな」「だせえ」「誰だよ!」と、笑い転げながら、手紙の文章を馬鹿にし始めた。
便箋を手に持っていた大田原がふと、「なあ、これ、佐藤の字じゃね?」と、言った。
佐藤悠真は、はしゃぐ男子達を遠巻きにして見つめていたが、急に自分の名前が出て「え?」と、固まった。
「ほら、丸い特徴のある字じゃね?」と、大田原は悠真に近寄り、白い手紙を広げて見せた。
確かに、悠真が書く、丸くてコロコロとした筆跡によく似ているように見えた。が…、
「いや。オレの字じゃない!」と、悠真は叫んだ。
悠真の隣に居た天野が「そうか? 俺にもお前の字に見えるぞ。」と、ニヤニヤ顔で言う。
一瞬、耳鳴りがしたような気がして、悠真はこめかみを押さえる。
しかし、言われっぱなしは嫌だ。
何か…、何か反論できる手がかりがないだろうか…。
悠真は少し考えてから、大田原が広げている手紙を手にすると、
「オレ、こんな変なポエム、書きたくても書けないよ!」と言い、
「でも、『心ぞう』は、漢字で書ける!」と言って、黒板に歩み寄り、『心臓』と、少し乱暴に書いた。
「おお~!」と、一部の男子が、納得したかのように感嘆した。
「ちょっと、その手紙を見せてくれる?」と、宍戸が大田原に歩み寄り、手紙を横から眺めながら、「佐藤君、『ふき出す』と『つらぬく』も、漢字で書いてくれる?」と問うと、悠真は大きく『噴き出す』『貫く』と、チョークで書いた。
再び、「おお~!」と、男子達の声が盛り上がった。
え? なにこれ? 漢字テスト…?
中学生までに習う漢字を佐藤に書かせて、宍戸君はいったい何がしたいの…?
と、男子達の様子を見ていた桃木は呆れていた。
「僕は、この手紙は佐藤君が書いたんじゃないと思うよ。」と、宍戸は冷静な声で言った。
大田原は、「いや…。漢字が書けただけで、そう言い切れるかよ。」と、反論する。
「これは、多分、桃木さんに対する脅迫状だよね。」と、宍戸が言うと、大田原は、
「いや。ラブレターじゃねえの?」と言う。
桃木もそれがわからなくて、怖いと思った。
宍戸は少し考えてから
「いずれにせよ、この手紙を書いた人物が、漢字を知っているのであれば、漢字で書く方が自然だと思うよ。」と言う。
「そうか?」と、大田原は納得がいかない様子だ。
「だって、脅迫状の場合は、ひらがなで書くと何だか間が抜けてしまうから怖さが無くなってしまうし、ラブレターならなおのこと、好きな相手に知識があることを文面でアピールする方がいい。漢字で書かない理由が無い。」
淡々と、宍戸が説明すると、大田原も「確かにな…。」と納得した様子で、「疑って悪かったな。」と、悠真に詫びた。悠真は、安堵のため息をつく。
天野は「そうか? これって、歌詞みたいな文だし、アートみたいなもんだろ。漢字を知っていても、わざとひらがなで書いて何かを表現したかったのかもしれねえじゃん。」と、食い下がる。
「へえ、お前、アートに興味あるんだ?」と、大田原がからかうような口調で言うと、天野は「別に、ねえよ!」と言い、乱暴に席に着いた。
それを聞いた宍戸は、「なるほど、わざとひらがなで表現する場合も考えられるのか…。」と、あごに手を置いて考えながら、白い便箋を手に取ると、
「まさか!これは、謎解きの暗号かもしれない!」と、突然大声で叫んだ。
男子達の様子を遠巻きに見ていた本田美恵が歩み寄り、
「そんなわけ、ないでしょ!」と呆れた声で言うと、宍戸の手から白い手紙を素早く奪い取って、桃木に返そうとする。
桃木は、「いや…。私、その手紙、いらない…。持っていたくない。」と、身を震わせて断った。その時、「じゃあ、それ、ちょっと俺に貸してくれねえか?」と、大田原が桃木と本田の間に割り込む。
「別にいいけど。」と、桃木は気味の悪い物をつかむような手で、手紙を本田の手から大田原の手に渡した。
チャイムが鳴り、教室中に散っていた生徒達が席に戻り始めた。今朝は文化祭準備が全く進まなかった。
結局、桃木は先生に手紙の事を相談しなかった。
先生達が何かをしてくれるとは思えないし、手紙の内容は、すでにクラス中が知っている。
心優しい女友達は、みな桃木を心配してくれる。
「怖いよね…。」「嫌な気持ちになるよね。」「私だったら、怖くて学校に来られなくなるかも…。」と、桃木の不安な気持ちを的確に表現して共感してくれる。それだけで、少しだけ安心する事ができた。
白い便箋に書かれたあの手紙は、攻撃的な内容と、かわいらしい丸文字がちぐはぐな印象があり、余計に気味悪く感じた。大田原から、あの手紙を貸して欲しいと言われて、良かったと思った。そうでなければ、気味が悪くてすぐに捨てたくなるだろうが、そうしてしまうと、もう誰があの手紙を書いたのかを知る手がかりが無くなってしまう。
宍戸は佐藤悠真が書いた手紙ではないと言っていたが、漢字が書けたからと言って、身の潔白の証明になるとは思えない。そんなに単純な事だとは思えない。何しろ、あの手紙は全てがかみ合わないのだ。清潔そうな白い便箋、不穏な文面、丸くかわいらしい文字、高校生が書いた様には見えないひらがなだらけの文章…。
桃木は佐藤が中学生1年生の頃から知っている。今でこそ大人しくて目立たないが、中1の時は、やんちゃな性格だった。そして、よく嘘をつく男の子だった。
「嘘をつく」と言っても、誰かをからかったり、冗談を言って笑いを取るための、他愛もないものだったが、桃木はその面白さが分からず、ただただ困惑する事が多かった。
佐藤なら、男子達の笑いを取りたいが為のジョークとして、桃木にあんな気味の悪い手紙を送るくらい、心を痛めることなくやりそうだと思った。
もうすぐ文化祭だ。本来であれば、もっともウキウキワクワクと気持ちが高揚する時期のはずなのに、そうなれない状況に、桃木は歯がゆさを感じていた。




