第23話
永らくお待たせしました。
「ピーチクパーチクと五月蝿い奴だな。しかも甲高い声で気色悪いし。鬱陶しいからお前黙れ。」
その暴言とも言うべき和範の言葉に清光は顔を真っ赤に染め、怒りのあまり声にならない声を出す。
「きっ、き、き、き、き、ききききき、きさ、き」
これを聞いた八重香が思わず心の中で声を漏らす。
(おうおう、怒りのあまり猿の本性でも現した、といったところみたいじゃのう。ちと言いすぎたんでないかい?)
(おっ! その意見もーらいっ! 次の挑発に使わして貰おう。)
(いや…妾の話も聞かぬか、馬鹿者。)
(まあまあ、お説教はまた今度、ね?)
そんな感じで八重香の追及をかわし、和範は思いっきり相手を馬鹿にした表情を浮かべながら話し出す。
「おやおや、俺は先程まで一応は人間の範疇にある物体と話していたつもりだったがどうやら違うようだな。なぜかは知らんが、追い詰められて本性を現したらしい。
まさか、猿だったとはな。
たしかに、鳴き声は、キーキーキーキーと猿によく似てるし、見てくれも顔は真っ赤で猿そのものだ。
どうやら桂清光殿は定例会に興味など無かったのだろうな。だから、代わりに自分にそっくりの猿を定例会の自分の席に座らせていたのだな。全く困った御仁だな。猿なんぞを自分の身代わりにするとは。」
和範の暴言を通り越した発言に対して、遂に清光はぶちきれた。
耳を劈く怒声を上げる。
「き・さ・まあぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
だが、その怒声に対して和範は五月蝿げに顔を顰めて、壁を指差す。
だが、その行動に皆は何の意味があるのかが分からずに心で疑問符を浮かべる。ただ一人和範が何を言いたいのか分った真理子は表面上は無表情を取り繕っていたが内心では先程から沸きあがってくる頭痛を抑えるのに必死だった。
そして、その意味を和範が告げる。
それはまさに暴言に暴言を重ねるものだった。
「この場で猿に発言権など無い。何か言いたいのならそっちの壁にでも向って好きなだけ叫んでいてくれ。俺がこの場に来たのは、市立第三公園で真理子と戦う事になった経緯を話す為に来たんだ。だから猿に構っている暇は無いんだ。
お~い、誰かこの興奮している猿にバナナか玩具でも与えて落ち着かせてやってくれ。先程から五月蝿くてかなわん。」
それを聞いた清光は顔をどす黒く変色させる。また、清光一派の者達もそれに同調するかのように和範に対して明確な敵意と殺意を向ける。
だが、和範は内心で本気で怒ってこの程度の敵意や殺意かと嘲笑う。八重香もこれなら真理子にも大して相手にされないわけだと納得していた。
ゆえに、険悪な雰囲気を完全に無視して和範は当主の高之助に語りかける。
「では桂家の当主殿、先程の話の続きといこうか。まず、私は人払いの術が掛けられていた事から…」
「殺してやる…」
が、またも清光が割って入った。
地獄のそこから響くような怨嗟に満ちた声だったが、和範は一切気にせず話を続ける。
「事から、厄介事が近くにあると判断して…」
「無視するなあぁぁぁぁあああ!!!」
一々話を寸断されて迷惑げな表情を浮かべた和範がようやく清光の方を向く。
すると、少し落ち着いたのか清光が真っ当な疑問の声を上げた。それは、真理子以外の全員が思い浮かべていた疑問でもあった。
すなわち、
「そもそも先程も言ったがお前は件の異能者と完全な別人だろうがっ!
それとも九重真理子が嘘の報告をしていたとでも?」
それならそれで更なる問題だと、清光は脅すが、和範は涼しい顔で挑発の言葉を返す。
「それをこれから説明しようとしていたのだ。
だが、五月蝿い猿が邪魔ばかりして困っていたんだ。」
その挑発に清光は和範への憎悪を募らせるが、何とか理性で押し止め続きを促す。
「そうか、じゃあ是非ともその説明とやらを聞かせてもらおうか。」
「やっと説明させてもらえるのか。
誰か知らんが猿にバナナを与えてくれてありがとう。
と、礼はこの辺にして、続きに入ろう。
厄介事、つまりあとで命やらを狙われたりするような事への対処の一環として私はまず変装する事にしました。」
挑発する事を決して止めずに清光の自分への憎悪を煽りながら、変装していたと説明する和範。
そして、その説明が本当の事である事を証明する為に、その時した変装を再現する。すると、そこには真理子の似顔絵で描かれた通りの人物が存在していた。これには真理子以外の全員が驚きの表情を浮かべる。それほどまでに先程までの和範とは受ける印象が異なっていたのだ。
そして、皆が似顔絵の人物と和範が同一人物である事を認めた事を確認すると、和範は変装を解き説明を続けたのだった。
……………
…………………
………………………
………………………………
「…というわけだったのです。」
と、あの時のあらましを大筋で説明した和範は、一旦口を閉じる。
周りの者達は一部を除いて、ヒソヒソと話し合っていた。
おそらく、今回の定例会で各々が当初予定していた汚名返上が出来なかったはずの真理子に下すべき処分について思いっきり思惑を外された為、真理子の処分について再検討しているのだろう。中には露骨に舌打ちをしている者まで何人か見受けられた。
こういう事にあまり時間を与えて、真理子の敵対勢力に妙案を浮かばせ、和範が元々考えていた報復案を邪魔されるわけにはいかないので、相手に望みどおりの対応を取ってもらう為にさっさと真理子にまともな処分を下す事態へと至る為の進言のように見せかけた、それでいて実は相手の反発を引き出す為の偽りの擁護論を周りの者達に、特に高之助に話し掛ける。
「皆様方、当時九重さんに敵対していた私が言うのもなんでしょうが、彼女は期限までに無事に対象人物を連れてきたのですから、彼女が先日被る事になった汚名は返上されたという事でよろしいのではないでしょうか?」
和範は、呼吸や間に気を使った、相手に浸透しやすい話し方で周りに話し掛ける。
周りに者達は一部を除いて、その雰囲気に呑まれ多くの者がそうするべきかと納得しだしたが、これに反発する者が出た。
清光とその一派の者達だ。
実は彼らも最初は和範の雰囲気に呑まれかけていた。が、清光だけは和範が挑発し過ぎていた事もあり、その憎悪が清光を雰囲気に飲まれる事態から防いでいた。
そして、その清光が自身の取巻き達に反論するよう命令した事で彼らは我に返ったのだ。そして、反論が始まる。
「待て、九重真理子の処分についてはお前には何の権限も無い筈だ。なのに勝手に口出しするのは止めてもらおうか。」
「そうだそうだ!
部外者の癖に勝手にしゃしゃり出てくるんじゃないっ!」
「まったくだな。これだから出自の知れぬ野良の異能者や術者は図々しいと言われるのだ。」
「それにお前は知らないのかもしれんが、お前もあの犯罪異能者と何らかの関わりがあるかもしれない容疑者の身分なんだからな。
何なら今この場で俺達が叩きのめしたり、場合によっては殺す事もできるんだぞ? 分際を弁えろよ?」
「桂家本家の清光様にあれほどの暴言を吐いたんだ、もう殺しちゃってもいいんじゃないですか?」
「そうだな、薄汚い野良の術士と同席しているだけでも虫唾が走るんだ。さっさと殺っちまおうぜ。」
などと、もう最後の方になると、ただの脅迫でしかないが、彼らは元々脅迫する事を前提に反論していた。
そして、口が達者なだけで、色々言ってくれた無礼極まりない異能者が顔を青褪めているだろうと考え、和範の顔色を見る。が、彼等の期待に反して青褪めた顔などしておらず、それどころか彼等を馬鹿にするような薄ら笑いすら浮かべていた。
それを見た清光は、目の前の異能者が、清光達がこの場で襲い掛かれないのを見切っているがゆえに、どれ程脅迫した所で相手に対して威圧が通じないと悟り、別方面から、つまり真っ当な意見で相手を黙らせようと口を開く。
「まあ、待ちたまえ君達。そしてそこの、え~と何だったかな面倒臭いから単に異能者と呼ぼうか。
それでだな異能者君、最初に加藤君が言った通り君はあくまでも部外者なんだ。それなのに桂家の会議に口出しするのは無礼では無いかね?」
この挑発に対して、八重香が更なる暴言で返してやれと煽るので、和範は小馬鹿にした笑みを浮かべながら清光に暴言を返す。
「さっき紹介した人の名前もまともに覚えられないそこの若年性ボケ人間。
勘違いしているのは君の方だろ? 確か自分が聞いた説明では、こういった処分の決定権は全て当主たる桂高之助殿が握っていた筈ではないのかね? 無論、その処分の決定には様々な意見が必要なので、本家は勿論、分家の者達の意見の発言も重宝されているという話だが。」
挑発に対して更なる暴言で返された清光は額に青筋を浮かべながらも言葉を紡ぐ。
「確かにそうだ。
だからこそ定例会では、あくまで我々の意見だけが必要なのだ。部外者である君の意見は必要無い。」
その意見に和範は嘲笑で返す。
「それはあくまで君の独り善がりで勝手な意見だろう?
別に部外者の意見まで封じるものでは無い筈だと思うが、いかが?」
最初は清光に、後半は高之助に問い掛ける。
その意見に、清光は虚を突かれた感じになり、高之助は頷いて言葉を返す。
「ああ、相馬君の言う通りだ。
このような場合には、部外者の意見も貴重な判断材料だ。」
その高之助の意見に清光は一瞬怯むがすぐに別方向から反論する。
「父上がそう言われるならばよろしいでしょう。しかし、九重真理子君の一件は、けっして汚名を返上したから全て無かったというわけにはいかないのですよ異能者君。
彼女が追及されているのは、彼女の任務遂行能力にこの一件で疑問が出たからなのですからね。
つまり、汚名返上は汚名返上。此方は此方で、それぞれ別問題なのですよ。」
「ほう、それはどういう意味なのかな?
できれば詳しく教えてもらいたいね。」
「ええ、いいでしょう。あなたの血の巡りの悪い頭にも良く分るように言ってあげましょう。
つまり、この一件で九重真理子君は君、つまり野良の異能者程度に負けてしまう人材だという事が示されたのです。我が栄えある桂家が、術者としてその程度の人間を最前線に送り込むなど大問題だという事なのですよ。」
その意見に和範は内心で相手を賞賛した。自分が思い描いていた台本通りの言葉をよくぞ吐いてくれたと。
だが、いきなり仕上げにはかからず、相手に逃げ道など与えぬように外堀をじわじわ埋める発言を行う。
「ああ、それは2対1でしかも九重さんが仲間だと誤解していた異能者を利用した上での勝利だったから、仕方ないと思いますよ。
それに、私がここに来る前に行った1対1の試合では彼女が勝利を収めているんだから私一人より強いのは確実です。
しかも、体術や術の威力全てで上回られ、此方の攻撃はほぼ全て見破られ、その上最後の賭けの攻撃まで見事に捌かれましたし…」
これも嘘では無い。和範が己に課した制約の中では、つまり八重香の力を借りない純粋な1対1では真理子の勝ちだと判断している。
八重香も、生き残りを掛けた殺し合いでは話は別だが確かに試合では和範の負けだと判断した。
そして、その内容の方も嘘ではない。
勝負自体はかなりの接戦だったが基礎的な戦闘能力では真理子が確実に上だった。尤も、それは決定的な差ではなく、基礎能力だけ比べても十回戦えば二回ほどは勝てる差であったが…。
そして、発言に対して八重香が呟く。
(上手い事、思い描いていた方向へと話を持っていけたのう。
こ奴らの感覚じゃと妾の力を使っても負けたと思うじゃろう。)
(ああ、上手い事いけた。
ただの異能者と思わせといて俺との決闘に是非とも引きずり込まなくてはいけないからね。
それに、嘘は言ってないよ。本当に俺ただ一人としての試合では真理子に負けたんだし。
それを誤解するかどうかは奴らの勝手さ)
(まあ、たしかにそうじゃの。こういう連中は一度ガツンッ!とやらんといつまでたっても懲りんしの。それに、真理子に向けられておる憎悪や妬みの感情を妾達に収束させてしまった方が後々の対処は楽になるだろうしのう。 ただ問題は、家族じゃな。)
(ああ、だけど俺の家族を狙うほどの馬鹿共ならその時は兆候を見せた時点で全員殺すさ。)
(まあ、当然の対処じゃな。
とりあえず今回は御仕置き程度に留めるんじゃろ?)
八重香の質問に肯定の意を返しながら、周りを見回す。
皆が近くの連中と小さな声で話し合っている。
真理子と和範が二度も戦った事は彼らも知らなかったのだろう。周りからは、「やはり2対1だったから勝てただけか」とか、「純粋な実力では九重の長女がやはり上か」といった声が聞こえてくる。
これに対して隣の真理子が反論しようとするのを和範はさりげなく止める。今ここで全てをばらされては意味が無い。真理子の和範を思う気持ちだけありがたく受け止め、今は黙っておくように目配せをする。
そして、和範は周りの話し合いが自身の思っている方向に進んでいる事に大変満足するのだった。
真理子は自身の主の目配せの意味を悟り気を静める。
そして幾分か落ち着いた真理子は、主が実に楽しげな雰囲気を僅かににじませているのを感じ、そこから主が事前の考えを変える気が無い事を悟る。
そして、悟ると同時に清光とその一派に対して強い憐憫の感情を覚えた。
彼らは今まで真理子に対して様々な嫌がらせをしてきた者達だ。普通はそんな者達が酷い目に遭おうとも彼等に対して、憐憫を覚えたりする事はない。だが、これから主が彼等に対してやろうとしているお仕置きの事を考えると、やはり憐憫の感情が湧いてしまう。
真理子自身も最初にやられて非常に屈辱を感じたのだ。だが、その後の話では、真理子が女性なのも考慮して、軽めの御仕置きに代えたそうだ。確かにもう一人の犯罪異能者の末路を考えれば真理子はかなり優遇されていたといえるだろう。
尤もあの時裸に剥かれていたのを後で聞いた時は思わず主の首を絞めて気絶に追い込んでしまったが。
まあ、それはどうでも良いとして、あの時、自身の今の状況や清光一派の事を教えた時に、主が実に楽しそうに壊しがいが有る連中だと言っていたのを聞いた時は思わず身震いがした。
これから彼らは地獄に叩き落されるのだろう。
肉体的にも何より精神的にも。
決闘の後、彼らは肉体的には一ヶ月は病院のベッドから起き上がれまい。だが何より精神的な損傷の方が気がかりだった。
これからの話の流れは相馬和範と言う主と相性が抜群な上に共に5日間行動した真理子には手にとるように分る。
おそらく彼らはこの決闘で負ければ彼らが生きている限り決して拭い取れぬほどの窮地に立たされる筈だ。だが、彼等が全力で挑もうとも主に勝てるとは全然思えない。
つまり彼等の破滅はもう確定したも同然だ。
自殺者が出なければ良いが…。
と、真理子は今後の展開を思って、清光達に対して今までは決してする事の無かった同情を、盛大にしたのだった。