第20話
相馬家に真理子が訪れた次の日、そして桂家での定例会を3日後に控えたその日の夕方、和範と真理子は、体術の訓練や、主に真理子が教師役となって術の訓練に勤しんでいた。
そして、現在は術の講義中…
「では主様も、自分用の専用の呪歌をいくつか覚えていただきます。
これから先、公的な依頼を受けるとなると、専用の呪歌を所有しているのといないのとではやはり依頼の成功率や場合によっては生存率にも影響しますので。」
「専用の呪歌か…とりあえず、この前教えてもらった補助用の呪歌と守護の呪歌の二つは持っておくべきだと思うんだが?」
「補助用のはともかく、守護の方は対象人物が女性である事を条件にしていますよ?
男性に対しても使えない事はありませんが、女性を対象にしたときの3割程度にしかなりません。
汎用的な守護の呪歌の方がよろしいのでは?」
「まあ、そっちも覚えるつもりだけど、これから先、真理子に常にあの守護の術を掛けておこうかと思って。」
「っ!!(照れっ)。 あ、その、ありがとうございます…」
「自らの庇護下にある女性への当然の配慮だね。」
「主として、男として当然の配慮じゃな。無論妾にとっても真理子、お主は庇護の対象じゃぞ?」
「(照れ照れ照れ)。で、では、汎用的な守護の術以外にどのようなの呪歌を覚えておくか検討しましょう。」
その真理子の発言により、考え込む和範と八重香。
とりあえず、其々思いついた内容を吟味してゆく。
「妾としては、妾と和範の二人が得意としておる"水"の力を増幅する事の出来る呪歌が必要じゃと思うのじゃが。」
「ああ、たしかにそれは俺達が一番欲しい呪歌だな。どうだい真理子、そんな呪歌って有る?」
「はい。確かに存在していますよ。たしか、……「待った」」
と、思い出した呪歌の内容を言おうとしていた真理子を和範が止める。
止められた理由が分らない真理子は、視線で尋ねると、
「いちいちその場その場で説明するのは面倒だろ? 紙にでも書いて後で全部教えてくれたらいいよ。
とりあえず、この場ではそういった専用の呪歌が有るか無いかだけを教えてくれないかい?」
その理由を和範が話す。その理由に納得の色を見せた真理子は和範に同意する。
「確かにそうですね。では、このメモ用紙に書いて後で全部説明いたしますね。」
「ふむ、なら話の続きといこうかの。次は、先程も真理子が言った汎用的な守護の術じゃな。これは有るんじゃろ?」
「はい。存在します。」
「じゃあ、相手を幻惑させるようなものはあるかい?」
「存在しますけど、幻惑にはそれ程意味はありませんよ。これも後で説明しますね。」
「そうそう、攻撃用ので見繕っていてくれるかの?」
「はい。承りました。」
「んん~、なら回復用の呪歌も頼もうかな。」
「はい。私がよく使っているのが有りますからそれにしますね。
尤も、一つ注意しておいて欲しいのですが、術によって受けた傷は回復するまでに時間がかかりますし、その上回復の術を使う際の隙はかなり大きくなります。ですから、戦闘中に使うなら長期戦で且つ相手からそれなりに距離がある場合にのみ使用するようにして下さい。」
「あとは、相手の力を削いだりするのがよいかのぉ」
「存在しますので大丈夫です。」
「ん~、とりあえずこのくらいかな?」
「そうじゃのう、後は追々必要になれば聞くだけでよかろうの。」
「では、以上ですね? それでは、ご要望の呪歌は此方になります。」
と、真理子がメモ用紙を見せてくる。そこに書かれていた内容は次の通りだった。
●"水"の力を増幅する呪歌
:千磐破 蛇の神へと 乞ひ祈むる 枯れ行く地へと 恵み与へと
●汎用的な守護の呪歌
:諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ
●幻惑について
:隠蔽用の呪歌で代用が可能で精度の減少もない。ちなみに光学系、精神干渉系の二つがある。
●攻撃用の呪歌(呪詩)
:悉山河ノ荒ぶる神ト伏は不人等及を言向ケ和平したまひき
:ちはやぶる 神を言向け まつろへぬ 人をも和し
●回復用の呪歌
:淑き人の 良しと吉見て 好と言ひし 芳野吉見よ 良き人よく見
●相手の力を削ぐ呪歌
:楽浪の 国つ御神の うらさびて 荒れたる京 見れば悲しも(特に神に有効)
:八芽刺す 出雲建が 佩ける刀 黒葛多纏き さ身無しにあはれ(武器の威力減衰に特に有効)
和範と八重香が内容に目を通したのを確認した真理子は、書かれた内容を各々細かに説明してゆく。
そして、暫くの間、和範と八重香は理解した術を行使するのであった(尤も、八重香は一度使っただけで完璧に使いこなしたが…)。
和範がある程度術を使いこなす事が出来るようになったので後はこれまでの術同様反復練習をするだけとなった後、真理子が不意に八重香に気になった事を質問する。
「そういえば、八重香様は人間の姿にならないんですか? 人型でない神様も人間に化けられる筈ですけど…」
その真理子の問いに和範と八重香は顔を見合す。
初めて聞いた情報だからだ。
そして、八重香が真理子に問いただす。
「真理子や、それは全ての神が出来ると言う事かの?」
「は、はい。全ての神様が出来る事だと私は聞かされてます。」
「やり方は知っとるかの?」
「い、いえ。やり方まではちょっと…」
それを聞いた和範が八重香に提案してみる。
「とりあえず念じたりしてみたらどうだ?」
「そうじゃの、とりあえずやってみるかの。」
と言って、目を閉じ集中状態に入る八重香。
……、…。
だが、いくらやっても姿が変わる事は無かったのだった。
その後も30分程色々と試してみたが、八重香の姿が変化する事は無かった。
「やはり、妾の記憶が無いから出来んようじゃの。」
「あ…その、すみません…」
「ん? 別に妾は気にしとらんぞ?」
「そうだよな~。今まで特にそれで不自由した事も無いし。」
「そうじゃの。じゃから真理子や、お主も気にやむ必要は無いぞ?」
「はいっ! 気にかけていただきありがとうございます。」
「よせよせ、照れるではないか。…というか、普通役回りが逆ではないか?」
「ははは、確かに。この場合出来なかった八重香が気に掛けられる側だよな~」
と、和範が軽く言うと、八重香と真理子も、確かに、と笑い出す。そして、
「「「ハハハハハハハハハ」」」
と、いつしか和範もその笑いに加わり、その後は三人で盛大に笑い合うのだった。
その後はもう遅いので解散しようという流れになり、其々帰路につく。
そして次の日は体術の訓練に勤しんで過ごす。
そんな感じで2日が経った。
その日は、桂家定例会の日。和範と真理子にとっての正念場となる日が遂に来たのであった。
桂家の屋敷へ真理子によって連れられてきた和範。周りに誰もいない事を確かめて真理子と最後の確認を行う。
「じゃあ真理子、俺はいきなり最初からは出ないからね?」
「やはり、あれをやる気なのですか……?」
「当然だね。俺の可愛い従者を苛んできた馬鹿共にはそれに相応しい態度で接しないと駄目だろう?」
「出来れば思いとどまっていただきたいのですが…」
「それは無理だな~。俺だけじゃなくて八重香の方もやる気満々だもの。」
その和範の返答に真理子は信頼していた者に手酷く裏切られたような顔をする。
「そんな…八重香様もですか? 八重香様は静止してくださる側かと思ってましたのに…」
「ん~、その八重香から伝言。「確かに妾はこの賢いようでどこか抜けとる粗忽者を嗜める立場にあるが、流石に今回の馬鹿共をこれ以上調子に乗せるのは我慢ならんからの。身の程を教えてやるつもりじゃ!」、だってさ。」
その発言に、自分が大事に思われているがゆえに起こる事なのだと自分を納得させて真理子が渋々承諾する。
「はぁ~…。分りました、でも出来るだけ小さく治められるように努力してくださいね?」
「わーかってるさっ! 大丈夫大丈夫。案ずるより産むが易しだよ。」
だが、あまりに軽く返答された真理子は不安のあまり天へ祈りを捧げだす。
「…天地に召します神々よ、この哀れな小娘の祈りを聞き届けたまえ…」
それを見て取り真理子の不安を払拭しようとする和範。
「やだな~。そんなに不安にならなくても大丈夫だよ。
絶対真理子には迷惑は掛けないようにするって。」
だが、あくまで軽く返答する自らの主に不安を抱いた真理子は直感的に悟った危惧のままに尋ねる。
「……私以外には……?」
「………善処…するよ?」
その疑問符付きの返答に流石の真理子も軽くキレる。
「どうしてっ!! 語尾が疑問系なのですかっ!!」
「しぃ~、静かに静かに。どうどう。」
と、和範に宥められた真理子が息を整える。そして、
「はぁ~。
………貴方様の従者である九重真理子が伏して奏上いたします。貴方様はその身に神を宿す高貴なる御方。ゆえにこそ我ら只人に過ぎない者達の上に立つ上位者として相応しき度量と態度をお示しあそばしませ。
出来るならば、憐れなる愚者達に一片の慈悲を。
どうぞこの言葉を御身が少しでも気に掛けていただけたらと願う次第でございます。」
と、溜息をついた後、その場に平伏して自らの主に忠言する真理子。
尤も、恭しい発言の奥には真理子の怒りを押し殺した激情が見え隠れしている。それを敏感に察した和範は流石に真面目になって返答する。
「分った。分ったからっ! 極力騒ぎは小さくなるように努力するからっ!」
「……それだと、努力はしたけど駄目でした、と逃げ道が残っています。努力の部分は削除してください。」
真理子の切り返しに、うっ、となった和範は渋々同意する。
「…了解…。極力騒ぎは小さくなるようにします……」
そんなやり取りもそこで終る。
そして30分後、遂に定例会が始まったのであった。