銀河通信 その1
激しい雨音に混じり、小さな赤子が泣いているような、必死に呼んでいるような声が聞こえてた。季節は十月も終わりに近づく頃で、びっくり箱のようにとち狂った残暑が戻って来ることも少なくなり、ようやく秋めいて冬支度への軌道に乗り始めたような日だった。雨や風が屋根や窓やドアなんかを壮大に打ちつける激しい音を夢うつつに聞きながら、台風が来るってそういえば言ってたな、と思った瞬間、僕はがばっと跳ね起きた。
夢ではなく、現実に聞こえているのだ。
激しい雨風の音に混じって助けを必死に求め呼ぶ声──それは子猫の声だった──を頼りに、僕は半分寝ぼけてパジャマのまま、玄関脇に置いてある傘をひっつかんでドアを開け外に出ていた。さすが台風だ、こりゃスゴイ、と妙に感心しながら声のする方へなんとかアンテナを伸ばすように聞き耳をたてて声の主を探すことにした。集合住宅の階段を降りて、自転車置き場やゴミ置き場とか草むらのあるところを探し回ったが、声がどこから聞えてくるのかよくわからない。しかし必死に鳴いている声はする。
上から横から下から(?)までも雨風が襲いかかるような豪雨で、昨日迄の夏ボケした秋の気温もそれらしくぐんと下がってきていた。このままだと、たぶん死ぬだろうな──そう思いながらも、あまりの見つからなさに、めげかけていた時だった。
ふと、壁に立てかけられた朽ちかけた板が目についた。腐りかけているような古い木の板で、ずっと以前からここに置いてあったものだった。触るのにも何か勇気がいるような(実際触ったら、ぬるっと、腐食しかけた物体の感触がした)シロモノだったのだが。理性ではいやこんな隙間(壁との間は五センチもない)はないんじゃないか? と思うのだが、それでも確かめないままで助けられるかもしれないものを見逃すのは嫌だったので、ないだろうと思いつつも、それをちょっと動かして覗いてみたのだった。
いた──こんな小さな隙間に入り込むくらいの、本当に小さい子猫だ。僕は自分でもびっくりしながら、脅えて爪を立て暴れる子猫を何とか掴み上げ、泥だらけのそいつを自分のパジャマの腹のところの布でくるむようにして捕獲し、いつのまにか投げ出していた傘をひっつかんで、ずぶ濡れになりながら家の中に駆け戻り、そのままバスルームに直行した。
今にも殺される、絶対死ぬ! と確信した気迫をもって必死に暴れて泣き叫ぶ泥まみれの子猫をなんとかぬるま湯で洗い流す、僕の方も泣きたい気分だった。パジャマもびしょ濡れだし、変な姿勢で屈んでい続けているので背中や腰が痛いし、これからどうすんだよ僕は……と思いつつも、とりあえず行きがかり上こうなってしまった以上、目の前の泥まみれのこいつをきれいにするしかないのだった。僕はいったい何をやっているんだろう……と何度も考えつつも、気づいたらもうしている。こういうときは、たいてい僕はそうなのだった。頭で考えるより勝手にもう身体が動いてしまっているのだ。だから理屈の方が、実際は後づけなのだった。自分以外の誰かが同様の体験についてもっともな理由や理屈を言っていたりするのを知って、ああそうか、あのときのはそういうことだったのか、と納得することすらある。
仕事も辞めて生活費もかつかつだったのに、僕は何でこんなことしてるんだろう(こんなことしていていいのか?)と思うのに、眠くて重い体を引きずるようにして子猫用のミルクやらドライフードを買い込んで帰宅する道で何故か自分の体は頭や心で考えることとは関係なく、喜んでいるみたいだった。なんだか活力のようなものをすっかり取り戻していて、これからの心配やら気苦労はよそに、全く根拠がないのにもかかわらず、エネルギーに満ち溢れている感じがして、自分でも不思議だったし、なんだかそれが妙に愉快だったのだ。
ええい、どうにでもなるし、何とかするよ! と、やけくそのような、一種のナチュラルハイな気分だったのかもしれない。
でも僕はこういう感じをよく知っていた。
人生に行き詰ったとき、こんな風にして、今までも気づいたら行動していて何とかなってきたり、してきたのをかつての経験上よく知っている、いわば懐かしい感じだったのだ。久しく忘れていた盟友を、おお、久しぶりだな! と見つけたような愉快な気分だった。
子猫は本当に小さくて片手の平にすっぽり収まってしまうくらいだったが、意外にミルクはほとんど飲まず、ドライフードや缶詰のごはんをがつがつ食べた。保護した当日は、小さな台に毛布をかぶせてクッションや電気毛布を敷いて作った即席ねこかまくらにこもって、脅えていたのでそっとしておいた。猫用のトイレを空き箱で作って置いておいたらそこに自分で用を足していたので、こんな小さくても自分でできることに感心しつつ助かっていたのだが、排便がないので促してやる必要があるのだろうか? と心配していたら、翌日には真っ黒なウンチをしていたので、これまた血便か?? と病院に連れて行くことを考えながら様子を見ていたら、数日後には普通の色のウンチになった。よほど怖い目に(僕に捕獲されたことも含め)あったストレスで胃腸から出血をしていたのだと思われる。
子猫は茶とらの雄猫だった。
とても元気で可愛らしい。
僕を恐がっていたのも膝にのせて指をつかってじゃらして遊んでいるうちになれた。そうか、一緒にあそぶ、っていうのは、立派なコミュニケーションなんだ。異種間で言葉は通じなくても、一緒に楽しく遊ぶ、その時間を安心して楽しく過ごせるだけでも、言葉以上のコミュニケーションが成立するのだ、と改めて気づかされた。色々な背景があっても、安心して楽しく一緒に遊べる時間を持つこと自体が、絡み合った問題を柔らかく自然にほどいてしまうことにつながることってあるのだ。きっと。
真剣に僕の指にじゃれついて追っかけまわして、膝の上でちょいちょいと、小さな手足を動かして遊びまわる可愛らしいちびっこを見ていたら時間の感覚を忘れてしまい、そんな風に楽しく時間を忘れるのも久しぶりだった。
何と言っても僕は今失業中で、しかもこれは一度目ではなく数度目のことでもあり、十代のうちから一人暮らしを始めているので生活費も自分で稼がないとならないというのに、いいかげんに疲れて気分も腐っていたところへ、まるで救世主? のように天から降って、このちび猫は僕のところへやって来たようだった。
よし、とりあえず、こいつにごはんと安心して雨風をしのげて眠れる場所を確保してやろう、そんな妙な活力がどこからか湧いてきて、その前に自分の世話をしなくてはならないことが億劫になっていたやる気のない僕に、生命力の源にプラグイン! したみたいな、不思議な楽しい気分を取り戻させていたからだった。
そうだった。人生は予測のつかないことの連続だった。今までも(幸か不幸か)そうだったではないか。それでもこうやって今までやってきたのだ。これからも、大丈夫。まだやれるし、楽しめるし、人生は冒険だ!! そんな懐かしい気分とエネルギーが自分に戻ってきたのを、僕は不思議な、でも妙に納得したわくわくするような気分とともに味わっていた。




