大修理開始、、、。
ぼろぼろの機体がならぶ各地の航空部隊ですが、なんとかせねば
なりません
このような問題があるのは解った。
ではどうするか?
すでにソ連軍の侵攻は継続している。
モスクワ放送は「これは日本の帝国主義の軛から、満州を開放してひいては抑圧
された人民を解放するための偉大な戦いである。
満州の人民よ、決起して日本帝国主義者やその走狗との戦いに立ち上がろう」
などと煽動する。
でも、ソ連軍の砲爆撃は、彼らのいうところの人民も日本人もまとめて吹き飛ば
しているので、あまり説得力はない。
今、各基地にある機体を至急、整備(多くが大修理に近い状態であるが)して前
線に送らねばならない。
先の調査で各機体の状態が把握されているので、それに従い各地から機体を製造
会社の工場に送り込み、整備する。
まずは飛行可能の機体から送りこみ、整備が済んだものから試運転、飛行試験に
回していく。
合格したものは、名古屋、から伊丹、岩国などを経由して大村に進出して、そこ
から朝鮮半島を経由、大連に空輸される。
また、部材が欠品して飛行不能のものは、各基地に米軍のC47や、生き残りの零
式輸送機がプロペラ、発動機の補機、計器、タイヤなどを整備員とともに送り
こまれ処置されている。
とりあえず飛行可能状態にされたのち、製造会社に戻され、再整備される
この時、役に立ったのが、米軍の機体の装備品、潤滑油、燃料である。
つまり同等以上の品質のものが入手しやすくなっている。
また技術資料も、捕獲された機体を米軍が評価した際の資料が役立った。
重要な計器が欠品した、捕獲機に米軍の計器などを装備して評価試験してくれて
いたのであるから、ある意味、米軍の装備品などの適合性試験をすでにして
いたようなものである。
大修理などが必要な膨大な機体を目の前にしていた製造会社の現場では少し
希望の光が差したとか。
それにしても空輸作業も、大仕事であった。
航空路をレーダーで監視、管制するなど未来の話し。
それから10数年後でも、東京~大阪間で行方不明になった全日本空輸の旅客機
があったことからも想像できよう。
では陸路はというと、今のように道路網が完備されている時代ではないので、破
損している機体の陸送などできかねるのだ。
とりあえず現地から工場まで飛べればよいので、最悪、主脚の引き込みもでき
ない状態でも脚を出したまま、都市部を避けるように飛ばしていく。
苦労して空輸してきた機体は、まず外観検査から始まり、各部の取り付けなど主
要な個所の健全性を調べていく。
幸いなことに、零式艦上戦闘機の系統の中でも、比較的初期に造られた23型につ
いては、製造工程も安定していた時期で機体そのものの状態は良好なほうである。
空母に搭載されて洋上での運用されていた機体では主車輪収容部、着艦拘捉鈎
(今風にいえば着艦フック)収納部、尾脚基部、などの部材に腐食がみられた
りする他、状態は良好である。
中には無理な落下式の着艦で、上記の個所に亀裂などがみられることもあるが、
皮肉なことに大戦後期から、空母での運用が減ったことから、機体の損耗も減
り、比較的良好な状態を維持できたのが幸いしたようだ。
また、発動機の強化や降下速度の上昇に伴い22型などより補強されてい
る点でも有利だったようだ。
余談だが、同じように残存している22型、をこの際、23型仕様に変更できない
か、航空本部が検討を依頼してきたが、残っていた22型は実戦で酷使された
後も訓練で過酷な使われ方をしたものも多く、機体の状態が悪かった。
そして何よりもそもそもの部材の互換性の低さから、改造する
のもほとんど再製作するような工数がかかることから断念さざるを得ないの
であった。
一方、その後の型式、23型丙などは火力強化したことから、発動機架や主翼前
桁、や後桁への取付金具,点検口周辺などに亀裂がみられたりすることがあり、
亀裂の進展予防の割れ止めの穴をあけ、周囲の補強をおこなった上で引き渡し
となった。
困ったのが、最新型たる33型、爆戦でいろいろ問題が出てきていること。
この型はちょうど材料不足、工作技量の低下など問題が起きている時期に生産
されたからだ。
なんせ、噴進弾の発射軌条が取り付け不良で、噴進弾の噴射で主翼前縁が破損
した痕跡まであるのだ。
そのため、程度のよい部材を現物合わせで組み合わせ1機にするようなことに
なり10機あっても結局2~3機程度運用可能な機体ができればよいほうであ
った。
しかし、ここまでするのは当時の満州方面での戦況は、圧倒的なソ連地上軍の
進撃を、陸海軍の航空隊が前線から後方にいたるすべての戦場で、日々地上
支援に駆り出されて、ようやく食い止めているのが実情で、この33型の噴進
弾、および弾数は少ないものの、強力かつ機体軸線上に配置されて精度も
高い30mm機銃の威力が前線から強く求められていたことによる。
さてこのような大修理、再整備は各製造会社で大車輪で行われていて、当初
悲惨なまでのレベルに落ちていた日本軍の航空戦力は、少しずつ息を吹き返
していくのである。
このあと、その様子を述べてみたい。
米軍が各地で捕獲した機体の復元、と飛行試験をそれも戦時中に
していることからしたら、おそらくこの程度のことはできたと
思えます。




