停戦後の航空戦力調査にて
停戦したけど、まだ戦争は続いてます。
そのため、現有戦力の調査をしたら、、、
「これほど酷いとはなあ、本土決戦なんて、絵空事だったな」
「そうですよ。軍需省からいくら増産とかいっても、形ができていただけで、現実の
戦力向上になっていなかったのが分るでしょう?」
「そうだな、、、、。」
昭和20年8月末、官民合同航空戦力調査委員会での話である。
8月15日の停戦後、直ちに第二次日露戦争が本格化。
本来、正しくは日本対ソビエト連邦の戦いであるが、国民全体の中では日露戦争の
再戦ととらえられていたことから、この通称は後に正式なこの戦争の呼称として定
着したのである。
そのため、大戦で疲弊した日本の航空戦力の立て直しが急務となったが、まず現時点
の戦力とその問題点を再度把握、改善するための委員会を軍需省、陸海軍、さらに航
空機製造会社などで立ち上げたのがこの委員会である。
各地の航空基地、工場、その他関連部署を実地に調査して、現状を確認した結果を集
計した第一次の調査報告がまとまり、委員会の席上で示されたのである。
粗末な紙に示された内容はもう、悲惨を通り越して笑いが出てくるような状態であっ
た。
戦時中、とにかく機体の増産に官民挙げて取り組んだ結果、機体、発動機、装備品の
すべてで不良品の山を築いていたのだ。
まず機体については、停戦前には工場での生産機の30%が使用できる程度。
部隊にある機体でも機材の不良、整備技術低下による不良が重なり、実働できるのは
20%程度となっていたのである。
生産現場では適切な治具もないまま、外板を機体の骨組みに取り付けリベット打ちす
るような状況であり、取り付け不良、部品の互換性がないなどから、組み立て後の調
整に困難すらきたす状態。
これは熟練工員が召集、動員されて代わりに動員された未熟練の工員による作業の他
整備、工作についての設計時点での配慮不足も背景にあったのである。
そしてこの配慮不足は取扱説明書にも反映されていた。
米軍機のマニュアルは、図解も豊富で非常に分かりやすく作られている。
あまり訓練を受けていないものでも理解しやすいことを念頭に作られているのためで
ある。
それに比べて、日本機の場合、少なくとも飛行機の整備の訓練を受けている人員を
念頭に書かれているせいか、図解も簡単で、素人を動員して訓練していくには
使いづらいものがあるのだ。
筆者は戦後の旅客機YS11の整備について訓練を受けた最後のほうの世代であるが、
戦後の民間機のマニュアルも同じような傾向があるのを感じた次第である。
民間の自動車すら少ない戦前の日本ならばこそ、素人受けするような取扱説明書
が必要だったように思われる次第。
また正規の材料が入手困難(米軍の通商破壊戦の成果である)から代用品の利用、
さらには設計図にない工作法など適用したため、必要とされる耐久性を得られず
使いモノにならないため、結局元通りにしたなど時間と労力の無駄づかいも見られた。
とにかく機体の形はしていても、部材の付け間違い、精度不良などあり部隊で領収し
ても使えないものが続出している水準であった。
発動機は飛行機の心臓部であるが、こちらも劣化を免れなかった。
これにはいくつかの問題が重なっていた。
まず、もともと複雑な構造、精緻な設計であり量産などで苦労した場合である。
これには液冷発動機や、小型で高馬力を追求した誉などがそうである。
また材料の使用制限や不足からから十分な強度や性能を保証できない場合。
これは液冷発動機のハ40のクランク軸の例や点火栓の絶縁材料で雲母が使えず絶縁
不良になった場合ことなどがある。
排気タービン過給機も耐熱合金でよいものが得られず、実用できなかった。
また排気タービンについては既存の機体につけようとして設計上の無理が生じたりも
したようだ(P47がまるで排気タービンと過給機を中心に作ったような機体である
ことと対象的である)
さらに当時の日本でいいものができていなかった場合もある。
これにはパッキング、潤滑油 高圧の油圧配管に使う接手類、などなど。
潤滑油は開戦わずか前までアメリカに頼っていたのであるし、パッキングも圧搾した
紙製等で耐久性の低いものであった。
これは当時の発動機全体の問題であった。
次いで装備品であるが、日本で当時、設計、製造する技術に乏しく、入手できた海外
製品を模造するしかなかったものも多数あったのだ。
例えば零戦の98式射爆照準器。
これは輸入したドイツ機のものの模造品であるし、後期の機体に搭載された4式もそ
の新型である。
機銃に至っては、すべて原型は英、米、そしてスイスのものであった。
そのため、特に英米からの技術が捕獲機ていどしかなかった戦時中は装備品について
の格差は拡大していたのが現実であった。
先に述べた照準器なども停戦ごろには英米ではジャイロを内蔵して見越し射撃を容易
にする機能までついた照準器を実用化していて命中率を向上していたし、機銃もドイ
ツのマウザー砲(MG151/20、ドイツでは一般的に使われた20mm機銃)が
国内では模造できなかったのである。
当時最新の技術である機上搭載型の電探も同じである。
以上のような現実を突きつけられたが、すでに戦争が始まっているのである。
満州の前線では困難な戦いが継続している。
さあどうする?
この項の、不具合事項はほぼ史実。
聞いてびっくり。
これでは終戦時の航空機が10000機ちかくあったとて
眉につばして聞かざるをえません。
燃料は苦しく、後方支援体制も崩壊した航空部隊がどのていど
戦えたやら。
本土決戦なんてなくて良かったです




