漆黒の翼
黒天狗のキスでアヤカシ界に閉じ込められためいは目を覆いたくなるような光景に苛まれていた。
背中に大きな黒い翼をもつ人間がまるで家畜のように鋼鉄の鳥籠に入れられ、十字架族の捕虜になっていたのだ。
「お願ぇだ、オラはおめぇらに手出しはせん」
口々に命乞いをする黒天狗に唾を吐きかけた十字架族の兵士は部下に冷徹な命令を下した。
「翼があるものは殺せ!!」
黒天狗達は槍で無残に翼を折られ、人形のように無抵抗のまま八つ裂きにされた。
「やめて、お願い。こんなの酷いよ」
めいはタール色の血飛沫の中、力いっぱい叫んだ。
その叫びは誰の耳にも届くことなく次々に殺されていった。
一方、紅月剣が使えないヨミは黒天狗に攻撃されるままボロボロになっていた。
「ヨルミア、お前の一族の大罪を知らないとでも言いたいのか」
「知ってる。だが、これは俺が生まれるはるか前の話だぞ。俺がお前らを殺したわけじゃない」
その言葉に黒天狗はさらに激怒した。
「十字架族には変わりないだろう・・滅びよ!」
黒天狗は光陰槍を振り上げた。
さっきまでの残忍な光景が闇に消え、めいの目の前で一匹の小さな黒天狗の子が怯えた目で立っていた。
暗闇を照らす光のような金髪で、微かに五色の光を湛える漆黒の翼をもっていた。
「・・殺される・・助けて、怖いよ」
泣きながら訴える少年に触れようとした。
「ここに私以外、誰もいないわ。誰が殺そうとしているのよ」
「僕の血が、あの人たちを殺さないとゆるしてくれない」
見上げた少年の目から黒いタールのような液体が流れだし、めいは思わず手を引っ込めた。
「ゆるして」
闇の中から硫黄の匂いをしたタールの腕が現れ、少年の全身を覆い尽くした。
タールの腕が粘土のように蠢き、少年の顔を残して鋭い鉤爪に大きな翼をもつ一体の怪物の造形に変化した。
その顔は紛れもなく瞬の顔だった。
「瞬君!」
めいは潜在の恐怖を押し殺しながら、硫黄臭いその忌々しい怪物の顔に触れた。
そして、脳裏には忘れ去られた記憶が湧き出るように蘇った。
幼いころの二人があの川辺で踊っている。
・・瞬君、そうだったの。
私達ずっと前から一緒だったんだ。
あの時あなたが教えてくれたことって全部本当のことだった。
私ったらバカだから大切なことも嘘だと否定しちゃったんだね
守ってくれていたのに・・ごめんね
めいは大粒の涙を流し、怪物を抱きしめた。
「ごめんね、やっと思い出した。ずっとひとりにしてごめんね」
怪物は絶望色の生気のない目を開けた、そして悍ましい唸り声をあげながら呟いた。
「やめて、早く逃げて!君を傷つけたくない」
「どうして?」
突然瞬が目を見開き泣き叫び、体から生える無数の刃をめいの体に容赦なく突き刺した。
めいの全身は刺さるところを残すことなく刃で血塗れになっていた。
痛みよりも瞬の深い悲しみが支配され、泣き続けた。
「この腕を離したら永遠に瞬君は一人ぼっちになっちゃう。だから離さない!」
瞬は完全に狂気と混沌に支配されていた。
「ごめんなさい・・君を傷つけちゃった・・傷つけたくないのに」
喉奥でやめろを連呼し赤ん坊のように泣き喚く怪物を、めいは刃が貫通した血だらけの腕でさらに強く抱きしめた。
「思い出して、貴方はこんなんじゃないから」
その血が怪物のどす黒い皮膚に染み込むと、彼の記憶が再び蘇った。
僕は千年前、黒天狗族が十字架族に滅ぼされたと同時に生まれた。
人を傷つける術を知らない彼らが無抵抗のまま残忍にも殺され、死してようやく恨みという感情を生んだ。
その恨みの化身こそ僕だった。
黒天狗族最後の族長が十字架族にかけた呪いですら晴らしたことにならないくらい深い恨みを抱いた彼らが僕に与えた使命は
〝十字架族を痛めつけながら滅ぼすこと″
確かにこの手で何千人もの十字架族を殺めた。
自分の精気で創った光陰槍が長く立派になるにつれ、長く続いた黒天狗の血は喜んでくれた。
僕はそれが嬉しくてまた十字架族を殺していった。
だが、ある年のこと五十年前に例の呪いを解こうとしている十字架族が現界へ旅たったと知ったので、黒羽 瞬という仮の姿になりその人を探すことにした。
彼らを見つけ次第殺そうと手ぐすね引いていたある日、現界の女の子に出会い、生まれて初めての友達ができた。
真っ黒な化け物の僕のことを怖がらずにいつも優しい目をしているあの子はこの川で遊んでくれた。
だが、ある日いつものようにあの子と遊びたくて川に来た時のことだった。
「助けて!」
声のするところまで駆けつけると、あの子が大型のベーゼに追いかけられていた。
彼女を守らねばと光陰槍を召喚しようとしたが、アヤカシ界ではないので精気も体力も失われいて手出しができなかった。
僕はあるだけの力で攻撃したが歯が立たず、化け物は笑いながら蟻を潰すように彼女を無残にも殺した。
そのとき、その化け物の姿が自分と重なり、僕は崩れ落ちた。
殺された十字架族は僕に対して何もしていないのだ。そう、この女の子のように。
ベーゼが嘲笑いを響かせどこかに消える中、暫くどうしていいかわからなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・ゆるして」
守れなかった僕は泣き崩れながら自分を責めた。
血の涙が流れ、刃のように突き刺さる羽を一面に散らし彼女を抱きしめた。
すると、微かに青白い光が彼女の唇にまとわりついているのが見えた。
僕はもしやと思い、最後の希望に頼り冷たくなって横たわる女の子を抱きしめ、初めてのキスをした。
「ぼくをひとりにしないで」
すると、女の子は睫毛の長い目をもう一度開け、僕の頬を撫でてくれた。
僕は何度も彼女の手を頬に擦り付け、温もりを感じて涙を流した。
あの子が生き返ったのはすごくうれしかったけど、二度と戦いに巻き込まれてほしくないから僕といた記憶を消して近くで見守ることにした。
・・そう、君のことだよ。春野 めい。
敵の攻撃から逃げることしかできないヨミは既に限界が近づいていた。
(どうすればいいんだ・・こいつ本気で俺たちを殺す気でいる)
『誰だってよかったんだよ、ホントは棒切れでもあったら使ってたぜ』
ヨミは初めてめいに出逢って言った言葉をふと思い出し、目の前の小さな木の棒を残りの力で握りしめた。
「十字架族の女、これで止めだ。我が黒天狗一族の恨みを味わうがいい」
瞳孔を開かせながら黒天狗が光陰槍の矛先をヨミに向けたと同時に、ヨミは渾身の力を振り絞ってその木の棒で黒天狗の頭をぽんと優しく叩いた。
「俺は・・いや、俺たちはお前と戦う気はない」
すると黒天狗の目から大粒の涙が零れ出た。彼の眼は紛れもなく瞬そのものだった。
瞬の意識が完全に戻ったのだ。
ぼろぼろになったヨミは黒天狗の漆黒の羽が蜘蛛の子を散らすように剥がれてゆく姿を見届けて力尽きた。
一方、闇が消えた荒れ地は優しい暁色に染まり、めいの膝枕で眠っている瞬は安堵の表情を浮かべた。
「ごめんね、瞬君。もうあなたを一人にしないから」
「めい、ありがとう」
瞬のブロンズの髪を撫でてめいは彼の耳元で囁いた。
「帰ろう、みんなが待ってる」
「ほんと?僕、夜宮さんのことも君のことも傷つけたのに?」
「本当よ。あなたはもう恨みの化身なんかじゃない。私達のお友達だから」
めいと瞬は微笑みながら互いの手を取り合い、現の扉は開かれた。
漆黒の羽は夜の闇に溶けてゆき、闇の中から春の日差しのような光に包まれた二人の姿が現れた。
「ヨミっ」
地面に倒れているヨミを見つけ、めいは駆け寄った。
揺さぶっても反応がない彼女に何度も名前を呼んだ。
「僕に任せて」
これを見た瞬はめいと代わり、ヨミの額に手を翳した。
すると穏やかな光が額から浮かびあがり、ヨミはうっすら目を覚ました。
「めい・・黒羽・・遅かったじゃねぇか」
ヨミは無事に帰ってきた二人を見て安堵し、にっと笑った。
「ごめんなさい、僕は夜宮さんたちを傷つけてしまった」
ヨミは起き上がり、涙目になる瞬の肩に手を置いた。
「謝るなよ。黒羽は悪くないし。それにお前はすでに俺のダチだぜ」
「夜宮さん、ありがと」
めいは瞬の手を引き、帰ることにした。
「瞬君の笑ってる顔見れてよかった。また、動物園連れてってよ」
「もちろん、そのときはお弁当失敗しないでくださいね」
「はうっ」
苦笑いする瞬にめいはショックを受けた。
「やっぱり、俺の味覚は間違ってはいなかったか。」
ヨミは今朝食べためいの手作り弁当の味を思い出してしまい、その場で吐いた。
「あらぁ・・十字架族の子、みっけ」
遠くで謎の幼女が銀武の肩に乗り彼等をずっと見ていたのだ。
「絶対にあの子たちを捕まえてやるんだから」
今回でおさらいHowling Moonを終了します。
次回から本編二期を本日22時から開始します
引き続き応援よろしくおねがいします。