さよならは言わない(神歴1017年春~神歴1072年初夏)
ばんははろ、EKAWARIです。
今回の話は主人公の妻子とか孫とか弟妹とか家族に関する話です。
時代も広く1017年から1072年にかけて幅広くカバーする話ですね。
それは神歴1017年の春過ぎのことだった。
「出来ちゃった」
そう、当時付き合ってた、多分11番目か12番目の彼女は言った。
「……結婚、か」
それからはもう怒濤の展開で、あれよあれよと気がつけば、もう一週間後には結婚が決まっていた。
クソオヤジもお義母さんも我が事のように喜んでくれてたし、とっくに結婚していた実家の弟や、近所に嫁入りしていた下の妹も、やっと僕が結婚するんだと、安心したような笑顔と共に祝福してはくれたが、未だに、自分が家庭をこれからもつということも、父親になるという実感もない。
別に、結婚が嫌なわけではないと思う。いつかはしなきゃいけないものだと思っていたし、子供も欲しくないわけではないのだから。ただ、それが今になったということがどうにもぴんと来ないだけだ。
1年ほど前から付き合っている今の彼女のことだって、嫌いじゃない。嫌いだったら付き合ってはいないし、可愛いとは思っている。
ただ、これからどうなるのか、どうにも心が落ち着かなくて、思わずため息を吐いた。
元々、僕はそんなにモテるタイプではなかった。
そりゃそうだ。顔は普通だし、身体能力も少し頑丈で、人よりは多少力があるかどうかくらいで、基本的に普通だったし、稼ぎも普通。性格は自分で言うのもなんだが、良いとはお世辞にも言えなくて、一見敬語のようでいて、その実わりと毒舌な僕は、女子受けが良いタイプとも思えない。
おまけにその上魔族交じりで、人よりも年の取り方が遅い。だから年齢と姿が一致しない。
25歳を過ぎる頃には、女の子との接し方がわからないのもあって、自分がモテることをあきらめていたくらいだ。
その状況が変わったのは、外見年齢が30歳になるかならないかといった頃からで、それまで全くモテてなかった僕は、急にモテだすようになった。
といっても、モテ男くんのように誰彼構わずきゃーきゃー言われるようなモテ方じゃなくて、彼女が出来ることに不自由しなくなった、彼女と別れても、そこまで時間を置かず次の彼女が出来るって程度のモテ方だったのだが、それでもかつてに比べると雲泥の差だ。どちらにせよ、前の彼女と別れて一週間後には新しい彼女が出来るなど以前の僕では考えられなかったのだから。
一体何があったのか、なんで急にモテるようになったのか、と自分でも戸惑っていた僕に対し、多分本人に他意などないのだが、ライナス様は苦笑しながらこんなことを言った。
「お前、顎ヒゲ似合うな。三割増し男前に見えるぞ」
……もしかして、モテるようになった原因ってこれなんだろうか。なんだ結局外見か、と思えば少し複雑な気分だった。
彼女に告白されたのは、1年前の花祭りの時だった。
今から25年近く前、僕が発案し、ライナス様を中心にアヴェンナ村という小さな村から始まったこの祭りは、気づけば口コミで国中へと広まり、19年くらい前に、王族の手によって王都で開催されて以来、国内の恒例行事となった。
今ではうちの村でも、奉納祭や聖夜祭に並んで毎年行われている。ただ、花祭りを4月に行えば、時期的に3月末に行われる聖夜祭と被ってしまうため、王都で行われた花祭りに倣って、幸せの女神の祝福月である5月に行われることになったのだが、まあその辺は些細な問題だろう。
祭りは、18年前から、近隣の村3カ所合同で持ち回りで行われており、今年は僕の村が開催地だった。
見た目こそまだ30代前半といった見目ではあるが、これでも僕は四捨五入すれば50になろうとしているような年寄り衆であり、村の年長者の1人だ。当然のように、祭りの実行委員の1人に割り当てられた。
そうして始まった3日間の祭りで、最後のダンスの際に、僕に声をかけ踊ったのが彼女だった。彼女曰く、なんでも去年から気になっていたらしい。仕舞いの音楽が流れる。その時に、僕がフリーだと聞いた彼女は、真っ赤に頬を染めて、震えながら赤い造花の花を差し出し、言った。
「付き合ってください」
「いいですよ」
僕は即答した。
彼女にとっては決死の告白だったのかもしれないが、僕にしてみれば深い感情などない。
前の彼女とは別れて2ヶ月ほど経っててご無沙汰だなあと思ってたくらいで、彼女のことが好きかと言われたら、嫌いじゃないと思いますって言うとは思うし、可愛いとも思う。
そう、付き合ってもいいかと思うくらい可愛いとは思っているのだ。ただ、愛しているかと言われたら、今も昔も応える言葉を僕は持たない。そのままずるずると1年が経ち、これから結婚することになってしまったわけなんですが……。
「上手くいくんですかねえ」
正直不安だ。
そもそも僕は男女の恋愛というものに不信感を抱いている人間だ。
というのは、幼い頃から父と母の熱愛物語(と書いて、クソオヤジの妄想と読む)を聞いて育った僕ですが、子供の頃は男女の恋に憧れを抱いていました。
それが壊れたのは12の春。お義母さんを紹介されたときです。
それまで父は母一筋で、あれほど「あんなイイ女はいない」と豪語して、ことあるごとに母を褒めちぎっていたというのに、ある日突然見ず知らずの女を紹介して、「結婚することにしました」とかマジふざけんなファ○クド腐れ木偶の棒めと思いました。
まあ、それでも最初はお義母さんのことも敵視していた僕ですが、「あの人の子ならわたしの子になるのよねー。よろしくねー」とか僕とクソじじいの壮絶な親子喧嘩や険悪さにも気づかず、言ってくる感性に毒を抜かれ、そのうちお義母さんのことは恨まなくなりました。全て悪いのはうちのクソオヤジだと。
ただ、結婚する理由が、「体の相性が良かったから」とかいうのにはドン引きしたものだが。何せ当時の僕はまだ夢見る幼い少年だったのです。嗚呼、なんて大人は汚いのだろうと思った僕は、気づけば恋愛に不信感を育て上げていたのでした。
それでも、モテなかった頃は、ヤリたい盛りだったのもあって、恋愛をイマイチ信じられなくても、彼女欲しい彼女と思っていたのですが……実際に出来たら出来たで、女は面倒くさいなあと思うことも増えたのもまた一つの事実で。
とくにこれから結婚生活を送り、共に暮らすというのに、大丈夫なのかなあと不安が尽きません。
これがライナス様だったらきっと、情が深い人だから裏表無く相手の女を愛するんでしょうが、生憎僕はそういう男じゃないですからねえ。きっとこんな気持ちで彼女と結婚しようとしているとか知られたら、ぶん殴られるんでしょうね。
あと、友人としてはライナス様も結婚式に招待したい気持ちもなくはないんですが、正直愛してもいない相手を胎ませ結婚しようとしている身としては、後ろめたいというか、祝福の言葉を聞いたりしたら逆にいたたまれなさ半端無いことになりそうなんですよね。
恋愛に夢見る少年相手に、汚い大人に育った身としては事実を教えるわけにゃあいかないですし。知られたくないし。
内緒で結婚するわけにはいかないですが、結婚式当日に満面の笑顔を浮かべたライナス様による祝辞を正直受け止められる気がしませんし、ライナス様には悪いですが、「魔王が来るとなると、彼女が吃驚するので、申し訳ないですが、式に来るのは遠慮してください」と書くしかないでしょうね。
しかし、今は彼女のことを愛せない僕ですが、子供が出来たらまた変わるのかな。子供は可愛いと言うし、彼女とも真の意味で家族になれたら、せめて女としては無理でも、家族として愛せたらいいと、そう思っていました。
* * *
子供が出来たら、妻も家族として愛せる日が来ると思っていた。
子供というのは可愛いものだと聞いていたから、だから僕もきっと愛せるだろうと思っていた。
だが、子供が可愛いなんて、娘や息子が可愛いなんて、とんだ間違いだ。
「お父さん、くさいから近くに寄らないでくれる? あー、まじうぜえわー」
「御父上、ワタシ、魔法使いになるデス。今までアリガトウゴザイマシタ。さよなら」
「おい、親父、いい加減魔王なんかとつるんでるんじゃねえよ。こっちが恥ずかしいわ。あんたの息子ってだけで俺がどんな目で見られてんだと思うんだよ。ちっとは年寄りらしくひっこんでろ」
やばい、全く可愛くない。
因みに上から順に上の娘、下の娘、末の息子なんだが、なんだこの可愛くないの。一体誰に似たんだ。
上の娘は顔はそこまで悪いわけではないが、高飛車で高圧的な傲慢娘だし、真ん中の娘も、不思議っ子でいつも無口無表情で村で浮いているかと思えば、魔法の才能皆無な僕を時折優越感と哀れみに満ちた目で見下してくるわ、下の息子は上の2人に比べるとマシといえばマシなんだが、基本僕のことは邪魔者扱いで親への敬いとか欠片もないわ。
もう一度言う。なんだこの可愛くないの。
とはいえ、上の娘は18歳になると同時に村の有力者の息子の家に嫁いでいったし、下の娘は15歳になるのと同時に首都へと魔法使いになるため飛び立った。首都に住んでいる甥っ子曰く、元気に都会でぶいぶい言わせているらしい。……折角文字教えてたというのに、あのドラ娘、僕には手紙の一通すらよこしてきやがらねえんですけど、そうらしい。で、家に残っているのは息子だけなので、それでも子供に関してはまだ我慢しよう。
それよりも問題なのは……。
「貴方、どこへ行くのです?」
妻の方だ。
「どこに行こうと別に良いでしょう」
「また、そんなことを言って、いい加減にしてください。貴方は一家の主である自覚はありますの? それをいつもふらふら、あそこへふらふら、こっちへふらふら」
苛っとしながら僕は言う。
「ちゃんと収入は家に入れているでしょう」
「そういう問題じゃありません!」
妻は怒鳴る。かつて可愛いと思ってた顔は年の分だけ皺を刻んで、般若のように目をつり上げていた。
「貴方、魔王なんかとつるむのはもうお止めになってください! 貴方は騙されているのです!」
いくら妻とはいえ、なんで人のプライベートに口を出されなきゃならないんだ。大体、騙されているだって? この僕が。ライナス様に? 阿呆か。邪推にも程があるだろ。
それでも、うんざりとしながら、律儀に僕は答える。
「ライナス様は関係ないでしょう」
「やはり庇うのですね! 貴方と来たら、ライナス様、ライナス様、ライナス様! 私とたかが魔王のどちらが大事だっていうのよ!」
突如、妻はヒステリックな声を上げて、僕の胸元を掴んだ。耳がキンキンとする。
またか、と思う。
「許さないんだから! 貴方の妻は私よ! 魔王なんかに、男なんかにとられてたまるもんですか」
嗚呼、煩い。
大体、馬鹿じゃないのか。一体どこの世界に妻と友を同列で好きになるやつがいる? 僕は確かに彼女に惚れてはいないが、だからといってライナス様をそういう意味で好きかって? そんなわけないだろ。
それに取られるってなんだ。僕は変態じゃないし、こう見えても付き合っている間は別の女に手を出したこともなければ、今だって浮気は1度もしたことないっていうのに、何を馬鹿なことをいってるんだ。誠実さを褒められる覚えはあってもそんな風に言われる覚えはない。
大体にして、友愛と異性愛を同列で語る阿呆が何処にいる。馬鹿じゃないのか。本当に馬鹿じゃないのか。僕に対しても、ライナス様に対しても侮辱するにも程がある。
嗚呼、そうだな。確かに僕はお前よりもライナス様のほうを優先しているさ。だからどうした。それの一体何が問題だというのだ。
どんどんと、心が冷めていく。
何故こうも女は勝手なのか。嫉妬深いにも程があるだろう。それでも、人によってはこういう独占欲からきた嫉妬さえ可愛いと思うのかも知れないが、正直僕には重いし鬱陶しいだけだ。勘弁して欲しい。
大体人の友人を罵倒して嫌悪して、僕に好かれると思う方がどうかしているんじゃないか?
一体こいつは何様のつもりで、人の交友関係に文句を言っているというんだ。いい加減腹が立つ。
かつて妻のことは可愛いと思っていた。けれど、今あるのは、澱みつつたまっていく粘ついた嫌悪だけだ。何故あの時は可愛いと思ってたのだろうとさえ、今は思ってしまう。
「貴方!」
それでも、僕は……嫌悪して尚、彼女と別れたりはしないだろうが。
「……暫く1人にしてください」
そっと、胸元を掴む妻の手を打ち払って、背を向ける。
もう顔も見たくなかった。
* * *
子供は可愛くないと思った。
妻に対しても、鬱陶しいと思っていた。
家族への希望を僕は見失いかけていた。
しかし、事此処にいたって、訂正しなければならないことがある。
「おじいちゃーん」
うちの孫超可愛い。
「いやー、それでですね、うちの孫はもうほんっと天使、マジ天使。もう世界で1番可愛いと思うんですよ。もうなんですかねー、本当可愛くて天使ってこの世に実在してたんだなーって、ちょっとで、聞いてます? ライナス様」
「いや、ちょっとは落ち着けよ。ていうか、天使はそりゃ実在してんだろ。魔王なんて天使の亜種なんだしよ」
「は? 何言ってやがんですか、あんた。魔王なんかよりうちの天使のほうが100万倍可愛いに決まってやがるじゃないですか。え? そんなこともわからんと言うのですか、頭緩いんですか」
「誰が頭緩いだ、アホ。ていうか、お前どんだけ孫馬鹿なんだよ! ていうかその弛みきった顔気持ち悪っ!」
「うははははは、ねたみですか、いいですね。今はそれすら気持ちいいですよ。孫ばんざーい!」
どうも天国の両親よ、見ていますか。
結婚してから40年目にして、僕も今年で87歳、これほどハッピーな日々は初めてです。
いやもう、世界中に自慢してまわりたいくらいですね、もうマジでうちの孫可愛い。地上に舞い降りた天使です。小さなくりくりの目も、紅葉のような手も、柔らかい微笑みも、可愛すぎないですか、可愛すぎですよね。きっと本物のお姫様だってこんな可愛くないですよ。や、うちの孫、男ですけどね!
おじいちゃーんと甘えた声で懐いてくる姿はマジ天使! きっとうちの孫は世界で1番可愛いに違いない。全く、あの両親からよくもまあこんな可愛い子が生まれたもんですよ。これこそきっと地上の奇跡ってやつに違いありません。
「いや、もうマジ可愛いですよ、孫。凄い可愛いですよ、孫。ああ、一生この喜びがわからないなんて可哀想ですね、ライナス様。ふふ」
「おい!? キャラ壊れてるぞ-!? ていうか、その弛みきった笑顔やめい!」
ああ、僕の人生薔薇色です。
神様、幸せの女神様、主神様、可愛い孫をありがとう。
その年、妻が死んだことすらどうでも良く感じるくらい僕は浮かれまくっていた。
* * *
それは神歴1067年の、いつもより雪の深い夜のことだった。
残っていた、最後の妹が死んだ。76歳だった。
甥夫妻によると、眠るように息を引き取ったのだと言う。
葬儀は、妹が嫁いでいた隣村で行われ、僕もまたそれに参列した。
もう他に兄妹はいない。僕だけだった。1番年長者であるはずの僕だけが残っていた。
最初に死んだのは下の妹、流行病で死んだ、28歳だった。
次に死んだのは弟。落盤事故に巻き込まれ、看病の甲斐なく2日後に亡くなった、58歳だった。
その次、上の妹。老衰で亡くなった。78歳だった。
そして昨日、真ん中の妹もまた、老衰で亡くなった。
もうすぐ100歳に手が届こうとする年齢に関わらず、僕の容姿はまだ60歳前後で、僕の方が年上なのに、弟妹達は皆、僕よりも早く年を取り、僕よりも早く死んでいった。
いつかライナス様に僕が言った言葉を思い出す。
『……やめておいたほうがいいと思いますけどね。あんた、わかってんですか。ちっこいけどそいつらは生きているんですよ? 生き物を飼うってのは生半可な気持ちでやっていいことじゃねえんです。あんた自分がどんだけ長命種かわかってんですか? 別れまでの月日はあっという間ですよ』
猫を飼うとそういったライナス様に対して放った言葉。
だけど、馬鹿なのも愚かだったのも僕の方だ。これが、僕自身にも当てはまるなんてどうしてこんな年になるまで気づかなかったのか。
皆、僕より先に年老い、死んでいく。
* * *
妹が死んで1年近くが過ぎた。
その日、その年、神歴1068年の年明け、どうにも家や村にはいたくなくて、僕は最初の半日だけ村に顔を出して、それからライナス様の城へと駆け込んだ。
ライナス様は何も聞かずに迎え入れてくれて、それから言葉も交わさずに酒を飲んだ。
夜が明ける。
部屋中に酒瓶が転がっていた。
なのに、酔えない。酔いたいのに、飲めば飲むほど頭が冴えて、トイレに行っては吐き出した。
「なぁ、相棒」
ライナス様が言葉を放つ。何年、何十年と全く変わることのない声で、けれど、妙な落ち着きをどこかもって言葉をたぐる。
嗚呼、知っている。これは、いつか見た時と同じ……。
「魔王について、研究する気はないか」
すぐには何も答えなかった。ただよろよろと体を起こしながら、ゆっくりと震える指でコップをたぐり、水を飲み干した。その間も僕の顔を見ず、窓の向こうを見ながらライナス様は言う。
「出来ればお前に、俺がこれまで調べてきたことも含めて、魔王の研究を引き継いで欲しいんだ」
コトン、とコップを地面に置く。それから探るように慎重に、擦れた声で僕は問うた。
「何故」
子を作らぬ限り魔王には死はない。そういっていたのはこの人だ。そして死ぬ気はない、だから女に興味をもたないようにしていると言ってたのもこの人だ。
死にたくないからなって笑っていたのはそんなに昔のことじゃない。
なのに、一体何故そんなことを急に言い出したのか。
「俺は自分が魔王だということに誇りをもっているし、魔王だってことで不便なことも多いけど、そう悪いことばっかじゃないと思ってる。そりゃどんだけ鍛えても筋肉一つまともにつかねえのは悔しいし、同じ時間を他の奴と歩めるわけじゃない。でも俺は生きているのは楽しいし、たとえいつか別れがあったとしても、それでも誰かと新しく知り合えるのは嬉しいし、知らない何かに出会えるのはわくわくする。これは子を作らない限り半永久的に生きれる魔王だからこその利点だ」
だがよ、と言葉を一度句切って、それから少しだけ顔を伏せながら、変わり者魔王と渾名されて尚、魔族にも人間にも愛されてきた魔王は続ける。
「そういう風に思えれるのは俺だからだってこともわかってるんだ。死ぬ気はないけどよ、もしもってことはある。次の魔王が、その次の魔王が果たして耐えれるとどうして言える?」
それは考えないようにしていたことの1つだったのかもしれない。
「歴史的にイレギュラーなのは俺のほうなんだよ。俺は別にいいんだ。ただ、もしも俺に万が一のことがあったらよ、せめて俺の子孫の代では、魔王としての生き方から解放されてほしい。魔王に縛られないで欲しい。普通に生まれ、普通に育ち、普通に死んでいって欲しいんだ」
そうつぶやく声は、静かながらどこか力強ささえ感じる声だった。
答える言葉はない。何を答えていいのかわからなくて、ただコップを握る指先がカタカタと震えた。
「何故……」
漸く言えたのは、答えとも言えぬそんな言葉だけ。そんな僕に対して、ライナス様は、安心させるように笑って言う。
「なんだかな。お前が孫が可愛い可愛いって言ってるのを見て、サラのガキを見ているうちに思ったんだ。俺は今は女と結ばれる気はねえけどよ、いざとなったらどうなるのかわからない。だったら、今のうちにもしもに備えといたほうがいいんじゃねえかなって」
ライナス様は笑う。よく笑う。その笑顔は昔から変わっていない。何年も、何十年も、……おそらくは何百年も、何も。
それを悲しいと思うのは、一方的な感傷だ。
「ほら、笑えよ。んな深刻になんなって、もしもだって、もしも」
その少年の笑みに何度も救われてきた。
そして、その少年の笑みに何度も胸を痛めた。
僕の中で、ライナス様へ対する感情はいくつもの矛盾を孕んでいる。だけど、ただ……。
「いいですよ」
願いを叶えたいと思うのは、傲慢だろうか。
「魔王についての研究、引き継がせていただきます」
* * *
「おじいさん、良かったら一緒に暮らさないか」
そう孫が言い出したのは神歴1072年の4月末頃のことだった。
今年で19歳になる孫は、今年の7月に2年ほど交際していた娘さんと結婚することになっていた。
とても健気で、優しく働き者の娘さんで、このあたりでは1番大きな町で独り暮らしをしていた。
知り合った切っ掛けは、孫息子が荷物を町に届けに行った日、町のチンピラに絡まれていたところを助けたのがはじまりで、それから月に1度は必ず孫は彼女のもとへ会いに行っていた。
なんでも妹さんを幼い頃に事故で亡くし、兄は徴兵された時に運悪く戦死し、ご両親に至っては今年の2月頃に流行した流行病で亡くしたらしい。年は孫息子より3歳年下の16歳で、僕から見ても素朴で清楚そうな優しそうな娘さんだった。
そんな境遇の娘だから、結婚と共に孫は、娘さんの家に婿入りして町で暮らすことに決まっていた。
「おじいさんも、もう歳なんだし、いつまでも独り暮らしは危ないよ」
素朴な好青年そのものの顔の中に、心配気な憂いを宿して孫は言う。その気持ちを嬉しくも、申し訳なくも思う。
…………14年前から僕は独り暮らしをしていた。
理由は単純だ。息子夫妻とは気まずいからだ。
元々息子とは仲が良いとはお世辞にもいえなかったが、15年前妻を亡くしてもそれほど悲しそうでなく孫ばかり可愛がる僕に嫌気が差したらしい。息子の嫁もまた、僕を良く思っていないのは顔を見ればわかっていた。だから、家は息子に譲って、僕は新たに村はずれに小さな小屋を造ってそこで暮らしていた。
僕を訪ねてくる人間などそれほどいなかったが、それでも孫息子はよく訪ねてきてくれた。だから寂しくなんてなかった。けれど、孫も町に婿に行けばもう殆ど会うことはないだろう。
だから、一緒に暮らそうという申し出は嬉しいのだ。だけど……。
脳裏を長い銀髪がよぎる。
「少し、考えさせてください」
即答することは出来なかった。
* * *
「おお、相棒。どうしたよ、急に訪ねてきて」
まあ、上がれよと軽い口調で言って、変わらぬ笑顔でライナス様は僕を迎え入れてくれた。
突然の訪問にも嫌な顔一つせず、出会った頃と何一つ変わらぬその顔と姿で。
「まあ、座れ。適当につまみでも用意させとくから、おーい、サラ」
「いいです。それより、今日は話が会ってきたんです、ライナス様」
その僕の言葉にふと、ライナス様は眉根に皺を一本寄せて、心得たように扉を閉めた。
「今日はお別れを言いにきたんです」
「ぇ」
僕は殊更明るさを意識して、楽しく弾んでいる声を心がけながら言う。
「いやー、今年、孫が結婚するって手紙に書いたじゃないですか。それで、孫が一緒に住もうって言ってくれたんですよ。彼女の方も納得済みらしくてね、もう出来た孫をもって僕は幸せ者ですよ」
「ああ、そっか。そうなのか。そりゃおめでとう」
「それに僕も年ですし? いい加減腰を落ち着けようと思いましてね」
「そうか。しかし、そりゃ……寂しくなるなあ」
お前とは長かったし、と苦笑しながらライナス様は言った。それにズキリと胸が痛んだ。
……本当のことは言えない。
「お前とも、お別れか。なんつうか実感わかねえな」
そんな言葉、言うな。
「なーに言ってんですか、別に一生会えないわけじゃないでしょう」
「でもオメエ、今」
「そりゃ一旦お別れですけどね、さよならなんて言いませんよ。まだ僕はアンタの頼まれごとさえ完成させちゃいないんだ。完成した日にゃあアンタにいの一番に見てもらわなくてどうするんですか」
淡々としながらも、出来るだけ暗くならない口調で言い聞かせるようにいう。そんなことをする自分に内心虚しさを覚えながら、そんな空虚な偽りじみた言葉を吐く僕に対して、自分の心配が杞憂だとでも思ったのか、ライナス様は安心したように、いつものような少年の笑顔になって口元を綻ばせた。
それに、ズキンズキンと、胸が音を立てて痛む。けれど表情は何一つ変えはしなかった。
「そうだな、ああ、そうだよな! 全く、深刻そうなツラして別れを言いにきたっていうから吃驚したぜ。オメエも人が悪いな」
……嗚呼、そうとも僕は人が悪いんだ。
「で、いつから行くんだ?」
「7月中ですね。既に僕の部屋も用意してあるんだそうです」
そんな風に無邪気に信頼を向けて話しかけられる資格なんて、本当はない。
「そっか。んじゃ今日は時間あるんだろ、じゃあ泊まってけよ。色々俺様の武勇伝を聞かせてやる」
「ええ。しかしほどほどにしてくださいよ? なにせ、最近はどうも無理が利かなくてね」
きっともうこれが最後だろうと思いながら、意味もなく希望を持たせる僕は救いようのない悪党なのだろう。
「年寄り」
「うるせえですよ」
あの日、最後の妹が死んだ日僕は思ったのだ。
周囲は皆僕を置き去りに先に年老いて死んでいく。それはライナス様も条件は同じだ。僕よりも極端に、年を全く取らないライナス様は全てに置き去りにされていく。
きっと僕はライナス様を置いて先に死ぬのだろう。
僕はこの人を、残して逝くのだろう。
それを可哀想だなんて思ったわけではない。僕にあったのはもっとエゴに満ちた感情。
きっとこの人は、僕が死にそれを知れば、僕の死を悲しみはするだろう。だけど、辛いと思うことはない。悲しくても、思い出として昇華して前を向いて生きていく。
僕と出会ったことを、知り合ったことを後悔なんてきっとしない。それは僕が死んでもそうだ。
そういう人だ。
僕の知る魔王ライナスとは、そういう強い人だ。
それを耐えきれないと思ったのは、辛いと思ったのは、残されるだろうライナス様ではなくて、僕なのだ。
僕が抱く感傷なのだ。
おそらく、僕はこの人より先に死ぬだろう。
両親が先に死んだように、弟妹が先に死んだように、妻が先に死んだように。僕が先に死ぬのだろう。
それを知られたくないと思ったのだ。
僕は今年で102歳になった。100年以上生きてきた。たとえ魔族交じりとはいえ、残りの寿命はそこまで長く残っているとも思えない。
ならば近いうちにいつ死んだっておかしくないのだ。
醜いあがきでもいい。些細な運命への抵抗なのかもしれない。それでも、ライナス様にだけは僕が死んだらそのことを知られたくはなかった。
死さえ知らなければ、またいつか会えると思ってくれる。
希望だけを残すことが出来る。
そういう風にライナス様の中に、暖かいだけの思い出として残りたかっただけなのだ。
もう一度言う。ライナス様を残して年老い死んでいくことが辛いのはライナス様ではなく、僕のほうなのだ。孫の誘いに乗ったのも、いい切っ掛けだったからとそう思っただけだ。
全くなんてエゴイストなのだか。あまりの醜悪さに吐き気がする。
だけど、そんなものは表に出さない。出してはやらない。
ツラの皮が厚いと罵られても構うものか。僕はこの願いを叶えるためならば何も惜しくはない。
「んじゃ、またな」
「ええ……また」
さよならは言わない。
最後まで笑って背を向けて、そうして歩き出す。
やがて、森を抜ける頃になって、一筋頬を濡らした熱い液体を知らぬフリをしてやり過ごした。
そうして、膝を抱えて腰を落としながら、漸く僕はライナス様を自分でどう思っていたのか知った。
「本当、馬鹿ですね、僕は」
初めて会ったときは、どちらかといえば、兄のようにさえ思っていたと思う。憧れて、自分と正反対過ぎて、卑屈にさえなってたと思う。照れくさくて認められはしなかったが、兄がもしもいたらこんな感じだろうかとさえ思っていた。
やがて、悪友と思うようになって。
次第に弟のようにさえ見えるようになっていった。仕方ないなあといって、なんだかんだいって振り回されるのが楽しかった。
そうしていつからか、実の息子以上に息子のように愛していた。
曇りない目が眩しくて、自分にない真っ直ぐさが羨ましくて、でも成り代わりたいと思うことは一度もなかった。ただ、そのままのこの人を、その太陽のような笑顔を守りたいと思ったのだ。
まるで親が子を守りたいと思うように。
僕にとってライナス様とは、親友で、家族で、相棒だったのだ。
青春は色褪せない。おそらく僕はそれを抱えてこれからもずっと生きるのだろう。
思い出に別れなど告げる日は来ない。
だから、僕は。
―――――さよならは言わない。
了
ご覧いただきありがとうございました。
妻に対して恋愛感情皆無だけど浮気はしたことのない主人公を屑と思うか、まあそういうやつもいるよなあと思うのか、浮気しないだけ偉いと思うのか、その辺は読者さんの感性にお任せします(笑)。




