三年分の手紙
三年分の山は、読めば読むほど減らなかった。
村で読み書きを教わったといっても、俺にできるのは、ゆっくり読んで、ゆっくり書くことくらいだ。一通読むのに、四半刻かかる。
初日の夕方、様子を見に来た村長が、山を見上げてため息をついた。
「それ、全部片づけるのに、どのくらいかかるかね」
窓が開いた。
『書類の整理についてですね!
量にもよりますが、一通ずつ内容を要約し、種類ごとに分ければ、効率よく進められます。
よろしければ、要約をお手伝いします!』
村長は窓を読んで、ふむ、とうなずいた。
「手伝う、と言うとるぞ」
「……そうみたいですね」
期待はしていなかった。前線で九十七回、身に染みている。
でも、どうせやることは同じだ。
俺は山のいちばん上の手紙を手に取って、声に出して読み、最後に聞いた。
「これ、何の手紙だ?」
『こちらは、隣村との水路の使用についての取り決めです!
春の三か月はハルト村、夏の三か月は隣村が優先して水を引く内容になっています。』
読み返した。
合っていた。
二通目も、三通目も、だいたい合っていた。たまに日付を取り違えたり、差出人の名前を少し変えて書いたりしたが、それは俺が手紙を見れば、すぐに直せる程度のことだった。
その日、俺は四十通を片づけた。
ひとりなら、十通がせいぜいだったはずだ。
◇
三日目に、最初の頼みごとが来た。
羊飼いのオットーじいさんだった。王都に出稼ぎに行ったきりの息子に、手紙を出したいのだという。
「字がな、書けんのだ。言いたいことはあるんだが、どう書いたらいいかもわからん」
俺はじいさんの話を聞いて、窓に頼んだ。
文字が流れる。
『親愛なる息子へ
王都での暮らしはいかがですか。季節の変わり目、体調を崩してはいないかと案じております。
こちらは、羊たちも元気に過ごしています。
あなたが選んだ道を、父は誇りに思っています。無理はせず、いつでも帰ってきてください。』
最後の行に「いかがでしたか?」とついていたので、それだけ消した。
清書して読み上げると、オットーじいさんは、しばらく黙っていた。
それから、皺だらけの手で目元をぬぐった。
「……わしの言いたかったことが、全部書いてある」
本当は、少し違った。
じいさんが話したのは、羊が三頭死んだことと、腰が痛いことと、隣の家の犬がうるさいことだった。誇りに思っている、なんて一言も言っていない。
窓が書いたのは、じいさんの言葉じゃない。父親が息子に出す手紙というのは、たいていこういうものだ、という手紙だった。
でも、じいさんは喜んでいた。
それなら、それでいいのかもしれない。
俺は、羊が三頭死んだことだけ、追伸に書き足した。
◇
噂は、羊の群れより速く村を回った。
「意外と使えるじゃん、あれ」
村の若いやつらが、井戸端でそう言っているのが聞こえた。
翌日から、離れの前に列ができた。
借金の証文。嫁入りの挨拶状。領主さまへの陳情。迷子の山羊の張り紙。
窓が書いて、俺が読む。
名前が違っていれば直す。日付が違っていれば直す。「いかがでしたか?」は、毎回消す。
気づけば、俺の仕事は「書くこと」じゃなくて「確かめること」になっていた。
それでも、ひとりで書くより、何倍も早かった。
前線で足を引っぱっていたのと、同じ窓のはずなのに。
――急いでいないところなら、間違えても直せる。
たぶん、違いはそれだけだった。
◇
十日目のことだ。
隣村への返事を頼むと、窓は手紙の書き出しにこう書いた。
『水は足りとるか』
俺は、ペンを止めた。
この辺りでは、手紙の挨拶を「ごきげんよう」とは書かない。「水は足りとるか」と書く。乾いた土地だからだ。
俺も、ここに来てから知った。
三年分の手紙を、片っぱしから読んで。
窓には、教えていない。
俺が声に出して読んだ手紙が、もう五百通を超えていた。
そのたびに、窓は開いて、要約して、消えた。
――覚えているのか。
読んだ言葉を。
前線で外しつづけていたのは、知らなかったからなのかもしれない。三年前に死んだ王の名前を言ったのは、新しい王の名前を、どこかで読んでいなかったからなのかもしれない。
だとしたら、こいつは。
言葉を食って、育つ。
窓の二行目は、相変わらず律儀に光っていた。
※出力には誤りが含まれる可能性があります。
その誤りが、少しずつ減っていく気がした。
◇
三年分の山が片づいたのは、着いてから十六日目の夕方だった。
村長は、空っぽになった机を、信じられないものを見るような目で眺めていた。
その日の晩、村の衛兵がひとり、離れの戸を叩いた。
「書記どの。夜分にすまない」
衛兵は、くしゃくしゃの紙を広げた。
「街道沿いで、旅人を襲う盗賊が出ている。手配書を作りたいんだが、絵描きがいなくてな。顔を見た者の話は聞いてある」
そして、俺に聞いた。
「――その窓、絵は描けるか?」
窓が開いた。
『はい!絵の作成も、私の得意分野です!』
嫌な予感しかしなかった。




