第9話(後):「君達、しっかり研究に励みたまえ」
結局、活動初日において研究計画書の素案作りは何ひとつ進まなかった。
予定とは随分と違う活動になったが、集まった時のあの重苦しい空気はもうなかった。お互いのわだかまりを解消し、また悩みを共有したことで、四人の距離は以前よりも近くなったようである。
夕暮れ色に染まる廊下を四人で歩いている。次の活動予定を話し合いながら、学院の出口へ向かっていた。
「リュシクの提案通り、私もどこかで機会を作って図書館には行ってみたい。
ある程度の資料ならば私が集められる。しかし入手が非常に困難な、それこそ邪龍戦争当時を記録した手記や史料はテウルギアの図書館にしか現存しないものもあるという。そうなると貸出不可で閲覧のみとなっているはず。……在学中に是が非でも読み漁り尽くしたい」
「うん、機会を作ろう。私に出来ることなら何でも協力させてほしいな」
「協力かぁ。……ヒースクリフを別人に変装させて、誰にも内緒でこっそり図書館へ行っちゃうとか、どう?」
ジェミットの大胆な提案に、リュシクは思わずどきりとした。変装ではないが、こっそり変身している存在が四人の中に紛れているなどとは、到底言えるわけがない。もちろん、そんなリュシクの内心を知る由もなく、サフィールがジェミットの発言を諫める。
「それで万が一にもヒースクリフの身に何かがあった時は、俺達の責任問題に留まらない。彼に安易な行動を提案するべきじゃないよ」
「それはそうだけどぉ」
「だが、提案自体はありがたい。私の護衛にも手立てがないか確認しておこう。ただ、何よりも学院が落ち着いてからだな……」
「そうだよね。……事件、早く解決しないかな」
学院で事件が発生しているせいでヒースクリフの行動が狭まっている。事件に対しては、学生であるリュシク達に出来ることはない。ヒースクリフの不安を少しでも和らげるために、励まし続けるしかなかった。
「君らには苦労を掛けて申し訳ないと思っている。"クラン"への勧誘にしろ、私の都合を押し付けているばかりだ。
……必ず、行動の不自由を減らして機会を作れるように調整しよう。その、その時は私に図書館だけではなく、テウルギアの市内を案内して貰えないだろうか?」
「もちろん!」
「今から案内出来る場所をいっぱい探しておくぜ! そうだ、休日に女子生徒で集まろうって話をつけててさ__」
「ちゃあんとした学院関係者なんでっ、そんなに僕を取り囲まないで貰えますかっ!?」
__廊下の角向こうより響き渡る大声に、リュシク達は驚いて立ち止まった。
ジェミットがすぐさま三人の顔を見合わせて、唇に人差し指を当てた。彼女は気配を消すやいなや壁に張り付いて、そろりと忍び足を進めた。その意図を察した残りの三人はそれぞれ思うところを表情に出したが、それでも黙ってジェミットに続いた。
慎重に角向こうを覗き込む。廊下の真ん中辺り、窓際を囲むように派遣部隊の軍人が複数名もいた。基礎課程の警護でよく見かける、あのヘシオン・マトイ中尉はいなかった。軍人達の背中の隙間から見えるのは、明らかに学生にも教師にも見えない年若い風貌をした一人の青年であった。ぼさぼさのくせ毛にそばかすの散った鼻。その上には丸眼鏡が乗っている。引き攣った口元から白くて細い棒が伸びている。薄っぺらい棒付きキャンディを何故か口に咥えているのだ。
「あっ、あの人は」
「あ"」
__サフィールがぼそりと低い声を漏らしたが、リュシクの声に重なったことと盗み見現場の状況に気を取られて誰にも聞き取られていなかった。
「念のため、身分証明書を提示してください」
「はいっ、出します、出しますって! 学院設備の魔法刻印を点検、劣化診断の調査をしているだけ、本当に怪しいことはないですからっ!」
軍人達に囲まれて詰め寄られているのは、リュシクが早朝の散歩の際に出会った青年、その人だった。彼は両手を挙げて害意をアピールしている。
「なーに、リュシクの知り合い?」と、リュシクの反応に気づいたジェミットが声を落として問いかけてきた。
「ええと。ほら、ジェミットには、地元の人に美味しいパン屋を教えて貰った話をしたよね。それが、あの囲まれている人からなの」
「おおぉ、美味飯情報屋の人って話ね」
「おい、声を立てていると気づかれる」
ヒースクリフに窘められて、彼女達は口を噤む。
派遣部隊の軍人達と青年の会話から察する。青年が学院内をうろつき、学院設備の魔法刻印に触れていることを軍人達が怪しんだため、悶着になっているようだった。リュシクは考えを巡らす。これは助け船を出すべき、いや、出せる状況なのか。こうやって四人で盗み見ている状況も、派遣部隊の軍人達に気づかれたら問題となる気もする。さて、どうしようと三人に意見を伺おうとすれば__。
「こらこらーーっ、まだ学生も残っている時間帯に何の揉め事を起こしてるの!?」
新たな人物が、声を高く張り上げて現場に乱入してきた。
リュシク達四人はその声に聞き覚えがあった。基礎課程主任教師のハルトマ・ペリの声であった。
四人が張り付いている場所とは逆方向から、ハルトマ教師が慌ただしい足音を立てながら現れた。
「って、バイト君!?
あのねぇ、軍人さん達ぴりぴりしすぎ!
彼、大学院生でバイト君なの! ちゃんと私達教師が雇っているから変に絡まないでくれるかな!?」
ハルトマ教師は軍人達を押し退けて、青年を引っ張り出した。そして、そのまま青年の肩に腕を回したのだった。青年に対してのなんとも馴れ馴れしい様子を見せつけながら、ハルトマ教師が破顔する。
「ねぇ、バイト君っ、お仕事ご苦労様? 点検が終わったらごはん奢ってあげるから。口寂しくても飴を舐めるのはほどほどにねっ」
「……あの、ハルトマ教師もこう言っているので、解放して貰っていいですよね」
青年のほうといえば、やや苦い表情をしている。肩に回された腕が重いようで、身体がぐにゃりと傾いていた。
「……お騒がせをして失礼致しました。おい、行くぞ」
その謝罪は、青年ではなくハルトマ教師へ向けたように聞こえた。
青年を解放した派遣部隊の軍人達は、ハルトマ教師がやってきた方向へ去っていく。ハルトマ教師と青年の二人はリュシク達がいる方向へ歩いてきた。慌てて顔を引っ込めたが、基礎課程の主任教師相手に逃げるのも憚られた。リュシク達は彼らと鉢合わせるままにしたのだった。
「覗き屋の君達、遅い帰りだ……って、そうか君達は"クラン"活動をもう始めたんだってね!」
廊下の角を過ぎたところで、ハルトマ教師が声を掛けてきた。
"クラン"設立は学院に申請が必要なのでハルトマ教師も把握しているのだった。
「……ぷふっ、しかも"神授七冠研究クラン"だよね。毎学年、誰かは作るけれど。君達の"神授七冠"研究は、どういうものなの?」
何故か、ハルトマは異様に面白がっているような口調であった。
「ハルトマ教師、生徒に絡むなら僕を離してください。まだ点検が……。ん、君は?」
青年がリュシクにはたと気づいた。視線が合ったので、リュシクは軽く会釈する。
「ハルトマ教師。我々の"クラン"は、レイ・モンモール総帥閣下の偉業を辿るのが良いかと決めております」
ヒースクリフがハルトマ教師の問いに答えた瞬間。
ハルトマ教師は「ぃひっ、ひーっ」と奇っ怪な調子で盛大に噎せた。
「ハ、ル、ト、マ、教師!」と、隣の青年が苦言を呈するようにすかさず声を上げた。
「ぅご、ごほんっ。我らの総帥閣下をテーマにするとは素晴らしいね! 君達、しっかり研究に励みたまえ、総帥閣下の偉業を集めるとなれば、自治魔法都市テウルギアを隅々まで駆け回らないといけないぞ!?」
さすがのリュシク達も、大人二人の反応が異常なのは分かった。
ハルトマ教師は頬を痙攣させて、やはり笑いが堪えきれないのか、はひはひと笑い始めた。隣の青年はそんなハルトマの反応に酷くうんざりした表情を浮かべている。心なしか顔が赤いようだった。
「行きますよ、いい加減に邪魔だから腕を外してください!」
外せと言いながらも、青年はハルトマ教師の腕を掴んだまま力尽くで引きずっていった。のっしのっしと大股で四人を通り越していく。その背中にリュシクは声を掛けた。
「あ、あの。点検作業、ご苦労様です。
バケットサンドは、美味しかったです。あの時、教えてくださってありがとうございました!」
青年はリュシクのほうへ振り返らなかった。
ただ、片手でポケットを探っては、ポケットにあった物を後ろ手で放り投げた。
四つの棒付きキャンディが小さく放物線を描いた。無詠唱魔法で軌道を操られ散らばることなく、それらはリュシクの掌へ落ちた。出会った時の青年は煙草を嗜んでいた。学院内での喫煙は許されないので、その代わりに飴を持ち歩いているのか。
リュシクはもう一度、「ありがとうございます」と青年の背に届くように礼を伝えた。
「なーんか、ハルトマ教師の反応が変じゃなかった?」
棒付きキャンディを早速口に入れながら、ジェミットが疑問を呈した。
「あんなに笑うほどなのかなって、違和感はあったね」
リュシクは指先で二つの棒をくるくると転がしていた。彼女はキャンディを四人で分け合おうとしたが、サフィールからはいらないと断られていたのだ。
あと数歩で学院の門を潜るところである。潜れば、それぞれ帰る場所へと解散の流れだった。
彼女達の言葉に答えるためか、サフィールが立ち止まった。
「……"神授七冠"の魔導師については三百年間で研究し尽くされている。俺達が入学早々に"神授七冠研究クラン"を結成したのが、主任教師には面白おかしく映ったんだよ」
「それは確かに、研究対象としての斬新さや新鮮味はないかもしれないが」
ヒースクリフは眉を顰めながらも、サフィールの言葉に一理あるのは認めた。
客観的に見れば、新入生の中でも成績上位三名を含み、さらに帝国公爵家嫡男がわざわざ選んで結成するほどとは思われない。"神授七冠"の魔導師は目新しさとは真逆の研究対象であった。
「あるいは、レイ・モンモールを選んだのがことさら可笑しかった。
……きっと、七人のうちで一番、意外性も面白みもない奴なんだよ」
サフィールは口元に手を当てていた。彼の表情は、深まる夕暮れの影となって誰にも判別がつかなかった。
師匠がそうおっしゃるのは、総帥閣下に対しての含みがあり過ぎますね。と、リュシクは心の中で突っ込んでおくに留めたのだった。
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