第2話
ルインバード魔法学園――その高等部塔の一角に、一際視線を集める青年がいた。
白髪がサラリと風に吹かれ、汗ひとつかかない粉雪のような額があらわになる。令嬢達はきゃあきゃあと歓声を上げ、令息たちは何事かと目を見張っていた。
「交換留学生のノアール・バネッタです」
朝礼にて、ノアは教壇に立つとそう挨拶し、綺麗なお辞儀をした。その姿に、ほうと息の漏れる音が辺りから聞こえてくる。
担任のザネ先生は、元々のノアの席を示し、そこに座るよう促した。
「彼はライリス公爵令嬢との交換留学生なんだ。皆、よろしく頼むよ」
ザネ先生の言葉に、クラスメイトは皆嬉々として返事を返す。ノアを案じるものは、誰一人としていない。
ノアはその様子に、ふ、と息をひとつ吐いた。
(まぁ、当たり前よね。私は空気のように生きていたから)
このクラスに、ノアが友達と呼べる者はいなかった。それは皆が、ノアが“あの”ルーカスの婚約者と知っているからだ。
(愛想を尽かされた哀れな令嬢、白い結婚、浮気相手を黙認する甲斐性なし……まぁよく言われましたけれど、大体合っていたのかもしれないわね)
ルーカスの浮気癖の被害を被るのは、いつも紛れもない婚約者のノアだった。
女生徒からは嫉妬を向けられ、男子生徒からは忌避される。最初こそ堪えたが、今となっては後の祭り。
(今はこの“ノアール”を楽しまなきゃね)
さて、次はどの子を口説こうか。
ルーカスの近くの女はまだ早い。ルーカスは隣のBクラス。最初はこのクラスに馴染んでから、本気で落としにいこう。
ノアはそう考えて、心の中でせせら笑った。
「ノアール様、ごきげんよう。私はラム・スイング。このAクラスの委員長ですわ」
中休み。教科書の整理をしていたノアの元に、早速一人の令嬢が現れた。綺麗なブラウンヘアが、大きな赤いリボンでツインテールに結われている。
ザ・お嬢様という雰囲気を保つスイング嬢に、ノアは少し思考してから頭を下げた。
(お嬢様タイプね……こういう子は、変に軟派に行くと距離を取られてしまうわ)
「ご機嫌ようスイング嬢。わざわざご挨拶頂きありがとうございます。どうぞこれからもよろしくお願いしますね」
頭をあげると、スイング嬢はどこか安心したような表情をし、先程あった警戒の色を解いた。判断は間違っていなかったのだとほっと胸を撫で下ろす。
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
その会話の終わりを皮切りに、ノアの周りにはあっという間に令嬢達が集まることとなった。
それは先程からちらちらとこちらを伺っていた令嬢達だと気がつく。令嬢達は案外守りが堅い。
(軟派に行かなくて良かったわ)
内心で軽く息をつき、ノアは令嬢達に向き直った。
――そこからは、ノアールの独壇場だった。
(この子は元気系ね)
「ふふ、君は面白いね。初めてのタイプだ」
「は、初めて……!?う、嬉しいです!」
(この子はクール系)
「そのリボン、素敵だね。洗練されていて、君の良さを引き立てている」
「っありがと……これ、お母様が作ってくださったの」
ザワザワと空気が揺れる。
男子生徒たちは、どんどん令嬢達の世界に溶け込んでいくノアールを、ただただ眺めることしか出来なかった。
傍らでその様子を見ていた令嬢達が、ヒソヒソと囁く。
「なんなのよあのお方!」
「ルーカス様と張り合えるレベルじゃない!?」
「いやいや、それはさすがに……」
「でも、ねぇ……?」
そんなことを話している間に、始業の鐘が鳴る。
ノアールはまた後でと声をかけると、髪を軽くかきあげ教科書を取り出した。
その仕草に何人かが卒倒したのは言うまでもない。
◇◇◇
放課後。
中庭は、いつもよりも明らかに騒がしかった。
「ノアール様!こちらに!」
「い、いえ私の方に……!」
数人の令嬢が、彼を取り囲むように立っている。
ノアールは少し困ったように笑いながらも、視線を一人一人に向けていった。
「順番にお相手しますよ。慌てなくても、逃げたりはしませんから」
その一言で、空気がふっと緩む。
その中の一人――普段は誰にも心を開かないと有名な令嬢が、頬を赤らめて俯いた。
(……あら)
内心で、ノアは小さく笑う。
(本当に、皆さん素直ですこと)
ノアはくすりと笑い、次の令嬢へと視線を向けた。
――その様子を、三階の窓から見ている者がいた。
ルーカスは、面白くなさそうに舌打ちする。
「……なんだ、あいつ」
自分の周りにいたはずの令嬢たちが、明らかに減っている。その原因が、今日隣のクラスに転学してきたあの男だということくらい分かっていた。
「――あいつ、気に入らないな」
理由は分からない。
ただ今日は妙に苛立っていた。あの男が酷く目障りだ。
その時。
ふと、ノアールの視線がこちらに向く。
一瞬だけ、目が合った。
にこりと。
余裕のある笑みを向けられる。
「――は?」
思わず目を顰める。
まるで挑発するような、そんな視線。
そして何より、その藍色の宙のような瞳を、美しいと思ってしまった自分に腹が立った。
飲み込まれそうになる、あの感覚。
どこかで、見たことがあるような――……
「ねぇ見て!ルーカス様と……」
「ノアール様……!」
周囲がざわつく。
甲高い令嬢の声に、意識が戻る。
(なんだ……今の感覚……)
誰かが、ぽつりと呟いた。
「学園の、ツートップじゃない?」
その言葉がやけに耳に残る。
――気に入らない。
それなのに。
どこかで、納得してしまった自分がいた。




