第13話 渇望は(真一)
今回は2話投稿して完結します
いい年して実家に身を寄せるのは、思っていた以上に堪えた。
「ただいま」と玄関を開けるたび、幼い頃の記憶ばかりが靴箱の隙間からこぼれ出してくる。
母からも父からも深い追及はなかったが、何かやらかしたことは分かっているだろう。
具体的な説明もしないままでいるのを申し訳なく思う。
しかし、母は何も言わずに夕飯を用意し、父も楽しくバラエティー番組を見ている。
結局、会社で問題視されたのは小谷の件だけだった。
冷静に考えると女がらみでなら、もっとヤバい関係もあったのだ。
切り捨てられただけで済んだのは運が良かったと言うべきか。
噂は広がらず、表沙汰にもならなかった。
だが、職を失ったという事実だけは、どうやっても消えない。
女癖は悪くても業績には貢献していたのだ。
自己都合退職にしてくれたのは、ちょっとした配慮だったのだろう。
形式だけでも整えてもらえたことで、次に進む道が完全に閉ざされることはなかった。
妻子もいなかったから、身軽だったのは救いだ。
身内の誰も影響されずに済んだ。
それでも、ここに居続けるわけにはいかないと思った。
一人暮らしだったとはいえ、地元の生活圏は近く、空気はどこかで繋がっている。
駅前の景色も、通い慣れた店も、すべてが『やらかした自分』を口にするんじゃないかと、居場所がなかった。
だから、他の大都市に出ることにした。
知っている人間が一人もいない場所へ。
過去を知らない街なら、やり直しも許される気がした。
幸い履歴書の空白や、曖昧な退職理由に深く踏み込まなかった。
面接官は詮索しないという選択をしてくれて救われた。
お陰で今、職に就くことができた。
選ばなければ仕事はある。
何度も聞いた言葉だが、実際に身を置いてみると、少しだけ意味が変わる。
選ばないのではなく、選べないのだと気づく。
それでも、働ける場所があるだけで十分だと思うしかなかった。
中小企業の営業職に就いた。
規模も小さいし商材も違うが、会社は回っている。
営業に専念という訳にはいかず、雑務も多かった。
見積もり、納期調整、クレーム対応、時には配送の手伝いまで。
一人ひとりの役割が広く、前職に比べれば担当業務の線引きはぼやけている。
仕事の本質は似ているということか。
営業のコミュニケーションはそのまま生きた。
言葉の選び方と、間合いの取り方。
やっていることは変わらず、成果が出た。
相手の欲しいものを探し、こちらの都合とすり合わせる。
ルート営業に売り込みを重ね、少しずつ信頼を積み上げる。
顔を覚えられ、名前で呼ばれるようになる。
数字は正直で、ここでも同じように評価を返してくれる。
生活環境も整っていった。
古いが静かなアパート、最低限の家具、決まった時間の食事。
派手さはないが、安定している。
贅沢しなかったから順調に貯金も増えた。
すると、人恋しくなる。
今まで気が付かなかった隙間が、急に形を持ち始める。
愛花の顔がよぎることがあるが、思い出すたびに「失敗だったな」とブレーキがかかる。
俺はなんで手を出したんだ?
問いは何度繰り返しても、同じところで止まる。
調子に乗っていた。
それが一番近い気がする。
けれど――
ルート営業の途中で、出会ってしまった。
取引先の一社。
受付を通され、案内された先で、書類を確認していた女性。
総務を担当しているらしい。
最初は、ただの業務だった。
見積書の不備、契約書の表記、細かい修正のやり取り。
だが、やり取りが続くうちに、少しずつ会話が増えていく。
言葉のテンポが合う。
余計な説明をしなくても、意図が伝わる。
ふとした瞬間に見せる表情が、どこか柔らかい。
そして壁の雰囲気。
いけるなと思い左手を見ると薬指に指輪。
(ああぁ)
天井を見上げるように、視線を逸らした。
どうすればいいのか。
わかっているはずなのに、
わからないふりをしたくなる自分がいる。




