第二話 宣戦布告
沢村美佐紀は、人の視線には慣れていた。
外資系コンサルティングファームで十年。クライアント企業の経営陣を前に、幾度となくプレゼンテーションをこなしてきた。だが今日、桐島精機の大会議室で五百人の社員を前にしたとき、彼女の掌にはわずかに汗がにじんでいた。
理由は分かっている。これまでは「外の人間」だった。提案して、導入を支援して、結果が出る前に去る。それがコンサルタントの仕事だ。だが今日から、自分は「中の人間」になる。結果から逃げられない。
大会議室の壇上で、桐島社長がマイクの前に立った。
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「本日、皆さんに重要な発表があります」
桐島の声は落ち着いていた。だが、その落ち着きの裏にある緊張を、沢村は見抜いていた。昨夜、社長室で二人だけで行った最終リハーサルで、桐島は三度も原稿を書き直した。
「桐島精機は来月より、全社的なAI駆動経営への転換を開始します」
会場にどよめきが走った。五百人の社員の中に、さまざまな表情が浮かんだ。困惑、不安、好奇心、そして──怒り。
「AI駆動経営とは何か。簡単に言えば、これまで人間が行ってきた経営判断、業務プロセス、品質管理といった領域にAIを深く組み込み、人間とAIが協働する新しい働き方へ移行するということです」
桐島はホログラムを起動した。桐島精機の組織図が空中に浮かび上がる。
「そのために、新たにDX推進室を設置します。室長には、沢村美佐紀さんを招聘しました」
五百の視線が、壇上の横に立つ沢村に集中した。
彼女は一歩前に出た。黒いジャケット、白いブラウス。三十四歳、ボストンのビジネススクールで学び、外資コンサルで叩き上げた。その履歴は実力の証だ。だが、この場にいる多くの人間にとっては、「よそ者」の証でしかないことも分かっていた。
「沢村です。本日から桐島精機の一員として、AI駆動経営の推進を担当します。皆さんと一緒に、この会社の未来をつくっていきたいと思います。よろしくお願いします」
拍手はまばらだった。
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発表後、沢村は割り当てられた六階のDX推進室に戻った。
「室」とは名ばかりで、会議室を仕切っただけの小さなスペースだ。デスク四つ、ホワイトボード一枚。窓の外には、隣のビルの壁しか見えない。
スタッフは三人。情報システム部から異動してきた若手エンジニアの木下と、人事部から派遣された中堅の加藤、そして外部から沢村と共に招かれたAIアーキテクトの劉。百五十億の投資プロジェクトにしては、あまりにもささやかな陣容だった。
「沢村室長、さっそくですが──」
木下が恐る恐る口を開いた。二十九歳、情報システム部で社内ネットワークの保守を担当していた青年だ。
「はい、何でしょう」
「今日の発表の後、社内チャットが大変なことになっています」
木下がタブレットを差し出した。社内SNSのタイムラインが、嵐のような投稿で埋め尽くされていた。
──AIに仕事を奪われるのか。
──外部の人間に会社を変えられるなんて。
──社長は現場を分かっていない。
──でも、このままじゃ本当にヤバいのも事実だよな。
「予想通りですね」
沢村は冷静に言った。だが、内心、その反発の激しさに少し胃が重くなった。コンサル時代にも見てきた光景だ。だが、今回は自分が矢面に立つ。
「木下さん、これは正常な反応です。まずは現場を回りましょう。画面の中の声より、直接会って話を聞くことが大事です」
沢村はホワイトボードの前に立ち、マーカーを取った。三人のスタッフが、少し緊張した面持ちで見つめている。
「最初に、全体のロードマップを共有しておきます」
ホワイトボードに二つの大きな矢印を描いた。
「AI駆動経営は、二段階で進めます。第一段階──フェーズ1は、現場業務の変革。製造ラインの品質管理、経理の会計処理、営業の顧客分析。ここにAIを導入して、日々の業務を進化させる。これが最初の一年の目標です」
「第二段階は?」劉が聞いた。
「フェーズ2は、経営判断そのものへのAI導入です。事業ポートフォリオの最適化、投資判断のシミュレーション、リスクの予測と管理。──つまり、取締役会で議論されるような意思決定に、AIを組み込む」
木下が息を呑んだ。「それは……すごいスケールの話ですね」
「ええ。だからこそ、フェーズ1を確実に成功させることが大前提です。現場がAIを信頼し、AIと共に働く文化が根づかなければ、経営判断への導入など、誰も受け入れません」
沢村はマーカーのキャップを閉じた。
「順番を間違えないこと。それが、このプロジェクトの鍵です」
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午後、沢村は製造部のフロアを訪れた。
桐島精機の心臓部ともいえるこのフロアは、本社ビルの三階から五階を占めている。実際の製造は川崎と名古屋の工場だが、本社には設計部門と品質管理部門が置かれ、百人以上のエンジニアが勤務していた。
フロアに足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのを感じた。
数人のエンジニアが振り返り、すぐに視線を逸らした。ある者は意図的に背を向けた。歓迎されていないことは一目で分かった。
「失礼します。田所部長はいらっしゃいますか」
近くにいた社員に声をかけると、奥の部長席を指差された。
田所孝平は、デスクに積まれた設計図面──紙の図面だ──を前に腕を組んでいた。
「田所部長、お時間をいただけますか。DX推進室の沢村です」
田所はゆっくりと沢村を見上げた。白髪交じりの短髪、日焼けした肌、節くれだった大きな手。五十八年分の人生が、その風貌に刻まれていた。
「ああ、今朝の発表の人か」
敵意はない。だが、温度もない。
「座りなさい」
田所はパイプ椅子を引いた。沢村は礼を言って腰かけた。
「単刀直入に聞く」田所は腕組みを解かなかった。「AIを入れて、俺たちの仕事はどうなるんだ」
「まず申し上げたいのは、人員削減が目的ではないということです。AI駆動経営は──」
「そういう建前は聞き飽きた」
田所の声には、怒りではなく、一種の疲労が混じっていた。
「俺はな、コンサルの人間をたくさん見てきた。みんな最初は同じことを言う。『削減が目的ではない、効率化です、付加価値の向上です』。で、三年後にはリストラだ。毎回そうだった」
沢村は何も言い返せなかった。なぜなら、田所の言っていることは事実だからだ。沢村自身がコンサル時代に手がけたプロジェクトの何件かで、結果的に大規模なリストラが行われた。
「田所部長のおっしゃることは理解しています」
「理解している、じゃない。あんたが聞くべきなのは、この会社で三十五年間、何を作ってきたか、どうやって作ってきたかということだ。それを知らずにAIだの変革だの言ったって、現場は動かない」
田所は初めて腕組みを解き、デスクの上の設計図を指差した。
「これ、うちの主力製品である精密研磨機の図面だ。最新モデルのものだが、基本設計は俺が三十年以上前に引いた線に基づいている。CADなんかない時代に、ドラフターで引いた線だ。三十年間、改良を重ねてきた。その一本一本の線に、理由がある。意味がある。データには現れない、職人の知恵がある」
沢村は黙って聞いていた。
「AIにデータは読めるだろう。数字も、パターンも、トレンドも。だが、この線の意味が分かるのか? ここをあと〇・〇一ミリ削ったら何が起きるか、手で触って分かるのか?」
「それは──」
「分からんだろう。だから俺は反対だ。AIを全否定しているわけじゃない。使える場面はあるだろう。だが、『駆動経営』なんて大層な名前をつけて、会社の根幹をAIに任せるというのは、話が違う」
沢村は深く息を吸った。
「田所部長、率直なご意見をありがとうございます。改めて、工場や現場を見せていただく機会をいただけますか。図面だけでなく、実際のものづくりを見て、理解したいのです」
田所は少し驚いたような顔をした。
「……来週、川崎工場の点検がある。来るか」
「ぜひ」
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沢村がDX推進室に戻ると、営業部の若手社員が一人、入り口で待っていた。
「すみません、沢村室長でしょうか。営業部の林と申します」
林大輝。二十七歳。長身で、少し前のめりな姿勢が、この青年の性格をそのまま表しているようだった。
「林さん、何か?」
「今日の発表を聞いて、ぜひお話を伺いたくて。AI駆動経営、めちゃくちゃ面白いと思いました」
沢村は思わず微笑んだ。今日一日で初めて出会った、ポジティブな反応だった。
「ありがとうございます。座って話しますか」
林は勢いよく椅子に座った。
「僕、営業で外回りしてるんですけど、正直、お客さんの方がうちより先に変わってるんです。AI使って調達の自動化をしてるとか、品質管理にディープラーニング入れてるとか。うちの営業がカタログ持って訪問してる間に、韓国や中国のメーカーはAIチャットボットでリアルタイム提案してますよ」
「現場でそういう声を聞いているんですね」
「はい。このままだと、本当にまずいと思ってました。だから今日の発表は──正直、遅すぎるくらいだと思います」
林の目は真っ直ぐだった。若さゆえの率直さ。それが眩しくもあり、少し危うくも感じた。
「林さん、一つ聞いていいですか。AI駆動経営が進んだら、営業の仕事はどう変わると思いますか」
林は少し考えた。
「AIが提案書を作って、見積もりも自動化して、顧客分析もやってくれたら……正直、今の営業の業務の七割はなくなると思います」
「それは、怖くないですか」
林は笑った。「怖いですよ。でも、残りの三割──お客さんの話を聞いて、本当に困っていることを見つけて、信頼関係を築く。そこは人間にしかできないと思うんです。むしろ、そこに集中できるなら、営業はもっと面白くなると思います」
沢村は内心、感心した。この青年は、AI時代の営業の本質を直感的に理解している。
「林さん、もしよければDX推進室のプロジェクトに、営業部の代表として関わってもらえませんか。現場の声を直接フィードバックしてくれる人が必要なんです」
林の顔が輝いた。「ぜひ! やります!」
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夜、沢村はオフィスに一人残っていた。
デスクの上には、桐島精機の組織図、財務データ、そして競合他社のAI導入事例が散乱している。すべてホログラムで表示できるが、沢村には紙に書き出して考える癖があった。アナログなこだわりだと自分でも苦笑する。
二十三時を回っていた。
スマートフォンが鳴った。画面には「母」と表示されている。
「もしもし、お母さん」
「美佐紀、また遅いの? 体壊すわよ」
「大丈夫。今日から新しい会社で──」
「聞いたわよ。お父さんが心配してた。名前も聞いたことない会社なのに、大丈夫なのかって」
沢村の父は、かつて大手電機メーカーの工場で働いていた。リストラで職を失ったのは、美佐紀が中学二年のときだった。あの夜、父が食卓で泣いていた姿を、二十年経った今でも忘れられない。
「大丈夫よ。今度は──」
今度は、誰も泣かせない。
その言葉は、喉の奥で止まった。口にするには重すぎたからだ。
「今度は、ちゃんとやるから」
電話を切った後、沢村はしばらく天井を見つめていた。
コンサルタント時代に「変革」を売り物にしてきた。クライアント企業に入り込み、業務を分析し、改善策を提案し、実行を支援する。華々しい成果もあった。だが、その裏で──リストラされた人々の顔が、時折夢に出る。
桐島精機で同じことを繰り返すのか。
それとも、今度こそ、誰も切り捨てないAI経営を実現できるのか。
沢村はデスクのメモに、一行だけ書いた。
『人間を活かすためのAI。AIのために人間を削るのではなく。』
それは、この場所で彼女が守り抜くべき信念だった。




