第83話 飛び火する疑念 ~海上の密室、逃げ場なき東京湾~
昭和51年(1976年)、秋。
浜松町、東京モノレール本社。
専務の権田の執務室は、まるで戦場のような騒ぎになっていた。
ジャンジャンジャンジャン!!
電話が鳴り止まない。
「……ええい、うるさいッ!! ……切っておけ!!」
権田が怒鳴り散らすが、部下たちは受話器を握ったまま青ざめている。
「……専務! ……マスコミだけじゃありません! ……運輸省、そして航空会社からも問い合わせが殺到しています!」
「……内容は全部同じです! ……**『もし東京湾の上で、湘南と同じ事故が起きたらどうやって助けるのか?』**と!!」
権田は、机の上の新聞を握りつぶした。
一面には、泥だらけになって乗客を救助する相鉄・京急の重機部隊の勇姿が掲載されている。
そして、その横には、**『海上の東京モノレール、救助手段なし?』**という不安を煽る見出しが踊っていた。
* * *
【京急本社・社長室】
五代は、そのニュースを見ながら、満足げに葉巻を燻らせていた。
隣には、湘南から戻ったばかりの高見恭平(相鉄)がいる。
「……五代さん。……なんか、とんでもないことになってますね。……僕らが頑張って助けたせいで、逆に『助けがないと死ぬ乗り物』という認識が広まってしまった」
「……当然だ。……今回の救出劇の勝因は、**『地面があったこと』**だ」
五代は、窓の外に見える東京湾を指差した。
「……湘南は谷底とはいえ、地面があった。だから重機が入れた。……だが、羽田はどうだ? ……路線の半分以上が運河と海の上だ。……クレーン車は行けない。梯子車も届かない。……船か? ……嵐の中で船が出せるか?」
「……無理ですね。……ヘリも飛びませんし」
「……そうだ。……つまり、東京モノレールは**『嵐の海上で止まれば、乗客は座して死を待つのみ』**という事実が、国民にバレてしまったのだ」
* * *
プルルルル……。
五代の直通電話が鳴った。相手は、運輸族のドン・大河原代議士の秘書からだ。
『……五代先生。……先生が「国民の不安を払拭せねばならん」と仰っています。……ついては、東京モノレールに対して、緊急安全総点検を指示する方向で調整しております』
「……それは素晴らしい。……徹底的にやってください。……タイヤの摩耗、桁のひび割れ、そして**『海上避難シミュレーション』**も」
五代は、受話器を置いて高らかに笑った。
「……聞いたか、高見。……国が動くぞ。……『安全確認ができるまで、荒天時の運行基準を厳しくせよ』とな」
「……それって、少し風が吹いただけで運休しなきゃならなくなるってことですか?」
「……そうだ。……定時性が売りの空港アクセス鉄道にとって、これは致命傷だ。……そして、その『信頼』を失った客がどこへ流れるか……言わなくても分かるな?」
* * *
【東京モノレール本社】
「……ふざけるなッ!! ……安全点検だと!? ……そんなことをしたら、ダイヤがズタズタになる!!」
権田は受話器に向かって絶叫していた。
だが、相手(運輸省)の声は冷たい。
『……世論がうるさいんですよ、権田さん。……湘南の二の舞は困る。……安全が証明されるまで、風速規制を現在の25メートルから15メートルに引き下げます』
「……15メートル!? ……そんなの、春一番が吹いただけで止まるじゃないか!!」
『……嫌なら、海の上にクレーン車を走らせる道路でも作ってくださいよ。……では』
ガチャリ。
権田は受話器を叩きつけた。
湘南での事故。相鉄の救助。
それら全てが、遠く離れた羽田の空で、東京モノレールの首を真綿で絞め始めていた。
「……五代……!! ……貴様、最初からこれを狙って……!!」
昭和51年、秋。
飛び火した疑念は、東京湾の空を灰色に染め上げた。
「安全」という名のコストと、「不安」という名の客離れが、権田に襲いかかる。
逃げ道がない。




