第82話 泥だらけの英雄と、問いかけるカメラ ~空飛ぶ密室の恐怖~
昭和51年(1976年)、台風一過の翌朝。
大船の空は、嘘のように晴れ渡っていた。
しかし、その空気は重苦しい。
テレビカメラの放列が、泥まみれになった相鉄・京急の作業員たちと、うなだれる湘南モノレールの役員たちを囲んでいた。
『奇跡の生還! 暴風雨の空中から全員救出!』
『救ったのはライバル相鉄の重機部隊!』
ニュースキャスターが興奮気味に伝えている。
高見恭平(相鉄)は、マイクを突きつけられ、困惑しながらも誇らしげに答えていた。
「……ええ。……人命第一ですから。……鉄道屋として当然のことをしたまでです。……我が社の重機が、泥濘に強くて助かりました」
フラッシュが焚かれる。
「泥だらけの英雄」。
それは、相鉄の株価とブランドイメージを爆上げする、最高の宣伝だった。
* * *
【京急本社・社長室】
五代は、テレビ画面を見ながら、冷めたコーヒーを飲んでいた。
「……美談だな。……実に結構だ」
「……五代さん。……相鉄さん、一躍時の人ですね。……でも、モノレール側も『迅速な救助連携』とか言って、傷を浅くしようとしてますよ」
秘書が不満そうに言うが、五代はニヤリと笑った。
「……浅い傷? ……馬鹿を言うな。……本当の出血はこれからだ」
* * *
【記者会見場】
会見の空気が変わったのは、一人の記者が手を挙げてからだった。
「……質問です。……今回、相鉄さんの重機が来なかったら、乗客はどうなっていたんですか?」
モノレールの役員が言葉に詰まる。
「……えー、それは……消防の到着を待ち……」
「……消防の梯子は届かなかったと聞いています。……つまり、自力での脱出手段はゼロだったということですね?」
会場がざわめく。
別の記者が畳み掛ける。
「……現場の横には、かつて事故で廃線になった『ドリームランド線』の廃墟があります。……今回の事故原因も、構造的な欠陥ではありませんか?」
「……タイヤが破裂しただけで、なぜアームまで折れたんですか?」
「……もし、これが**『海の上』**だったら、重機も行けませんよね? ……どうやって助けるつもりだったんですか?」
「海の上」。
その言葉が出た瞬間、テレビを見ていた五代が指を鳴らした。
「……そうだ。……そこだ」
記者たちは気づき始めた。
これは湘南だけの問題ではない。
首都の玄関口・羽田空港を結ぶ東京モノレールも、同じように海の上を走っている。もしあそこで止まったら……?
『空飛ぶ密室』
『逃げ場のないコンクリートの棺桶』
そんな見出しが、翌日の朝刊を埋め尽くすことになる。
* * *
五代は、受話器を取った。相手は、この騒動を一番面白がっているであろう、あの大物政治家だ。
「……大河原先生。……ご覧になりましたか? ……ええ、相鉄はよくやりましたよ。……ですが、国民は不安がっています。……**『羽田は大丈夫なのか?』**とね」
五代の声は、悪魔の囁きのように響いた。
「……今回の件は、天災ではありません。……システムそのものの限界です。……先生、今のうちに『点検』を指示された方がよろしいのでは? ……支持率も上がりますよ」
昭和51年、秋。
相鉄への感謝状は、モノレールへの**「死刑執行命令書」**へと変わった。
メディアの炎上は、鎌倉の山を越え、東京湾へと飛び火していく。




