第8話 相鉄現場の反乱と、一夜の改軌マジック
昭和39年、秋。
京急と相鉄の業務提携(実質的な吸収合併)が発表されてから、一ヶ月が経っていた。
場所は、相模鉄道・かしわ台車両センター。
相鉄の心臓部とも言えるこの場所に、一人の男が乗り込んでいた。
京急から出向してきた技術部長、加賀谷匠だ。
「……ふざけんな! 帰れ!」
怒号が飛んだ。
加賀谷を取り囲んでいるのは、スパナやハンマーを持った相鉄の現場作業員たちだ。彼らの目は敵意に満ちている。
「俺たちゃ相鉄の社員だ! なんで京急の指図を受けなきゃならねえ!」
「そうだ! 標準軌だか何だか知らねえが、線路幅を変えるなんて狂気の沙汰だ!」
リーダー格のベテラン保線員、源さんが唾を飛ばして叫んだ。
無理もない。昨日までライバルだった会社に「明日から線路の幅を変えろ」と言われて、はいそうですかと従えるわけがない。
だが、加賀谷は動じなかった。
彼はスーツではなく、油まみれの作業着を着ていた。
「文句は終わったか?」
加賀谷は静かに言った。
「俺も、上の命令にはうんざりしてるんだ。……『一夜で全線を書き換えろ』なんて、五代専務は頭のネジが飛んでる」
「一夜だと!?」
源さんが目を剥いた。
「横浜から海老名まで24キロあるんだぞ! レールを剥がして、枕木を交換して、また敷き直す……。半年はかかる作業だ!」
「それを一晩でやる。……準備期間は一ヶ月だ」
加賀谷は懐から図面を取り出し、地面に広げた。
そこには、俺(五代)が前世の知識で伝授した、**「阪急・京成方式」**の改軌手順が記されていた。
事前準備: 終電後の数時間を使って、枕木の「外側」にあらかじめ新しい犬釘(レールを固定する釘)の穴を開けておく。
当日: レールの片側を固定したまま、もう片方の釘を抜き、バールで「ガコッ」と外側へずらす。
締結: 事前に開けておいた穴に釘を打ち込み、固定する。
「枕木を交換する必要はない。……今の枕木をそのまま使う」
加賀谷は、ドイツ製の電動インパクトレンチを放り投げた。
「こいつを使え。五代専務が金に糸目をつけず買い集めた最新兵器だ。手作業の10倍の速さで釘が打てる」
源さんがレンチを拾い上げた。ずっしりと重い、本物の道具だ。
「……道具は一流だな」
「腕も一流だ」
加賀谷は自分の掌を見せた。分厚いタコと、無数の傷。現場一筋の男の手だ。
「俺は京急の人間じゃない。……『鉄道屋』だ。お前らと同じだ」
加賀谷の目に、嘘はなかった。
源さんはしばらく加賀谷を睨みつけ、そしてフンと鼻を鳴らした。
「……口だけじゃねえな。いいだろう、お手並み拝見といこうか」
* * *
そして迎えた、運命の夜。
「Xデー」。
相鉄線の終電が走り去ると同時に、沿線には異様な光景が広がった。
投光器の明かりの中、総勢3000名もの男たちが線路に群がっていた。
相鉄の社員だけではない。京急の保線区、さらには金で雇われた鳶職や日雇い労働者まで、五代がかき集めた「人間重機」たちだ。
「かかれえええっ!!」
加賀谷の号令と共に、3000人が一斉に動き出した。
ガガガガガッ!
電動レンチの音が夜空を引き裂く。
犬釘が抜かれ、バールを持った男たちが掛け声を合わせる。
「せーのっ、オイッ!!」
ガコン!
何キロにも及ぶ鉄のレールが、まるで生き物のように外側へスライドする。
1067ミリから、1435ミリへ。
狭軌から、標準軌へ。
それは単なる幅の変更ではない。「地方私鉄」から「高速鉄道」への進化の儀式だ。
「二俣川工区、完了!」
「大和工区、10分遅れ! 急げ!」
「雨が降ってきたぞ! ブルーシートだ!」
現場は戦場だった。
泥まみれになりながら、相鉄の男たちも、京急の男たちも、同じレールに向き合っていた。
そこにはもう、会社の違いなどなかった。
「朝までに電車を走らせる」という、鉄道屋の意地だけがあった。
横浜駅の指令室で、俺(五代)はその様子を無線で聞いていた。
「……無茶をさせる」
隣にいた相鉄の川又社長が、青い顔で呟いた。
「失敗したらどうするんだ。明日の朝、通勤客が駅に溢れるぞ」
「信じましょう」
俺はコーヒーを飲み干した。
「あいつらはプロです。……それに、この夜を乗り越えれば、相鉄と京急は『戦友』になれる」
* * *
空が白み始めた頃。
全ての作業が終了した。
一番列車となる試運転車両が、横浜駅のホームに入線してくる。
それは、台車を標準軌用に履き替えた、相鉄の旧型車両だ。
だが、その足元は広く、堂々としていた。
「……試運転、出発」
加賀谷が運転台に乗り込み、ノッチを入れる。
電車が動き出す。
ガタン、ゴトン。
ジョイント音のリズムが変わっている。安定感のある、重厚な響きだ。
沿線で見守る作業員たちが、泥だらけの顔で手を振っている。
その中には、相鉄の源さんと、京急の権田部長が肩を組んで笑っている姿もあった。
「……行ったか」
俺は指令室の窓から、走り去るテールランプを見送った。
これで相鉄線は生まれ変わった。
物理的に、京急と同じ血が通ったのだ。
数日後。
横浜駅で、歴史的な光景が繰り広げられた。
相鉄線ホームと京急線ホームを隔てていた柵が取り払われ、ポイントが接続されたのだ。
相鉄の海老名駅から来た電車が、そのままポイントを渡り、京急線へ入っていく。
行き先表示板には、今まであり得なかった文字が輝いている。
『特急・品川 行き』
ホームにいた相鉄沿線のサラリーマンたちが、歓声を上げた。
「おい、乗り換えなしだぞ!」
「東京まで座っていけるのか!」
川又社長が、震える手でその光景を見ていた。
「……夢のようだ。本当に、都心へ繋がった……」
「ええ。ですが、これは始まりに過ぎません」
俺は川又の肩を叩いた。
「次は逆です。……品川から来た『赤い悪魔(2000形)』を、相鉄線内に流し込みますよ。……120キロ運転でね」
川又社長は引きつった笑みを浮かべた。
「……お手柔らかに頼むよ、五代くん」
こうして、大京急帝国による**「神奈川県・鉄道統一」**の第一段階が完了した。
横浜という心臓部は、完全に俺たちのものとなった。




