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第70話 厚木の誘惑 ~小田急の背後を突く『神奈中バス』との密約~

 海老名駅の主導権を奪い取り、人工地盤による「空中都市」の建設を市に認めさせた高見恭平。だが、彼の野心はそこで止まるはずもなかった。海老名駅のホームから西を向けば、雄大な相模川の流れの先に、県央最大の都市・厚木の灯りが見える。

 厚木。そこは小田急が「本厚木駅」という絶対的な拠点を構える聖域であり、相鉄にとっては相模川という「天然の要害」に阻まれた、禁断の果実だった。

「……五代さん。海老名を手に入れても、相模川を越えなきゃ、小田急の心臓には届かない」

 高見は、深夜の相模川の堤防に立っていた。川面は月光を反射して黒く光り、対岸の厚木の街並みを拒むように流れている。

「……相模川に橋を架ける許可は、運輸省も小田急の政治力に配慮して、なかなか下ろさないでしょう。……ですが、俺は『陸路』以外で厚木を落とす方法を見つけましたよ」

 背後に佇む五代に、高見は自慢げに微笑んだ。その笑みには、五代から教わった「物流の急所を突く」冷徹な知略が宿っていた。

「……ほう。橋を架けずに厚木を奪うか。……面白い。聞かせろ、高見」

 五代は、川風にコートをなびかせながら、高見の次の言葉を待った。

「……**『神奈中(神奈川中央交通)』**ですよ」

 高見は、一枚のバス路線図を広げた。

 神奈中。神奈川県内最大の路線バス網を持ち、厚木周辺の足のすべてを握っている巨人だ。そしてその筆頭株主は……小田急電鉄である。

「……神奈中は小田急の身内だぞ。どうやって籠絡するつもりだ」

「……身内だからこそ、不満が溜まっているんです。小田急は神奈中を『駅から客を運ぶための下請け』としか見ていない。……だが、京急グループ……いや、あんたが支配する**『京急バス』**のノウハウと、俺たちの海老名駅再開発を組み合わせれば、神奈中に『小田急からの独立』という極上の毒薬を飲ませることができます」

 高見の作戦はこうだ。

 海老名駅の人工地盤の上に、東日本最大級の巨大バスターミナルを建設する。そして、厚木市内のすべてのバス路線を、本厚木駅(小田急)ではなく、海老名駅(相鉄)へとダイレクトに接続し直すのだ。

「……厚木の客は、わざわざ小田急の狭い改札を通らなくていい。神奈中のバスに乗れば、そのまま相鉄の広い標準軌の特急へ飛び乗れる。……神奈中の経営陣には、小田急に支払っている『駅前乗り入れ料』の免除と、京急バスとの技術提携、そして三浦半島のリゾート利権への参入を提示しました」

「……フフフ、ハハハハ!」

 五代が、夜の堤防で声を上げて笑った。

「……エグいな、高見。小田急が一番頼りにしている『足』を奪い取り、自分たちの武器に変えるか。……まさに、飼い犬に手を噛ませるわけだ」

 五代の手が、高見のネクタイを乱暴に掴み、自分の方へ引き寄せた。

「……いいぞ。神奈中の首脳陣への『説得』は、俺が直々にやってやろう。……三菱重工の重役たちと神奈中の会長は、同じゴルフ仲間の飲み友達だ。……逃げ道を塞ぎ、俺たちの船(京急グループ)に乗るしかない状況を作ってやる」

「……は、ハアハア……っ」

 高見は、五代の至近距離にある熱い視線に、再び全身が痺れるのを感じた。

 自分の知略。それをさらに巨大な権力で補完し、現実のものにしてくれる五代。この「共犯関係」こそが、高見にとって何よりも代えがたい快楽だった。

「……五代さん。あんたの政治力で、神奈中を『裏返して』くれれば……厚木の客は、すべて俺たちの海老名に流れる。……本厚木駅は、ただの『バスの来ない空っぽの箱』になりますよ」

        * * *

 数日後。厚木市内の神奈中バスのバス停に、奇妙な告知が貼られ始めた。

 『新路線開設:厚木市内各地 ~ 海老名駅直行便 増便のお知らせ』

 小田急の利光は、本厚木駅の事務室でその報告を受け、机を激しく叩いた。

「……どういうことだ! 神奈中はウチのグループ会社だぞ! なぜ相鉄の海老名駅に客を運ぶような真似をする!」

「……それが、神奈中の会長が『海老名駅のバスターミナルの方が利便性が高い』と一歩も引かず……。それに、京急バスから最新の大型車両が無償提供されるという話も……」

「……五代め!!」

 利光は窓から外を見た。本厚木駅前のバス停から、客を満載した神奈中バスが、小田急の改札には目もくれず、相模川の橋を渡って海老名(相鉄)の方角へと走り去っていく。

 それは、鉄路という「正面」ではなく、バスという「背後」から仕掛けられた、小田急帝国への痛恨の一撃だった。

「……利光。あんたが『橋』に拘っている間に、俺たちは『人の流れ』そのものを変えちまったんだよ」

 海老名駅のバスターミナルで、次々と降りてくる厚木の客を眺めながら、高見は冷笑を浮かべた。

 客たちは、新しく導入された相鉄の「標準軌特急」の、圧倒的な加速と安定感に驚き、そのまま横浜の繁華街へと吸い込まれていく。

 小田急の本陣・厚木。

 その牙城は、相鉄の青い狼と京急の赤き魔王による、見えない「密約」によって、内側から瓦解し始めていた。

「……高見、次は相模川だ。……バスだけじゃない。……本物の『橋』を架けにいくぞ」

 五代の冷徹な号令。

 高見は、自らの知略が小田急を追い詰める様に、かつてない昂ぶりを覚えていた。

【次回更新予定】

71話〜 2月22日(日曜日)

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