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第69話 海老名駅改造計画 ~『共同使用』という名の侵略~

 標準軌(1435mm)への改軌を終えた相鉄が、小田急の狭軌(1067mm)を速度で圧倒した「衝撃の試運転」から数日。海老名駅周辺の空気は、物理的な「レールの幅」の差によって、修復不可能なほどに分断されていた。

 相鉄のホームと、小田急のホーム。

 かつては同じ「狭いレール」で繋がっていたはずの両者は、今や決定的に異なる思想の上に立っていた。高見恭平は、その境界線である海老名駅の跨線橋の上に立ち、二つの鉄路を見下ろしていた。

「……見てくださいよ、あの無様な細い足を」

 高見は、横に立つ相鉄の若手技術者に、小田急のレールを指差して冷笑した。

 標準軌の安定感を知ってしまった今の彼らには、小田急の狭軌は、まるで竹馬に乗って震えている子供の足のように、ひどく頼りなく見えていた。

「課長、小田急の利光が『駅の共同改築案』を市に提出しました。……ですが、その中身が酷い。小田急ホームをメインにし、相鉄は端の方に追いやる。乗り換えには長い連絡通路を歩かせるという、嫌がらせのような図面です」

「……ふん。相鉄を『横浜の場末へ行く支線』として固定し、海老名の主導権を握り続けようって腹か。……お上品な新宿の坊ちゃんが考えそうなことだ」

 高見は、手元にある別の図面を広げた。

 それは、五代から「好きに描け」と渡された、京急の資本力を背景にした**『海老名・超要塞化計画』**の全貌だった。

「……共同改築? 結構だ。だが、主導権を握るのは俺たちだ。……利光の図面を、この『欲望の塊』で上書きしてやる」

        * * *

 海老名市役所、建設局会議室。

 小田急の利光は、相鉄の「砂利屋」に現実を見せてやるつもりで、自信満々にプレゼンテーションを終えた。

「……以上の通り、小田急を中心とした効率的な駅舎配置こそが、海老名の発展に寄与します。相鉄さんは、我々の背中についてきていただければ……」

「……随分と、こじんまりした夢ですね、利光さん」

 高見が、椅子を鳴らして立ち上がった。

 彼は泥だらけの作業着ではなく、この日のために五代から贈られた、京急お抱えの仕立屋による特注のダークスーツを纏っていた。

「……何だと?」

「市役所の皆さん。小田急さんの案は『今の延長』に過ぎない。……だが、我々相鉄、そして我々の背後にいる京急グループが提案するのは、海老名を**『神奈川の新宿』**にする計画です」

 高見は、壁に巨大なパース図(完成予想図)を貼り出した。

 そこには、小田急の駅舎を飲み込むように覆い尽くす、巨大な人工地盤と、その上にそびえ立つ高層ビル群が描かれていた。

「……なっ! こんな巨大な建造物、海老名の軟弱な地盤で建てられるはずがない!」

 利光が叫ぶ。

「……地盤? ああ、それなら大丈夫だ。五代専務が、金沢文庫の産業要塞建設で培った『最新の杭打ち技術』を惜しみなく投入すると言っている。……それに、見てください。この人工地盤の下。相鉄のホームは、最初から**『複々線化』**を想定した広さを確保している」

 高見は、小田急のレールを指差して、決定的な一撃を放った。

「……小田急さんの狭いレールじゃ、この巨大なビルの荷重を支える基礎構造との干渉を避けられない。だが、我々の標準軌は、その広い幅を活かして、構造体そのものを強固に設計できる。……つまり、この『未来』を支えられるのは、相鉄のレールだけだ、ということですよ」

 会議室が、どよめきに包まれた。

 市長や局長たちが、身を乗り出して図面に見入る。

 利光の提案した「小田急中心の駅」が、一瞬にして、時代遅れの小さな箱庭に見え始めた。

「……高見! 貴様、どれだけの予算がかかると思っている! 京急にそこまでの余力があるものか!」

「……金? ああ、それは五代専務に聞いてください。……彼はこう言っていましたよ。**『小田急がプライドを守るために出す金より、俺が小田急を絶望させるために出す金の方が、一桁多い』**とな」

 高見は、五代の傲慢不敵な言葉を引用し、勝利を確信した。

 「ハアハア」という熱い呼気が、ネクタイを締め上げた喉元で渦巻く。

 五代という王の威光を背負い、かつて自分たちを見下していた「新宿の貴族」を、論理と資本の暴力で叩き潰す。その圧倒的なカタルシス。

(……ああ。悔しい。……でも、たまらねえ。……五代さん、あんたのこの『力』、俺が使いこなしてやるよ……!)

 市長が、ゆっくりと口を開いた。

「……小田急さん。……残念ながら、将来の拡張性を考えれば、相鉄さんの案の方が、市民の利益に叶うようです」

 利光の顔から、血の気が引いていく。

 海老名駅の支配権。それは、物理的な「ホームの場所」ではなく、その上に築かれる「未来の規模」によって、相鉄の手へと渡った。

「……高見。……覚悟しろ。……小田急は、まだ死んではいない」

「……死なせないさ。……あんたらには、特等席で見ていてもらう。……相鉄のネイビーブルーが、この海老名を真っ黒に塗りつぶすのをな」

 高見は、利光を冷たく突き放し、会議室を後にした。

 その夜。高見は海老名の水田の真ん中に立ち、月明かりに照らされた標準軌のレールを見つめていた。

 このレールの幅こそが、自由への翼であり、小田急への鉄槌だ。

「……五代さん。……駅(城門)は、手に入れましたよ」

 高見は、品川の方角へ向かって、独り言のように呟いた。

 その顔は、勝利の喜びに震えながらも、次なる戦場――相模川を越えた「厚木の誘惑」へと、すでに飢えた狼の眼差しを向けていた。

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