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第68話 赤い楔 ~五代が投入する『120キロの魔物』~

 昭和45年(1970年)、夏。

 海老名の土地買収合戦は、一進一退の攻防を続けていた。地主の半分を切り崩した高見恭平だったが、小田急は「駅への立ち入り制限」という強硬手段に加え、新宿直送の圧倒的な「ブランド力」で残りの地主を固め、相鉄の延伸計画を物理的に封鎖しにかかっていた。

「……高見。海老名の戦況が停滞しているようだな」

 深夜、相鉄の星川車庫。静まり返った検修庫に、五代の低い声が響いた。

 高見は、新型車両の導入計画書を握りしめたまま、背後に立つ五代を振り返った。

「五代さん……。小田急は海老名駅の共同使用を盾に、ウチの乗り入れ本数を制限しようとしてる。……『相鉄のボロ電車がのろのろ走ると、ロマンスカーのダイヤが乱れる』とぬかしてやがる」

 五代は、闇の中に佇む相鉄の車両を一瞥し、鼻で笑った。

「……ボロ電車か。奴らはまだ、お前たちが手に入れた**『標準軌(1435mm)』**の真の恐ろしさを分かっていないようだな」

 五代が指差した先。

 シャッターが開いた検修庫の奥から、牽引車に引かれて姿を現したのは、まだ塗装も済んでいない、銀色に輝く無骨な鋼鉄の塊だった。

「……なんだ、これは。京急の1000形……いや、デハ230の魂を継ぐ新型か?」

「……相鉄・新6000系『五代カスタム』だ。……高見、お前たちが泥を啜って完成させたあの広いレール。あれは単なる『京急のコピー』のためじゃない。小田急という旧時代の遺物を、速度で圧殺するためにあるんだ」

 高見は、その車両に近づき、床下を覗き込んだ。

 そこには、小田急の狭軌(1067mm)では物理的に搭載不可能なほど巨大な、京急自慢の高出力主電動機が、標準軌の余裕あるスペースに堂々と鎮座していた。

「……これだけのモーターを積めるのは、標準軌の特権だ。……小田急のロマンスカーがどれだけ着飾っても、あの狭い足回りじゃ、この怪物のトルクには一生勝てん」

 五代は、高見の肩を掴み、その耳元で熱く囁いた。

「……いいか、高見。小田急が『ダイヤが乱れる』と言うなら、奴らの前を**『逃げ切って』**見せろ。……標準軌の安定性を活かし、カーブでも減速せず、小田急の運転士が絶望する速度で駆け抜けろ。……海老名の連中に、どちらが『未来』の線路か、その目で見せつけてやるんだ」

「……っ」

 高見の喉が鳴った。

 標準軌への改軌。あの地獄のような工事を耐え抜いたのは、この瞬間のためだったのか。

 五代の手が、高見の後頭部を強く引き寄せた。

「……高見。お前はこの広いレールの上で、どこまで加速できる? ……俺の理想の速度(140キロ)まで、お前が相鉄を連れて行けるか?」

「……は、ハアハア……」

 高見の呼気が、激しく漏れる。

 五代の狂気。そして、自分たちが命懸けで敷き直したレールが、小田急を屠るための「最強の武器」になった事実。

 高見は、五代から与えられたこの「速度の暴力」に、抗いがたい悦びを感じていた。

「……やってやるよ。……あのお上品な小田急の線路を、時代遅れの骨董品にしてやる。……海老名の駅前で、どっちのレールが『本物』か、叩き込んでやるよ!」

        * * *

 数日後。海老名の地主たちが集まる中、相鉄の線路上で、公開試運転が行われた。

 並行して走る小田急の本線を、ロマンスカーNSEが優雅に通過していく。地主たちが「やはり小田急は綺麗だ」と囁き合ったその時――。

 地響きのような、重厚で圧倒的な走行音が空気を震わせた。

 現れたのは、相鉄のネイビーブルーを纏った新型車。

 それは、並走する小田急の電車を、止まっているかのような速度差で一瞬にして抜き去った。

 標準軌特有の、横揺れのまったくない、吸い付くような高速走行。

「……な、なんだあの安定感は!」

「小田急より、ずっと速いぞ! しかも静かだ!」

 地主たちが驚愕の声を上げる。

 小田急の利光も、線路脇でその光景を目撃していた。

 彼の誇るロマンスカーが、相鉄の「砂利屋の電車」に、直線で完敗したのだ。

「……バカな! 狭軌の限界を超えている……! いや、そうか……奴ら、本当に全線を広げやがったのか……!」

 運転席に座る高見は、標準軌の絶対的な信頼感に身を委ね、マスコンを全開にしていた。

 窓の外、隣を走る小田急のレールが、細く、頼りなく、そしてひどく惨めに見えた。

(……見ろ、利光! これが標準軌の力だ! これが、俺たちが五代さんと共に選んだ、相鉄の『格』なんだよ!!)

 高見は、バックミラーの中で小さくなっていく小田急の車両を、冷笑とともに見送った。

 そして、その背後で、自分の狂ったような加速を満足げに見つめているであろう五代の視線を、熱く背中に感じていた。

 海老名の霧を切り裂いたのは、標準軌という名の「王道」だった。

 相鉄の120キロ。それは、小田急という巨人のプライドを、根底から粉砕する一撃となった。

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