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第63話 西口統一 ~高見、五代に膝を折る~

 昭和43年(1968年)、12月。

 横浜の冬の夜気は、骨の芯まで凍み入るように冷たかった。

 だが、新しく完成した横浜駅西口地下街『ダイヤモンド地下街』の内部は、数万人の乗客が吐き出す熱気と、新築のコンクリートが放つ微かな湿り気、そして開業を待つ店舗から漂うコーヒーやパンの香りで、異様な高揚感に包まれていた。

 高見恭平は、深夜の誰もいない通路を、一人で歩いていた。

 天井の蛍光灯が、磨き上げられた大理石の床に反射し、まるで川のように続いている。

 三越の搬入口を兵糧攻めにし、高島屋を「物流の血管」で誘惑し、地権者たちの怒号を五代の政治力でねじ伏せた……血と泥の数年間。その結晶が、今この足元に広がっている。

「……できた。俺たちの、帝国が」

 高見は、通路の壁にそっと手を触れた。

 かつての相鉄は、国鉄や東急から「砂利屋」と蔑まれ、西口の再開発など「田舎者の夢」だと笑われていた。だが、今この瞬間、西口の地下は相鉄の、そして自分自身の支配下にある。

 三越はついに折れ、相鉄の軍門に下った。高島屋は最強の盟友となり、横浜駅に降り立つ人の流れは、すべてこの地下街という「胃袋」に飲み込まれることになる。

 カツン、カツン。

 静寂を破る足音が、前方の闇から響いてきた。

 高見は足を止めた。その足音の主を、心臓が……いや、魂が瞬時に察知した。

 闇の中から現れたのは、長いコートを羽織り、不敵な笑みを浮かべた男。

 五代だった。

「……見事なものだな、高見。三越を泣かせ、高島屋を籠絡し、この巨大な蟻の巣を完成させるとは。……『砂利屋』の仕事にしちゃあ、出来すぎだ」

 五代の声は、広い地下街に低く響き、高見の耳を、そして脊髄を直接震わせた。

「……あんたに教わった通りにしただけだ」

 高見は、五代の前で立ち止まった。

 本来なら、勝利の報告を誇らしげにするべき場面だ。だが、五代の前に立つと、自分がどれだけ高く積み上げた塔も、この男が描く「地図」の上の、小さな一点に過ぎないことを思い知らされる。

「五代さん……。俺は、あんたに認められたくてここまでやった。あんたが三浦半島でマグロを支配し、金沢文庫に産業要塞を築いているのを見て……悔しくて、たまらなかった」

 高見の声は微かに震え、熱を帯びていた。

 五代という巨大な影に追い越されまいと必死に走り続け、その過程で、自分の中にあった「相鉄への愛」は、五代への「愛憎入り混じる心酔」へと変質していた。

 高見は、不意にその場に、ゆっくりと片膝をついた。

 磨き上げられた大理石の冷たさが、膝を通じて全身に伝わる。

 

「……あんたには、まだ敵わねえ。俺が地下街を作っている間に、あんたは『未来』そのものを作ってやがる。……だが、俺は相鉄を、この島(西口)を、あんたの京急すらも飲み込むほどのバケモノにしてみせる」

 高見は、俯いたまま、五代の靴を見つめた。

 屈辱ではない。これは、自分以上の「怪物」を認め、その狂気の歯車として、自分という存在を完全に捧げるための、至福の服従だった。

「……俺をもっと、使い倒してくれ。あんたの描く地図の、一番鋭い牙にしてくれ。……俺は、あんたの手で世界が書き換わる瞬間を、誰よりも近くで見たいんだ……!」

 呼気が荒くなる。ハアハアという自分の息遣いが、静かな地下街に漏れる。

 表面上の強気な態度は完全に崩れ、内側に秘めていた「五代への渇望」が、湿った情熱となって溢れ出していた。

 五代は、膝をついた高見を黙って見下ろしていた。

 やがて、五代はゆっくりと手を伸ばし、高見のヘルメットを脱がせ、汗で濡れた髪を乱暴に、だが愛おしむように掴み上げた。

「……いい目だ、高見。……その『飢え』こそが、俺が欲しかったものだ」

 五代は、高見の顎を強引に持ち上げ、自分の視線を無理やり合わせさせた。

「次は**『不動産』**だ。二俣川、海老名……山を切り拓き、家を建て、人を住ませろ。小田急が指をくわえて見てる前で、神奈川の真ん中に、お前の、そして俺たちの帝国を築け」

 五代の指先から伝わる熱が、高見の脳を痺れさせる。

「……行け、青い狼。お前がこの島を制覇した時、俺たちが握るのは、ただの線路じゃない。……この神奈川の、すべてだ」

「……ああ。……やってやるよ。あんたが『終わった』と言うまで、俺はこのシマを広げ続けてやる」

 高見は、五代の手に自分の顔を押し当てるようにして、誓った。

 自立したライバルでありながら、その魂は五代という太陽に焼かれることを望んでいる……。

 矛盾した欲望が、高見という男を、最強の「相鉄の王」へと完成させた。

 地下街の開業。

 それは、高見恭平という男が、五代という「王」の伴走者として、真の覚醒を遂げた記念日となった。

 次回、第64話。

 「相鉄沿線開発編・山を喰らう狼」。

 舞台は西口から、未開の原野・二俣川へ。

 小田急との境界線上で、血で血を洗う土地買収合戦、通称**「神奈川冬の陣」**が始まる。

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