第181話 『羽田聖戦編(5) 閉ざされた霞が関と、孤立の社長室』
昭和54年、晩秋。
台風通過による「京急の逝っとけダイヤ」が世間の喝采を浴びた数日後。
東京モノレールの社長は、冷や汗を拭いながら、霞が関の運輸省庁舎の廊下を小走りで進んでいた。
世論の風当たりは最悪だ。その上、足元の羽田(天空橋)には、相鉄の重機が「いつでも掘れるぞ」とばかりに無言の圧力をかけ続けている。
この絶体絶命の危機を脱するには、かつてモノレールを国策として推進してくれた、運輸省の幹部や大物政治家に「京急を止めてくれ」と泣きつくしかなかった。
「……たのむ! 局長に取り次いでくれ! ほんの5分、いや3分でいい!!」
航空局長室の前。社長は、顔見知りの秘書官に必死に頭を下げた。
しかし、秘書官は氷のように冷たい視線を社長に向け、分厚い手帳を閉じた。
「……お引き取りください、社長。局長は現在『体調不良』で面会謝絶です。それに……」
秘書官は声を潜める。
「……昨晩、隣の局の幹部が、東京地検特捜部に『任意同行』を求められました。ロッキードの飛び火です。……今は、誰も『利権の象徴』であるモノレールさんに構っている余裕などないのですよ」
「そ、そんな……!! 我々を見捨てるというのか!!」
社長は絶望のまま庁舎を飛び出し、公衆電話から次なるパトロン――国鉄(日本国有鉄道)のOBである大物フィクサーに電話をかけた。
しかし、数回のコールの後に出た声は、怒号だった。
『……バカヤロウ!! なぜこの時期に私に電話をかけてくる!! 特捜部に通話を傍受されているかもしれんのだぞ!! ……二度とかけてくるな!!』
ガチャン!!
ツー、ツー、ツー……。
社長は、受話器を握りしめたまま、霞が関の冷たいアスファルトの上に膝から崩れ落ちた。
誰もいない。誰も助けてくれない。
かつて「闇将軍」の庇護の下、我が世の春を謳歌していた天空の城は、政治という名の絶対の支柱を完全に失い、虚空に取り残されたのだ。
同時刻。
品川の京急本社。五代専務の執務室。
ソファには、相鉄の川島社長が優雅に腰掛け、最高級のブランデーグラスを傾けていた。
「……霞が関に放ったウチの『草(情報屋)』からの報告です。モノレール社長、見事に全方位から門前払いを食らったようですね」
川島が、くぐもった笑い声を漏らす。
「……だろうな。ロッキードの嵐が吹いてる時に、泥船に乗ろうとするバカな官僚はいねえよ」
五代は、窓越しに霞が関の方角を見つめ、葉巻の煙を深く吐き出した。
「……世論は俺たち京急の味方。
……物理的な圧力(重機)は相鉄さんが握ってる。
……そして、頼みの綱の政治家どもは、特捜部に震えて引きこもっちまった」
五代の目が、獲物を完全に追い詰めた猛禽類のようにギラリと光る。
「……チェックメイトだ。
さあて、天空の特権階級サマが、暗闇の社長室で完全に精神をぶっ壊されるまで……あと何日保つかな?」
一切の血を流さず、一枚の書類も奪わず。
ただ相手の周囲の「空気」を真空にすることで、インフラ屋は敵を窒息死させる。
羽田強奪・運輸審議会へ向けた「絶望のカウントダウン」が、静かに時を刻み始めた。




