第156話 『日常:成金編(4) 隠しコースの罠と、量産される「伝説」』
昭和54年、初夏。
箱根山頂の独立国家『ハコネ・スカイ・ヴィレッジ』。その第2層を管理する地下の司令室で、若手社員が頭を抱えながら悲鳴を上げていた。
「た、高見さん! またです! プレミアム・ラウンジの連中が、『俺にもあのVIP専用・隠しテストコースを走らせろ』って、コンシェルジュに万札を叩きつけて暴れてます!」
「……チッ。またかよ」
現場監督の高見が、舌打ちをしながらコンソールのスイッチに手を掛けた。
事の発端は数日前。
あの『赤いカウンタックの男』が、下界の六本木や銀座のクラブで盛大にホラを吹いたことだった。
『相鉄には、真のVIPしか入れない秘密のテストコースがある。俺の走りが凄すぎて特別に案内されたんだが、あまりに過激なコースでよ。最後の特殊制動エリア(砂場)まで使って、フルスロットルで走り抜けてやったぜ』と。
その噂を聞きつけた他の成金たちは、嫉妬と見栄で完全に発狂した。
「あの直線番長ふぜいが走れるなら、俺のフェラーリでそのコースの最速記録を出してやる!」と、わざわざ箱根の山頂まで「挑戦」しにやって来たのだ。
「……高見さん、どうします? あんな隠しコース、ウチの敷地内のどこにも……」
「……あるじゃねえか。最高の『難所』がよ」
高見はニヤリと悪魔のように笑い、第一ゲートではなく、あの**『公道に絶対に繋がらない、私有地内の自爆用ループ線』**への誘導灯を点灯させた。
ヴォォォォォォンッ!!
ラウンジから飛び出してきた黄色のフェラーリが、猛烈なエキゾーストノートと共に、深夜の専用スロープへと突入していく。
運転席の男は、隣の女に最高のドヤ顔を見せつけながら、アクセルをベタ踏みした。
(フッ……俺のテクニックを見せてやる! あの赤いカウンタックが出した記録なんか、最初のコーナーでぶち抜いてやるぜ!)
だが、彼が挑んでいるのは「コース」ではない。
インフラ屋が、モラルなき飲酒運転を物理的に無効化するために計算し尽くした**「時速100キロ以上では絶対に曲がりきれない、殺戮拒絶の急カーブ」**だ。
「……もらったぁぁっ!!」
男がステアリングを限界まで切る。
だが、物理の法則は非情だった。キィィィィィィッ!! という悲鳴のようなスキール音と共に、車体は完全にアンダーステア(制御不能)に陥り、ガードレールのない暗闇へと一直線にすっ飛んでいく。
その先にあるのは、栄光のゴールではない。
ズサァァァァァァァァァッ!!!!!
厚さ2メートルの特殊な衝撃吸収セラミック砂を敷き詰めた、巨大な『サンドトラップ』だった。
猛烈な砂煙が上がり、数千万円のフェラーリは、呆気なく砂の海に飲み込まれ、完全に沈黙した。
「……あ、あれ……!? な、なんで曲がらねえんだよ!!」
砂の中でタイヤを空転させ、完全にパニックに陥る男。
そこへ、闇夜に紛れて待機していた相鉄のコンシェルジュとレスキューチームが、音もなく近づいていく。
「……素晴らしいアタックでございました、お客様」
コンシェルジュが、完璧な笑顔で深々と一礼する。
「当リゾートが誇る『VIP専用テストコース』、その極限の難易度を身を以てご体感いただけたかと存じます。……いかがでしたか? 限界を超えたブレーキングの味は」
「……ッ!!」
男はハッとした。ここで「曲がりきれずに事故った」と認めれば、自分のテクニックが赤いカウンタック以下の三流だと露呈してしまう。隣の女の手前、絶対にそれだけは言えない。
「ふ、フンッ……! ああ、なかなか手応えのあるコースだったぜ! まさか俺のスピードをここまで受け止める砂場が用意されてるとはな!」
男は、引きつった笑顔で強がりを吐くしかなかった。
「左様でございますか。……それでは、本日の『特別コース挑戦料』ならびに『緊急救助・特殊砂清掃費』として、スイートルームの代金を含めまして200万円のご請求となります」
「お、おう……! 安いもんだぜ……!!」
司令室のモニターで、血の涙を流しながら小切手にサインをする男を見下ろし、高見が腹を抱えて笑った。
「……傑作だぜ。誰も『自分が下手くそで自爆した』なんて認められねえから、全員が200万払って『最高のテストコースだった』って強がるしかねえんだ」
「……インフラの設計とは、人間の心理の設計だ」
司令室の奥で、川島社長が満足げに葉巻を燻らせた。
「客の『見栄』という最強の動力を利用すれば、ただの安全装置(砂場)が、利益率100%の超絶アトラクションへと変貌する。……我々はただ、挑戦者という名のカモが、自ら進んで砂に埋まりに来るのを待っていればいい」
箱根の山頂。
相鉄が造り上げた「絶対に曲がれない自爆カーブ」には、今夜も己の腕を過信した哀れな挑戦者たちが列を成し、そして無様に砂場へとダイブしては、200万円の「伝説」を強制的に買わされていくのだった。




