第134話 『インフラ屋の意地:魔の急勾配と全輪パレット』
横浜・相鉄本社。紫煙の立ち込める開発プロジェクト室で、高見が図面に引かれた太い搬入路の線を赤鉛筆で容赦なくバツ印で消し去った。
「……表の道に、油臭いトラックを1台たりとも入れるな」
吐き捨てるように言った高見の言葉に、相鉄の若手社員が息を呑む。
「しかし高見さん。大衆食堂の食材や何千人分のシーツ、VIP用の高級品……毎日数百往復する大型トラックをどうやって山頂へ上げるんですか」
「だから、客と同じ道を走らせるなと言ってんだ」
窓際で葉巻を燻らせていた川島が、低く笑う。
「箱根の急勾配だ。空荷の下りでも、数トンの鉄の塊が連日ブレーキを踏み続ければ必ずフェード現象が起きる。万が一、制御不能になったトラックが家族連れやVIPの車列に突っ込めば、リゾートは即日営業停止だ。……マイカーと重機を混走させるのは、観光地が抱える永遠の爆弾だな」
高見は図面の端に、無骨な鉄の塊のスケッチを描き始めた。
「……物流はすべて、山の腹をブチ抜いた『裏の専用軌道』で処理する。自走なんかさせるか。タイヤに頼るから滑るし、ブレーキが焼けるんだ」
高見は、平らな鉄の板と、巨大な歯車を持つ特異な機関車を描き出す。
「……トラックは山の麓に造る専用ヤードで、巨大な『全輪パレット』にそのまま載せる。前輪だけを持ち上げるようなヤワな真似はしねえ。車体ごと水平に固定するんだ。そして、この『装甲トラクター』を使う」
「……アプト式、ですか」
背後から図面を覗き込んだ五代が、ステッキを鳴らした。
「ああ。急勾配を登るための、ラックレール(歯軌条)と歯車を完全に噛み合わせる。このトラクターをパレットの後ろに連結し、山頂の地下要塞まで力任せに押し上げる。下りも同じだ。歯車が物理的にロックしている限り、絶対に暴走は起きねえ」
若手が恐る恐る口を挟む。
「……ですが、もしパレット上でトラックの固定が外れ、トラクター側に滑り落ちてきたら?」
高見はニヤリと笑い、パレットとトラクターの間に、分厚い壁を描き足した。
「だから『装甲』トラクターなんだよ。……両者の間には、数トンの衝撃にも耐える極厚の鋼鉄製バルクヘッド(防護壁)を挟む。万が一トラックが滑っても、この壁が受け止める。運転手の命と、設備は絶対に死守する。……これがインフラ屋の創る、重輸送のフェイルセーフだ」
客の目には一切触れない、地下深くの泥臭いインフラ網。だが、それこそが地上の華やかなリゾートを支える強靭な骨格だった。
「……物流の爆弾は、これで完全に消し飛んだな」
川島が、満足げに葉巻を咥え直した。
「ああ。裏の動線は俺の土木で処理した」
高見がヘルメットを小脇に抱え、横に立つ男に視線を向けた。
「……あとは表の動線だ。広すぎる領土の移動と、人身事故の排除。……こっちは鉄道屋の出番だぞ、五代」
名指しされた京急の五代が、ステッキを軽く床に鳴らし、冷たい笑みを浮かべて前に出た。
「……当然だ。人間と車を捌くことに関しては、ウチの右に出る者はいねえ」
裏の物流網が完成し、いよいよ表の交通網へ。インフラ屋たちの静かなる図面上の戦いは、次なるフェーズへと移行していく。




